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<数息観瞑想 日誌>2026年度版(6)

<数息観瞑想 日誌>2026年度版(6)

~日々の数息観瞑想の記録~

2026-3-16(月)朝の室温15度。

自宅瞑想、6:35-7:15、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチ20分、メモ書き。

数は数えているが、<雑念>が優勢だった。きのう見聞きしたことなどが、脈絡なく、思い浮かんでいた。あと、すこしだけ<哲学的>なことを考えた。

気を取られて<雑念>のイメージを見ているのは、<反省前の対自>で、<受動的>に数を数えているのは、<反省的な対自>なのではないか?位相のちがう意識が、交互に入れ替わりながら、時間=意識の流れを作っている。むろん、それが、へんだとは思わない。

100回目を数え終えた。いつもなら、少しぼうっとしてくるのだが、けさは、意識がはっきりしている。普段のままだ。これじゃあ~、<数息>をやっている意味がない。

もう少し、しっかり、数を数えたほうがいい。だが、依然として、<雑念>は出て来るし、瞑想状態に近づけない。が、いちおう、200回目までは数えた。

だいぶ暖かくなってきた。朝起きて、ファンヒーターをつけている時間が短くなった。朗読作業も進展している。<マージャンゲーム>は、もうやりたいとは思わない。<依存性>を、断ち切ったわけで、これは、いわば、<理性>の勝利だ。気持ちがすっきりした。

2026-3-17(火)朝の室温、15度。

自宅瞑想、6:35-7:15、(椅子)端座位数息150回、般若心経2回、ストレッチ20分、メモ書き。

深く大きく呼吸しながら、数を数え続けた。途中、<雑念>も出ていたが、気をとられて、数を忘れることはなかった。

<雑念>は、おもに、日常生活関連のことで、スーパーへの買い物のこととか、温浴施設でよく見かける爺たちのこととかが、思い浮かんでいた。あと、<朗読>について、すこし考えていた。

なぜ、<ベケット>の朗読などするのか?自分に問うてみた。<朗読>も<ベケット>も、<自分>を見失わないための方法だ。何もしなければ、なんとなく、うやむやに、拡散していってしまう<自分>を、つなぎとめておく<方法>だ。

ここでいう<自分>とは、<いのち>のことだ。<いのち>の是非を考えている<自分>のことじゃない。だから、いってみれば、<いのち>が、<いのち>を、大切にしている。なぜだか、わからない。が、心の奥底で、実際に、そのような気配を感じるのだ。

<朗読>も<ベケット>も、<自分>を、<いのち>を、十全に生かす<方法>だ。ま、これだと、抽象的すぎて、何も言ってないのと同じだが、とりあえず、書きとめておこう。

150回目を数え終えた。

そうそう、朝方、せつない夢を見た。

一目惚れした女性との別れ際、<いまから、横須賀のデパートの呉服市に行くから、一緒にこない?>と誘われる。自分は妻子持ちで、それに<横須賀>は遠い。家に帰れない。未練がましく、また会いたいので、連絡先を教えてほしい、と頼む。教えられない、と背中を向けられる。センスのいいスカートのお尻が、肉感的だ。

<恋愛>の夢は、たまに見る。夢の中とはいえ、これも、爺の楽しみのひとつだ。

2026-3-17(水)朝の室温、15度。

自宅瞑想、6:50-7:25、(椅子)端座位数息150回、般若心経2回、ストレッチ20分、メモ書き。

100回目くらいまでは、まずまず、数を数えていた。<雑念>が、背景に流れていたが、これといって、覚えているものはない。

100回目以降は、すこし、ぼうっとしてきた。眠気は、さほどないが、数を数えているような、数えていないような、<雑念>のイメージを見ているような、見ていないような、いわゆる、<漠としてイメージ>のなかを漂っていた。何度も、数を数えなおしながら、150回目に到達して、<数息>を終了した。

散歩道の桜のつぼみが、かなり大きくなってきた。今年は、開花が早そうだ。一年で、最も華やかな時期が来る。自分の心も、なんとなく、そわそわしている。

2026-3-19(木)朝の室温、16度。

自宅瞑想、6:00-6:45、(椅子)端座位数息150回、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。

深く、ゆっくり呼吸しながら、息の出入りに合わせて、数を数えた。日常生活関連のことが、終始思い浮かんでいたが、数を失念することはなかった。

かなり、長い間、<終活>に関するイメージを見ながら、なんとなく、想念していた。

死後の、自分の<骨>の処遇だが、墓には入らないと決めたので、<樹木葬>とか<散骨>とかを、先日調べた。<樹木葬>では、<骨>を壺のようなものに入れて、地面に埋めるようだ。これじゃ~、<墓>に入ると同じだ。いっぽう、<散骨>は、専門業者がいるので、海に、ぱあっと、まいてもらえる。このほうが、清々する。

