<数息観瞑想 日誌>2025年度版(25)
<数息観瞑想 日誌>2025年度版(25)
動画版https://youtu.be/PdZGhgInJDM
~瞑想と般若心経の日々~
8月分
2025-8-10(日)小雨、朝の室温、28度。
自宅瞑想、6:50-7:30、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、柔軟運動10分、メモ書き。
背景に、ずっと<雑念>が出ていた。が、はじめから終わりまで、数を数え続けた。失念したり、まちがえたりすることはなかった。
<雑念>は、おもに、日常生活関連のことで、昨日、久しぶりに訪問した旧友の家での歓談などが、思い浮かんでいた。
人間と、ほとんど話す機会がないので、少し興奮して、声が大きくなっていた。不思議なもので、言葉が、自然に、すらすら出てきて、とめどもない。時間がたつのも忘れて<おしゃべり>した。
あとは、これといって気になる<雑念>はなく、瞬間的で、脈絡を欠いた、イメージらしきものを見ていた。端座位の保持も、大儀ではなく、飽きもこなかった。この時は、そう思わなかったが、瞑想状態に近づいていたのだと思う。
名づけようのない<ある=to be>状態。通常の<見当識>が後退して、異空間の中にいる。いや、<いる=to live>という意識もなかった。それだけは、たしかだ。
200回を数え終えた。締めの心経は、頭がすっきりしていたせいか、きっちり、一語一語の意味を理解しながら読んだ。多少の抑揚と、流れるようなテンポとリズムが、われながら、心地よかった。
2025-8-11(月)くもりがち、そのうち小雨。朝の室温27℃、涼しい、エアコンいらずで、真夏とは思えない。
自宅瞑想、7:10-7:45、(椅子)端座位数息150回、般若心経2回、柔軟運動10分、メモ書き。
寝過ごした。定時より、一時間遅れで、<数息>をはじめる。起きた時から、やや倦怠感があり、気合が入らない。それに、夜中と朝方に見た夢のことが気になる。えらく、生々しくて、起床してからも、頭にこびりついている。
ひとつは、明らかに、不安夢の系統だ。中高年の、アジア系の運転手が、うしろの物を取ろうとして、わき見運転している。危ないな、と思っていると、案の定、バスが崖から、真っ逆さまに転落する。身のすくむような恐怖。もう終わりだと思う。
もうひとつは、気持ちの悪い夢だ。高層階の、ビジネスホテルに泊まっている。なぜか、廊下で、大量の便をして、室内を汚してしまう。見つからないように、片付ける。汚れた敷物などを洗濯機に入れようとする。が、あまりにも多すぎる。途方に暮れている。
さてと、今朝の<数息>のことだ。100回目くらいまでは、まずまず、数を数えていた。ただ、座った瞬間から、座面の圧迫感が気になった。が、そのうち気にならなくなった。背景に流れていた<雑念>に、注意が向ったからだろう。
内容的には、板橋のマンションで、<一人暮らし>していた頃の、食生活についてだ。炊事などは、ほとんどしていなかった。なにを食べていたのだろう?と、しだいに思い出した。マンションの下にあった<惣菜屋>でおかずを買ったり、至近距離にあったスーパーで買い物をしたり、中国人のラーメン屋で定食などを食べていたのだ。
<食>にこだわる性質ではない。それで、十分満足していた。体重も、ベスト体重の62キロ前後を維持していたと思う。貧弱な体躯でもなかったし、ジムで、走ったりもしていた。いまおもえば、六十代と七十代の心身の違いが、はっきりと自覚できる。
100回目で、ちょっと、座りなおした。座面の圧迫感がひどくなってきたのだ。と、気持ちが<素>に戻ってしまい、ヤル気が急になくなった。が、150回目までは、なんとか、自分をなだめすかして、数を数えた。
