<秩父巡礼行>2025年度版(4)
<秩父巡礼行>2025年度版(4)
動画版 https://youtu.be/OOulC_CS5Tw
~心の平安を求めて~
六月以来の、久しぶりの<秩父巡礼行>だ。天候や体調、そして、気分の問題で、遠出するのが億劫だった。それが、ここのところ、胃の調子や痔の塩梅が、かなり改善して、<大腸ポリープ切除手術>と<カテーテル手術>が控えてはいるが、気分的には、上向きだ。天候も<晴れマーク>が多くなった。
秩父は、山深い盆地だ。寒暖差が激しく、十二月の半ばを過ぎれば、道路の凍結とか、雪などが心配になる。今のこの時期を逃すと、来年の春まで、秩父には入れない。<思い立ったら吉日>。行くしかないだろう。
2025-11-12(水)晴れ。五時に目が覚める。いちおう、六時起床、七時出発という予定を立てている。起きるには、まだ早いので、ベッドの中で、時間調整だ。未稿だった<日本灯台紀行旅日誌>下北編の、初日の足取りや、灯台撮影の詳細などを思いだそうとしていた。
ふと気づくと、すでに、五時半を回っている。少し早いが、起き上がった。ゆるゆると、整頓、洗面、朝食、排便を済ませて、予定通り七時過ぎには、車の運転席に腰かけた。ナビで、始めに訪れる札所、<法長寺>を検索した。だが、ヒットしない。なぜだかよくわからない。二、三回、違うやり方を試みた。が、だめだ。ま、いい。秩父に入ったら、また検索してみよう。
いつものルートで、市街地を抜けた。すっかり忘れていたが、七時半を過ぎると、<通学路>の規制がある。少し回り道をした。小学生たちが、背の高い上級生を先頭に、三々五々、歩道を歩いている。ふと、通学中の児童の列に、車が突っ込んだ、というニュースを思い出した。悲劇というほかない。しっかり運転しようと思った。
秩父へと抜ける国道299号線に入った。うしろに、大型トラックが、ぴったりくっついてくる。と言っても、あおられているわけでない、車間距離は、ちゃんとある。が、うしろに付かれるのは、なんとなく嫌なものだ。トラックが接近してこないスピードを維持しなければならない。したがって、自分のペースというよりは、トラックのペースで走っている。
前方に、<軽>でも走っていれば、追い越しのできない道だから、否応なく、<軽>のうしろを走るしかない。それならば、トラックも、あおるような真似はしないだろう。だが、上り線は、けっこう車が走っていたが、下り線には、ほとんど車がない。かなり長い間、うしろの大型トラックを気にしながら走っていた。
紅葉がきれいだ。この前来た時には、新緑がきれいだった。あっという間に、時が過ぎ去ってしまった。上り坂が、少しきつくなった。気まぐれだ。一気に加速して、トラックをぶっちぎった。かなりのスピードが出ている。ちょっと、怖い気もしたが、久しぶりのロングドライブだ。ハンドリングなどを楽しんだ。
九時前には、道の駅<芦ヶ久保>に着いた。車はあまり止まっていない。バイクも少ない。いつものように、サンダルをスニーカーに履き替え、トイレで用をたした。そのあと。ナビで、再び、<法長寺>を検索した。ふと思いついて、今度は、<旅行・見どころ>という箇所を開いた。なるほどね、ヒットした。目的地に設定して、出発した。
国道を下って行くと、いくらもしないうちに、右手の高台に<法長寺>の屋根瓦が見えた。右折して、寺の敷地沿いに、急な坂を上る。小さな案内板があり、左折。さらに少し行って、もう一度左折する。両脇に民家があり、その突き当りに寺の門が見えた。
門前は、広い駐車場になっていた。車は一台も止まっていない。まだ九時前だった。境内から、<落ち葉掃除機>の音が聞こえる。ゆっくり、装備を整え、目の前の武甲山などを撮ってから、門の前に立った。
門前で、一礼して、境内に入るのは、巡礼の作法だが、自分は、それに加えて、心経の<咒>を読むことにしていた。が、どうも、けさは、そんな気分じゃない。と、自分の脇を人が通り抜けて、境内に入った。観光客ではなく、なにかの配達だ。<落ち葉掃除機>の音がやんだ。