<散骨>してくれ、と書面にしたためるつもりだが、もっと、切羽詰まってきたら、気が変わるかもしれない。そのときは、そのときで、書き換えればいいだろう。

150回目を数え終えた。頭が、はっきりしている。なんとなく、哲学的な気分だ。人生の最後の最後に、<瞑想>を、生きる<よすが>としている。以前から、予感はしていたが、いまだに、半信半疑だ。似合わない感じがしないでもない。が、いっぽうでは、満足している。これ以上のものがあるとも思えない。

けさ、起きたときに、寒さを感じなかった。やっと、春になった。ひと冬を、無事に越えたわけだ。これでいいのだ!

2026-3-20(金)朝の室温17度。

自宅瞑想、6:00-6:40、(椅子)端座位数息150回、般若心経2回、ストレッチ20分、メモ書き。

<雑念>も出ていたが、数を数え続けた。

<雑念>は、日常生活関連のことや、<終活>のことなどが、脈絡なく、思い浮かんでいた。

数を数えている合間合間に、<雑念>のイメージを見ている、あるいは、<雑念>のイメージを見ている合間合間に、数を数えている。自分では、この状態を、<前瞑想状態>と名付けている。そして、だいたい、いつも、この後、ぼうっとしてきて、<雑念>のイメージが、うすくなり、さらに断片的になる。<雑念>のイメージを見ているという意識もなくなり、いわゆる<漠たるイメージ>のなかを漂うことになる。

さらに、<自分>とか<意識>とかが、あいまいになってきて、ほの暗い、まるい空間の中に浮いているような感じになる。これは、瞑想状態の入り口なのだろう、と思っている。とはいえ、その<入り口>をくぐって、その先へと、足を踏み入れたことは、まだない。これからの課題だ。

150回目を数え終えた。合掌し、心経を、やや、高音域で読んだ。これだと、のどへの負担が、ほとんどない。それにしても、心経の<読誦>に、<あき>を感じたことは、ほとんどない。<摩訶般若波羅蜜多心経~>と、声に出すと、あとは、一気に、ほとんど何も考えず、滝の流れるように、最後まで、読み終える。

<瞑想>も<般若心経>も、何も考えないための、優れた<方法>なのだ、と思う。

2026-3-21(土)朝の室温、13度。少し、肌寒い。

自宅瞑想、7:00-7:25、(椅子)端座位数息120回、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。

なんとなく、気分が低調。多少、倦怠感もあり、胃の調子もよくない。<数息><心経><ストレッチ><メモ書き>、すべて、おざなりだった。

こういう日もあるさ。

2026-3-22(日)朝の室温、12度。

自宅瞑想、6:25-7:05、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチ20分、メモ書き。

<数息>と<雑念>とに、交互に、注意が向かっていた。

<雑念>は、雑多で、脈絡がない。ただ、よからぬイメージが、何回か出てきた。それと、大昔に、見ただけの女性が、数人、思い浮かんだ。

小学校の同級生、NC君のお母さんは、色の白い、背の高い、やせた、上品な感じの女性で、いま思えば、<教育ママ>だった。喧嘩別れした同級生のTG君のお母さんは、ふっくらした白い顔に、黒ぶちの眼鏡をかけていた。ずけずけものを言うタイプの女性で、遊びに行くと、説経じみたことを、よく言われた。嫌われていたようだ。あと、とある劇団の、胸の大きい女優の姿かたちが思い浮かんでいた。

女性に対する興味は、この年になっても、一向に衰えることがない。むしろ、そうしたことを、抑圧しなくなったぶん、なお一層、頭のなかに出てくることが多くなった。自分が<スケベ爺>になるとは、おもってもみなかった。

そうそう、昨晩は、<不安夢>をいくつも見た。覚えているものだけでも、メモしておこう。

知り合いのコンサート。<赤帽車>で行くと、これはまずい、と言われ、物陰に隠す。寒いので、そばにあった汚い布団にくるまっている。

道に迷う。引き返す。さっき通った道が、土砂で、うず高くせき止められている。脇からよじ登って、<赤帽車>のところまで行く。側面が破損している。不逞の輩たちが、近づいてくる。急いで車に乗る。酒瓶から、酒をふりまきながら、男が近づいて来る。身の危険を感じる。男を、車で轢いて、出発する。ふり返ると、男は死んだようだ。<赤帽車>には<屋号>が書いてあるので、身元が割れそうで怖い。<屋号>を、消さなければと思う。

