<数息観瞑想 日誌>2025年度版(30)
<数息観瞑想 日誌>2025年度版(30)
動画版 https://youtu.be/rqwxyRDSIkQ
~瞑想と般若心経の日々~
10月分
2025-10-1(水)小雨、朝の室温25度。
自宅瞑想、6:20-7:05、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチ10分、メモ書き。
はじめから終わりまで、端座位を保持し続けた。座面の圧迫感は、ほとんど、気にならなかった。
<雑念>も出ていた。朝方見た夢を、思い出していた。
故F氏と、ちょっとだけすれ違ったSTが出てきた。三人で、行動を共にしているようだ。途中で、F氏は、温泉に入ってくる、と言って、背中を向ける。STが、神奈川まで送ってくれるなら、待っていると言う。自分は、迷っている。と、STから、意味ありげな合図がある。関係が、ぎくしゃくしているのだが、和解できそうだ。
外を見ると、いつの間にか、自分の乗用車が、軽自動車に代わっている。KWが出てきて、期限が来たので、交換したのだと言っている。遠くのほうでは、劇団DのYS君とKW君とが、天秤棒で、重い荷物を運んでいる。500キロくらいありそうだ。うしろのKW君が、よろけて、その下敷きになる。脚が、<逆エビ>に曲がっている。YS君が、慌てて、元に戻そうとしている。KWの悲鳴が聞こえる。
登場人物は、みな、演劇関係の知り合いばかりだ。とはいえ、夢は、脈絡もなく、主題も了解できない。あまりにも不可解なので、起床後も、頭に残っていたのかもしれない。
150回目を過ぎたあたりで、頭の中にイメージが見えた。背は小さいが、外国人の、品のいい、初老の女性だ。鼻が大きい。少し、ほほ笑んでいる。自分の前を通って行く。
そのあとは、すこし、ぼうっとしていたようだ。ふと気づくと、数を数えることを忘れている。すぐに、数え直すが、また忘れてしまう。180回目前後を、行ったり来たりしていた。
200回を、数え終えた。窓を閉めていたこともあり、締めの心経は、多少、声を出した。そのあと、すこし肌寒いので、迷ったが、いつものように全裸になり、ゆるゆると、ストレッチをはじめた。
すると、すぐに、体が温かくなった。<免疫力>が発動して、冠動脈の狭窄を広げてくれないかな~。むろん、無理でしょ。が、そう思うことで、自分の意思では制御できない<免疫力>が、少しでも向上すれば、みっけもんだ。過剰なストレスをかかえない。体を冷やさない。そして、温かくする。うそかほんとか、<免疫力>がアップする条件を、どこかで、読んだような気がする。
2025-10-2(木)晴天、朝の室温23度、すこし肌寒いくらいだ。
自宅瞑想、6:20-7:10、(椅子)端座位数息170回、立位数息30回、般若心経2回、ストレッチ10分、メモ書き。
<雑念>も出ていたが、ほとんど気を取られずに、数を数え続けた。
<雑念>は、おもに、きょうあしたの予定や、<ポリープ切除>などの病気関連ことが、思い浮かんでいた。とはいえ、断片的で、脈絡もない。よくは覚えていない。
170回目くらいで、座面の圧迫感が、少し気になった。立ち上がった。今度は、立位で、残りの30回を数えた。<クックックッ>と、腕の緊張が解けていく。面白い感覚なので、すこし楽しんでいた。と、数を数えるのを忘れている。適当なところから数え直す。
200回を数え終えた。そのあと、立位のままで、心経を読んだ。そして、裸になって、ストレッチを、ゆるゆる始めた。だが、体が温かくなるどころか、すこし肌寒い。また、衣服を着た。
気温的に、もう、全裸でストレッチができない時期になった。あの夏の暑さを思えば、快適な季節だが、<フルチン>の開放感を、もう味わえないのかと思うと、少し残念な気がした。
そうそう、昨日、<大腸検診>の結果を聞きに病院へ行った。その際、<ポリープ切除手術>の同意書を書いた。と、ふと、書面に記載されていた<73歳5ヶ月>という文字が目に入った。
むろん、自分の実年齢なのだが、<73歳5ヶ月>か!と、少し驚いてしまった。四捨五入すれば、もう74歳だ。<74歳>になっている、という実感がほとんどない。しかし、世間では、<74歳>という年齢は、かなりの<とし>だ。自分でも、そう思う。
老化の波が、ひたひたと音を立てて近づいてくる。覚悟はしていたが、いざ、実際、<死>が、現実のものとして、目の前に立ち現われて来ると、まじな話、とてつもなく恐ろしい。瞑想も般若心経も、なんの役にも立たないような気がする。かといって、どこにも逃げ場はないのだ。あ~、まいったね!
