<数息観瞑想 日誌>2025年度版(36)
<数息観瞑想 日誌>2025年度版(36)
動画版 https://youtu.be/geOtbLUOoIA
~瞑想と般若心経の日々~
12月分
2025-12-16(火)朝の室温、13度。
自宅瞑想、6:20-7:00、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチ5分、メモ書き。
<雑念>が優勢だった。端座位で、数は数えているが、ほかのことを考えていた。
昨日、ウィキペディアの<叛通信>の項目に加筆した。前々から気になっていたことで、<公演記録>などを、つけ加えたいと思っていたのだ。そのことから派生して、ベケットの朗読のことが、思い浮かんできた。いや、 これは、数息をやる前から頭の中にあったことだ。
朗読を中断してから、かなりの時間がたった。むろん、中断したのには、理由がある。作業が、細密化しすぎて、集中力がもたない。めんどくさくなったのだ。が、ふと、思いついた。朗読の質は落とさないで、作業を簡素化すれば、再開できるかもしれない。ベケットの<マロウンは死ぬ>の朗読は、自分にしかできないことだ。まさに、自分そのものなのだ、と。
この唐突な思い付きにも、理由がある。昨日、平均余命について、少し調べた。いまの自分の年齢だと、あと12年ほどある。むろん、そこまで、生きられる保証はない。確率としては、五分五分だ。が、しかし、思った。あと、12年、生きられるかもしれない。12年は、長いぞ!それだけあれば、<志>を、貫徹できるかもしれない。
サミュエルベケットの小説三部作の朗読だ。質が低くて、不本意だが、すでに、半分くらいは読み終えている。一日、一時間程度の時間を、朗読に回すことは、そんなに難しいことじゃない。
数を数えた、という実感のないまま、200回目を数え終わった。多少、体調がよくなり、ヤル気がでてきたようだ。天命というか、使命というか、自分というものを、また、意識しだした。生来の、思い込みの強さが、いい方向へと向かってほしいものだ。
2025-12-17(水)朝の室温、10度。
自宅瞑想、6:40-7:20、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチ10分、メモ書き。
1回目から120回目までは、<雑念>が、かなり優勢だった。久しぶりに再開した<マロウンは死ぬ>の朗読のことが、頭の中を占領していた。前向きな<雑念>なので、そのままにしておいた。が、120回目前後で、数を失念した。こうなると、もう、<数息>ではない。たんに、目をつぶって、考え事をしているだけだ。
気持ちを切りかえた。また、数を数えはじめた。もっとも、その後も、朗読関連の<雑念>は出ていた。出てはいたが、いっぽうでは、数も数えていた。頭も少しぼうっとしてきた。瞑想状態の入口付近にまでは、たどり着いたような気がする。
200回目を数え終えた。体調が、多少いいせいか、端座位の保持も大儀ではなく、あっという間だった。
そうそう、昨年末から悪化した、持病の痔疾が、ほぼ一年たって、やっと落ち着いてきた。排便時間を短くして、肛門まわりにクリームを塗り、清潔にしていることが、功を奏している。気持ちが前向きになったのも、<痔>が改善したからだ。それにしても、長かった!
