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<日本灯台紀行 旅日誌>四国編(9)

<日本灯台紀行 旅日誌>四国編(9)

動画版https://youtu.be/vEZry6TqLds

~辺境の灯台をめざして~

七日目(3) 2022-11-18(金)

男木島灯台 撮影1

広々とした港の敷地を出ると、すぐに突き当りだ。トイレがあったので、まずは用を足し、そのあと、軽登山靴のひもを結びなおした。さてと、灯台は右か左かと、きょろきょろと見まわした。だが、案内板などはない。すでに上陸した人たちの姿はどこにもなく、自分だけ取り残された感じだ。

右か左か、二者択一だ。左手には、デザインチックな白い建物がある。考えもなく、ふらふらと、そちらのほうへ歩き出した。すると、りっぱな案内板が建物の入り口付近にあった。近寄ってよく見ると、灯台のアイコンがある。しかしながら、絵地図の見方を勘違いしてしまった。本来は、このまま左へ行くべきところを、いま来た道を戻ってしまったのだ。

言い訳をさせてもらおう。左方向は、極端に道が狭くなっていて、ほぼ行き止まりのように見えた。それにひきかけ、港のある右方向は、道も広く、開けている感じがした。<男木島>の観光資源のメインは<男木島灯台>だろう。したがって、灯台への道はちゃんと整備されているはずだ、と思い込んでいたのだ。絵地図で確認しておきながら、実際には、反対方向へ歩き出してしまった所以である。

だが、歩きだしてすぐに、何かおかしいと思った。これは、直観としか言いようがない。絵地図で再度確認してみよう、と回れ右をした。その時、トイレの付近に、背中に<男木島>と書いてある、赤いジャンパーを着たおばさんが見えた。島のボランティアだろう。躊躇なく、灯台への道を尋ねた。するとおばさんは、丁寧に、教えてくれた。やはり左方向が正解で、山を登って下りて、30分くらいで行けるという。礼を言って歩きだした。これでやっと、<男木島灯台>へ向かうことができる。やれやれ。

広い平場の道が終わると、いきなり、両側民家の細い道になる。やや上り坂になっていて、突き当りにも家があるから、遠くから見た時に、行き止まりに見えたのだろう。もっとも、灯台への道しるべがあれば、問題ないのだが、そんなものはどこにも見当たらない。<男木島灯台>は、灯台50選にも選ばれている有名な灯台だ。少し奇異な感じがした。だが、島内ボランティアのおばさんが、指をさして教えてくれた方向だ、間違いははい。前進あるのみ。

細い日陰の道を少し登ると、道は直角に右カーブしていて、極端に急な坂になった。しかも、くねっているから上が見えない。かなりゆっくり登ったものの、息が切れて、途中で何度も立ち止まった。展望はなく、右は急な斜面で樹木に覆われている。左側には海があるはずだが、崖際にも樹木が繁茂していて何も見えない。ただ、南向きの山道だから、日差しがあって、明るい。二、三日前の<佐田岬灯台>の山登りで、体が少し強くなったのだろうか、息は切れても、苦しくはなかった。それに、この急な坂道が、この先延々と続くとも思えなかった。

案の定、というべきか、意外にあっさり急坂を登りきった。依然として、登り坂ではあるが、緩い上り下りの山道になった。人の気配は全くしない。静かだ。午前中の柔らかい日差しが、もろに当たってきて、気持ちがよかった。

山道には、ちゃんとした道しるべはなかったが、ところどころに、小学生が描いたような絵看板が立っていた。灯台まであと1000mとか、700mとか、あともう少しとか、がんばれとかの、字も入っていた。唯一、この絵看板だけが、灯台へのたしかな道しるべになっていて、しばらく出てこないと、気になって、こちらから探したほどだ。

いまおもえば、これらの絵看板は、地元の小学生が、<男木島>に遠足に来る本土の小学生に向けて、作ったものだったのではないだろうか。というのも、これは後で記述するつもりたが、実際に、二、三十人の幼稚園生が<男木島>に遠足に来ているところに出っくわしている。元気なもんで、ちびっ子たちは、山を登り、尾根道を歩いて灯台まで下りてきたようなのだ。おそらく、尾根道にも、同じような絵看板が立っているにちがいない。

山道を30分くらいは歩いたと思う。もう、そろそろだろう、と思っていると、目の前の展望が開けた。海側ではなく、一本道の下り坂の先に、海岸があり、山影の横に、灯台の胴体が見えた。立ち止まった。そばには、記念碑と案内板があったが、何の記念碑なのか、案内板を目で追っただけで、なにも頭の中に残らなかった。

