<数息観瞑想 日誌>2026年度版(8)
<数息観瞑想 日誌>2026年度版(8)
~日々の数息観瞑想の記録~
4月分
2026-4-16(木)晴れ、朝の室温20度。
自宅瞑想、6:20-6:55、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチ20分、メモ書き。
はじめのうちは、数を数えていた。が、しだいに、<雑念>が優勢になった。日常生活関連の雑多なことが、浮かんでは消え、消えては浮かんでいた。
100回目をすぎたあたりからは、かなりぼうっとしてきた。<漠としたイメージ>のなかを漂っている。手足が、ジーンとして、重い。かなりリラックスしている。
150回目くらいからは、この<ぼうっとしている>という意識すら消えてしまい、ウトウトしているようだ。数を、頻繁に間違えて、何度も数えなおす。端座位が、やや窮屈になってきたが、多少の< ガマン>をして、 200回目にまでたどり着いた。
そうそう、最近は、いわゆる<私物>を、<瞑想日記動画>に使うために、毎日、一個ずつ撮影している。昨日は<爪切り>を撮った。身近にありすぎて、じっくり見たこともない<物>だが、ファインダーを通して凝視すると、その形や形態、フォルムが、もの珍しい。面白い。
いつ、だれが、こんな<物>を考え、実用化したのか?見当もつかない。これまで、思ってもみなかったことだ。そうした<物>が、身の回りにあふれている。これまでは、なんの考えもなしに、不要になると、押し入れにしまい込んだり、処分したりしていた。
<物>を大切にすることは、子供のころに、教えられたような気もするが、徹底的に、教え込まれたわけではない。どちらかと言えば、自分もまた<使い捨て文化>に、流されてきた。
自分の使っている物、使っていた物を、レンズを通して凝視すると、もう少し大切にしようという想いが出てくる。<物>は、自分の一部だ。そう思えれば、なおのこと、大切にするようになるだろう。自戒をこめて、けさは相馬焼の<ぐい飲み>を撮った。
2026-4-17(金)雲が多い、朝の室温19度。
自宅瞑想、6:40-7:10、(椅子)端座位数息100回?般若心経2回、ストレッチはさぼる、メモ書き。
20回目くらいから、はやくも、ぼうっとしてきた。数を数えているという意識がほとんどない。再三、数を失念して、数えなおす。それでも、なかなか前へ進まない。時間のたった感覚が、ある程度あったので、いちおう、100回目までは数えたことにして、終了した。
そのあとの<心経>も、うわの空だった。極端に眠いというわけではない。が、衝動的に、ベッドへ行って、寝てしまった。小一時間して、目が覚めた、頭が少しはっきりしていた。
昨晩は、いつもの時間に就寝した。夢をたくさん見たものの、目覚めたときに、寝不足感はなかった。なぜ、二度寝したのか、よくわからない。とはいえ、眠い時に、躊躇なく、眠ることができるのは、気持ちのいいものだ。ここにも、小さな<しあわせ>があったのだ。
2026-4-18(土)薄曇り、朝の室温18度。
自宅瞑想、6:40-7:15、(椅子)端座位数息120回、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。
数を数えはじめてすぐに、<雑念>が出てきた。昨晩見たユーチューブ番組や、そこからの連想で、よからぬイメージなどが思い浮かんでいた。が、そのうち、ぼうっとしてきた。
80回目前後からは、何度も数を忘れ、数えなおした。胃の調子が、イマイチよくない。不快感がある。頭の片隅で、そんなことを思いながら、なんとか、120回目までたどり着いた。もういいだろう。
<数息>に、どうも、気合いが入らない。飽きてきた感じがしないでもない。むろん、やめる気はない。二年間、ほぼ毎日やってきたことだ。たとえ、イヤになっても、簡単にはやめられそうにない。
<数息観瞑想>は絶対にいいことだ、と確信したからこそ、続けることができた。その結果、習慣化できた。自分にとっては、このうえなく大切なことだ。初心に帰り、なにも考えず、数を数えよう。数えられないときは、まあ、それでもいいではないか。