2025-10-3(金)朝の室温25度。すごしやすい。
自宅瞑想、6:20-7:00、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチ10分、メモ書き。
息の出入りに合わせて、数を数え続けた。
<雑念>は、日常生活関連のことが、散発的に出ていた。きょうあしたの予定、昨晩見たユーチューブ、病気のこと、などなどだ。それらの<雑念>を、頭の中で、思い浮かべながら、かつ、数を数えていた。
いや、もっと正確に言えば、<数息><雑念><数息><雑念><数息><雑念>と、注意の対象は、移り変わっていた。この意識状態が、意思することなく、続いていた。
ふと、背筋を伸ばして、骨盤の上に置く、というようなイメージを思い浮かべた。<形>から入ることで、<中身>が醸成された。そんな感じがした。
あと、後半になり、<気づき>があった。大袈裟に言えば、<啓示>だ。<病気>や<痛み>、<死>を恐れて、極度に不安になっている自分を、客観視できた。
寒々とした、あやふやな影が、腕をかかえて、うつむいている。それを見て、思った。怖れようが怖れまいが、不安になろうがなるまいが、<病気>や<死>は、確実にやって来る。でもそれは、今じゃない。怖がったり、不安になったりして、今この瞬間を、不幸な時間に変えているのは、ほかでもない、<自分>なのだ。
気持ちの持ちようで、幸せになったり、不幸になったりするのなら、幸せな心持ちを心掛けたほうが、はるかに得だろう。<痛み>や<死>は、<恐れ>と<不安>によって、過剰に膨れ上がっているだけだ。<疑心暗鬼>という言葉もあるではないか。
少し楽になった。平静な気持ちを取り戻した。くよくよ、思い悩んでも、事態は、変わらないのだ。
200回を数え終えた。ほぼ、不動の姿勢だった。今の自分にとって、<数息>は、かけがえのない、幸せな時間だ。久しぶりに、そう感じられた。
屋外瞑想、散歩、4000歩、般若心経1回。温浴施設、湯船数息、断続的に100 回。
六月半ば以来の、散歩だ。周りの景色が、すっかり秋めいていた。土手斜面の除草が、すべて終わり、すっきりした感じだ。それに、流域の稲田も、半分くらいは、刈り取りが終わっていた。
曇り空なので、写真は撮らなかった。そのぶん、生き物たちの姿が目に入ってきた。とくに、鳥たちがたくさんいた。カラスやカモ、それに、ムクドリが、群れをなしていた。
足慣らしのつもりで、いつもの半分くらいしか歩かなかった。とはいえ、橋の下で、心経を読んだ。始めと終わりに、合掌し、深呼吸もした。読みかたも、だいぶ<サマ>になってきた。心経の音読を鑑賞している自分がいるのだ。
周りに人の気配はない。自分の心経を聞いている人間は、一人もいない。いや、一人いる。<自分>だ。これは、<自分だけの演劇だ>。頭の中で、言葉が聞こえた。いや、今日日、<パフォーマンス>というんだろうな。少し興奮した自分を、静めようとする力が働いた。
日差しはなかったが、すこし汗ばんだ。それに、腹が減ったような気がする。まずは、施設の食堂で<かつ丼>¥880を食べた。一割ほど、値上がりしている。しかも、あまり、うまくはなかった。もう、この食堂で食事をするのはやめよう。
そのあと、風呂に入った。頭と体をごしごし洗った後、露天風呂へ行った。向かって右側の、湯船の一番端が、お気に入りなのだが、今日は、先客がいる。しかも、どっかと座り込んでいて、すぐに、どきそうにない。仕方ないので、違う場所で、半身浴で、数を数えた。