やっと着いたな。いま一度、灯台をじっと見た。灯台の写真というよりは、いま自分の前に広がっている光景を、記念写真として一枚だけ撮った。<男木島灯台>の写真撮影開始だ。すぐに歩き出した。<アドレナリン>が出ていたのだろう。鼻息も荒く、坂をすたすた下りて行った。

坂を下りていくと、左側が海岸になっていた。きれいなベージュ色の砂浜で、黒っぽい服を着た、中年の男女が戯れている。砂浜に入った。砂浜は、さほど広くない。カップルのそばを通り過ぎた時に、男のほうが<おはようございます>と、ややぎこちない日本語で挨拶をしてきた。ちらっと顔を見ると、白人の男性だった。もちろん、こちらも挨拶をかえした。

そばにいた女のほうは日本人で、彼女の顔もちらっと見たが、挨拶なしだった。外国人とカップルになっている日本人の女性は、どうも愛想がない。これは明らかに偏見だろう。だが、これまでの経験からして、そんな気がするのだ。砂に足をとられながら、そのまま灯台のほうへ向かった。

<男木島灯台>は、砂浜際に立っていた。砂浜との境には、高さ一メートルほどの、城壁のような土留め塀がめぐらされている。さらにその上にも、ほぼ同じ高さの、黒い石をドット模様にした塀がめぐらされていた。いうならば、二層構造になっていて、上の黒石ドット模様の塀は、周囲の色合いが茶系なので、ひときわ目立つ。造作も丁寧で、伝統的な美意識を感じた。

これらの塀の上に、灯台の胴体が見える。こちらも明るいベージュ色で、大小二種類の、長方形の大きな石で組みあげられている。表面がつるつるしていてきれいだ。

灯台の頭は、白いドーム状になっていた。造形的には不釣り合いだが、これは、灯台の機能を考えれば、致し方ないことだろう。ドームの中には、灯台の<目>が入っていて、暗い海を照らしている。胴体や付帯している出入り口などの造作は、およそ130年前に建てられたままの姿で現存しているが、照明関係の機械類は電化されたのだろう。

ちなみに、灯台に使用されている石は、<庵治石=あじいし>と言って、この地方だけで取れる御影石の一種で、きめが細かく、硬くて、水を通さず、風化に強い石らしい。それにしても、130年も前に作られたものが、野外で、風雨に晒されながらも、きれいな形で現存している。これは奇跡といっても言い過ぎではあるまい。

はるか昔、明治の時代に、灯台の父<ブラントン>が離日したあと、日本人だけで建設した<男木島灯台>は、現在、日本に二つしかない<無塗装の灯台>の一つでもある。

さてと、事前の下調べの段階で、<男木島灯台>の撮影ポイントは、左右の側面だろうと見当をつけていた。問題は、太陽の位置だ。ジーンズのポケットから磁石を取り出して、赤い矢印を<N>に合わせた。

海を背にして、灯台の左側が東で、右側が西だった。となれば、太陽は、灯台の背後にある山の上を通って、西側の海に落下することになる。まだ、午前九時半過ぎだった。帰りのフェリーは午後三時だ。二時までは撮影できる。いまは灯台の左側面に陽があたっているようだ。午後になれば、間違いなく右側面にも陽があたるだろう。見上げると、真っ青な空、雲一つない晴天だった。

西側からの撮影では、画面左側に海を入れることができる。ただ、灯台横の樹木の枝が繁茂していて、胴体を覆い隠している。これでは絵にならない。砂浜を塀沿いに回り込んで、樹木の枝が、灯台とかぶらないところまで歩いた。立ち止まった。この位置取りが、おそらくはベストポイントだろう。ただ、いまの時間帯、やや逆光になっている。午後、陽が西に傾いてきた時が、シャッターチャンスだ。とはいえ、アングルの微調整をしながら、何枚も撮った。

次に、灯台の正面に回り込んだ。手前に砂浜があり、少し高いところに塀が巡らされていて、その上に灯台の胴体が見える。さきほども書いたが、背後にはすぐ山が迫っている。奥行き感がなくて、構図が平板すぎる。しかも、砂浜から見上げているので、灯台は、まっすぐには見えず、そっくり返っている。いわゆる仰角アングルだ。さらによくないことには、半逆光だ。この先、太陽は弧を描いて山の上を通過するのだから、明かりの状態はもっと悪くなるだろう。正面からは無理だなと思った。とはいえ、あきらめが悪く、ここでもかなりの枚数を撮った。

