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【AI支援改稿】マリオネットとスティレット 幕間 五十年目の冒険者

 貴族だけが住むことができるこの街の中央区画、その最も外側に建つのが、冒険者ギルド本部だ。その最上階に位置する最上位冒険者の個室は、白金剣級冒険者の特権として与えられた広い空間だった。高い天井には古風なシャンデリアが吊り下げられているが、その光は薄暗く、部屋全体にどこか憂鬱な影を落としている。部屋の中央には重厚な木製の机が置かれ、その上には過去数十年分の探索記録と地図が山積みになっていた。羊皮紙に描かれたリミナルダンジョンの詳細な見取り図、アーティファクトの分析報告書、そして仲間の冒険者たちの遺品。しかしそれらの資料は今では色褪せ、埃をかぶったものも多い。
 窓からは大時計塔の威圧的な姿が見える。かつては探検への憧れを掻き立てたその巨大な影も、今では解明できない謎の重圧として、彼の心に重くのしかかっている。夜になると、その影は部屋をさらに暗く包み込み、白金剣級冒険者の孤独を際立たせるのだった。
「タティオンめ……。暗殺ギルドなんて。それがお前なりのやり方なのか?」
 部屋の窓から夜の街を見下ろすのはこの部屋の主だ。その手には一枚の新聞が握られている。たった一枚の片面木版印刷の刊行物。やっと冒険者ギルドや魔法科学ギルド以外でも識字教育が定着し、大衆向けのマスコミュニケーションという商売も、軌道に乗るようになっていた。その紙面には、『盗賊ギルド解体、新興勢力である暗殺ギルドへ人員編入へ』と書かれていた。
「殺しによる安定だなんて。ユスフは、こんなことを望んでいなかったはずだ」
 エリオンは窓辺に立ち、眼下の街を見下ろしていた。この高さからは、貧民街の惨状もかすかに見えている。月明かりに照らされた破綻した屋根、細い煙を上げる煤けた煙突。この街の格差を示すかのような光景だった。彼はため息をついた。
「また、今夜も誰かがあの馬鹿野郎のせいで死んでいるのだろうな……」
 独り言が、静寂の中に消えていく。四十年近く冒険者として生きてきて、彼が救えたものは果たしてどれほどあっただろうか。アーティファクトを発掘し、街に富をもたらした。だが、その富は公平に分配されることはなく、むしろ格差を拡大させただけのように思える。そしてその矛盾を、樹木を剪定するように切り落としていったのが、かつての盟友タティオンだった。
 エリオンは壁に掛けられた一枚の肖像画を見上げる。暗い壁はすぐ近くの貴族の屋敷から漏れる魔光灯の青白い光に照らされ、そこに掛けられた絵が浮かび上がっている。若き日の勇者存在ユスフ。力強い眼差し、意志に満ちた表情、そして希望という名の光を宿した瞳。四十年前、魔王存在ヨトゴォルに立ち向かった英雄の姿を描いたモノ。
「ユスフ……」
 エリオンは小さくその名を呟いた。記憶の中のその姿は、もっと親しみやすい兄のような姿だったはずだ。今では真実は四十年分の虚実混ざった英雄譚に埋もれてしまった。エリオン自身の記憶ももうすでに薄れ、若き日の自分とタティオンを導いてくれたあの眼差しを再現することができないでいる。
「君なら……君なら、どうしただろうな」
 ガダン! バキッ!
 ぼうっと絵を見ていたエリオンは驚いて振り返る。何かの音が聞こえた。寝室の方だ。
(暗殺者か?)
 その可能性に思い至る。この冒険者ギルドの本部は、高さだけなら他の貴族の屋敷にも負けない。そんな場所に侵入できる存在は限られている。エリオンはかつて赤い瞳の力で、縦横無尽に樹木から樹木へ魔界の森を飛び跳ねていたタティオンの姿を思い浮かべた。
(やつ自身がついに俺を消しに来たか?)
