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<数息観瞑想 日誌>2025年度版(33)

<数息観瞑想 日誌>2025年度版(33)

動画版 https://youtu.be/SIesudJhZe8

~瞑想と般若心経の日々~

11月分

2025-11-6(木)曇り、朝の室温、16度。

自宅瞑想、7:10-7:50、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。

<雑念>も出ていたが、始めから終わりまで、数を数え続けた。

<雑念>は、日常生活関連のことや、朝方見た夢、<メモ書き>の是非、それに、<性的衝動>について、思いをめぐらせていた。

昨晩、<田代まさし>のユーチューブを見ていた。<薬物依存>に関するコメントがあり、その中で、<脳が心地よさをおぼえている>という言葉が、妙に気になった。

酒、ギャンブル、薬物、それに、セックスに依存する人間の弱さは、なんとなくわかるような気がする。自分も、程度の差こそあれ、多少の経験がある。

が、最近、<性的衝動>をおぼえることが多くなり、AVビデオなどを、頻繁にみている。年齢からして、すでに、生殖関係のホルモンが出ているとは思えないので、あきらかに、精神的な問題だろう。

自分を、観察していると、<性的衝動>を感じるのは、ちょっとしたストレスのあとだ。たとえば、<麻雀ゲーム>で負けた時や、創作活動が、うまいくいかない時などだ。あとは、午後、一人で部屋の中にいて、なにもやる気になれない、空虚な瞬間だ。

目標を作り、日々、粛々と日課をこなしていくことで、先々のイヤなことを忘れようとしている。が、ある瞬間、そうした理性が、吹っ飛んでしまい、自分を見失うのだ。自分の中に、自分では気づいていない、深い闇がありそうな気がして、そら恐ろしい。

百歩譲って、<性>は<生>だ、と好意的に解釈することもできる。<死>が近づいて来るにしたがって<生=性>への執着が強くなっているのだ。楽観論で、押し切ることもできるが、いまいち、自分を慰撫しきれない、釈然としないのだ。

<ストレス>は、長い生涯の間、数えきれないほど、感じてきた。だが、これまで、それが<性衝動>と結びついたことは、あまり経験がない。ある意味、<性衝動>を、深く抑圧していたのかもしれない。

たしかに、最近になって、AVビデオを見ている自分に、以前ほど、嫌悪感をおぼえない。それどころか、数十年ぶりに<心地よさ>さえ感じる。<性=生>に寛容になり、両者に共通する<心地よさ>という価値観も容認している。

だが、どこかで、その<心地よさ>は人間をだめにする、と思っている。<快楽>に耽溺することが、悪いことだと思っている。いまだ、<心地よさ>と<快楽>との分化ができていない。

以上、この項、未了、公開しない。

2025-11-7(金)朝の室温、18度。

自宅瞑想、6:30-7:10、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。

息の出入りに合わせて、数を数えようとした。多少の努力をして、注意を向けていたが、そのうち、散漫になり、<雑念>の方へと、注意が向かっている。<雑念>は、日常生活関連のことで、とりとめがない。

後半になり、体感に注意が向かった。少し、息苦しいような気がする。気のせいかな?と思って、姿勢を変えてみたりした。冠動脈の、ある部分が細くなっていることは、二度の検査で確定している。担当医は、緊急性はないと言っていたが、万が一ということもある。少し不安になった。だが、そのうち、息苦しさはなくなり、数を数えることに注意が向かった。

あと、昨日に続いて、<メモ書きの是非>について、思いを巡らせていた。努力している割には、内容の薄い文章ばかりだ。書く意味があるのだろうか?というのが、正直なところだ。が、しかし、<書かない>という決断ができない。なにか、大切なものを失うようで、怖い。