合掌だけして、そのまま、さほど広くはない境内に入った。右手が社務所で、正面に、立派な本堂がある。札所というよりは、普通のお寺さんの雰囲気だ。本堂前には、丹精した菊の鉢が、そこかしこに並んでいる。
まずは、お参りだ。持参したロウソクと線香を、所定の場所にお供えした。本堂の中は、網戸か何かで仕切られていて、中は見ない。いや、<三千女>の奉納額がちらっと見えたが、写真に撮るのは無理だろう。
合掌して、正面から、少し左によって、心経を読んだ。気分が平静ということもあり、さほど声も張らなかった。境内の写真を撮る前に、<納経>を済ませておいた方がいいだろう。社務所へ向かった。
納経所の小窓の向こうに、灰色のセーターを着た、初老の、お寺の奥様らしい女性がいた。納経帳を開いて、渡した。料金を催促される前に、こちらから、¥200で、よろしいですかと聞いた。財布から百円玉を二個取り出して、受け皿に置いた。最後に、<お気をつけて>と言われたような気もするが、奥様は、ほとんど、こちらの顔は見ず、事務的な対応だった。そっけない感じがした。
ところで、この<法長寺>の境内では、四十年ほど前に、二人芝居の野外劇をやったことがある。記憶は、ほとんど残っていないものの、なんとなく見おぼえがある。本堂や社務所は、建て替えられている。が、本堂へと至る、短い参道の両脇に、大きな石灯篭が、その時のままだ、と思った。
朝一番の、淡い陽光の中、たしか、この石灯篭の左右に分かれて、むしろの上に座り、演技した。観客は一人もいない。が、灯篭が、見守ってくれていた。そんな気配を感じたのだろうか、今となっては、ゆめまぼろしだ。
さてと、納経も済ませたし、境内をゆっくり見て回ろう。はじめに目についたのは、<牛伏堂由来の石像>という文字だけの案内板だ。その右横には、直径六十センチほどの、立方体のりっぱな御影石の台があり、その上に、黄色っぽい牛が、穏やかな表情をして横たわっていた。何のことか、まったくわからない。
ちなみに、帰宅後、ネットで調べたところ、<牛伏堂>とは、七番札所の正式名のようだ。それと、<牛>は、この寺にまつわる伝説の中に出てくる動物らしい。
念のためにと、さらに、撮影画像をよく見ると、たしかに、文字案内板の左横には、一メートルほどの、苔むした牛の石像があった。本堂正面左側にも、りっぱな黒い大きな牛の像があり、納経所の受付台にも、小さな牛の像がのっかっていた。いや~、なにを見ていたのだろう。牛が、三頭も、四頭もいたのだ。
ま、いい。ほかに、何かないかなと、見回すと、左手の方に、おみくじを結びつける金網のようなものがある。しっかり結ばれた、たくさんのおみくじの中に、牛の絵馬が二枚ぶら下がっている。おもしろい!迷わず、写真を撮った。
さらに、左手の奥が、墓地になっている。ぶらっと行くと、本堂の側面に、細長い木箱が置いてある。<供養済塔婆入>とある。大きさも形状も、棺桶に似ている。ご丁寧に、上蓋を開ける、取っ手までついている。中には、無造作に放り込まれた<塔婆>たちが、折り重なっているのだろう。それらが、骸骨のようになった死者たちのイメージと重なった。
墓地は、さらに、奥へと続いているが、そっちにはいかないで、左手の崖際へ行った。向かいに武甲山が見える。眼下に、先ほど通ってきた国道や民家が見える。いい景色だ。ここでも、何枚か写真を撮った。
戻った。いつもなら、このへんで、ベンチに腰かけて、<数息>を100回くらいやり、そのあと、メモ書きを書いていた。札所という聖域で、ゆっくり過ごしたいのだ。が、けさは、どうも、その気になれない。
場所のせいもある。普通のお寺さんの境内だ。ゆっくり思索にふける感じじゃない。おまけに、お寺の奥様が、納経所から出てきて、<落ち葉掃除機>で、また掃除を始めている。あと、季節の問題もある。ベンチは、平屋の集会所の前に、並んでいるが、日陰になっていて、いかにも、寒そうだ。
そういえば、さきほど、境内に入るときに、決め事となっている心経の<咒>も唱えなかった。聖地巡礼のお参りというよりは、やや観光気分になっている。それが証拠に、愛用のデジイチを首から下げていて、なかば、無意識のうちに、被写体を探しているではないか。