2025-12-18(木)朝の室温、13度。
自宅瞑想、7:30-8:00、(椅子)端座位数息120回、般若心経2回、ストレッチ10分、メモ書き。
一時間ほど、寝過ごした。<数息>も、<雑念>ばかりで、一向に、気持ちが静まらない。
<雑念>は、おもに、創作活動に関することだ。昨晩、<マロウンは死ぬ>の朗読について、進化したグーグルのAI<ジェミニ>に、いろいろ質問した。忌憚のない意見も聞いてみた。おおむね、好意的な感想で、具体的な示唆も受けた。孤立無援の朗読作業も、<ジェミニ>を、良き相談相手として活用していけば、効率的にも、内容的にも、向上するかもしれない。目の前が、少し開けたような気がした。
あと、朝方見た、不気味な夢が頭の中に残っていた。
廃村のような場所。芝居の合宿に来ているようだ。外で、崩れかけた民家などを写真に撮っている。合宿所の中に入る。民家を一軒、まるごと借り切っている。食事をしたいのだが、食事時間は終わっていて、なにも食べられない。
部屋の中には、二、三人、劇団員がいるものの、あまり親しくないので、話はしない。コタツがあり、その上に、雑誌が置いてある。D劇団のKW君の、泣きじゃくった顔が出ている。劇団をやめるのは、覚悟がいることなんだ、とインタビューで答えている。ふとんが脇にあったので、ひと寝入りする。
目が覚めると、合宿所の部屋で芝居が始まっている。奇怪な衣装のKW君が、パフォーマンスをしている。ぎょろっとした目で、見られてしまった。ほかの部屋でも、役者が演技をしている。場違いの場所にいるような、居心地の悪さを感じる。
おととい、きのうと、ウィキペディアの<叛通信>の項目を編集していた。その影響だろう、夢の中に、<演劇活動>の蹉跌と頓挫が、色濃く反映されている。演劇関連の夢を、しばしば見るのは、いまだに、この、心に受けた傷が癒えていないからだ。
100回目をすぎても、<雑念>の勢いは衰えず、そのうち、数を失念してしまった。時間も押している。120回目で、数息を終了した。
締めの心経を読み終え、ストレッチに入った。体の曲げ方を、すこし深くした。<大腸ポリープ手術>から、二週間過ぎれば、出血の危険が少なくなる。ネットの記事にそう書いてあった。やっと、通常のストレッチができるようになった。いつものことながら、<通常>のありがたさを感じた。
2025-12-19(金)朝の室温、13度。
自宅瞑想、7:20-8:00、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、スクワット10分、メモ書き。
数は数えていたが、<雑念>も出ていた。<雑念>は、病気関連のこと、今後の予定のこと、朝方見た夢のこと、などなどだった。
来年早々に、<カテーテル手術>の日程が決まった。今回も、同じ病院で、同じ先生だ。緊急性はないが、ステント内に、細くなっているところがある。精査して、必要ならば<バルーン>で治療する。<カテーテル手術>は、過去に三回受けている。入院や手術の手順も心得ているので、さほど不安なことはない。が、ないとはいえ、心の底では、やはり、すこし怖れている。
手術が成功すれば、成功してもらわなければ困るが、とりあえずは、来年一年間は、<入院・手術>といった、面倒なことからは解放される。体調も上向きだ。来春、また、四国遍路に行きたいような気になった。が、まてよ、準備も煩わしいし、今の生活にも、かなり満足している。金と時間を使い、生命の危険を冒してまで、あえて、<旅>に出ることもないだろう。どうしようかと、迷っている。
あと、朝方見た夢だ。洋品店の店先に吊るしてある、青色のシャツが目にはいる。ほしいような気がして、店内に入る。サイズは、<M>と<L>の間くらいだ、と中年の店主に告げる。鏡の前に立つと、うしろにいる店主が、緑色のシャツを、自分の肩幅に合わせている。多少の違和感を感じる。
ふと、目移りして、黒っぽいスラックスや、前ボタンのジーンズを手にとる。ズボンは試着しなければだめだ。店内の試着ボックスに入る。<エドウィンのジーパンは、股が浅めだが、これは深くていい>、などと店主に言っている。なぜか、自分は、女物の、白いショーツをはいている。店主が、ホモっぽい目つきで、見ている。
自分には、女装趣味も、その手の趣味も全くない。むしろ、そういった手合いを嫌悪している。しかし、こういう夢を見ると、かすかな疑念が出てくる。<ホモ>とか<オカマ>とか<ゲイ>とかを、必要以上に差別し、嫌悪しているのかもしれない。自分もまた、既成の価値観にとらわれているのだ。
200回目を数え終えた。あっという間だった。
2025-12-20(土)7:30-7:30、(椅子)端座位数息130回、般若心経2回、ストレッチ10分、メモ書き。
倦怠感があり、なんとなくやる気がない。おそらく、昨晩飲んだ<ザイザル>の副反応だろう。
