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<数息観瞑想 日誌>2025年度版(20)

<数息観瞑想 日誌>2025年度版(20)

動画版 https://youtu.be/LlS8A8FjHRk

~瞑想と般若心経の日々~

7月分

2025-7-1(火)朝の室温、28度。

自宅瞑想、6:00-7:00、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、柔軟運動7分、メモ書き。

100回目までは、<雑念>は出ていたが、息の出入りに合わせて、数を数え続けた。

<雑念>は、おもに、<秩父巡礼行>のことだった。これまでに訪れた札所を、頭の中で想起していた。1番四萬部寺、2番真福寺、3番、4番が、あれ、思い出せない。5番は語歌堂、六番卜雲寺。それぞれの札所への道順や、境内の様子が思い浮かんできた。そうだ、三番は常泉寺、四番は金昌寺だ。

100回目で、中座した。便意を催し、トイレに立った。このところ、便の状態はいい。今朝も快便だ。さてと、仕切りなおして、また、深く大きく呼吸しながら、数を数え始めた。

このあと、150回目あたりで、一瞬、数を数えることを忘れた。背景に出ていた<雑念>に気を取られたのだ。

<雑念>は、おもに、今後の執筆活動についてだ。すでに書き終わっている<日本灯台紀行 旅日誌>を、少しずつ、文章動画にしよう。あとは、いま取り組んでいる<数息観瞑想 日誌>を、はやく動画にして、ユーチューブにアップしよう。

200回を数え終えた。締めの心経は、なぜか、むろんいいことなのだが、心を込めて、読むことができた。とくに、最後の<咒>は、自分で読んでいるのに、少し感動してしまった。

暑さ対策もしたし、それに、オーバーワークぎみだった執筆活動の時間と量を減らすことにした。気持ちに余裕ができたのだ。

2025-7-2(水)朝の室温、28度。

自宅瞑想、6:30-7:15分、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、柔軟運動20分、メモ書き。

1回目から100回目までは、息の出入りに合わせて、数を数えていた。<雑念>は、日常生活関連のことや、知人Z氏のことなどが、脈絡なく出てきたが、気を取られて、数を忘れることはなかった。

100回目で、衝動的に、頭を掻き、目を開けた。端座位の保持が、やや大儀だ。窮屈に感じられた。とはいえ、すぐに気を取り直し、再度、深く大きく呼吸しながら、数を数え続けた。

150回目あたりからは、<漠としたイメージ>の中を漂いはじめた。山あいの一本道だ。どこまでも続いている。小さく、一人だけ、人の姿が見える。

180回目あたりで、衝動的に、また目を開けた。背筋のあたりが少し硬くなっている。端座位の保持が、やや苦痛だ。それでも、我慢して、200回まで数えた。帳尻は合わせたが、なんのために、そんなことをするのか、自分でもよくわからなかった。

昨日は<バリウム検査>の後、下剤を飲んだ。水を、異常なほどに飲み、何回もトイレに行った。その度に、<バリウム>が排出されているか、自分の便を点検した。ある意味、かなり神経質になっていた。その前の晩もよく眠れなかったし、多少睡眠不足だったのかもしれない。柔軟運動を始めてからも、頭と体が、しゃきっとしなかった。

2025-7-3(木)朝の室温、28度。

自宅瞑想、6:40-7:30、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、柔軟運動20分、メモ書き。

1回から150回までは、深く大きく呼吸し、息の出入りに合わせて、数を数え続けた。<雑念>が、背景に流れていたが、気を取られて、数を忘れることはなかった。

<雑念>は、おもに、Nさんや娘のこと、旧友のSK氏のことだ。三人とも、この十年間の間では、比較的、付き合いの濃かった人たちだ。みな、どうしているのだろう?ふと気になった。

150回目で、中断して、トイレに立った。便意を催したのだ。体から、<バリウム>が、すべて、ちゃんと、排出されたかどうか、かなり神経質になっている。

排便後は、気持ちが<素>に戻ってしまった。だが、また椅子に座って、数を数え続けた。今朝は、気持ちが落ち着いている。端座位で数を数えていることが心地よい。このままやめてしまうのは、もったいない。