ところで、<男木島灯台>の砂浜は、アーチ状になっていて、そのアーチの頂点に灯台が位置している。先端部に灯台が立っているのは至極当然の話だ。撮影の話に戻すと、灯台の正面を通り過ぎると、この地形の関係上、いま歩いてきた砂浜が見えなくなる。灯台が、画面左手になり、右手には、いままで背にしていた海が見えるようになる。灯台の東側に来たわけで、午前中の柔らかい光が、灯台にあたっていた。

おそらくは、この位置取りが、<男木島灯台>の第二のベストポイントだろう。いや、言葉がおかしい。ベストポイントは一つしかないから<ベスト>なのだ。したがって、<二番目に眺めのいいポイント>とでもいうべきなのだろう。とにかく、下調べした通りで、左側面からのアングルも、右側に海を取り込めるので奥行き感があり、しかも、明かりが斜光なので、画面に陰影が出ている。実際に見ていても、気持ちがいい風景だった。

だが、写真の構図としては、やや問題があった。灯台に付帯している玄関口のような、嵩の張った出入口が、灯台の下部と重なっている。まずもって、塀があり、しかも出入口の建物があるから、灯台の下のほうは全く見えない。

翻って思うに、灯台の一番好きなところは、地上から天空へと、すくっと立っている姿だ。いま目の前に見える光景は、そのイメージとは、だいぶちがう。これは、明らかに<灯台のある風景>だろう。瀬戸内の、離島の、明るい、静かな、どこか懐かしい、平安な風景だろう。

灯台巡りの旅を始めてから、三年がたっていた。きっかけは、愛猫の死だ。絶命する瞬間、<ニャン>と、か弱く鳴いて逝ってしまった。これまでもそうだった。大切なもの、愛するものを失う悲しみや苦しみ、後悔から逃れるために、なにかに夢中になった。いま、自分にできる解決策は、いや逃避策は、大海を前に、絶壁に佇立する灯台を撮ることだ。夢中になって、撮って、撮って、撮りまくって、いまにも崩れ落ちそうな心をつなぎとめた。

時の流れというものは、いい意味でも、悪い意味でも、すべてを押し流してしまうものだ。<ペットロス>から立ち直り、残り十年の人生を、どうやって苦痛なく、やり過ごそうかと、冷静に考えられるようになった。おそらくは、写真の主題が、<灯台写真>から<灯台のある風景>へと変わっていったことと、無縁ではあるまい。

灯台は、青い海と、青い空との境界に、ある時は<白>、ある時は<赤>の点景として、心の中に刻まれればいい。この限りなく小さな点は、人間であり、自分なのだ。

七日目(4) 2022-11-18(金)

男木島灯台 撮影2

瀬戸内海に浮かぶ<男木島>で、100年以上前から海を照らし続けている灯台は、お肌がすべすべで、とても上品な老齢の女性のように見えた。ただ、洋服のセンスには、さすがに時代を感じる。重厚なつくりと地味な色合いは、まさに明治時代のファッションだった。

いくたの戦争にも、いくたの災害にも、<不変>であり続ける、青い空と、青い海とを背景に、<男木島灯台>は静かに佇んでいた。

目の前に見えてくる風景を、すべて、写真に撮ればいい。360度、灯台の周りを回って、すべての角度から<灯台のある風景>を撮ればいい。人に見せる写真じゃない、あとで、自分で見て楽しむ写真でいい。

<見せる写真>よりは<見る写真>へと気持ちが切り替わっていた。とはいえ、写真にならない写真でも、アングルの微調整は続けた。絵面を整理して、少しでもすっきりした写真にすることは、<他人>のためじゃない、<自分>のためだと思った。

灯台の左側面、すなわち、東側の撮影からは、構図的なことはあまり気にしなくなった。数歩、歩いては立ち止まり、カメラを構えてファインダーをのぞく。灯台が一番最初に目に入ってくるようなアングルを、瞬時に頭の中で描き、シャッターを押した。ほとんど何も考えていない。リズムと感覚だけだ。自分が人間であることを忘れて、同じような写真を何十枚も撮った。行為そのものが心地よかった。