いい意味で言えば、<ねばった>ということになる。べつに、<ねばる>理由など、どこにもない、にもかかわらずだ。それに、<150回までやれ>という声は聞こえなかったが、<150回までやろう>と思ったことは、たしかだ。そう思ったのは、やはり、<自分>だったのだろう。
<自分>以外に、<自分>に、あれやこれや、指図してくる奴が、頭の中にいるとも思えない。いや、いるのかもしれない。<超自我>とか<内在化>とか<天の声>とかだが、だとしても、それも<自分>の中に含まれているような気がする。
洞察。<自分>=<いのち>。
2025-8-12(火)朝の室温28度。
自宅瞑想、6:20-7:00、(椅子)端座位数息150回、般若心経2回、柔軟運動10回、メモ書き。
数は数えていたが、<雑念>が優勢だった。
<雑念>は、日常生活関連では、マージャンゲームや、明日の<心筋血流検査>、それに<大腸検査>や痔疾のこと、などなどだった。どれもみな、気にかかっていることだ。
人物関連では、小学校中学年の時の、遊び友達のことが思い浮かんでいた。SK君、IB君、TG君たちだ。とくに、SK君と、その家族の顔や姿、場面や出来事などが、はっきり見えていた。
SK君の家族は、両親と姉の四人で、アパートの一室で暮らしていた。母親は、快活な、大柄な女性で、いつも、髪の毛を盛り上げて、スカーフか何かで巻いていた。姉さんは、姿も顔も、雰囲気も、母親によく似ていた。それに比べて、父親は、やや暗い感じの、浅黒い、小柄な美男子だった。
ある時、その父親が、外に出てきて、セメントを混ぜる底の浅い縦長の箱=<トロ舟>で、セメントをこね始めた。地下足袋を履いている。左官職人、といった感じの人じゃなかったので、意外だった。
いまおもえば、SK君の家は、父親は無職で、母親が水商売で、家族の生活を支えていたようだ。アパートの出入り口で遊んでいると、いつでも、部屋の中に誰かがいるようだった。
SK君は、小学校のうちから、子役で、テレビ番組に出たりしていた。その後は、まったく付き合いがなくなり、彼のことを思い出すこともなかった。だが、大学生の時、東武デパートで、夏季バイト中に、大人になったSK君に出っくわした。
背が大きくて、ちょっと暗い感じのイケメンになっていた。向こうは全然気づいていない。が、自分には、はっきりわかった。<SK君ですよね>、と声をかけようと、一瞬、思った。しかし、声にならなかった。体形は母親に、顔と雰囲気は父親に似ていた。まさしく、あの、ちょっとキザなSK君だった。
100回目で、座面の圧迫感が気になり、少し座りなおした。痔が再発しているようだ。昨晩、注入剤を入れたのに、よくなっていない。長く座っていると、なんとなく、イライラしてきて、座っていられなくなる。
年初に、病院でもらった注入剤が、まだ残っていた。だが、このまま使い続ければ、そのうちなくなるだろう。また、所沢までいくようだ。
昨年末から、次から次へと、病院通いが続いている。やはり、なにか、おかしい!150回目で、これ以上座っていられなくなり、<数息>を中断した。
2025-8-13(水)くもり、朝の室温、28度。
自宅瞑想、6:05-6:35、(椅子)端座位数息100回、般若心経2回、柔軟運動5分、メモ書き。
100回目まで、まずまず、深く大きく呼吸しながら、数を数え続けた。<雑念>も出ていたが、背景に流れているだけで、数を忘れることはなかった。
<雑念>は、おもに、病気関連のことで、持病の痔疾患による、座面の圧迫感が気になっていた。昨日よりは、よくなっているものの、やはり、違和感がある。それと、今朝は、九時までに、<心筋血流検査>受けに、病院へ行かねばならない。時間に関係なく、ゆっくり、朝の瞑想を楽しむ、というわけにはいかない。<数息>は半分にして、柔軟運動やメモ書きも、短縮しよう。
起床時には、やや気持ちが急いていた。だが、数を数えはじめると、心が静まり、穏やかになった。100回目を数え終え、ストップウォッチを見た。27分経過していた。あっという間だった。