目が覚めた時、心臓がどきどきしていた。血圧が上がっていたのだろう。なぜ、こんな夢を見るのだろう?ふと、昨晩見たユーチューブ番組を思い出した。<早稲田>出身の女芸人が、学生時代の<サークル>の話をしていた。

じつは、自分も<早稲田>に行きたかったのだ。学歴コンプレックスを感じた。その連想で、夢のなかでは<職業>コンプレックスも出てきた。演劇活動のためとはいえ、<赤帽>などやりたくなかったのだ。

200回目を、数え終えた。そのあとの心経もストレッチも、集中してやれた。そうじて、けさは、<日課>を、いやいや果たしている、といった感じじゃない。充実していた。

<雑念>のなかでも、<夢>のなかでも、ちっぽけで、いやらしい自分を対象化している。<コンプレックス>を、吹っ飛ばそうとしている。<自分>というものに近づいている。<スケベ爺>とはいえ、かけがえのない、<名づけぬもの>なのだ。

2026-3-23(月)朝の室温、15度。

自宅瞑想、7:00-7:30、(椅子)端座位数息150回、般若心経2回、ストレッチ20分、メモ書き。

数を数えているような、数えていないような、<雑念>のイメージを見ているような、見ていないような、そんな状態で、100回目くらいまできた。さらに、そのあとは、もっと、ぼうっとしてきて、数を失念していることにさえ気づかない。

ふと我に戻って、なぜだかわからないが、180回目くらいから数えはじめた。ちらっと、ストップウォッチを見ると、25分くらい経過している。180回だと、<サバ>を読み過ぎだ。時間からして、140回目くらいだろう。そのあと、10回だけ、ちゃんと数を数えて、150回目で、終了した。

雑多で、脈絡のない<雑念>は、<数息>が終わった瞬間に、ほとんど忘れてしまった。が、ひとつだけ、覚えている。私物の処分に関することだ。書面に、なんて書いておこうか考えていた。と、急に<不安>になった。怖くなったのだ。

自分で自分の首を絞めている。今じゃなくてもいいだろう。そんなことは、残った人に任せればいい。無責任なほうへと、考えが流れた。同時に、<不安>も、霧散していった。

今週、来週と、スカッと晴れる日がほとんどない。季節の変わり目は、雨や曇りが多い。毎年のことだ。ふと、先週の金曜日、晴れマークがついていたのに、<秩父巡礼行>へ行かなかったことを、思い出した。

<お参り>だけなら、天気は、さほど気にならない。だが、<写真撮影>は、晴れていないと、きれいに撮れない。<晴れ>が、必須条件なのだ。

<巡礼>を名目にして、札所の<写真>を撮り行く。今度、秩父地方に晴れマークがついたら、何も考えず、とにもかくにも、出発しよう。この先を、続けるためにも、ときには、<こころ>を、<自分>を、遊ばせることも必要だろう。あ~あ、どこまでまじめなんだ!

2026-3-24(火)晴れ。

<秩父巡礼行>のため<数息>は中止。

2026-3-25(水)朝の室温、17度。

自宅瞑想、6:40-7:10、(椅子)端座位数息150回、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。

はじめから、すこし、ぼうっとしていた。80回目くらいで、臨場感のあるイメージが見えた。大勢の人びとが、広場のようなところを歩いている。そのうち、徒党を組んだ、黒い、大きな人影が、近づいてくる。すぐそばまで来て、通り過ぎていく。少し怖かった。

100回目をすぎると、<数息>を続けるのが、ちょっと、億劫だ。とはいえ、やめるには早すぎる。ぐっと我慢して、150回目まで続けた。そのあとの心経は、まずまず、ちゃんと読めた。が、ストレッチは、倦怠感があり、おざなりだった。昨日の<巡礼行>の疲れが残っているのかもしれない。

車の運転が、往復で四時間弱、それと、写真撮影を、みっちり二時間くらいやった。撮影では、腰をかがめたさいに、ちょっと、疲れを感じた。とはいえ、久しぶりの遠出だったので、楽しさが上回っていた。