しかしながら、本気で、自分を責める気持ちは、毛頭なかった。<巡礼>などと、大層なことを言っても、実行できなければ、絵に描いた餅だ。観光だろうが、写真撮影だろうが、いま、こうして、秩父の札所をめぐっていることに、意味がある。それが、俺流の<巡礼>だ、と強弁することもできるのだ。
先ほどから。目の端の方に、多少古い、小さなお堂が、映っていた。<千社札>が、べたべた張り付けてある。
<千社札>のことは、どこかで書いたはずだが、最近は、むやみに<お札>を、寺社の建造物に張ることができなくなっている。だから、札所の建物に張ってあるお札は、少なくとも、平成以前のものだろう。
というのも、<シール>仕様の<千社札>が登場した1970年前後から、規制する寺社が増えたらしい。<シール>だと、建物を傷つけるというのが、主な理由だ。が、そういうこともふくめて、文化財保護とか、美観、景観の見地から、勝手に、べたべた張られては困る、というのが本音だろう。
それはともかく、今現在、寺社の建物に張ってある<千社札>は、したがって、新しいものでも、すでに、四、五十年は経っていることになる。<千社札>を張った人の多くは、すでに、この世の人ではないのだ。
以前から<千社札>を見るのは、好きだったし、面白い。だが、興味がひかれたのは、それだけでもないような気がする。一見無造作に張られている、それらの<千社札>を仰ぎ見ていると、ときとして、死者たちの声が、響き渡ってくる。そんなイメージが出現する。一枚一枚の<千社札>の、どこの誰それの、泣き笑いの人生が、目の前に、ピン止めされているのだ。
札所は、この世でも、あの世でもない空間だ。死者と生者とが、混交する場所だ。ここでは、死者によって、生者は、いやおうなく、自分の<死>を直感する。しかし、<死>を、十全に感じることで、心が、逆に、静まることもある。人が、巡礼や札所にひかれるのは、他者の<死>を介して、自分の<死>を、確実に感じとることができるからだ。すくなくとも、自分はそうなのだ。
小さなお堂の横には、横瀬町の観光トイレがあった。いちおう、マーキング方々、中に入った。きれいに掃除されていて、臭いもなかった。洗面所の脇には、大きめの鏡があった。自分の姿が映っている。気まぐれだ。カメラを、腰のあたりで構えて、ノーファインダーで、シャッターを押した。モニターすると、しっかり写っていた。年をとったな~、自分でないような気もするが、やっぱり自分だ。まあ~、わりとよく写っているので、いやな感じはしなかった。
トイレの左横は、駐車場になっていて、自分の車が止まっている。すぐに引き上げてもよかったが、なんとなく、物足りないような気がした。ぶらっと、もう一度、山門の前に行き、写真を撮った。向きなおって、さらに、両脇に民家が建っている私道っぽい道を、通りの方へ行った。
途中、民家の軒下に、きれいに皮をむかれた柿が、吊るされていた。かなりたくさんある。自分のところで食べるには多すぎる。ふと見ると。家の向かい側が、荒れ地になっている。そこに、柿の木が、まばらに、二、三本生えている。昔は、ちゃんとした柿畑だったのだろう。干し柿は、爺さんの隠居仕事で、やはり売り物なのだろう。
車に戻った。いちおう、ナビに、次の八番札所、西善寺を指示して、出発した。といっても、来た道を戻って、299号線にでて、左折して、秩父の市街地とは反対方向へ行くだけだ。来るときに、大きな案内看板があったから、そこを、今度は、右折すればいい。
国道からそれて、ほそい道を、うねうね行く。と、道端に、小さな案内板がある。左折して、坂を上りきったところに、さほど広くない西善寺の駐車場があった。車は一台も止まっていない。
<西善寺>という名前には、聞き覚えがあった。四十年ほど前に、野外劇で、秩父の札所を回ったとき、故F氏が、わざわざ見にきてくれた。その際、壮年の住職が、長髪の彼に、納経しないのなら、拝観料を払え、とか言ったらしい。その尊大な言い方に、F氏が腹を立て、結局、彼は境内に入らなった。そんな悶着があったので、記憶に残っていたのだろう。