200回を、数え終えた。瞑想状態に近づいた、という実感はない。とはいえ、確実に、40分間は、ほぼ不動の姿勢を堅持した。

多少の努力と忍耐だ。ま、<よし>としておこう。

2025-11-8(土)朝の室温、18度。

自宅瞑想、6:20-7:00、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。

<雑念>も出ていたが、いちおう、始めから終わりまで、数を数え続けた。

<雑念>は、おもに、次の三つのことだった。

ひとつめ。高圧洗浄機の騒音。階段が汚れるので、毎年一回、高圧洗浄機で掃除をしている。今年も、先日、やった。向かいの家の婆さんが、外に出てきて、騒音に<文句>を言いたそうな態度で、こちらをチラチラ見ている。去年も、そうだった。シカとしたが、45分くらいで切り上げた。

たしかに、かなりうるさいので、自分でも恐縮している。が、あと二、三回は、高圧洗浄で、掃除をしなければならない。そのたびに、あの婆さんの顔色を窺わなくてはならない。気が重い。とはいえ、汚れているので、掃除はしなければならない。しかし、このまま続けると、<トラブル>に発展して、嫌がらせをされるかもしれない。くだらない<ジレンマ>に陥って、思い出すたびに、イライラしている。

ふたつめ。朝方見た夢。近くの家が取り壊されている。業者が、周りの家の外壁が汚れないようにと、灰色のコンクリのようなものを張り付けている。そのうち、自分の家にも、保護材を張りに来る。が、ひとことの断りもない。職人に、<責任者を連れて来い>と、激高している。

弱そうな、責任者が謝りに来る。だが、怒りが収まらず、手に持っている金槌の柄で首を絞めながら、罵っている。と、ふとみると、駐車場に止めていた車がない。責任者に問いただす。別の場所に移動した、と言っている。だが、鍵は自分が持っている。スペアキーを家人から借りたのかもしれない、などと思う。

この夢は、明らかに、件の婆さんに対する怒りが、主題になっている。暴力的な展開は、昨晩見た<24>というアメリカのTVドラマの暴力シーンが、素材化されたものだ。ま、次回の高圧洗浄は、30分くらいで、切り上げよう。

みっつめ。子供のころに通っていたソロバン塾の先生の家族たち。先生は、当時、大学生だったが、ソロバン塾をやって、家計を支えていたようだ。お父さんは、脳梗塞で倒れたらしい。<ドテラ>を着て、びっこをひきながら、散歩している姿を、よく見かけた。お母さんは、どこかの賄の仕事をしていたようだ。

四兄妹で、一番下の弟が、自分と同じ学年だった。妹は、お母さんとよく似た雰囲気で、地味で、控え目な感じだ。それにひきかえ、すぐ下の弟は、美男子で、俳優志望だったようだ。先生が不在の時は、彼が先生の代りをした。あるとき、テレビに出ると言うので、同級生の弟と一緒に、見た覚えがある。

それと、何十年か後に、先生を、テレビのクイズ番組で見た。先生は、脚が不自由だったが、面構えのしっかりした、背の高い、しぶい二枚目だった。塾の野球チームの監督で、自分も、よくノックを受けた。その先生が、少し老けたとはいえ、あの当時の雰囲気のまま、自信に満ちた態度で、テレビ画面に映っていた。

先生には、とくべつ、可愛がってもらったわけではない。が、自分の中では、尊敬できる、数少ない大人の一人だった。学校の先生よりは、はるかに、親しみを感じていた。それに、なによりも、男として<りっぱ>だと思っていた。

<郷愁>に浸ることが多くなった。それも一興だ。

200回を数え終えた。締めの心経を、しっかり読んで、合掌した。

2025-11-9(日)小雨、朝の室温18度。

自宅瞑想、7:30-8:20、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。

寝起きの気分がいい。たっぷり寝たからかもしれない。

息の出入りに合わせて、数を数えた。途中、100回目くらいで、中座した。

<防災の日>で、自治会の<班>の顔合わせが、8:00からある。シカとしようかと思っていたが、外で、人の話し声が聞こえる。気になり、下に降りて行った。

傘をさした、七、八人の人の輪ができていた。<顔合わせ>は、ほぼ終わっていたが、ちらっと、全体を見て、誰とはなしに会釈し、その輪に入った。

すぐに戻ってきて、また座った。残りの100回を数え始めた。気持ちは、いたって平静で、深く大きく呼吸しながら、瞑想状態に近づいていった。

昨晩も、夢をたくさん見た。演劇関連の知り合いたちが登場していたが、内容的には、やや不安夢の系統だ。病院の二階に薬をもらいに行きたいのだが、なかなか行きつけない。地下にある工場や工事現場などをさまよっている。