数を数え始めた。<雑念>は、おもに、学生時代の知人、WKとHYのことが思い浮かんでいた。二人には、一時は、友情らしきものを感じた。が、そのうち、齟齬が出てきて、表立った喧嘩はしなかったものの、関係が切れた。その後、何十年かして、WKのことは、ときどき思い出すこともあった。とはいえ、そのたびにイライラした。
100回目をすぎると、かなり、ぼうっとしてきた。目の前の暗い空間に、一瞬、なにか、イメージらしきものがみえた。が、そのうち、数を失念して、ウトウトっとしてしまった。端座位の保持も窮屈に感じた。130回目くらいで、数息を終了した。
締めの心経は、まずまず、ちゃんと読めた。一方、ストレッチは、体がだるくて、全然ヤル気になれず、おざなりだった。くしゃみと鼻水は、多少改善しているものの、あきらかに、薬の影響だ。
<薬>を飲むべきか、飲まぬべきか、迷っている。ちっぽけな<ジレンマ>に、煩わされている。
2025-12-21(日)曇り、朝の室温13度。
自宅瞑想、7:00-7:35、(椅子)端座位数息150回、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。
1回目から80回目前後までは、<雑念>が優勢だった。おもには、昨晩、夜中まで見ていた、アメリカのTVドラマ<24>の場面や登場人物の顔や姿が、浮かんでは消え、消えては浮かんでいた。
刺激の強いドラマで、架空のテロ対策組織<CTU>と主役の<ジャック バウワー>の活躍が描かれている。意外性があり、テンポの速い展開で、ハラハラドキドキさせられる。一晩寝ても、脳神経の興奮がおさまらないようだ。とはいえ、日常生活の、ちょっとした楽しみとして、自分に許容している。
80回目以降は、なぜか、急に、これらの<雑念>が消え去り、目の前の暗い空間や、体感に注意が向かった。なにか、ビル街のようなものが見えた。胃腸が動いている音も、かすかに聞こえた。だが、しだいに、端座位が窮屈になってきた。150回目で、数息を終了した。
締めの心経は、中音域で、しっかり読めた。そのあとの、ストレッチにも、ゆっくり時間をかけた。<大腸ポリープ切除手術>から、16日経過している。<出血>の危険を、さほど気にせずに、老化と運動不足で、硬くなっている体を、前後左右に、ゆっくり揺さぶった。これはこれで、心地よかった。
2025-12-22(月)晴れ、朝の室温、13度。
自宅瞑想、7:00-7:45、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。
はじめは、息の出入りに合わせて、数を数えていた。<雑念>も出ていたが、断片的、かつ、散発的で、これといった主題もなかった。が、そのうち、80回目くらいで、なにかの<雑念>に気を取られて、数を忘れてしまった。ふと、それに気づいて、また、息の出入りに合わせて、数を数え続けた。
150回目くらいで、背中に<冷え>を感じた。端座位も、窮屈だ。ここで中止してもよかったが、200回目まで数えた。多少の<ガマン>だ。気力が勝った、ともいえる。
そのあとの、締めの心経も、しっかり読んだ。ストレッチでは、<スクワット>を再開した。ゆっくり、15回くらいやると、体が温まってきて、すこし、ハアハアした。<いのち>が波打っている。生きている証だ。
2025-12-23(火)朝の室温、11度。
自宅瞑想、6:30-6:50、(椅子)端座位数息100回、般若心経2回、ストレッチ5分、メモ書き。
今朝は、午前八時半に、病院へ出かける。先日の<大腸ポリープ手術>の結果を聞きに行く。せわしないので、朝の<数息>は中止にするつもりでいた。だが、洗面を終えると、なにか、し忘れたような気がした。100回だけやろう。<数息>が、完全に習慣化している。ま、これはこれで、喜ばしいことだ。椅子に座り、目をつぶった。数を数え始めた。
2025-12-24(水)朝の室温13度。
自宅瞑想、6:30-7:00、(椅子)端座位数息150回、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。
100回目くらいまでは、いちおう、数は数えていたが、<雑念>が優勢だった。日常生活関連のことや、旧友のNG氏のことなどが思い浮かんでいた。
100回目以降は、数を数えることも、<雑念>すらも、失念して、ウトウトしてしまった。さほど眠いというわけでもなかった。が、実際には、なかば、眠っていた状態だ。そのうち、端座位の保持も大儀になり、150回目で、数息を終了した。
締めの心経は、始めの心経と同様、目を閉じて、読んだ。やはり、この方が、自分の声がよく聞こえる。目を開けていると、視覚的な刺激に反応して、どうしても、注意がそれるのだろう。