どうも、集中できない。湯船から出て、備え付けの椅子に、持参した<サウナマット>を敷いて、座った。寒くはないが、ここでも、なんとなく、集中できない。室内に戻った。ジェット風呂に入りたかったが、爺二人が入っている。大きな声でしゃべっている。近づきたくないので、隣の湯船に入り、半身浴で、また、数を数えた。だが、ここでも集中できなかった。
こういう日もあるさ。シャワーを浴びて、風呂場をあとにした。
2025-10-4(土)曇り、朝の室温25、すこし肌寒い。
自宅瞑想、6:30-7:10、(椅子)端座位数息150回、般若心経2回、ストレッチ10分、メモ書き。
ここのところ、<雑念>が、やや優勢なので、今朝は、意識的に、息の出入りに合わせて、数を数えた。それでも、<雑念>は出てきた。きょうあしたの予定、病気のこと、昨日見たユーチューブのことなどが、数を数えている合間合間に出てきた。その瞬間は、<数息>から、注意がそれたのだろうが、自分では、一貫して数を数えているつもりだった。
<数息>に、注意を、ずうっと向け続けるには、努力が必要だ。それに、飽きがくる。頭の中に、自然に出てくる<雑念>のイメージを見ながら、数を数えていた方が、気持ち的には楽だ。だが、ぼうっとして来ると、<努力>の手綱が緩む。ゆるみすぎると、数を失念してしまう。その辺の、<手綱>加減が、難しい。
端座位で、目をつぶっているだけの状態と、数を数えている状態との差異は、自分が思っているほど、大きくないのかもしれない。とはいえ、経験的には、数を数えるという横軸がないと、すぐに退屈になる。ひるがえって、<雑念>を縦軸と考えると、この縦軸だけでも、退屈になる。そして、退屈になると眠くなる。
数を数えながら、雑念のイメージを見ている。この状態は、おそらく、前<瞑想状態>なのだと思う。いっぽう<瞑想状態>になると、数を数えているような、数えていないような、雑念のイメージを見ているような、見ていないような状態になる。ぼうっとしているが、どこかで醒めている。いわば、精神の<両義的>な状態だ。
<色即是空 空即是色>を体現するのが、<瞑想>なのだとおもう。この状態は、恒常的にも、瞬間的にも、物質化されない。いわば、<名づけえぬもの>だ。そして、<名づけえぬもの>とは、まさに<自分>のことだ。
それを<いのち>と言い換えても、それほど間違いではないと思う。したがって、<瞑想>とは、目には見えない<自分>を、<いのち>を、感じることだ。ただただ、感じことだ。それだけで、十分ではないか。
2025-10-6(月)曇り、朝の室温27度。
自宅瞑想、6:00-6:35、(椅子)端座位数息100回、立位数息50回、般若心経2回、ストレッチ10分、メモ書き。
息の出入りに合わせて、ゆっくり、数を数えた。座った直後から、座面の圧迫感が、少し気になる。イライラするほどではない。<雑念>も出ていた。おもには、きょうあしたの予定や、<ポリープ切除>のことなどが、背景に、流れていた。
100回目で、立ち上がった。座面の圧迫感が、<しびれ感>に変わってきた。臀部左側の、そう、ちょうど、切痔の患部あたりだ。注入剤は入れてないが、このところ、また、よろしくない。
こんどは、立位で、数を数え始めた。<しびれ感>が、すうっと引いていく。患部のあたりに、おそるおそる、注意を向けた。ほとんど違和感はない。なるほど、完治はしてないが、さほど悪化もしていない。
あと、胃の調子がよくない。六月の<バリウム検査>以来、調子がおかしかったが、ここのところ、持ち直していた。寝起きに水を一杯飲んで、<数息>に臨むと、そのうち、胃腸が、動き出す。それなのに、今朝は、どうも、いかん!まったく、その気配がない。
150回目で、<数息>を終了して、心経を読んだ。窓は閉めていたが、外で人間たちの気配がする。月曜日は<ゴミの日>だ。なんとなく、自主規制が働いてしまい、少し声を落として読んだ。