劇団員のKMが、自転車をひきながら、急な階段を登ろうとしている。だが、滑り落ちてしまう。下半身が、ガラスの破片のように、砕け散っている。遠くに、自分の赤帽車が見える。別の劇団員のKWが、布に、達筆で墨書されたセリフをおぼえようとしている。若かりし故F氏の、立派な体躯が見える。どこかへ行くようで、だれかに指図している。

演劇関連の夢は、お馴染みの主題だが、今回は、それが、見知らぬ場所の彷徨という、もう一つの馴染みの主題と絡んでいる。なぜなのか、よくわからないし、支離滅裂で、脈絡もない。が、妙に、現実感があり、夢から覚めた後に、充足感すらあった。これもまた、なぜなのか理解できない。

200回を数え終えた。八時半を過ぎていた。それなのに、一向に腹が空かない。六月の<バリウム検査>以来、胃の調子がよくない。食事のあとには、必ず、大きな<ゲップ>が二、三回出る。ま、痛くならないのが、せめてもの救いだ。

2025-11-10(月)久しぶりに、スカッと晴れた。朝の室温15度。

自宅瞑想、7:00-7:40、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチ15分。

気持ちは、いたって平静だ。息の出入り合わせて、数を数えた。

<雑念>は、昨日思いついた、未稿の<灯台旅日誌下北編>のことが、思い浮かんでいた。2022年度の灯台旅だったが、途中まで書いた文章が、パソコンの故障で、跡形もなく、消えてしまった。それ以来、なんとなく嫌気がさして、書かずじまいだった。それを、今また、書こうという気になった。再々再挑戦だと思うが、前向きな姿勢なので、自分でも、かなり評価している。

しかし、なにをどう書くべきなのか、よくわからない。とりあえずは。旅の初日の出来事などを思い出していた。と、しだいに、そのイメージに没入してしまい、数を数えることを忘れている。80回目前後だと思うが、ふと気づいて、また、数を数え始めた。

100回目以降は、<灯台旅>のことからは、注意がそれて、<秩父巡礼行>のことが思い浮かんできた。六月半ば以来、天候や体調、気分の問題で、秩父へは行っていない。

おもえば、11月になり、天候もいいし、体調も気分も、まずまずだ。それに<大腸ポリープ切除>や<カテーテル手術>も、まだすこし先の話だ。この、今の時期を逃すと、来年の春まで、秩父の札所へは行けないことなる。いや、永久に行けなくなる可能性だってある。思い立ったら吉日だ。急遽、今週の水曜にでも行ってみよう!

数は、いちおう、数えていた。が、前向きな<雑念>のほうが優勢だった。<数息>というよりは、ただ座って、あれやこれや思いめぐらせていただけだ。とはいえ、いやな感じはしなかった。それどころか、心が楽しんでいる。<前向きな雑念>というのは、大袈裟だが、<思索>だ。<数息>という<地>の上に、生まれ出た<図>なのだ。

200回を数え終えた。すこぶる、気分がよかった。

2025-11-11(火)朝の室温、15度。

自宅瞑想、6:40-7:20、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。

息の出入りに合わせて、しっかり、数を数えた。途中、<雑念>も出てきたが、気を取られて、数を失念することはなかった。

<雑念>は、断片的で、脈絡がない。これといって、頭に残ったものはない。

150回目くらいで、すこし<飽き>がきた。が、中断はせず、数を刻んで、200回目まで数えた。最後のほうでは、久しぶりに、目の前の暗い空間に、イメージが見えた。<海>だ!静かな海だった。