天気がいいせいか、札所には、観光客やお参りの人が、ひっきりなしに出入りしていた。十三番慈眼寺の境内には、大きな、桜の木があって、ピンク色の花が満開だった。

来る人ごとに、スマホで写真を撮っている。自分もいまだ、人間の一人だ。何枚も、写真を撮った。青空に桜。言葉はいらない。

2026-3-26(木)朝の室温、17度。雨。

自宅瞑想、6:30-7:10、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。

<雑念>も出ていたが、数を数え続けた。

<雑念>は、雑多な内容で、あえて、記銘する気もなかったので、ほとんど覚えていない。ただ、昨晩見た夢のことが気になり、思い出していた。

一つ目。ジャワ島のような観光地。日本人の旅行客が、たくさんいる。温かいので、食べ物がすぐに腐ってしまう。そこらへんじゅう、カビだらけで、気味がわるい。

二つ目。すり鉢状の広い場所。斜面に、猛獣や鰐などが寝そべっていて、脱出できない。象たちが寝ている場所を、かろうじて見つけて、その間を抜けて、逃げ出す。

三つ目。猿たちが、飛び回っている山の中。子猫もいる。洞窟のような場所に入り込む。尿意を催し、なぜか、横になって、用を足す。ズボンがびしょびしょになる。洞窟を抜けると、街だ。人がいる。自分は、ズボンを脱いだ状態で、歩いている。まずいな、と思う。

四つ目。地下道から、凹凸の激しい、ゴムのイボイボがあるような縦穴をよじ登って行く。教室のような所に出る。若い女性の先生が居眠りをしていて、子供たちが、五、六人、机に向かって坐っている。と、教室の窓越しに、路線バスが見える。あわてて、先生に頼んで、バスを止めてもらう。<柏>までなら乗せていく。大きな配電盤の前で、制服を着た若い男が言っている。だが、路線バスは、行ってしまった。

ほかにも、なにか<不安夢>の系統を、いくつも見たが、よく覚えていない。とにもかくにも、夜中から朝方にかけて、夢ばかり見ていた。が、寝不足感はなく、起きたときには、頭がすっきりしていた。

150回目くらいで、集中が切れた。<数息>に、すこし<飽き>を感じた。が、端座位の保持は窮屈ではない。おもいなおして、そのまま、200回目まで数えて、終了した。

締めの心経は、始めの心経と同様に、しっかり読めた。<秩父の札所>でも、そうだった。<サマ>になっているように感じた。リズム、テンポが定着してきたので、何も考えずに、流れるように一気に読誦できている。これはまたこれで、気分のいいものだ。

2026-3-27(金)朝の室温、17度。

自宅瞑想、6:00-6:35、(椅子)端座位数息150回、般若心経2回、ストレッチ20分、メモ書き。

<数息>と<雑念>とに、交互に、注意が向かっていた。

<雑念>は、おもには、日常生活関連のことで、ユーチューブのお笑い芸人の対談番組などが、思い浮かんでいた。よく知らない芸人の<半生>やバイトの話などが、けっこうおもしろい。頭に残ることが多い。

それと、深く大きく呼吸している時に、ふと、胸の圧迫感と、息苦しさを感じた。また狭心症か!主治医やカテーテル手術のことが思い浮かんできた。

心臓の<冠動脈>が、ところどころ、日々、動脈硬化で細くなっていく。考えると、憂鬱になる。やはり、長生きしたいのだと思う。

150回目を、数え終えた。心経を読み、ストレッチをはじめた。けさは、なぜか、<スクワット>が大儀に感じない。体調が、日々、変化しているようで、これは、良いことなのか、悪いことなのか、判断しかねる。が、ま、痛いとか、苦しいとかはないので、前向きにとらえよう。

土手の桜が、もうそろそろ、咲いているかもしれない。散歩が楽しみだ。カメラを持っていこう。

2026-3-28(土)朝の室温、17度。

自宅瞑想、6:20-7:00、(椅子)端座位数息160回、般若心経2回、ストレッチ20分、メモ書き。

<雑念>も出ていたが、数を数え続けた。

<雑念>は、昨日見たユーチューブ番組や、亡父の最晩年の姿などが思い浮かんでいた。

<元日本兵>は、97歳まで、気丈に生き抜いた。が、母に先立たれ、孤独だった。今まさに、自分が同じような境遇なので、それがよくわかる。とはいえ、<孤独>には強かった。性格は遺伝するのだろうか、これは、強がりではない。

あと、ヘンな計算をした。1年が365日だから、3年で、およそ1000日だ。ということは、あと9年で、3000日ほどになる。同じような日々の送り返しだが、今日は、その三千分の一日だ。こう考えると、おろそかにはできない。

いや、これらの想念を否定した。あと何日生きられるかを計算して、生きていくなんて、楽しくない。頭の隅に置いておくべき事柄で、<いま>息をしていることに集中しよう。その方が、楽しいではないか。

150回目を数え終えた。あと50回、<努力>すれば、数えられないこともない。だが、そう思った瞬間、気持ちが<がやがや>してきた。もうこれ以上は続けられない。160回目で終了した。

