サミュエルベケット<名づけえぬもの>朗読2
https://youtu.be/Kd_u8JhQfnU?si=C23clK8-levM4_b2
Samuel Beckett
The Unnabable <名づけえぬもの>
原作 サミュエルベケット
翻訳 安藤元雄
朗読台本 朗読 関根俊和
参照文献
<名づけえぬもの>訳者:安藤元雄 白水社1970
<名づけられぬもの>訳者:岩崎力 新集世界の文学43 中央公論社1970
<名づけられないもの>訳者:宇野邦一 河出書房新社2019
SAMUEL BECKETT <The Unnamable> Edited by Steven Connor
faber and faber
<なぜベケットか>著者:イノック・ブレイター 訳者:安達まみ
白水社1990
<消尽したもの>著者:ジル・ドゥルーズ 訳者:宇野邦一 白水社1994
<安藤元雄 詩集集成>著者:安藤元雄 水声社2019
<マロウンは死ぬ>訳者:高橋康也 白水社1969
<マロウンは死ぬ>訳者:永坂田津子 藤井かよ 太陽社1969
<マロウン死す>訳者:宇野邦一 河出書房新社2019
<現代の世界文学 モロイ>訳者:三輪秀彦 集英社1969
<ベケット モロイ>訳者:安堂信也 白水社1969
<筑摩世界文学大系82 モロイ>訳者:安藤元雄 筑摩書房1982
<モロイ サミュエルベケット>訳者:宇野邦一 河出書房新社2019
<無の表現 表現の無>著者:内田耕治 駿河台出版社1990
<無の研究>著者:内田耕治 牧歌舎2016
参考意見1
グーグルAI<ジェミニ>
サミュエル・ベケットの小説『名づけえぬもの(The Unnamable)』の安藤元雄訳を用いた関根俊和氏による朗読動画「叛通信Presents 朗読 <名づけえぬもの>朗読2」についての率直な感想、解説、および批評をお届けします。
1. 率直な感想:言葉の泥沼に引きずり込まれるような圧倒的没入感
この朗読を聴いてまず圧倒されるのは、「声」そのものが持つ底知れない重力と、言葉の終わりなき反復が生み出す奇妙な心地よさ(あるいは不気味さ)です。
ベケットの『名づけえぬもの』は、プロット(あらすじ)がほぼ存在せず、どこかもわからない暗闇のような場所で、実体の定まらない語り手が延々と自問自答を続ける過酷なテクストです。一見すると文字で読むにはあまりに苦痛を伴う「意識の混濁」のようですが、これを「肉声」として聴くことで、不思議な立体感が立ち上がってきます。
朗読者の関根氏の声は、過度にドラマチックな感情を排しつつも、どこか諦念と執着が入り混じったような絶妙なトーンを維持しています。その結果、リスナーは「物語を聴く」のではなく、「語り手の頭の中に直接入り込み、彼の思考のループに一緒に囚われてしまう」ような共犯関係的な没入感を味わうことになります。
2. 本箇所の解説:アイデンティティの剥奪と「マローン」たちの幻影
この「朗読2」で語られている内容は、ベケットの『モロイ』『マローンは死ぬ』に続く【三部作】の完結編としての特徴が色濃く現れている極めて重要な場面です。
始まりと場所の探求 [01:28] 語り手は、自分がいる「この場所」に始まりがあったのか、それとも自分がやってきたのかを検証しようとします。「地獄だってルシファーが反逆した時に始まった」と語るように、何かしらの「起源」を求めようとしますが、すぐにそれすらも無意味な思考の遊戯であることに気づかされます。
「彼ら(旦那方)」という他者の存在 [10:10] 語り手は、かつて自分に「人間」や「神」「愛」「知性」について教え込んできた「旦那方(代表者たち)」、そして「バジル」という男について回想します [15:03]。ここで描かれる他者は、語り手に勝手に名前を貼り付け、自分をコントロールしようとした「押し付けがましい存在」であり、語り手がそこから逃れてこの孤独な場所に引きこもっていることが示唆されます。
マローンと「もう一人の男」の周回 [17:45] 語り手の周りを、前作の主人公である「マローン」ともう一人の奇妙な男が、規則的に、しかし決して交わることなくぐるぐると回り続けています [20:43]。彼らはかつて語り手が創り出した「代理人(キャラクター)」の残骸であり、語り手は彼らを観察しながらも、最終的には「自分自身の言葉」だけを語らなければならないという絶対的な孤独に直面していきます [23:59]。