2026-4-19(日)日差しはあるが、うすい雲がかかっている。朝の室温20度。
自宅瞑想、6:30-7:20、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチ20分、メモ書き。
前半は、日常生活関連や、創作関連の<雑念>が出ていた。ともに、昨日、見聞きしたり、考えたりしたことだ。脳細胞の表層に付着していたような感じがした。
後半になると、目の前の暗い空間や、体感などに、注意が向かった。<雑念>は、どこかへ消え去り、深く大きく呼吸しながら、数を数えている。一瞬、なにか、イメージらしきものが見えたが、よく覚えていない。
150回目で、座りなおした。座面の圧迫感が気になったのだ。このあと、さらに、ゆっくりと呼吸しながら、200回目まで、数えた。久しぶりに<ロング>な<数息>だった。充足感があった。
胃の調子は、多少良くなった。食事の量を減らし、よく噛んで食べることを心がけた。効果はてきめんだ。やはり、<食いすぎ>ていたのだろう。
<むさぼり食う>ことは、はたから見ても、気持ちのいいものではない。他人ごとではない。自分のことだ。思い返すと、恥ずかしいかぎりである。それなのに、どこかで、自分は、もっと品性のある人間だ、とすましている。<ペテン師>とかわらない。
いまさら<反省>などしても手遅れだ。が、一瞬でもいい。<反省>しなくなったら、もう、人間とは言えないだろう。
2026-4-20(月)曇り空、朝の室温23度。
自宅瞑想、6:30-7:15、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチ20分、メモ書き。
はじめから終わりまで、ほぼ、数を数え続けた。<雑念>も出ていたが、日常生活関連の雑多なことで、深く気をとられることはなかった。ただ一つだけ、頭に残ったことがある。
中学校の同級生で、HSというやつだ。校内では、けっこうつるんでいたのに、友情を示さず、意地悪なことを言っていた。ほかにも、程度の低い、嫌なやつが、何人もいた。場末の中学校だったから、仕方ないのかもしれない。
それにくらべれば、いまは天国だ。<怨憎会苦>。嫌なやつに会ったり、合わせたりすることをしなくてすむ。ほんとうに、清々している。
200回目を数え終えた。深くゆっくり呼吸していた。その<リズム>が、心身の落ち着きと安定をもたらせた。<外側>からはいって、<内側>を制御する。<自分>とか、<こころ>とか、実体のないものに近づくには、優れて、人間的な<方法>だ。
おそらく、俺の出っくわした<嫌なやつら>は、死ぬまで、いや、死んでもなお、この知恵を使うことができずに、<無明>のなかにとどまり続けていることだろう。
2026-4-21(火)曇り、朝の室温23度。
自宅瞑想、7:00-7:35、(椅子)端座位数息150回、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。
数は数えていたが、<雑念>が優勢だった。
はじめは、昨日見た、ユーチューブ番組で、若手のお笑いコンビの対談などが、思い浮かんでいた。その一人が、どうやら、自分と同じ高校の出身らしい。その後、一浪して、難関私大に入ったようだ。
奇をてらった、人を食ったようなキャラクターだが、なるほど、同じような目立ちがり屋が、自分の時代にもいた。TNという、いい奴だった。おそらく、お笑いコンビの片割れも、<素>は、賢い、いい奴なのだろう。
そのあとは、脈絡なく、いろいろなことが思い浮かんでいた。
100回目をすぎると、<雑念>の勢いは弱まり、すこし、ぼうっとしてきた。数を数えながら、断片的になった<雑念>のイメージを見ている。いわゆる<前瞑想状態>だ。
気持ちは平静で、今日の予定などを、なんとなく、考えている。いや、予定など作らない方がいい。その方が気楽だ。150回目で、<数息>を終了した。