体感的にも、座っているという意識がなくなり、自分の体が、ほの暗い、球形の空間のように感じられた。ここしばらく、感じられなかった体感で、稀有な体験だ。瞑想状態に近づいている証でもある。

200回を数え終えた。最近、やや義務的になりがちだった<数息>だが、今朝は、充足した時間を生きることができた。これでいい。

2025-7-4(金)朝の室温、28度。

自宅瞑想、5:20-6:00、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、柔軟運動20分、メモ書き。

はじめから終わりまで、数を数え続けた。とはいえ、途中、何回か、外の物音が気になった。とくに、窓際につるしてある<簾>のあたりで、断続的に、<羽音>がする。昨晩、たしか、あのあたりに、<ガ>がいた。怖いもの見たさの好奇心を、何度か抑えたが、衝動的に立ちあがった。おそるおそる、目で探した。なにもいなかった。

前半は、<雑念>が、背景に流れていた。母親のことと、大学の同期の女子のことだ。母親に関しては、嫌な思い出ではなかった。懐かしい気がした。同期の女子に関しては、昨日、偶然にも、彼女のブログを見たことが、頭に残っていたようだ。小難しいことを、したり顔で語っている。昔のままだと思った。

同期とはいえ、年はひとつ下だった。生意気な女で、ある時、自分のことを<君>呼びにした。ムカッとして、<さん>と呼びなさい、と一喝した。ま、自分も、血の気の多かった時代のことだ。

200回を数え終えた。今朝は、少し風もあり、いくぶん、涼しい。連日の猛暑日で、うんざりしている。体も気持ちも、一息つけた。

2025-7-5(土)朝の室温、28度。

自宅瞑想、5:20-6:05、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、柔軟運動20分、メモ書き。

はじめから終わりまで、端座位を保持し続けた。<雑念>が背景に流れていたが、気を取れることはなく、数も、ちゃんと数え続けた。

<雑念>は、おもに、昨日受けた<冠動脈CT検査>のことだ。頭に、刺激がまだ残っているようで、いろいろな場面や、検査士や看護師などの顔が、脈絡なく、思い浮かんできた。

検査直後に<吐き気>を催した。意外でもあり、ややショックだった。というのも、この検査は、これまでに何回も受けていて、特段、体に変調はなかったからだ。

確実に、老化している。先日の<バリウム検査>の後も、理由は定かでないが、胃の調子がおかしい。<吐き気>は、そのせいかもしれない。さらに、連想は、あまりよくない方へと流れた。

死後の事務作業は、娘がやることになるのだろうが、領収書のない銀行引き落としは、どのように止ればいいのだろう?わかるように、やはり、ちゃんと<メモ書き>を、残しておくべきだ。いいや、そんなこと、本当は、やりたくない。なんとかなるだろう。捨て鉢な気持ちが、心の奥底でうごめいている。

180回目くらいで、外の物音が気になった。窓を開けているので、音が筒抜けなのだ。衝動的に立ち上がって、窓際に立った。隣家の車が、出発するところだった。

200回を数え終え、締めの心経を読んだ。そのあとは、柔軟運動だが、一瞬、億劫に感じられた。とはいえ、はじめてしまうと、いつも通りに体が動いた。億劫な感じは、そのうち消えてしまった。

<瞑想><運動><記述>、この三つが、毎朝の日課だ。一日でも長く、自立して生きるために、心身の健康のために、継続したい。

2025-7-6(日)朝の室温、28度。

自宅瞑想、6:20-6:50、(椅子)端座位数息200回?般若心経2回、柔軟運動20分、メモ書き。

前半は、<雑念>が背景に流れていたが、ちゃんと数を数えていた。<雑念>は、おもに、この十年間の自分史だった。

2000年から、2015年までは、両親の介護をしていた。2006年にお袋が死に、2015年には、オヤジが死んだ。自分では<失われた15年>といっている。極端に自己閉塞した時代だった。