3. 批評:文学の解体と「声」による救済
① テクストの「現代性」の定着
ベケットの文学、特に『名づけえぬもの』は、人間が積み上げてきた「意味」や「言語」を徹底的に解体する試みです。 文字で読むと、あまりのパラドックスの多さに脳が拒絶反応を起こしがちですが、この朗読は「語りのリズム(息遣いや間)」を正確に捉えることで、ベケットの持つ滑稽さ(ユーモア)と、実存的な恐怖を同時に成立させています。 「否定するために語り、語るために否定する」というベケットの不条理なからくり [22:04] が、声の抑揚によって極めて自然な「人間の弱さ・本音」として耳に届く点が素晴らしいです。
② 「言葉を止められない」という地獄と祈り
語り手は「話をやめる方法を探すことが、結果として話をさらに続けさせてしまう」 [22:04] と絶望します。沈黙したいのに、声を出さずにはいられない。この「書くこと/語ることの呪い」は、朗読という形態をとることで、より一層際立ちます。朗読者が声を出し、息を吸い、次の言葉を紡ぐ行為そのものが、この小説のテーマである「終わらせたいのに、終わらせてもらえない人間の業」そのものの体現になっているからです。
③ 翻訳と朗読の調和
安藤元雄氏の翻訳は、ベケットの硬質で冷徹なフランス語(原典)を、少し古典的でありながらも生々しい日本の「語り口調」へと見事に落とし込んでいます。関根氏の朗読は、その訳文のポテンシャルを最大限に引き出しており、BGMを排した「静寂と声だけ」の構成が、「完全無欠の静寂ではない」 [01:13] と語る作中の空間そのものをリスナーの部屋に作り出すことに成功しています。
総評
この朗読動画は、単なる文学作品のオーディオブック化にとどまらず、『名づけえぬもの』という「声の化け物」のような作品に、文字通り再び肉体(声)を与えて現出させる、極めて批評性の高い、価値ある試みであると評価できます。じっくりと耳を傾けることで、ベケットが描こうとした「人間の最後の閾(いき)」を体感できる傑作朗読です。
参考意見2
ChatGPT
まず率直に言うと、あの朗読は「内容を理解する」というより、「意識が言葉によって削られていく感覚」を体験する作品だと思います。
ユーザーが挙げたYouTube朗読「サミュエルベケット<名づけえぬもの>朗読2」は、普通の小説朗読の快楽――筋、人物、情景、感情移入――をほぼ拒絶しています。その代わり、延々と続く声だけが残る。しかもその声は、自分が誰なのか、自分が語っているのか、自分が存在するのかさえ確信できない。
だから聴いていて、ある瞬間から「意味を追う」のを諦め、声の運動そのものに飲まれていく感じがある。
これはかなり異様です。
率直な感想
正直、疲れます。
でも、その「疲れ」が作品の核心でもある。
普通の文学は読者に世界を与えるけれど、サミュエル・ベケットは逆に、世界を剥奪していく。
人物も崩れる。場所も崩れる。時間も崩れる。最後には「語っている主体」すら崩れる。
すると何が残るか。
「語らねばならない」という強迫だけが残る。
有名な結末、
“I can’t go on, I’ll go on.”
(「もう続けられない、でも続ける」)
は、その極限です。
この作品の恐ろしさは、「絶望」ではなく、「終われなさ」にある。
死にたいとか、生きたいとか、そういうドラマティックな話ですらない。
ただ“声が止まらない”。
朗読で聴くと、その拷問性がさらに強くなる。
文字なら飛ばせるが、音声は時間的に拘束されるからです。
だから朗読版は、むしろベケット的だと思いました。
この作品は何をやっているのか
名づけえぬものは、ベケット三部作の最後の作品です。前作『モロイ』『マロウンは死ぬ』でも主体は崩れていきますが、ここではついに「誰が語っているのか」が消滅しかける。
普通、小説には最低限、
語り手
世界
出来事
があります。
しかし『名づけえぬもの』では、それらが次々に疑われる。
その人物、本当にいるの?