2025-11-12(水)晴れ。

<秩父巡礼行>のため、朝の数息は中止。

2025-11-13(木)曇り、寒い。朝の室温、15度、ファンヒーターをつける。

自宅瞑想、5:50-6:30、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチは中止、メモ書き。

<雑念>も出ていたが、息の出入りに合わせて、まずまず、数を数え続けた。

<雑念>は、病気関連のことが、瞬間的に、脳裏をよぎった。<カテーテル手術><大腸ポリープ切除手術>などだが、さほど、不安な気持ちにはならなかった。

後半になると、昨日、半年ぶりに出かけた、秩父の札所のことが思い浮かんできた。境内の付置などを頭の中で反芻していた。

あと、未稿の<灯台旅下北編>のことも頭に浮かんできた。初日は、青森県の<階上灯台>だった。車中泊した道の駅や、灯台撮影の詳細を思い出そうとしていた。そのうち、グーグルマップを見て、当時の足取りを追ってみよう。

<秩父巡礼行>にしても、未稿の<灯台旅日誌>にしても、ちょっと前までは、全然ヤル気になれなかったのだから、これは、喜ばしいことだ。自分でも、意外な感じがした。

胃の調子も、痔の塩梅も、かなり良くなってきた。体調が戻ってきて、本来の、活動的な自分を、取り戻しつつある。それに伴い、うつ状態も、ここのところ、改善しつつある。残り少ない人生とはいえ、生きていることが、それほどいやではなくなった。これは、いい傾向だ。

200回を数え終えた。左腕が少し痛い。<コロナ>の予防接種をしたところだ。ストレッチは自重した。

2025-11-14(金)朝の室温15度、ファンヒーターを小一時間つける。

自宅瞑想、5:30-6:10、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチ10分、メモ書き。

前半は、数は数え続けていたが、<雑念>が、やや優勢だった。内容は、演繹的に、自由とか、束縛とかについて考えていた。イメージ的には、両親、家族、友人、知人、そして仕事などの社会的関係と、自分に関する<自己概念>などだ。

今は、これらの<人>や<こと>から、かなり自由になったと思う。我慢することが少なくなった。それでも、<自己概念>からは、いまだに自由になれていないような気がする。誰かに指図されたわけではないのに、自分で自分のことを<型>にはめ込んでいる。<やりたい>という気持ちよりは、<やらねばならない>という気持ちが先行することがあるのだ。

後半になると、<雑念>の勢いが弱まってきた。まとまったことをイメージするよりは、瞬間的に、脈絡のないイメージが、思い浮かんできた。記銘する気もなかったので、今ではもう、思い出せない。

170回目前後からは、目の前の暗い空間に、<斑>模様が見えてきた。次から次へと、その形を変えながら、こちら側に押し寄せてくる。ぼうっとしながら、見入っていた。あきらかに、前半とは異なる意識状態だ。瞑想状態に、近づきつつあると思った。

200回を数え終えた。締めの心経を読み始めたが、まだ、頭がぼうっとしている。自分の声が、遠くで聞こえるような感じだ。だが、しだいに、心経の、一語一語の意味を理解しながら、発語するようになっていった。最後の<咒>のあたりでは、完全に覚醒していて、心をこめて読んだ。

そのあと、<コロナ>の予防接種の痕が、まだちょっと痛かったが、ストレッチをやった。と、きつい体勢になると、なんとなく息苦しいような気がする。ファンヒーターをずっとつけているからなのか、あるいは、狭心症の症状なのか、判断しかねた。とはいえ、あまり、深くは考えないようにした。どのみち、来年早々、<冠動脈カテーテル手術>を受けるのだ。

2025-11-15(土)朝の室温18度。

自宅瞑想、7:00-7:40、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。
全体的に、ほぼ、数を数え続けた。<雑念>も出ていたが、おもには、日常生活関連のことで、これといって気にかかることはなかった。

150回目くらいで、やや<飽き>が来た。何度か、座り直したりしながら、ノルマの200回を、数え終えた。

きょうは、昼過ぎに、階段の高圧洗浄をしようと思っている。騒音がひどく、近所迷惑なのはわかっているが、汚れが気になるので、やらざるを得ない。シカとするしかないだろう。

2025-11-16(日)朝の室温、16度。

自宅瞑想、7:00-7:35、(椅子)端座位数息150回、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。