駐車場の横に、道路に面した形で、小ぶりな山門がある。入る手前の左側には、苔むしたお地蔵さまが二体、立っている。頭に、鮮やかな、ペパーミント色の、毛糸の帽子をかぶっている。お地蔵さんの帽子は、おおかた<赤>と決まっている。そんな常識にとらわれている者の目には、かなり新鮮に映った。何枚か写真を撮った。
山門の前で合掌して、境内に入った。ここでも、<咒>を唱えようとは思わなかった。場所の雰囲気もあるが、気分的な問題が大きい。心静かにお参りする、というよりは、巡礼を名目にして、写真撮影を楽しみたいのだ。ま、それはそれでいいだろう。
山門をくぐると、左手に、小さな建物がある。納経所だ。ちらっと見て、階段を下りた。下に、本堂がある。まず、お参りしてから、納経しよう。
本堂の前は、わりと広くて、大きな香炉やロウソクボックスなどが、整然と並んでいた。持参したロウソクと線香をお供えして、とりあえず、合掌した。そのあと、少し左によって、心経を、普通の声で読んだ。最後の<咒>は、少し声が大きくなったかもしれない。ほとんど、気持ちが動かない読誦だったが、いちおうは決まりだ。
そのあと、本堂の中に入った。堂内撮影禁止の張り紙があったので、周りに人はいなかったが、撮影は自重した。本音を言えば、カメラに収めておきたい事物が、いくつかあった。とくに、<三千女>の奉納額と、色合いが可愛い吊るし飾りだ。目がいったが、すぐに踵を返した。
本堂前の左側には、背のないベンチが、秋の日差しを受けて、ずらっと並んでいた。その一つに、カメラやバッグを置いて、納経帳だけをもって、石段の上にある納経所へ行った。中に入ると、灰色の作務衣を着た女性が、受付に座っていた。じろじろ見るのは失礼だと思って、ちゃんとは見なかった。したがって、お寺の奥様なのかは、判断しかねた。
この方も、ほとんど無言で、こちらの顔を見ないで、事務的に、納経帳にスタンプを押していた。つい、先回りして、¥200でよろしいですか、と聞いてしまい、コインを二枚、受け皿に置いた。いま思えば、だんまりを決めて、彼女からの催促の声を聞くべきだった。声の調子で、お寺の奥様かどうか、判断できたのだ。とはいえ、そんなことをしたら、こっちも、気づまりな雰囲気を味わうことになる。小癪な真似はしない方がいい。
さてと、納経も済んだし、境内も静かだし、ゆっくり写真撮影を楽しもう。まずは、境内の真ん中にある、大きな古木だ。なになに、<こみねかえで>と墨守された木の案内板が立っている。ちょうど、逆光になっていて、太い、曲がりくねった幹が真黒だ。
丹精した枝ぶりも見事で、四方八方に伸びている。真っ赤に紅葉しているというわけではないが、日差しを受けた、緑や黄色、それに茶色に色づいた葉が、色鮮やかだ。幹の下には、苔が敷つめられていて、石仏なども見える。伝統的な日本の美意識だ。幽玄の美だね。位置取りを変えながら、しっかり撮った。
ちなみに、この<こみねかえで>は、樹齢が600年で、県の天然記念物に指定されている。600年前は、室町時代の後期だ。気が遠くなるような時間を生き抜いているわけで、すごい、としか言いようがない。
この<こみねかえで>の、参道を挟んだ、向かい側に<なで佛>が、大きな石の台座に腰かけている。いや、普通に腰かけているのではなく、片足は、胡坐をかいている。これまでに、見たことのない造形だ。
いま調べてみると、この座り方は<遊戯坐=ゆげざ>というらしい。かの有名な、広隆寺の弥勒菩薩の座り方(半跏思惟坐)に似ているが、曲げた足を、もう一つの脚の腿の上には載せないで、足裏を腿の内側にくっつけている。それに、手印は<合掌>だ。
<なで佛>とは<おびんずるさま>の別名だが、それを知らなかったので、このブロンズの仏様を<おびんずるさま>とは思わず、したがって、頭や胸などを撫でることはしなかった。いま思えば、額から頭頂部、膝のあたりが、つるつるになっていたのだから、巡拝に来た、幾千、幾万の人々が、なでていったのだろう。集中して、写真には撮ったが、<なでなで>しなかったことを、少し後悔した。