そうそう、散歩道の桜が、すっかり<葉桜>になっていた。葉っぱのあいだを、心地いい風が通り抜けていく。<薫風>だ。途中で、いつもの遊水池際で<心経>を読んだ。自然と、最後の<咒>の声が大きくなった。我ながら、いい声だと思った。気持ちが清々した。
2026-4-22(水)晴れ、朝の室温20度、すこし肌寒い。
自宅瞑想、6:40-7:20、(椅子)端座位数息150回、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。
数は数えていた。が、終始、<雑念>が頭のなかにあった。
演劇関連のこと、自分の育った家庭環境のこと、そして、<お袋>のこと、などなどが思い浮かんでいた。
怒りをたぎらせた<お袋>が、俺の帰りを待っている。いまだに、<お袋>の束縛を感じる。心の底では、怖れているのだ。
<太母>という概念が、心理学にある。まさにそれだ。がっちり抱きかかえられていて、離れることができない。自立ができない。<お袋>が亡くなって、すでに20年以上たつが、いまでも夢に出てくる。まったく!はやく<成仏>してもらいたいものだ。
150回目を数え終えた。このあとの<ストレッチ>が億劫だ。胃の調子がよくない。鼻づまりがひどい。倦怠感もある。ヤル気が出ない。昨年来から、断続的に続いている体の不調だ。とくに<胃>は、そのうち、痛みだすのではないかと心配だ。
ふと、<病気>や<心配事>に、逃げているのではないか、と思った。<お袋>よりも、もっと恐ろしい<魔物>を見ないようにしている、のかもしれない。<不安>という言葉で、とりあえずは、抑えこんでおこう。
2026-4-23(木)曇り、朝の室温20度。
自宅瞑想、6:20-6:55、(椅子)端座位数息150回、般若心経2回、ストレッチ20分、メモ書き。
80回目くらいまでは、日常生活関連の<雑念>が出ていた。内容は雑多で、これといって、覚えているものはない。
それ以降は、少しぼうっとしてきた。が、気を取り直して、深く大きく呼吸しながら、また、しっかり数を数えようとした。だが、200回目までは遠い感じがする。無理はせず、150回目で終了した。
月イチで、<500PX>という画像サイトに、<花写真>を投稿している。写真には、花の名前を、英字で印字している。その際、花の名前が<ハルジオン>なのか<ヒメジョオン>なのか、ネットで確認した。
よく似ているこの<山野草>の見分け方には、いくつかのポイントがある。今回は<花びら>の形で見分けて、<ハルジオン>と断定した。
たしか、小学校の理科の時間に、両者の見分け方を教わったような気がする。どうでもいい、といい加減な覚え方をしたので、大人になっても、その違いが、わからなかった。
先日も、散歩道で、この、俗称、<貧乏草>をみかけた。むろん、<ハルジオン>なのか<ヒメジョオン>なのか、判別できない。それよりも、大昔の、子供のころからの、なじみの<雑草>に、ある種の郷愁を感じた。
花びらが耳に入ると<つんぼ>になる。そんなこともあるまいが、面白半分に、花びらをちぎって、空中に飛ばしている悪ガキがいた。おもわず、両手で、耳をふさいだ。
無邪気だった子供の頃が懐かしい。あの悪ガキのちぎった花が、<ハルジオン>だったのか<ヒメジョオン>だったのか、いまとなっては、もう、判別しようがない。
2026-4-24(金)曇り、朝の室温20度。
自宅瞑想、7:30-7:55、(椅子)端座位数息100回、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。
寝過ごした。一時間遅れで、<数息>に臨んだ。けさは、100回だけにしよう。やや義務的だ。
すぐに、日常生活関連の<雑念>が出てきた。数を数えていることが、背景に退いている。そのうち、創作関連のことを考えていた。
ただ座って、あれやこれや考えていただけだ。<数息>とは言えない。<前瞑想状態>にすら、なれなかった。が、まあ、やらないよりはましだろう。
そうそう、起きてからずっと胃のあたりに不快感がある。もう何日も続いている。医者へ行こうか、迷っている。が、めんどうなのだ。ぐずぐずしていると、手遅れになるぞ。ときとして、不安をあおる声が聞こえる。