それに比べて、2015年からの十年間は、変化にとんだ時代だった。何十年かぶりに恋愛し、失恋した。そして、執筆と朗読に耽溺し、さらには、愛猫の死をきっかけに、灯台の写真撮影旅を決行した。最後は、<四国車遍路旅>で、自分の実存的情況を理解し、了解して、今後歩むべき<瞑想>生活の道筋を見つけた。あと、十年くらいは、生きているつもりだ。いや、生きていたいのだ。

100回目以降は、やや、ぼうっとしてきた。頭の中に出てきた<イメージ>に引き寄せられ、何度も、数を数えることを忘れた。いくつまで数えたのかさえ、忘れた。だから、おそらく、200回は数えていないのだろう。

<イメージ>は、高い、大きな鉄塔が二基見えた。あとは、なにか見えているような、見えていないような感じで、よく覚えていない。曖昧模糊として状態で、記銘しようとする気力もうせていた。

いちおう、200回を数え終えたことにして、締めの心経を読んだ。余談だが、そのあとの柔軟運動は、パンツを脱いで、全裸の<フルチン>でやった。暑いということもあるが、この方が、気持ちがいい。

2025-7-7(月)朝の室温、28度。蒸し暑い。

自宅瞑想、6:50-7:20、(椅子)端座位数息100回、般若心経2回、柔軟運動10分、メモ書き。

<眠気>と<倦怠感>がひどくて、定時に起きられなかった。ベッドの上で、ぐずぐずしながら、今朝の<数息>はサボろうと思った。だが、そのうち、頭が少しはっきりしてきた。200回は、やる気になれないが、100回なら、できるような気がした。そんなに苦にならない。

朝の支度を終え、日課の<数息>を始めた。深く大きく呼吸し、息の出入りに合わせて、数を数えた。いつもは、20回目くらいで、自然と、通常の<鼻呼吸>に戻ってしまうが、今朝は、意識して、そのあとも続けた。

途中からは、めいっぱい吸い込み、めいっぱい吐き出す、いわゆる<めいっぱい呼吸>をやった。ただ、その最中に、胸に、少し違和感を感じた。息苦しいのだ。とっさに、<狭心症>の再発を疑った。

<ステント>を入れた所が、つまったのかもしれない。なにしろ、七本も、冠動脈に留置されている。先日の<冠動脈CT検査>の結果は、来週わかるが、なんだか、嫌な予感がしてきた。また<カテーテル手術>か?疑心暗鬼。不安でもあり、恐怖でもある。

<めいっぱい呼吸>を、さらに、ゆっくり、長くしてみた。息苦しさは、しだいに、消えていった。気のせいだったか?とはいえ、多少の不安が残った。

心づもりしていた100回を数え終えた。締めの心経を読み終え、ストップウォッチを見た。30分、経過していた。いつもは、200回で40分のペースだから、100回で30分は、かなり遅い。ま、遅くても、意識的に呼吸し、数を数えたのだ。体調がよくなくても、気持ちの持ちようで、やってやれないことはない。全面的に、サボらなくてよかったと思った。

屋外瞑想、温浴施設、露天風呂で、断続的に、150回、数を数える。

露天でも湯船に入ると、すぐに熱くなった。25回ほど、数を数えたあと、備え付けの椅子を日陰に移動して、座った。ときどき風が吹いてきて、心地いい。だが、しだいに、照り返しで熱くなってきた。じわっと、汗が出てきた。こうなると、我慢大会だ。ノルマは200回だが、150回で、引き上げた。

2025-7-8(火)曇り空、朝から、蒸し暑い。

自宅瞑想、5:50-6:30、(椅子)端座位数息150回、般若心経2回、柔軟運動15分、メモ書き。

1回目から100回目までは、深く大きく呼吸し、息の出入りに合わせて、数を数え続けた。<雑念>も出ていたが、昨日見聞きした事柄や、日常生活関連のことだ。さして意味のあることとは思えない。記銘しなかった。

とはいえ、この<雑念>なるものについて、少し考えた。自分にとって重要な<雑念>とは、<自分>を理解するのに役立つ<雑念>だ。今日明日の予定でも、テレビやユーチューブで見聞きしたことでも、それらが、<自己洞察>の端緒になるなら、自分にとっては重要な<雑念>だ。 