いままでは、なんとなく、その場の状況に応じて、目を閉じたり、つぶったりしていた。が、もう少し、意識的になってもいい。たとえば、自己充足したいときには目をつぶり、感情を表出したいときには目を開ける。その境界線上の、あいまいな状態では、目を開けたり、閉じたりしてもいい。
<般若心経>は、必ずしも、襟を正して<読誦>しなくてもいい。もっと懐の深い<器>だ。その中で、遊んだとしても、<観音様>に叱られることはないだろう。
2025-12-25(木)朝の室温、13度。
自宅瞑想、7:30-8:00、(椅子)端座位数息150回、般若心経2回、ストレッチ10分、メモ書き。
<雑念>が優勢だった。ちゃんと数を数えていたのは、全体の二割くらいだ。
<雑念>も、これといった主題はなく、断片的で、脈絡がない。50回目前後で、もうすでに、数を数えることを忘れて、<漠としたイメージ>の中を漂っている。
昨日の朝もそうだったが、多少、倦怠感がある。けだるい感じだ。昨晩飲んだ風邪薬の影響かもしれない。
いちおう、150回目までは、数えたつもりだが、意識がまどろんでいる。半分寝ている状態だ。<数息観瞑想>とは、いいがたい。たんに、座って、目をつぶり、ぼうっとしていただけだ。
それでも、締めの心経は、語にアクセントをつけて、しっかり読めた。頭が少しはっきりした。が、そのあとのストレッチは、体を動かすのが大儀で、かなり、おざなりだった。起きたばかりだが、またベッドで、ゆっくり眠りたいような気がした。
2025-12-26(金)曇り、強風、寒い。朝の室温13度。
自宅瞑想、6:00-6:30、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。
深く大きく呼吸しながら、息の出入りに合わせて、数を数えた。<雑念>も断続的に出ていたが、気を取られて、数を忘れることはなかった。
今朝は、気持ちが、比較的平静だ。落ち着いている。あらためて、<数息>をしている時の感覚をたしかめた。心地いい状態なのか?<しあわせ>な状態なのか?なるほど、多少は心地いい。が、それほど<しあわせ>というほどではない。とはいえ、イヤな気持ちはしない。意味がないとも思わない。
ただ座って、数を数えているのだから、一般的に考えれば<無為>だ。が、そうは思えない。むしろ、自分が、許されているような気がする。救われているような気もするし、守られているような気もする。安心感、安堵感がある。
<数息>が、絵にかいたような<しあわせ>をもたらせてくれるわけではない。そんな<しあわせ>が、嘘っぱちであることをわからせてくれるのだ。そして、<しあわせ>とは、<いのち>の謂いだろう。そうだ、<いのち>を感じたいがために、数を数えているのだ。
200回を数え終えた。ひさしぶりに、瞑想状態に近づけた。
2025-12-27(土)朝の室温、9度。寒い。
自宅瞑想、6:30-7:20、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。
100回目くらいまでは、<雑念>も出ていたが、数を数えている、という自覚があった。
<雑念>は、演劇関連のことだ。若い頃に影響を受けた、<早稲田小劇場の鈴木忠志>と<転形劇場の太田省吾>のことなどが思い浮かんでいた。この二人の演出家の舞台は、よく見ていたし、本も熟読していた。とくに、<太田省吾>には、尊敬と憧れが入り混じった、変な親近感を抱いていた。
<雑念>は、ほとんどの場合、前日に見聞きしたことが多い。今朝もそうだ。演劇関連のことが、思い浮かんできたのは、最近、また<マロウンは死ぬ>の朗読を再開して、昨日なども、ベケットの文学と演劇との相違点について考えていた。その刺激が、脳神経に残留していて、解放を求めていたのかもしれない。
100回目をすぎると、数を数えているという自覚が、ほとんどなくなって、目の前の暗い空間を、ぼうっと眺めていた。出っ歯で角刈りの男の顔や、なにか、もやもやしたものが見えていた。
それでも、数を失念して、数えなおすことはせず、200回目まで、数え終えた。ちょっと、不思議な感じがした。
昨晩も頭痛がして、風邪薬を飲んで寝た。薬が効いたのか、今朝は、頭痛もなく、倦怠感もなかった。おかげで、ストレッチが気持ちよくできた。
ストレッチを終え、椅子に座り、メモ書きを書こうとした。ふと、壁のカレンダーが目に入った。<大腸ポリープ切除手術>から、すでに、三週間近くたっている。この間いったい何をしていたのだろう?すぐには思い出せなかった。
三週間もたった、という実感が、まったくない。病院での入退院から、いきなり<ワープ>して、ここに座っているようだ。これもまた、不思議な感じがした。
2025-12-28(日)晴れ、朝の室温7度。最低気温マイナス4度!