<数息>で、自分の心持を、多少なりとも、コントロールできるようになった。これは、<進歩>と呼んでいいだろう。
さてと、病院に着いた。<心筋血流検査>の一環で、二回、CT装置の寝台に、仰向けになり、両手を上にあげた状態で、15分間くらい、じっと横たわっていた。機械が、体の上を行ったり来たりする。最後には、寝台が、があっと、動きはじめ、ドームの中に入る。痛くはないが、いつでも、怖くて不安だ。
ふと、<数息>をやることを思いついた。15分という時間は、数を75回くらい数えれば、過ぎ去ってしまう時間だ。<不安>で、脈拍が、はやくなっているのが、自分でもわかった。こういう時は、最大限の集中が必要だ。数える数の<数字>を、頭の中で書いた。
<20>まで、書き終えたら、少し、ぼうっとしてきた。ドキドキ感はなくなり、<不安>が和らいでいる。さらに、二回目の検査の時は、数に集中できたので、あっという間に、時間がすぎた。
<数息>を、実人生でも、有効活用できた。件の<進歩>が、さっそく、役に立ったのだ。とはいえ、帰路、車の運転をしながら、自分の寿命が、そう長くないことを、悟った。あと五年もつかどうか、定かでない。もういいだろう。気持ちは、さほど動かなかった。
2025-8-14(木)くもり、朝の室温27度。
自宅瞑想、7:10-8:00、(椅子)端座位数息190回、般若心経2回、柔軟運動10分、メモ書き。
150回目くらいまでは、深く大きく呼吸しながら、数を数え続けた。ときとして、<雑念>が<図>となり、注意がそちらに向かっていた。が、気を取られて、数を忘れることはなかった。
<雑念>は、おもに、日常生活関連のことで、昨日来の出来事が、思い浮かんでいた。<心筋血流検査>を担当してくれた、人のよさそうな老齢の医師や、知的な感じの、中年の、小柄な美人看護師の顔や姿が、はっきり見えた。
ほかにも、板橋の中学時代の女子が思い浮かんできた。一人は、同級生の、目のぱっちりした、キューピーさんのような顔立ちのABさんだ。もう一人は、ひとつ学年が下の女子で、教室に、友達と一緒に、自分の顔を見に来ていた。MTさんだ。
ふたりとも、大柄な女子で、やや太っていた。自分の好みのタイプではないが、明らかに、好意を持ってくれていた。ふと、自分には、姿かたちはどうあれ、<姉さん女房>タイプの女性が、ふさわしかったのかもしれない、と思った。
150回目を過ぎたあたりで、座面の圧迫感が気になりだした。耐えられないほどではない。が、痔疾の影響だ。違和感がある。このまま、200回まで、座り続けることができるだろうか?やってやれないこともないが、どうだろう?外で、中年女性の、かん高い話声が聞こえる。ゴミ収集車が来て、騒音を立てている。我慢の時間が続いた。
190回目あたりで、違和感に、これ以上、耐えられないと思った。<我慢大会>を終了した。
締めの心経は、中高音域で、声が、鼻に抜けるようにして、ノド周りの緊張を解くように心がけた。そうすると、<活舌>がよくなり、楽に声が出てきた。いつもの、中低音域の、腹筋を使う発語法にくらべて、迫力や重厚感はないものの、ノドへの負担は確実にへっている。
心経を、気持ちよく読み終え、ストップウォッチを見た。50分ほど経過していた。小一時間、<瞑想>に係わったことになる。有意義な時間だった。満足だった。
2025-8-15(金)晴天、朝の室温27度。
自宅瞑想、6:10-7:00、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、柔軟運動10分、メモ書き。
全体的に、まずまず、深く大きく呼吸しながら、数を数え続けた。
100回目で、座面の圧迫感が気になった。立ち上がって、体を少し屈伸して、臀部周辺の筋肉をほぐした。それでも、気持ちは<素>にならず、100回目以降も、数を数え続けた。