さてと、<こみねかえで>と<なで佛>を撮り終わり、今一度、本堂を俯瞰した。左手の奥の方が墓地になっている。ぶらっと行ってみた。さほど広い墓地ではないので、すぐに行き止まりだ。これといったものはなく、すぐに引き返した。意味のない行動だ。と、<なで佛>の後ろ姿が、目に入った。その視線の先には、<こみねかえで>があった。
なるほど、<なで佛>は、台座に座って、<こみねかえで>を鑑賞していたんだ。しかも合掌している。この光景に、少し心が動いた。古来より、古木には神が宿る、と言われている。眼前では、まさに、その神と佛が共存している。自分もその中で育った、日本という国の精神風土を、改めておもった。
本堂で、お参りしている女性の姿が見えた。さ、引き上げよう。再度、石段を登り、山門を出た。ふり返って、山門の柱に掲げられている<寺号看板>のようなもの撮った。<東国花の寺 百ヶ寺>とある。どういう意味なのか、後で調べてみようと思ったのだ。
もっとも、納経した後、外に置いてあったパンフレットを見て、だいたいのことは理解していた。関東一円の花木の有名な寺院が集まって、新たな巡礼行を構築しようとしている。なるほど、今一度<こみねかえで>が、頭の中によみがえった。そういえば、<なで佛>のうしろにも、<つわぶき>がきれいに咲いていた。
花木を鑑賞しながら、巡礼するのもいいかもしれない。花写真を夢中で撮っていたころには、さほど意識していなかったが、<花>にひかれていたのには、やはり、理由があったようだ。<命>のはかなさだ。いまは、はっきりと自覚できる。
移動。三か所目、九番札所、明智寺へ向かった。
いままでの巡礼では、一日、二か所しか回らないことにしていた。訪れた札所で<数息>をやったり、メモ書きを書いたりして、ゆっくり過ごしたかったのだ。が、しかし、今回は、そんな気にはなれず、お参りをした後は、写真撮影をして、すぐに退去した。
今朝訪れた<法長寺>も<西善寺>も、里山のお寺さんとはいえ、境内の雰囲気は、普通のお寺さんだ。秩父の札所という感じが、あまりしない。<聖域感>が薄いうえに、お参りしている人も、ほぼほぼ、観光巡礼だ。自分も、巡礼というよりは、観光気分が上回っている。悠久の時間を感得する、なんてことは、土台、無理だろう。
ありていに言えば、巡礼名目で、写真撮影を楽しむために来ている。巡礼した時の、一日二か所という決め事は、今回に関しては、ほとんど意味をなさない。せっかく、天気のいい日に、秩父に来て、時間もまだ十一時前だ。三か所目へ行くのは、当然でしょう。どこかで、自分に言い訳しているのかもしれない。
国道に出て、再度、秩父の市街地方面へ向かった。セメント工場の信号を左折して、坂を上った。少し行くと、道が細くなる。と言っても、乗用車なら、すれ違い出来る。ところが、坂の上のほうで、大きなダンプが止まっている。待機してくれているようだ。
そのまま、近づいていくと、札所が、右側にある。ちょっと見た感じ、近くに、駐車場はない。いやおうなく、砂利敷きの狭い境内に車を入れた。入れ違いに、ダンプが、坂を下りて行った。マナーがいいな。ダンプには、いつも威圧感を感じ、時には怖い思いもしているので、少し感心した。
ところで、境内に車を乗り入れたものの、ほかに、<軽>が二台、それに、移動販売の<軽トラ>が店を広げている。どこに止めておくべきか迷った。とりあえず、ほかの車が出入りできる位置に駐車して、外に出た。境内の外に出て、あたりを見回した。駐車場の案内看板はどこにもない。ふ~む、境内に駐車するしかない。
境内に戻った。車を、端の方へと、ぎりぎりに寄せた。ま、これなら、ほかの車の出入りに支障はない。それにしても、移動販売車が流している<BGM>が、耳ざわりだ。それに、観光客が、なぜか、小さなお堂や、お堂と棟続きの納経所から、なかなか退去しない。
仕方ないので、車のリアードアを開けて、持参した、バナナやせんべいを食べながら、一息入れた。これで、帰路、空腹になることもあるまい。今回は、<かつや>に寄ることもないな、などと思った。