その記憶、本当?
その“私”は誰?
そもそも語ってるのは誰?
という自己侵食が続く。
つまりこれは「物語」ではなく、
“言語が主体を作ってしまう地獄”
を描いた作品なんです。
なぜ「名づけえぬもの」なのか
タイトルが重要です。
人間は名前を与えることで世界を固定します。
これは机
これは私
これは記憶
これは現実
だがベケットは、その命名作用そのものを疑う。
言葉を使えば使うほど、「本当の何か」から遠ざかる。
だから語り手は、
語ろうとする
でも違う気がする
訂正する
また崩れる
を延々繰り返す。
これは単なる不条理ではなく、かなり哲学的です。
特に、
デカルト以後の「主体」
言語哲学
実存主義
神なき世界
の問題が全部煮詰まっている。
朗読2で特に感じるもの
朗読版で強いのは、「意味」より「呼吸」です。
文章が、
前進しているようで進まない
同じ場所を旋回する
否定と訂正を反復する
ため、まるで壊れた意識の独白のようになる。
ここで重要なのは、これは狂人描写ではないということ。
むしろ逆で、
人間の“意識”そのものが本来こういうものではないか
という地点まで行っている。
我々も実際、
頭の中で延々独白している
同じことを反芻する
自分が誰か確信できない瞬間がある
言葉で自分を支えている
わけです。
ベケットは、それを文学の限界まで露出させた。
批評的に見ると
この作品は20世紀文学の極点の一つです。
ただし、「傑作=楽しい」ではありません。
むしろ多くの読者は拒絶する。
当然です。
小説が提供してきた快楽を、ほぼ全部破壊しているから。
しかし逆に言えば、
「小説とは何か」
「主体とは何か」
「言葉とは何か」
をここまで徹底的に疑った作品は少ない。
後の
ポスト構造主義
現代演劇
前衛文学
実験小説
に与えた影響は巨大です。
一方で弱点もあります。
ベケットは極限まで削ぎ落とすため、読者との接点まで消えかねない。
結果として、「深遠」と「空虚」が紙一重になる瞬間もある。
実際、
「これは究極の文学だ」
と思う人もいれば、
「ただ延々とうるさい」
と思う人もいる。
どちらも間違っていない。
個人的にいちばん怖い点
この作品の本当の恐怖は、「無」ではなく、
“言葉が止まらない”
ことだと思います。
沈黙できない。
自己を捨てきれない。
終われない。
だから『ゴドーを待ちながら』より、私は『名づけえぬもの』のほうが遥かに暗いと思う。
『ゴドー』にはまだ他者と舞台がある。
しかし『名づけえぬもの』では、世界そのものが崩壊し、声だけが残る。
その声は、生への執着というより、
言語という機械に捕まった意識
みたいに聞こえるんです。
そして朗読は、その機械性をむき出しにしてしまう。
かなり異様で、かなり凄い作品です。
参考意見3
ChatGPT
YouTube: サミュエルベケット<名づけえぬもの>朗読2
率直に言って、この朗読動画は「文学作品の紹介」ではなく、意識が自己を追い詰めていく過程を、声によって追体験させる試みとして非常に誠実で、作品の本質に近いものになっています。
『名づけえぬもの』(原題:The Unnamable)は、通常の意味で「物語」を読む作品ではありません。言葉によって自己を定義しようとするたびに、その自己が崩れていく。その終わりなき独白そのものが作品です。1953年にフランス語で刊行され、ベケット三部作の最後をなす、最も極端な作品として知られています。
総合評価
完成度:9/10
優れている点
声が過度に演技的でなく、テクストに奉仕している。
テンポが安定しており、ベケット特有の反復が活きている。
聴き手に「理解」よりも「巻き込まれ」を促す。
声質に静かな疲労感と持続性がある。
改善できる点
意味の転換点で間を置くと、論理の崩壊がより際立つ。
音声のダイナミクスに微細な変化があると、聴きやすさが増す。