そうそう、朝方見た夢が、気になって、頭に残っていた。要点だけでも、書き残しておこう。
警察署の内部。受付カウンターに、背広姿の警官が、電話で相談を受けている。自分は、<ストレッチャー>に横たわっている。そのうち、警官は、受話器を机において、やさしく、説諭しはじめる。だが、途中で、電話が切られたようだ。警官のがっかりした顔が見える。
と、奥から、犯罪者らしき男たちが、ぞろぞろ出てくる。七、八脚ある、長テーブルの前に、みな、おとなしく座って、牧師らしき男の話を聞いている。
その中の一人が、自分の横に来て、野球のメンバーになってくれ、と声をかけてきた。目つきの悪い、いかにも悪そうな男なので、怖いながらも、ちゃんと断る。その直後に、先ほどの警官が、あいつのそばには近づくな、と耳元で警告してくれる。
自分は犯罪者ではないので、警官に、もう家へ帰してくれ、と頼む。介添がいるわけではないが、<ストレッチャー>が、警察署から、自分の泊まっている部屋へと移動している。
たしか、この夢を見た前後のことだ。ものすごく不安になり、居ても立っても居られない。体がふるえている。ふと、大きく息を吸って吐いた。いつもの<数息>の要領だ。すると、<不安>が、氷解していく。平静な気持ちに戻った。自分で自分を救ったのだ。
夢は、おそらく、今後に控えている<手術>に対する不安と恐れが、イメージ化されたものだろう。警察署は病院、警察官や牧師は、医者や看護師、犯罪者たちは、入院患者たちの表象だろう。
<不安>や<恐れ>という、形を持たないものに、形を与えることで、それらが、対象化される。客観視することで、冷静になり、その結果、解決策も見つかるだろう。それが、<数息>だったわけで、これは、やはり、夢を介しての、<現存在>からの<啓示>と受け取るべきだろう。
どんなに苦しくても、どんなに怖くても、息の出入りに合わせて、ゆっくり、数を数えよう。心底、そう思った。
2025-10-7(火)曇り、朝の室温25度。すこし肌寒い。ヒートテックを上下着る。
自宅瞑想、6:00-6:40、(椅子)端座位数息150回、立位数息50回、般若心経2回、メモ書き。
息の出入りに合わせて、数を数え続けた。
<雑念>も、出ていた。今日これから行く病院のことだが、いろいろ考えているうちに、すこし、不安になってきた。ふと想って、さらに、深く大きく呼吸した。すると、<不安>は、あっという間に、氷解していった。
昨晩、夢の中で体験したことが、現実でも、有効だった。今後、<不安>になったら、<数息>をしよう。心強い味方ができた。
150回目で、立ち上がった。座面の圧迫感が、少し気になったのだ。立ち上がると、臀部周辺の<しびれ感>が、すうっと、消えていった。意識的に、肩の力も抜いた。このあと、50回、数えたが、腰周りに、違和感は感じなかった。
ただ、昨日来から、右足の人差し指の先が、赤くはれていて、爪のところを押すと、少し痛い。ぶつけた覚えはなく、外傷はない。<痛風>かもしれない。昔、患ったことがある。足の親指の横や踝が、赤くはれて、痛かった。なんで、また、今なんだ!ま、様子を見よう。
200回を数え終えた。締めの心経は、窓を閉め切っていたので、心おきなく読んだ。いつもは、低音域から入って、後半で、中音域に転調する。それを、中音域からはじめて、高低の差をつけながら読み進み、後半で、中高音域に転調した。この方が、一本調子にならない。たしょう、リズムがあるので、言葉が、はっきり、聞こえるような気がする。この方法も、すこし試してみよう。
最後に、合掌して、今朝の<数息>を終えた。時計を見た。すでに、七時近い。初めて行く病院なので、少し早めに家を出よう。やや、気持ちが急いてきた。