 もしそうだとすれば間抜けなことだ。明らかに天井を突き破るような音を立てて入ってくるなんて……。エリオンはそう考えながら耳を澄ます。
「ふう、ふう、っぐ……!!」
 隣室から聞こえてくるのは、荒い息遣いと呻き声だった。エリオンはすぐに寝室へ向かい、ドアを開けた。
「あ……」
 そこにいたのは、まるで隣に住む怖いおじさんにイタズラが見つかったと言った様子の、少女だった。
「君は……」
 その娘の年の頃は9歳ほどか。ホワイトゴールドの髪は血と汗で汚れ、身にまとった黒い衣装もところどころ破れている。そして何より目を引いたのは、赤い瞳だった。魔力を宿した者特有の、人ならざる輝きを放つ瞳。
(まるでタティの奴のような目だな)
 もちろん、その特徴を持つものは何人もいる。赤い瞳は遺伝するとも限らないあい、紫色の瞳としてその力を潜在させる者も含めると、人口の1%にもなるだろう。だが先ほどまであの男のことを考えていたせいか、エリオンの脳内にはその影がちらついて拭えない。
 少女は部屋の隅に身を寄せ、警戒心剥き出しでエリオンを見つめている。その手には短剣が握られ、いつでも飛びかかれる態勢を取っていた。そしてその腹部には――赤黒いシミと、鉄の匂いが混じった生臭い臭いが。
「ケガをしているのか?」
 エリオンは咄嗟に一歩踏み出し、そしてそれからもう一歩をためらい、そこで止まった。怪我をした子供を目にしてつい体が飛び出し……そして深夜に自室に飛び込んできたという以上な状況を思い出したのだ。エリオンは冷静になる。この少女が何者なのか、なぜここに来たのかはわからない。だが、明らかに治療が必要な状態であることは確かだった。いったん気を取り直し、瓦礫を避けながら膝をつき、優しく声をかけた。
「君、大丈夫か?」
 しかし少女は警戒を解かない。震える手で腹の傷口を押さえながら、自分で何かを取り出そうとしている。針と糸だった。
「まさか、自分で傷口を縫おうというのか……」
その時、少女が口を開いた。
「近づくな……!」
 掠れた声。エリオンの目が彼女の衣服、いや装備品に向けられる。革製のダークブラウンのスーツは、暗殺ギルドの影の密偵が使うものだった。
(この幼い少女が、一体何をしているというのか)
 エリオンの銀色の眉が悲痛さに歪む。心に複雑な感情が湧き上がる。この街の闇の深さを、改めて思い知らされたのだ。
「君、名前は?」
「……レ、レカ」
「レカか。いい名前だな。俺はエリオンだ」
 エリオンはすっかり散らかってしまった部屋の中を見回し、衝撃で倒れた机を起こして、引き出しから小さな青い結晶を取り出した。冒険者が使う治療用の魔法石だった。
「これは貴族どもの使う邪悪な回復薬とは違う。冒険者がずっと受け継いできた魔法だ」
 その言葉に、レカの警戒が少しだけ和らいだ。貴族への不信。それは貧民街の住人なら誰もが抱く感情だろう。
「治療させてくれ。そんな針と糸では内臓の出血は止められないぞ。このままでは君は死んでしまう」
 エリオンは威圧するのではなく、距離を取り、優しく話しかけ続けた。レカは迷うような表情を見せたが、やがて力なく短剣を床に落とした。意識が朦朧としてきたのだ。エリオンは今度はためらうことなくレカに近づき、魔法石を傷口にかざした。青い光が傷を包み込み、ゆっくりと癒していく。荒い息をついていたレカの表情が苦痛から安堵へと変わっていくのを見て、エリオンは安心した。

*****

「夢を見ていたのか?」
 エリオンの顔を赤い髪がちらちらと撫でた。
「サラ……」
 目を覚ましたエリオンは身を起こそうとしたが、サラが優しく肩を押さえた。床に寝転がってついうとうとしていた彼の顔は、寝始めた時には差し込んでいなかった日の光に照らされ、眩しそうに目を細める。
「もう朝になったのか」
「働きすぎだ」
 サラが無感情に言った。エリオンは大きく深呼吸をした。
「評議会からあんなことを言われたからな。後任の白金剣級を選任したいが……まったく、人事の事務処理だけで時間が足りない」