灯台の左横には、石造りの堅固な建物があり、黒い屋根瓦が光っていた。砂浜は、さらに続いていたが、これ以上遠ざかると、灯台が風景の中に埋没してしまう。<灯台のある風景>ではなく<離島の風景>になってしまう。一息入れて、周りを見回した。

狭い砂浜には、大きな流木が散乱していた。焚火の跡もある。灯台の敷地外の、少し高くなったところには、ちょっとした広場があるようだ。人の背丈ほどの、コンクリの電柱のようなものが、等間隔に五、六本並んでいた。

砂浜からあがって、灯台の敷地に隣接している、手作り感のある広場の中に入った。と、白っぽいシャツを着た爺に出っくわした。軽く会釈をしたが、表情一つ変えない。たしか、タバコをふかしていた。尊大な態度に、ややむっとしたが、思い直した。灯台の管理人なのかもしれない。

十中八九、<管理人>と名の付く輩にロクな奴はいない。これも、もちろん偏見だろう。雑然とした広場には、崩れかけたイスが所々に置いてあり、中央でバーベキューができるようになっていた。キャンプファイヤーもできそうだなと思った。

用途不明の、五、六本立っている、高さ二メートルほどのコンクリの電柱には細いヒモがぶら下がっていた。洗濯物でも干すのだろう。今になって思えば、灯台前の砂浜はキャンプ場になっていたようで、手作り広場は、キャンパーのための設備だったのだ。したがって、尊大な爺は、灯台とキャンプ場の管理人だったというわけだ。

広場の背後には山が迫っていた。ちょっとした崖になっていて、そこに、これまた手作りの、五、六段の階段がある。のぼってみると、山道に出る。そこから、広場と灯台の敷地が見下ろせる。

灯台本体のほかに、灯台と同じ石造りの堅固な建物が、右側に一棟、山側にもう一棟ある。これは<退息所>と言って、<灯台守>の住居だった建物だろう。今日日、<退息所>が現存しているのは、かなり珍しい。重厚で、堅固な石造りの建物は、130年の時の流れを乗りこえて、じつに堂々としていた。

この、いまは記念館になっている<退息所>の裏手に、白い軽トラが止まっていた。思い出した。朝、灯台に来る道で、軽トラに道を譲ったのだ。軽自動車一台しか通れない山道だったから、気を利かせて、端に寄ったのに、挨拶なしだった。自分なら、ハザードくらいはつけて、合図しただろう。あの管理人の爺だったのか!まあ、いい。広場に戻った。赤い自販機があり、ベンチがあったので座った。なにか、甘い飲み物でも買ったのかな?忘れてしまった。

さてと、立ち上がった。かすかな便意を感じたのだ。山側の<退息所>の右端がトイレだ。案内板がある。建物の左側にも扉があり、少し開いている。中から、何やら、歌謡曲が聞こえる。管理人の爺が休憩しているのだろうか。

トイレは、いましがた掃除したようで、床のコンクリが少し濡れている。狭くて、暗いが、臭いはしない。<大便室>は二つで、両方とも和式、いちおうは水洗だった。奥のほうに入って、そくそくと用を足した。

トイレから出てきて、あの爺が掃除したのかと思い、少し見直した。ちゃんと仕事はしている。コンクリの床には、自分の砂だらけの足跡が残っていた。いましがたきれいに掃除したところを汚してしまったわけだ。なんというか、爺に少し申し訳ないような気がした。用具入れもあったから、ちょっと中をのぞいた。とはいえ、掃除することもあるまい。砂だらけの足跡はシカとして、外に出た。

ほぼ正面に灯台があった。まさに、嵩の張った玄関口があり、その上に、灯台の胴体が見える。右側をちらっと見た。資料館の扉は開け放たれている。あとで寄ってみよう。いまは、灯台の正面構図を何とかしなくちゃと思った。どうも、造形的にいただけない。ほぼ正方形の、ずんぐりむっくりした建物が、灯台の下にくっついている感じなのだ。出入口の建物が、もう少し背が低くて、横に長かったなら、縦長の灯台とのバランスが取れる。やや残念だった。

もっとも、<真>正面構図は、灯台に限らず、ほぼすべての写真撮影においても、禁じ手ではある。まずもって平板になり、陰影が出ないから、のっぺりとしてしまう。免許証の写真が、いい例だ。

ほんの少し、左か右に振ることで、多少は立体感を出すことはできる。試してみた。ま、少しは、よくなったが、無理だった。そもそもが、被写体の造形的な問題で、写真撮影の技術の問題ではない。記念写真として、何枚か撮って、灯台の敷地の外に出た。