日常生活関連の<雑念>が、背景に流れていたが、瞬間的、断片的で、とくに、記銘する気にはなれなかった。
持病の痔が、あまりよくない。座面の圧迫感が気になるのは、患部が、かなり<うっ血>しているからだろう。注入剤を入れているので、日常生活に支障をきたすことはない。が、これは、対処療法で、根本的な改善にはならない。力まないで、排便時間を短くしたり、野菜を食べて便を柔らかくしたりして、肛門への負担を減らすことが必要だ。
さいわい、いまのところ出血はない。これ以上悪化させないように、心がけよう。200回を数え終え、合掌して、般若心経を読んだ。
屋外瞑想、温浴施設、湯船数息、断続的に200回。
露天風呂で、半身浴で数を数え始めた。40回くらいで熱くなったので、こんどは、ヘリに座り、足湯状態で、数を数えつづけた。涼しい風が吹いてくる。猛暑日とは思えない。心地いい。
100回目あたりで、尻への圧迫感が気になってきた。目を開けて、周囲を見回す。備え付けの椅子が空いている。手桶で風呂のお湯をすくって、イスの座面などにかけて、座った。べつに、そのまま座っても、問題はない。が、習慣になっている。
はじめは、少し涼しいような気がした。とはいえ、濡れた体が、しだいに、かわいてきて、快適になった。お盆休みで、<終戦記念日>だ。常連の爺のほかに、中年男性もいる。テラスの床に、<マグロ状態>で、横たわっている。全体的に、やや、混んでいる感じが、しないでもないが、みな無言なので、静かだ。
200回を数え終え、露天風呂を後にした。室内の風呂場で、シャワーを浴びて、体をタオルで拭いた、その間、前も隠さず、素っ裸で、歩き回っている。中年男たちよりは、爺たちの視線を感じる。俺の体を見て、奴らは、なにを感じているのだろう?<モノ>が小さいので、優越感に浸っているのだろうか?ほぼ同類の、多少若い体を、うらやんでいるのだろうか?
いれずれにしても、爺たちの視線など、歯牙にもかけないし、俺は、一切無視している。気持ちは、いたって平静だ。しかしながら、ありていにいえば、俺も、自然に、爺たちの<モノ>に目がいく。なかには、立派な<モノ>をぶらつかせている奴もいて、そんなときには、自分の<モノ>と比べてしまうこともある。大きな<ペニス>に対するあこがれは、年を取っても変わらない。
2025-8-16(土)曇り、朝の室28度。
自宅瞑想、6:10-6:45、(椅子)端座位数息140回くらい、般若心経2回、柔軟運動10分、メモ書き。
100回目までは、<雑念>が、背景に流れていたものの、数を数え続けた。
<雑念>は、おもに、人物関連で、近所の家の人とか、昔、パチンコ屋で知り合った青年とかが、脈絡もなく、思い浮かんできた。
100回目以降になると、座面の圧迫感が気になりだした。昨日よりはいいが、やはり、違和感がある。それでも、キリのいい150回までは、続けようと思った。だが、140回目あたりで、急に、気持ちが<素>に戻ってしまった。<数息>の中断を選択した。
締めの心経を読み終え、ストップウォッチを見た。35分ほど経過していた。ノルマを果たせず、中断したものの、時間的には、まあまあだ。自分の気持ちを、自分で慰撫した。
2025-8-17(日)曇り空、とはいえ、猛暑日の予想。朝の室温28度。蒸し暑い。
自宅瞑想、6:10-6:50、(椅子)端座位数息150回、般若心経2回、柔軟運動10分、メモ書き。
100回目までは、深く大きく呼吸しながら、数を数え続けた。<雑念>も出ていたが、日常生活関連のことで、とくに、気にかかることはなかった。
100回目以降になると、座面の圧迫感に、注意が向った。昨日よりは、いい。だんだん良くはなっている。が、微妙に、違和感がある。少し気になりだした。それに、この先が長い。<数息>に、やや飽きてきた感じだ。