しかしながら、その<雑念>が、重要で、意味あるものなのか、些細で、無意味なものなのか、何を基準に判断しているのだろう?ありていに言えば、<なんとなく>という、しごく曖昧な感覚だ。ある意味、かなり<テキトー>だが、いい意味で言えば、<カン>ということだ。

おもえば、<カン>に頼って、生きてきた人生だ。振り返れば、間違えや勘違いなどが、累々としている。もっと、根拠のある選択や、判断をすべきだった。

とはいえ、いまさらこんなこと言っても、手遅れだ。それほど、頭のいい方ではない。むろん、理性的な人間でもない。やはり、理屈よりは直観だ。これからも、<なんとなく>という感覚を頼りにするほかないような気がする。

200回を数え終えた。途中、また、息苦しさを感じた。心臓は大丈夫なのだろうか?一瞬不安になった。が、息苦しさはすぐに消えた。気のせいかもしれない。あるいは、コロナの後遺症ということも考えられる。いずれにしろ、来週の検査結果でわかることだ。

2025-7-9(水)朝の室温、28度。朝から、蒸し暑い。

自宅瞑想、5:30-6:00、(椅子)端座位数息150回、般若心経2回、柔軟運動15分、メモ書き。

1回目から100回目までは、ちゃんと、数を数えていた。<雑念>も出ていたが、日常生活関連のことで、気を取られることはなかった。

だが、100回目をすぎたあたりから、頭がぼうっとしてきた。少し眠いような気がする。曖昧模糊とした状態で、数など数えてやしない。ふと気づいて、数を数えなおす。が、いくつまで数えたのかさえ、忘れている。

意識などというものは、どこかへ姿を消してしまい、ただただ、けだるいだけだ。そのうち、端座位の保持が、少し大儀になった。さりとて、この状態を、立て直す気力もない。キリのいい150回目で、中断した。

今朝は、起きた時は、頭がすっきりしていた。<数息>の最中に、息苦しさも、胸の違和感もなかった。体調はいいはずなのに、<眠気>と<だるさ>に、してやられた。おもえば、昨晩、夜中に、26度設定のエアコンの風で、体が冷えた。寒くて、何度か目が覚めた。多少、睡眠不足だったのかもしれない。

あと、夜中と朝方に見た夢のことが気になっていた。要点だけ書き留めておこう。

大きなプール。コンクリ階段を下りて、プール際で洗濯をしている。汚れたタオルや布巾がたくさんある。手で、もみ洗いするが、なかなか落ちない。少しいら立っている。

知り合いの劇団のIKさんという女優の、引っ越しを手伝う。実人生では、彼女にそっけない態度を取られていたが、なぜか、気持ちが通じ合っているようだ。そのうち、うしろから抱きしめる。両手で胸を触っている。乳房の生々しい感覚に、うっとりする。

山小屋のような所。なにかのイベントが催されている。自分は主催者側で、知り合いを招待している。大学時代の劇団員が来ている。KW君とTKちゃんだ。TKちゃんは、才能のある女優だったが、演劇は続けないで、サラリーマンと結婚してしまった。それ以来、会ってない。

そばに、背の高い兄さんらしき男性が立っている。顔が四角いから、一目で兄妹だとわかる。ほかにも、孫などをたくさん連れてきている。だが、話しかけても、会話が弾まない。無表情で、そっけない。自分と同世代の女性だから、実人生では婆さんになっているはずだが、夢の中では、少しやつれた中年女性だった。

IKさんもTKちゃんも、夢にでてきたのは初めてだ。二人とも、半世紀ほど前の女性たちだ。意外だったし、懐かしかった。

高校の漢文の授業で、荘子の<胡蝶の夢>を習った。気分的には、いまもって、この思想に共感している。リアリティのある夢を見た時には、夢が現実のように感じることがある。とはいえ、<夢>と<現実>との区別はできている。<区別>ができなくなったら、ヤバいだろう。


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