朝、灯台に来たときは、いきなり砂浜に入ってしまって、敷地の門柱は見なかった。思えば、港からはほぼ一本道で、上り下りしてきた山道の終点が、灯台だったのだ。あらためて、敷地の正面から、灯台を見た。右側からは山がせり出している。手前には電柱や電線、そして、伸び放題の樹木の枝や塀、建物などで、灯台はほとんど見えない。雑駁な光景で、写真にはなら
ない。

それでも、門柱越しに見える、いまは資料館になっている<退息所>のたたずまいが、すごくいい。瀬戸内の離島に残された、100年以上前の、明治時代の気配だ。灰色の重厚な石造りの建物が、一瞬で、脳裏に焼きついた。想像するだけで郷愁が漂ってくる。歴史的時間に触れた感じがした。

このあとは、太陽の動きに合わせて、写真を撮りながら、灯台の周りをゆっくり、ゆっくり、四回ほど廻った。午前十時頃から午後二時までの間だ。その間にあった出来事で、思い出せるイメージをいくつか記述しておこう。

午前中は、誰も来なかった。灯台の周りを、二回り、し終わった後だろうか、砂浜の大きな流木に腰かけて、持参したおにぎりや菓子パンなどを食べた。その時、どっと開けた目の前の、大きな島影の上に、巨大な雲が、ぽっかり、一つだけ浮かんでいた。好きな風景だ。しかも、右からも、左からも、海の上を、ゆっくりと、船が通り過ぎていく。形も個性的、色も鮮やかで、どれ一つとして同じものはない。

太陽は、ちょうど真後ろにあり、順光だから、海の色も、空の色も真っ青だ。行き交う船が、画面のいい位置に来るたびに、シャッターを押した。もっとも、巨大雲のボリュームを写し取ることは、ほぼあきらめていた。

カメラの設定が全体測光だから、雲の純白の部分が、露出オーバーになり、白飛びしてしまう。雲の一番明るいところで、ポイント測光すれば、多少はよくなるものの、今度は、海や空が、露出アンダーで暗くなってしまう。毎度おなじみのジレンマだ。いまの主題は、目の前に広がる風景だから、巨大雲の多少の白飛びには目をつぶったのだ。

風もなく、穏やかで、暑くも、寒くもなかった。人の気配はなく、静かで、安らかな時間だった。ただ、流木に腰かけていたので、尻が痛くなった。何回か、座る場所を変えたが、心地よい場所などあるはずがない。巨大雲が、島の上から消えかかったのを機に、立ち上がった。

昼食方々、かなりゆっくりくつろいだ。朝からの緊張が解けたのだろう。少し眠くなった。そうだ、資料館に入って、イスで一寝入りできるかもしれない。

写真を撮りながら、砂浜を、灯台の塀沿いに回り込んでいくと、手作り広場のすぐ前に、少し高くなった狭い場所がある。管理人の爺が椅子に腰かけて、海のほうを見ていた。

さっき通った時には、イスなどなかったから、爺が広場から持ってきたのだろう。朝の仕事が終わって、一休みしている。横目でちらっと見て、爺を少し迂回する感じで、広場に上がり、資料室へ向かった。

どこかでゴミを燃やしたようだ。白い煙が少し漂っていた。山際にあった、ブロックを積み上げた簡易的な焼却炉だったか、バーベキューの焼き場だったか、しかとは思い出せない。

資料館の扉は開け放たれていた。中に入ると、上がり框に、スリッパが、ずらっと並んでいた。小学校の教室くらいの大きさの広さで、壁に沿って、写真やら年表やら、灯台の部品やら模型やらが並んでいた。むろん、だれもいなかった。いちおう、端から見て回ったが、ほとんど頭に入ってこなかった。したがって、正確には、なにが展示してあったのか、全く思い出せない。

イスはあるにはあったが、これも、どんなイスだったか、記憶があいまいだ。とにかく、ためしに座ってみた。座り心地が悪い。ひと寝入りどころか、くつろぐこともできない。もっとも、資料館という空間の特質からして、つまりは、学ぶ場所なのだから、くつろげないのは当然だろう。まるっきり、当てが外れたな。二、三分して立ち上がった。

窓際に、記帳ノートが数冊あった。まじめに読む気にはなれなかったが、パラパラっとめくってみた。ひろい読みくらいは、したのだと思う。が、いまとなっては、何が書いてあったのか、まったく思い出せない。

香川県 男木島灯台

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