自宅瞑想、7:10-7:35、(椅子)端座位数息100回、般若心経2回、ストレッチ10分、メモ書き。
気分が低調。数息もやる気がでない。くだらないことにひっかかっている。ちっぽけな自尊心に、ふりまわされている。
日々の<数息観瞑想>の記録を、最近、ブログに毎日公開している。そのせいで、文章の体裁を、多少なりとも整えようとして、書くのに時間がかかる。忘備録的な文章を、人に読んでもらう文章に、変換するのが、わずらわしいのだ。
心のどこかで、俺は、そんなことのために、記述しているのではない、と思っている。だが、いっぽうでは、自分のことを、だれかにわかってほしい、認知してほしい、伝えたいような気もする。
その辺の、相反する、自分の心の在り様を、うまく調整できない。さりとて、深く考えるのも億劫だし、決断もできない。宙ぶらりんの状態に、多少、イライラしている。
だが、けっきょくは、いつものように、<ま、いいか>と妥協的になってしまい、現状維持だ。矛盾を抱えたまま、記述し、公開していくしかない。正直なところ、自分のやっていることが、自分でもよくわかないのだ。
2025-12-29(月)朝の室温9度。
自宅瞑想7:00-7:40、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。
<雑念>は出ていたが、まずまず、数を数え続けた。
<雑念>は、昨日見聞きしたテレビ番組やユーチューブコンテンツだった。なるほど、と感心したり、面白かったこと、印象に残ったことなどが、思い浮かんでいた。
後半になると、今度は、日常生活関連のことで、気にかかっていることが思い浮かんできた。そのままにしておくと、しだいに、ぼうっとしてきた。なにか見えているような、見えていないような、なにか考えているような、考えていないような、曖昧模糊とした状態だ。いわゆる<漠としたイメージ>の中を漂っていた。
200回目を数え終えた。端座位が大儀でもなく、あっという間だった。瞑想状態の入り口付近にまでは、近づけたような気がする。
2025-12-30(火)朝の室温、10度。
自宅瞑想、6:45-7:30、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチ20分、メモ書き。
数を数えながらも、その合間合間に、<雑念>が出ていた。日常生活関連のことで、脈絡なく、浮かんでは消え、消えては浮かんでいた。
おとといの夜から、厚手の羽布団を使いはじめた。夜中になると、布団の中がポカポカして、暖かい。気分よく眠れている。おかげで(誰のおかげかは、定かでないが)、今朝は、倦怠感もなく、体が軽い。元気だ。
<数息>に臨む態度も、初心に戻ったようで、肯定的だ。数を数えているだけで、すべてが許される。ほかに、何もしなくていい。人間と人間の社会から、距離を取って、背負っている重荷を下ろそう。もう、努力して、イヤなことをしなくてもいいのだ。
微動だにせず、200回目を数え終えた。そのあとの心経もストレッチも、気持ちが入っていた。すべてが、<元気>であり、<健康>であることの<賜物>だ。
2025-12-31(水)朝の室温10度。
自宅瞑想、7:00-7:40、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチ25分、メモ書き。
はじめから終わりまで、数は数えていたが、<雑念>も出ていた。<雑念>は、おもに、日常生活関連のことで、とりとめなく、浮かんでは消え、消えては浮かんでいた。とくに記銘する気もなかったので、いまとなっては、もうよく覚えていない。
いつもなら、100回目くらいから、頭がぼうっとして来る。が、今朝は、ふだんの意識状態のままだ。そのままの状態で、200回目を数え終えた。それゆえだろうか、締めの心経は、緩急をつけて、しっかり読んだ。ストレッチも時間をかけた。体の、各部位の筋肉に注意を向け、多少鍛えようとした。
<老い>は必然とはいえ、意識しだいで、努力しだいで、遅らせることはできるだろう。数息と心経は<心>を、ストレッチは<体>を、そして、メモ書きは<頭>の老化対策になっている。
神奈川県 三崎港東口南防波堤灯台
神奈川県 安房埼灯台
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