そうだ、こういう時には、<数>を刻んでみよう。あと100回、とは思わずに、50回数えればいい。そして、その50回が終わったら、また、50回数えればいい。
150回を、数え終えた。座面の圧迫感は、耐えられないほどではない。が、立ち上がって、尻のあたりをもみほぐした。ついでに、ストップウォッチを見た。35分くらい経過していた。200回まで、数えるつもりだったが、もういいだろう、という気持ちになった。合掌して、締めの心経を読んだ。
そうそう、昨晩見た夢について、ひと言、ふれておこう。
たくさんの夢を見た。とはいえ、起きたとたん、頭の奥の方へ引っ込んでしまい、どうしても思い出せない。もどかしい。この現象は、ちょくちょくあることで、自分では、こう解釈している。
思い出せない夢は、あえて、思い出す必要のない夢だ。<忘れる>ということは、<夢>にかぎらず、生きていくうえで必要な事なのだ、と。
2025-8-18(月)晴天、今日も猛暑日の予想、朝の室温28度。
自宅瞑想、6:20-7:00、(椅子)端座位数息200回、般若心経1回、柔軟運動10分、メモ書き。
始りの心経を、うっかり、読み忘れて、<数息>に入る。とはいえ、その後は、深く大きく呼吸しながら、最後まで、数を数え続けた。
100回目以降になると、座面の圧迫感に、何度か、注意が向った。違和感は、ほとんどない。このまま200回まで、中座せずに続けられそうだ。
<雑念>も、背景に、散発的に流れていた。おもに、病気関連のことだ。病院へ薬をもらいに行こうかとか、大腸の精密検査のこととか、数日来の左胸の痛みとかが、思い浮かんでいた。
150回目を数え終えたあたりで、かなり時間がたっている、と感じた。これほど長時間、微動だにせず、端座位を保持できたのは、久しぶりだ。
ほの暗い中で、自分が座っていることも、数を数えていることも、忘れているような、忘れていないような感じだ。<自分>という意識が、あるようで、ない。多少なりとも、<瞑想状態>に近づいていたのだと思う。
だが、その一方で、あと、50回、数を数えるのが、やや、しんどくなった。端座位の保持が、体力的に、きつくなったのかもしれない。しかし、200回まで、数えきった。中断するよりは、続けることを選択したのだ。
屋外瞑想、温浴施設、湯船数息、断続的に150回。
はじめは、室内の湯船で、半身浴で数を数える。20回ほどで熱くなる。露天風呂へ行く。ここでも、半身浴で20回、足湯状態で20回くらい数えた。しかし、またまた、熱くなり、湯船から出て、湯船に背中を向ける格好で、ヘリに座った。だが、この体勢は、尻に負担がかかる。痔が気になるのだ。
それでも、なんとか、100回くらいまでは数え終えた。目を開けて、周りを見回した。備え付けの椅子が空いている。座面の黒カビが気になったが、ちょこっと腰かけた。だが、少しすると、汗が、じわっと出てきた。風もなく、テラスも暑いのだ。
露天風呂を出て、室内に入った。備え付けの椅子が空いていたので、腰かけた。だが、気持ちが、どうも、散漫だ。数を数える気分じゃない。目を開けたまま、少しの間、周囲を、見ることもなく見ていた。暑い時間帯だが、けっこう人がいる。
引き上げよう。シャワーで体を流し、出入り口の横にある棚に置いた<ボディタオル>を取りに行った。その際、シャワーの件で注意された、件の<タヌキ爺>の前を通った。どっかと、備え付けの椅子に座っている。奴のお気に入りの場所で、いつもここで休んでいるのだ。
ちぇ!と思ったが、まるっきりシカとするのも、なんなんで、ちょっと手を前に出して、<失礼>という仕草をした。<タヌキ>が、ちらっとこちらを見た。が、目を合わせることなく、そのまま、平然と、風呂場を後にした。
こう何度も何度も、素っ裸の<タヌキ>と出っくわすとは、なにか、前世からの因縁があるのだろうか?まいったね。