<土曜日>は、掃除の日と決めている。決めないと、ついつい、いい加減になってしまうからだ。掃除など、面倒だが、終わったあとは、気持ちがいい。きれいになったところを、二度見して、満足している。

部屋の掃除を、ゆっくりできるのは<しあわせ>なことだ。おもえば、はるか昔、そんなことを感じていたこともあったのだ。

2026-3-29(日)朝の室温、18度。ファンヒーターはつけず。

自宅瞑想、6:20-6:50、(椅子)端座位数息100回、般若心経2回、ストレッチ20分、メモ書き。

深く大きく呼吸しながら、息の出入りに合わせて、数を数えた。<雑念>も出ていたが、これといって、気になるものはなかった。

ただ、80回目くらいで、目の前の暗い空間に、動的なイメージが出てきた。ロバの群れが、視野の右端から左端へと移動している。首や胴体に、色鮮やかな布切れをつけている。おびただしい数で、迫力がある。

はて、<ロバの群れ>?思いあたることはない。思いもしないイメージが現れるのも、<数息>の楽しみのひとつだ。

100回目を数え終えた。かなり、ぼうっとしている。この先を続けるのが億劫だ。いちおう、瞑想状態の入口付近にまでは近づけた。多少の達成感を感じている。少し早いが<数息>を終了した。

最近、近くのスーパーへ、歩いていくことが多くなった。行くたびに、税込み1000円の買い物で、<50円引き>の券をくれる。必要なものだけ、1000円分をメモ書きして、今日も買い物に行くつもりだ。まったくもって、けち臭い話だが、これも、ちょっとした楽しみになっている。

2026-3-30(月)朝の室温、20度!

自宅瞑想、6:30-6:55、(椅子)端座位数息100回、般若心経2回、ストレッチ20分、メモ書き。

20回目くらいまでは、ちゃんと、数を数えていたと思う。が、そのあとは、かなり、ぼうっとしてきて、<漠たるイメージ>のなかを漂っていた。一瞬、深緑色のドロッとした川面が見えた。眠い、ような気もする。気力が続かない。100回目で、終了した。

起きたときから、どうも、胃の調子がよくない。重ったるい感じだ。昨晩、寝しなに、<今川焼>と<せんべい>を、衝動動的に、食った。就寝前の飲食は、身体のために、ひかえたほうがいい。わかってはいるが、<甘いもの>に、ついつい手が出てしまう。

なんとなくものたりない。なにか、自分でも気づかない<ストレス>がある。漠とした<不安>だ。これまでにも、ずいぶんと<自分>の邪魔をしてきた、わけのわからぬ曲者だ。

<自分>を陰で、あるいは、裏で操っている<力>がある。<自分>と向き合うとは、そうした、目には見えぬ<力>を、イメージ化し、言語化していくことだろう。

毎朝の<数息観瞑想>が、その助けになっている。そう思っても、あながち、まちがいではあるまい。五分でも、十分でも、目をつぶって、静かに、数を数える。それだけで、すべてが許されるのだ。

2026-3-31(火)朝の室温、20度。

自宅瞑想、7:00-7:45、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチ20分、メモ書き。

数を数えることと、<雑念>のイメージを見ていることとが、不規則に、入れ替わっていた。

<雑念>は、雑多で、断片的で、まとまった<想念>にはならなかった。それと、過去の出来事なども思い浮かんでいた。

100回目を数え終えた。まだまだ余裕があり、数を数えようとする<努力>なしに、数を数え続けた。が、180回目くらいからは、端座位が少し窮屈になり、集中が途切れた。<瞑想体力>が落ちたと思った。そのあと、多少の<努力>をしながら、200回目まで、数え終えた。

そうそう、昨日の散歩道で、土手の桜が満開だった。<はなぐもり>だが、風はなく、暖かい。三々五々、桜の下で、<お花見>を楽しんでいる人間たちがいた。

少女と女性との間くらいの、まだ体がきゃしゃな、高校生くらいの女の子が、<マスコットぬいぐるみ>を、桜の花のそばに近づけて、スマホで撮っていた。もう一人の女の子は、食べ物のそばに置いて、撮っていた。二人とも、連れはいない。花見というよりは、この撮影が目的らしい。

<SNS>にでもアップするのだろうか?彼女たちの気持ちが、わかるようでわからない。幼いころ、<おままごと>をしている女の子たちを、そばに立って、ながめていた。そのときの、不思議感が、よみがえった。なるほどね~、自分とはちがう生き物なのだ。
 

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