 エリオンの部屋の床には書類がたくさん散らばっている。魔法科学ギルドの印刷所で刷られたものもあれば、古式ゆかしい羊皮紙製もあった。床に大の字になったエリオンの頭を、サラはそっと自分の膝の上に導いた。エリオンの方も慣れたもので、寝返りよりも自然に膝枕をさせる。
「エリオン、もう書類は任せて。ベッドへ行きなさい」
 疲労の色濃い少年の顔をした英雄は、目を瞑りつつもゆっくり頭をサラの腿の上で横に振った。
「そうもいかない。次は冒険者ギルドの最後の世代になるだろう。ルゥリィに任せたいが……」
「エリオン」
 サラの声は変わっていなかったが、エリオンだけが読み取れる本気の心配のニュアンスがあった。
「ああ、いいんだ。すまない。わかっているさ」
 エリオンの脳裏に、この間レカと交わした会話が思い起こされる。雪の闘技場で他の者に聞こえないように。
(ルゥリィのことは知っている)
 確かに、そう言った。寒さのせいでなしに血の気が引いていくレカの顔を覚えている。
(レカ、君を恨んじゃいない。ルゥリィはこの街の力学の犠牲になっただけだ。タティオンのやつにも復讐はしない)
 レカは涙を流していた。ずっとそうだった。あの女の子はいつも……。
「エリオン?」
 目を開けると、サラの金色の瞳が彼の顔を覗き込んでいた。
「あの子のことを考えていたのか」
 サラの声に、エリオンは静かに頷いた。
「若い女の子のの暗殺者……あの時、もっと何かできたのではないかと思ってな」
「傷ついた魂を癒すのは、魔法石では無理だ」
 サラは淡々と言った。
「それでもお前は手を差し伸べた。それで十分だ」
「十分? あの子は今でも殺しを続けている」
「それはお前の責任ではない。タティオンのゴミ野郎の責任だ」
 エリオンは苦笑した。サラは言葉を続けた。
「レカはどうしようもない。ルゥリィもどうしようもなかった。ティトゥレーのことを考えてやれ」
「それもそうだな」
 エリオンは窓から差し込む朝陽を見た。この街でいったい何度朝陽を目にしただろう。そしてこれから先はもう、きっともう数えるほどしかないのだろう。
「……ティトゥレーのやつには、街を出るように言うつもりだ」
「そう」
 サラの言葉からは感情が読み取れなかった。生まれた時からもう七十年付き合っているエリオンでも普段は察することができない。しかし、その心は繋がっているはずだと信じている。エリオンは空の遠くの方を見ながら言う。
「あいつには悪いことをした。拾って育てたまではいいが、無用に冒険者なんてものに憧れを抱かせてしまった」
「お前のせいじゃない」
 サラの言葉は、エリオンの心の表面を滑っただけだった。
「サラ。この世界は、あまりにも不完全だ。労働の対価はいつだって少なすぎるし、冒した罪への罰はあまりにも重すぎる。傷跡が残らないように治せる傷もなければ、埋め合わせることのできる欠落もない。地獄だよな、この世界は」
 サラが静かに答える。
「分かっていたことだろう? そして受け入れていたはずのことだろう?」
「まあな」
 エリオンは疲れ切った声で応えた。五十年間、冒険者として、時には評議会にも関わりながら、アーティファクトによる豊かさを公平に分配し、多種族が融和する街を目指してきた。しかし、魔法科学ギルドの貴族支配は強まり、傭兵ギルドの獣人部隊は暴発し、貧民街の状況はますます悪くなっている。だがそれでよかったのだ。どうせこの世界はどうしようもない。変えようもない。エリオンは、そのことをヨトゴォルからおそわったはずだったのだ、この世界の仕組みを……そして、タティオンも……。
「なあ、サラ?」
「なに?」
「俺はもう、十分に働いたよな?」
「眠れ。眠るんだ。もう難しいことは考えなくていいから……」
 サラはエリオンの小柄な体をひょいと抱えると、ベッドへと運んだ。エリオンのだらりと垂れ下がった疲れ切った腕からは、この街の冒険者の頂点としての重さが、ゴロンと転がり落ちたようだった。

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