<グズ>な人間は嫌いだ。おそらくそれは、自分より<グズ>な人間が嫌いなのだ。
2026-4-25(土)曇り、朝の室温19度。
自宅瞑想、6:40-7:15、(椅子)端座位数息150回、般若心経2回、ストレッチ20分、メモ書き。
<雑念>が優勢だった。はじめは、日常生活関連のことだったが、そのうち、昔のことを思い出していた。
大学に入学したころのことで、多少の接触があった二人の女の子のことが、ありありと思い浮かんでいた。すでに、五十年以上前のことだ。
頭のどこに、どのような機制で、そのようなイメージが、保管されていたのか、不思議だ。しかも、そのイメージには確信がある。まちがいなく、実際にあったことだ。しかし、なぜ、そう思えるのか?それも不思議だ。
もっとも、そうしたイメージや記憶がほとんど欠落している年月もある。とくに、お袋と親爺を介護していた15年間は、いったい、日々、なにを、どのように感じて、生きていたのだろう?思いだそうとしても、よく思い出せない。
さいわい、そのころには、パソコンを使っていて、日記を書いていた。几帳面に、フォルダに保存してある。こういう時のために、<日記>が役にたつのだ。あとで見てみよう。たしかに、そのときも、生きていたのだから。
2026-4-26(日)晴れ、朝の室温19度。
自宅瞑想、6:20-6:55、(椅子)端座位数息150回、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。
数は数えていたが、<雑念>が優勢だった。日常生活、人物、創作、それに、よからぬイメージ、などなどが、脈絡なく、思い浮かんでいた。
最近は、数を数えることに、どうも集中できない。とはいえ、<雑念>に気を取られて、まったく数を失念しているわけでもない。<雑念>のイメージを見ながら、頭のどこかで、数は数えている。<瞑想状態>とは言えないが、良い方に考えれば、心を遊ばせている。<努力>をほとんどしていない。イヤではない状態だ。
150回目を数え終えた。
今日は日曜日だ。気がゆるむ日だ。これは、子供のころからの習慣で、いまだに、身体のどこかに残っている。学校に行かなくてもいい。いつもの<ルーティーン>がない。一日中遊んでいられる。<サンデーモーニング>は、目覚める前から、心がかるい。
親からも、自分からも、だれからも文句を言われずに、遊んでいられた時代が、懐かしい。
2026-4-27(月)雨のち曇り、朝の室温20度。
自宅瞑想、7:00-7:35、(椅子)端座位数息150回、般若心経2回、ストレッチ20分、メモ書き。
胃の調子が、すこしいい。そのせいか、<数息>にも、多少は集中できた。
<雑念>は、日常生活関連のことや、大学時代の知り合いの女の子たちのことが、思い浮かんでいた。もっとも、いまとなっては、彼女たちも<おばあちゃん>だ。
80回目をすぎると、体感にも注意が向かった。手足が、ジーンとしていて、重い。リラックスしている証拠だ。さらに、そのあと、イメージらしきものが見えた。かなり、ぼうっとした状態だ。そのときははっきり見えていたが、よく思い出せない。
150回目を数え終えた。何日かぶりに、<前瞑想状態>に近づけた。安堵感があった。胃が少し良くなったのが大きい。
けさは、目覚めた時から、雨音がしていた。気になって、ドアを開けて外を見た。本降りだ。今の時期、こんなに強い雨は、あまり記憶にない。
晴れたり、くもったり、雨が降ったりと、日々、天気が変わる。なんというか、日々の暮らしのアクセントになっている。体調もそうだが、天気も、気分にかなり影響する。雨の日は、家にこもって、静かにしていよう。
2026-4-28(火)晴れ、朝の室温、18度。すこし肌寒い。
自宅瞑想、6:40-7:15、(椅子)端座位数息150回、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。