2025-10-8(水)晴天、朝の室温24度、すこし肌寒い。
自宅瞑想、6:30-7:15、(椅子)端座位数息150回、立位数息50回、般若心経2回、ストレッチ10分、メモ書き。
気分が低調。右足の人差し指の先が、赤くはれている。触らなければ、痛くないが、気になる。それと、<大腸ポリープ切除>の件で、くよくよ、思い悩んでいる。数は、数え続けていたが、気分は回復しなかった。
締めの心経も、始めの心経と同じで、どこか、うわの空だ。メモ書きを書くのも面倒だ。いっそのこと、<数息観瞑想 日誌>の執筆をやめようか、とさえ思った。だが、ここは、さすがに自重した。
<心経 数息 ストレッチ メモ書き>、この朝の一連の行動は、自分の生命線だ。断ち切ってしまえば、かろうじて平静を保っている自分が、空中分解してしまう。短気は慎もう。大人の判断をした。また、平静な気分にもどるさ。
2025-10-9(木)曇り、朝の室温、27度。
自宅数息、6:20-7:00、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。
はじめから終わりまで、ほとんど不動で、数を数え続けた。
<雑念>も出ていたが、瞬間的、散発的で、脈絡がない。おもには、入院、手術など、病気関連のことだったが、今となっては、よく思い出せない。思い出す必要もないだろう。
座面の圧迫感は、最後まで、気にならなかった。右足の、人差し指の腫れが、若干、ひいてきたような気がする。原因は、わからないが、たいした事なさそうだ。気持ちが平常に戻った。
200回を数え終えた。不安な心持も消えて、静かな時間の中で、佇んでいた。瞑想状態に近づけたと思う。
締めの心経は、窓を閉め切っていたので、普通の声で、一語一語、はっきり発語し、ときには、その語の意味を、頭の中で思ったりした。
病院へ行くことが、今年になって、急激に増えた。そして、検査をするたびに、悪い結果が出てしまい、さらなる、病院通いが続いている。
少しずつ、少しずつ、老いている。少しずつ、少しずつ、死に近づいている。生き物の宿命を、少しずつ、少しずつ、受け入れ始めている。
じたばたしても、事態は変わらない。ならば、<じたばた>している時間を、平安な、幸せな時間に錬金しよう。<瞑想>と<般若心経>という、強い味方がいるではないか。
2025-10-10(金)曇り、朝の室温22度、肌寒い。ヒートテック上下、スウェット上下、さらにその上に、ウォーマーパンツに厚手のシャツを着た。完全に、冬仕様だ。
自宅瞑想、6:40-7:15、(椅子)端座位数息120回くらい、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。
気持ちは平静だ。息の出入りに合わせて、数を数え続けた。
<雑念>は、巡礼や、執筆などに関することで、久しぶりに、前向きな内容だった。あれこれや、予定を考えるのは、楽しいものだ。
80回目前後で、体が、びくっと動いた。端座位を保持する筋肉が緩んだようだ。瞬間的に、ウトウトっとしたのだろう。すぐにまた、数を数えたが、なんだか、前に戻っている。堂々巡りをしている、と頭の隅の方で思った。
100回目で、<数息>を終了した。毎朝、200回がノルマだが、今朝は、ゆっくりだったし、それに、しっかり数えた。充足感もあり、手を抜いたとは思わなかった。
ところで、<ポリープ切除手術>は十二月、<冠動脈カテーテル手術>は来年の一月と、自分なりに心づもりした。いまのところ、症状は出ていない。痛くも痒くもない。緊急を要する手術ではないのだ。<おたおた><じたばた>している自分がアホらしい。
気持ちが平静に戻った、所以である。