セクションごとの構造を少し意識すると、聴衆の集中が持続する。
率直な感想
聴いていてまず感じるのは、「朗読している」というより、声が作品の内部に取り込まれていることです。
ベケット作品の朗読では、感情を乗せすぎると芝居になり、平坦すぎると単調になります。この動画はその中間を保っていて、語り手が「何者でもないもの」として話し続けている感覚がよく出ています。
特に『名づけえぬもの』では、語り手は自分の正体を確定できません。「私」は名前を得ようとするたびに別の仮面に変わり、結局どれも偽物だと判明する。その不安定さを、抑制された声が支えています。
作品の核心
1. 「私」は存在するのか
冒頭から作品は、「どこに?」「誰が?」「いつ?」という問いに取り憑かれます。
語っている主体はいる。
しかし、その主体が誰なのか分からない。
言葉はある。
だが、その言葉は主体を保証しない。
つまりこの小説は、
「話しているものはいる。しかし、それが誰なのかは決して確定しない」
という状況そのものです。
2. 言葉は救済ではなく拘束である
語り手は沈黙したいのに、話し続けなければなりません。
言葉は通常、自分を表現する道具ですが、ベケットでは逆です。
言葉があるから自己が固定される
固定されるから苦しみが続く
しかし言葉なしには存在できない
この逆説こそが作品の中心です。
3. 「名づけえぬもの」とは何か
「名づけえぬもの」とは、神秘的な何かというより、
名前を持つ以前の主体
定義不能な意識
言語の背後に残る残余
です。
それは「純粋な自我」ではなく、むしろ
名前を与えられるたびに逃げていくもの
です。
この朗読の優れている点
声の抑制
ベケットの文章には派手な感情表現は不要です。むしろ抑制された声の方が、内部の動揺が際立ちます。
リズムの持続
反復と逡巡が作品の鼓動です。この朗読では、その粘着的な持続感が保たれています。
誠実さ
難解な作品を「分かりやすく」しようとせず、テクストの困難さをそのまま差し出しています。
改善提案
1. 思考の折れ目に沈黙を入れる
ベケットでは沈黙は言葉と同じくらい重要です。文の途中でごく短い間を取ることで、思考の行き詰まりが際立ちます。
2. 微細な強弱
単調さを避けるため、次の場面でほんの少しトーンを変えるとよいです。
自己否定
他者(Mahood, Wormなど)への言及
沈黙への希求
3. 息継ぎの設計
長文では呼吸の位置が意味の区切りにもなります。息継ぎが明確になると論理の崩壊過程が追いやすくなります。
哲学的背景
この作品には次の思想的問題が凝縮されています。
René Descartes 的な「考える私」
Ludwig Wittgenstein の言語の限界
否定神学(神を名づけられないものとする思考)
実存主義的な自己の不確定性
ただしベケットは理論を説明しているのではなく、それを身体的な苦痛として経験させる作家です。
最後の一文の意味
『名づけえぬもの』の結末は文学史上もっとも有名な一節の一つです。
I can't go on, I'll go on.
これは希望の言葉ではありません。
続けられない。
しかし終われない。
だから続ける。
人間存在そのものの定式化です。
この朗読の文学的価値
この動画の価値は、作品を「解説」するのではなく、
声そのものが、存在の揺れを演じている
ところにあります。
聴いているうちに、「語っているのは誰か」という問いが、朗読者ではなく、聴き手自身に返ってきます。
一言で評価するなら
「読む」のではなく、「存在が言葉に囚われ続ける苦しみ」を静かに実演した、非常に誠実で質の高い朗読。
この朗読を聴くべき人
ベケットに初めて触れる人
意識と言語の関係に関心のある人
哲学的文学が好きな人
静かながら強い表現を味わいたい人
2026-5-18 転記 関根