背景に、<雑念>が流れていたが、まずまず、ちゃんと数を数え続けた。<雑念>は、日常生活関連のことや、<秩父巡礼行>、創作活動のことなどで、多岐にわたり、しかも、脈絡がない。頭の中をよぎって行くような感じで、とくだん、気を取られることはなかった。

150回目あたりで、やや<飽き>を感じた。これは、最近の傾向で、端座位が窮屈になり、集中力がなくなった状態だ。100回目を過ぎて、150回目くらいになると、よく現象してくる。

ノルマの200回まで、やってやれないことはない。が、我慢して座り続けることもあるまい。160回目で、数息を終了した。

そうそう、<秩父巡礼行>を再開して、巡礼記や、懸案だった未稿の<日本灯台紀行 旅日誌 下北編>などを書き始めてから、罪悪感すら感じていた<性衝動>が、多少おさまってきた。やはり、<ホルモン>の関係というよりは、精神的なことが要因だった。

<志>を見失った、うつろな心が、<性衝動>を喚起する。おもえば、なにかを求め、目標を立て、行動していた時には、快楽に耽溺することはなかった。

<明けない夜はない>「It's always darkest before the dawn」。使い古された常套句だが、今の自分の実感にきわめて近い。心が軽く、前向きだ。本来の、活動的な、元気な自分が戻ってきた。

2025-11-17(月)朝の室温、17度。

自宅瞑想、6:10-6:55、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチ10分、メモ書き。

はじめから終わりまで、ほぼ、微動だにせず、数を数え続けた。<雑念>が背景に流れていたが、気を取られて、数を忘れることはなかった。

<雑念>は、前半は、高校生のころ、夢中になっていたバスケットボールのことが思い浮かんでいた。とくに、キャプテンのYN君は、同じポジションだったが、シュート力があり、自分より、数段うまかった。彼の顔や姿、<プレー>などが、鮮明によみがえった。

後半になると、今度は、演劇関連のことが思い浮かんできた。HK君は、よく出てくる人物で、年月が経っても、侮辱されたことが、忘れられない。彼だけではなく、演劇をやっていたころは、馬鹿にされたり、侮辱されたりしたことが、多かった。生きている限り、程度の低い、質の悪い人間に出っくわすのは、避けられないことなのだろう。

今朝は、終盤になっても、<飽き>は来ず、端座位の保持も大儀でなかった。深く大きく、息をしていることが心地よかった。

200回の数息が、あっという間に終わった。

2025-11-18(火)朝の室温17度。

自宅瞑想、6:30-7:05、(椅子)端座位数息150回、般若心経2回、ストレッチ10分、 メモ書き。

起きたときから、気持ちが、やや、ざわついている。いちおう、数は数えているが、呼吸に、注意が向かっていない。<雑念>も出ていたが、そちらにも、ほとんど関心が向かない。

昨日、<大腸ポリープ切除手術>の日程が決まった。まだ少し先のこととはいえ、二泊三日の入院だ。それにともない、二種類飲んでいる血液サラサラの薬の、ひとつの方を、一週間くらい休薬することになる。

手術に関しては<出血>の危険性があり、休薬に関しては<血栓>ができやすくなり、脳梗塞などの危険性がある。自分としては、その可能性は、極めて低いと思っているが、実際のところは、わからない。

最近になって、病気関連の、恐怖や不安は、だいぶ軽減してきた。が、手術日が決まった、ということで、我知れず、多少興奮しているようだ。とはいえ、明日からは、また平静な気持ちで、数息ができるような気がする。

年初から<生老病死>という、人間の根源的な<苦しみ>に直面した。気持ちが<うつ>になるのも当然だ。その<苦しみ>が、ようやく、底をついて、今は、気持ちが上向いている。

病気も手術も、避けては通れない。自分だけの問題ではない。<類>の背負っている<宿命>だ。それならば、「泣いても一生、笑っても一生」、自分はどちらを選ぶのか?むろん、後者だろう。

150回目で、数息を終了した。ノルマは200回だが、無理することもない。<明日があるさ>。

千葉県 犬吠埼灯台


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