さてと、お堂の前から人がいなくなった。お参りしよう。合掌して中に入った。雑然とした感じで、いろいろな物が、ひしめき合っている。いちおう、持参したロウソクと線香をお供えして、心経を読んだ。
棟続きの納経所が、すぐ横にあるので、話し声が聞こえる。少し気後れして、心経は、小さめな声で読んだ。それでも、最後の<咒>は、多少、声を出した。隣の人の耳に入っただろう。いや、悪いことをしているわけじゃない、むしろ、人に聞こえるように唱えたのかもしれない。
読み終わり、堂内を、注意深く見回した。撮影禁止の張り紙はない。周りに人もいない。<三千女>の奉納額や、申の吊るし飾り、自分のお供えした線香が立っている香炉などを、ささっと撮った。撮影禁止の張り紙はなくても、お堂の中には、観音様が祭られている。写真撮影は、自重すべきだ。多少の罪悪感を感じたのは確かなわけで、勘弁してもらうしかない。
お堂の外に出た。納経所の前には、初老の女性が二人いて、中の、受付の女性と話をしている。けっこう長い時間だ。少しの間、うしろで待っていた。女性たちが、ようやく立ち去り、自分の番になった。受付の女性は、開口一番、お待たせしてすいません、と言った。そのあと、どちらから、と言葉を継いだ。自分が答えると、今日は天気がよくて、と言って、言葉が途絶えた。
この、やや知的な感じの、初老の女性の素性は、まったくわからない。だが、御朱印を書けるのだから、寺の関係者なのだろう。ま、もっとも、宗教的な感じはしないから、地元の有志の女性なのかもしれない。千円札をさし出すと、お釣りの¥800を、丁寧に返してくれた。始めから終わりまで、応対が、好意的な感じだったので、気分はよかった。
このあと、境内をくまなく見て歩き、目についたものを、逐一カメラに収めた。お堂と棟続きの建物は、建築様式も色もお堂と同じだが、集会所のような造りだ。陽のあたった縁側に、座布団が、二、三枚置いてある。始めは、日干し、しているのかなと思った。が、あとで、観光客の女性が座っていた。そういうことなのかと、納得した。
その集会所の、左端に、安普請の小さな東屋があった。屋根に近い、細い梁には、<千社札>がびっしり張ってある。日陰で寒そうなので、腰かける気にはならなかった。
あと、隙間のある板塀で囲われた、一畳ほどの<祠>があった。<文塚>と緑色で書かれた扁額が掛けられている。中には、年代の異なる、石碑や石仏が、四、五体並んでいる。古びた木製の説明看板もあるが、暗くて、よく見えない。写真に撮って、あとでゆっくり読んでみよう。
ふと気づくと、境内に止まっていた車はいなくなり、静かになっていた。そろそろ引き上げ時だが、最後に、道路に面したところにあった、三枚の<板碑>や石仏などにカメラを向けた。だが、どうも、背景がよくない、電柱などが入ってしまう。
と、白い乗用車が、境内に入ってきた。中から、黒っぽい服の爺がおりてきた。まっすぐ、納経所の前に行って、中の受付の女性と、世間話を始めた。女性の声は、ほとんど聞こえなかったが、爺の声が、狭い境内に響き渡っている。チェ!ちょっと嫌気がさした。そうそうに、写真撮影を切り上げた。
車に戻って、帰り支度をした。その間も、件の爺は、しゃべりっぱなしだ。女好きなのだろう。ふと見ると、車のすぐ横に、錆びた、骨組みだけになった、背付きのベンチがあった。背後には、これは、手水鉢だろう。むろん中に水は入っていない。
この刹那、古い記憶がよみがえってきた。この境内で、野外劇をやったことを思い出した。あの時は、平屋の住宅のような建物があり、境内もがらんとしていた。おそらく、このベンチに荷物などを置いて、劇を始めたのだろう。観客は、故F氏とKTさんだけだった。
いま一度、骨組みだけの、錆びたベンチを見た。錆びてはいるが、まだしっかりしている。そう思いながら、何枚も写真を撮った。
若かりし自分の姿が、脳裏をよぎったのかもしれない。四十年後に、再度、自分が秩父の札所を巡ることの意味が、ぼんやりとだが、わかったような気がした。
さあ、引き上げよう。境内で、Uターンして、帰路についた。来てよかったと思った。