数を数えながら、<雑念>のイメージを見ていた。とくに、印象が強かったのは、亡父と愛猫との、最後の姿だ。思い出すたびに、心が、いたい、つらい。いたし方ないことではあるが、もうすこし、何かしてあげられなかったのか!いまだに後悔している。自分を責めている。般若心経を、手向けることしかできないのだ。天国など信じていないが、安らかに眠ってほしい。
あとは、昨晩見た夢のことを思い出していた。たくさん見たが、いまとなっては、断片的にしか、思い出せない。三つ、四つ、メモ書きしておこう。
ひとつ目。撮影旅行で、景色のいいところに来ている。自分は居残って、写真を撮り続けている。そばに、子供時代の娘が来て、大きな声でしゃべっている。講師らしき男性に、後ろの宿泊所を、目で示され、注意される。
ふたつ目。中学の同級生KI君とキャッチボールをしている。そのうちKI君は、深い溝の底に降りていく。自分も後を追う。降り立ったところは、民家の庭先で、猛犬がいる。吠えられるかと思いきや、ワンコは表情を崩して、甘えてくる。
みっつ目。フィットネスクラブのような所。若い女性たちが、マットの上にあおむけに横たわって、身体を動かしている。自分も参加する。そばに立っている黒っぽい男が、昼寝をしてもいいかと、誰かにたずねている。
よっつ目。高校の同級生MT君と一緒にいる。たくさんの荷物を持って、場所移動している。忘れ物をしたことに気づく。スキーのストックだ。いまさら、取りに戻れない。MT君が、必要なときには貸してあげると言ってくれる。
どれもみな、ものすごく怖いとか、不安とかいった夢ではない。が、ところどころに、不可解な感じ、違和感を感じた。とはいえ、ちょっと考えても、思いあたるフシはない。
150回目を数え終えた。締めの心経は、しっかり読んだ。痛みを耐えぬいた小さな<いのち>に、合掌した。
2026-4-29(水)曇り、朝の室温23度。
自宅瞑想、6:40-7:10、(椅子)端座位数息100回、般若心経2回、二度寝・小一時間、ストレッチはさぼる。
数を数えはじめて、すぐに、ぼうっとしてきた。数も数えていないし、さりとて、<雑念>のイメージを見ているのでもない。ウトウトしている。
数を、数えなおす。だが、またすぐに忘れている。眠いような気がする。
100回目で終了して、ベッドへ行って、寝てしまった。
朝の<ルーティーン>に飽きた。やりたくない気持ちがある。ま、いい。<気持ち>は、受け止めておこう。
2026-4-30(木)曇り、朝の室温19度。
自宅瞑想、6:20-7:00、(椅子)端座位数息150回、般若心経2回、ストレッチ20分、メモ書き。
はじめから終わりまで、深く大きく呼吸し、息の出入りに合わせて、数を数え続けた。ときどき、<雑念>のイメージに、注意が向かっていたが、気を取られて、数を失念することはなかった。
<雑念>は、AVビデオでみた情愛の深そうな女優のことや、病気関連のことだった。
AVビデオに関しては、以前は、公言するのが、はずかしかった。ほんとうは、スケベなのに、<カッコ>をつけていたのだ。年のせいか、いまは、逆に、<カッコ>をつけている自分が、はずかしくなった。
病気に関しては、来年、また<カテーテル手術>をするかもしれない、と不安になった。あとは、胃の不調だ。多少良くなったものの、完治していない。病院へ行くべきか迷っている。面倒だし、胃カメラを飲むのが嫌だ。グズグズしているのだ。
150回目を数え終えた。倦怠感はなく、すんなり、<ストレッチ>に入った。ゆっくり時間をかけ、めいっぱい、体をのばした。久しぶりに、気持ちがよかった。
このあと、メモ書きを書いて、朝食、そして、<瞑想日記動画>用の写真撮影がある。この写真撮影に、進展があり、すこし楽しい気分になっている。
<コンデジ>から<一眼マクロ>に、カメラを変えた。主題の<物>の撮影の精度をあげようと思ったのだ。そこで、気づいた。<マクロレンズ>の特性を活かして、<物>全体を撮るのではなく、その一部を、<アップ>して撮ると、これまでに見たことのない<物>の表情が見える。
<凝視>だ。ほとんど意味のない、些細な発見が、わけもなく、楽しいのだ。
