見出し画像

<数息観瞑想 日誌>2025年度版(18)

<数息観瞑想 日誌>2025年度版(18)

動画版 https://youtu.be/jWO8hyjQIu0

6月分

自宅瞑想、6:10-6:45、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、柔軟運動15分、メモ書き。

全体的に、バタバタした<数息>だった。

前半は、数え始めて、すぐに、<雑念>が出てきた。注意が、数を数えることにではなく、<雑念>に向かっているのが、自分でもわかった。それに気づいて、数を数えることに注意を向けるが、すぐにまた<雑念>の中に引き込まれてしまう。それの繰り返しだった。

100回目で、中座して、ベストを着た。背中が少し寒くなったのだ。そのあと、姿勢を正し、仕切りなおした。だが、こんどは、<眠気>が出てきた。いわゆる、前<ウトウト>状態で、数など数えてやしない。

それに気づいて、数を数えなおすが、あっという間に、また、ぼうっと、座っているだけだ。それに、端座位を保持しているのが、大儀になってきた。

ふと、昨晩、<ザイザル>を半錠服用したことを思い出した。くしゃみが頻発したので、念のために飲んだのだ。な~るほど、この、いかんともしがたい<眠気>と、倦怠感は、<ザイザル>の、おなじみの副反応だ。

とはいえ、ぼうっとした状態の中でも、数を数えようと、多少の努力をしたので、なんとか、200回まで、200回数えたとは到底思えないが、到達した。しかし、締めの心経は、声に力が入らず、ウーウーウ―ウー、坊主のお経のような感じになってしまった。いや、<お経>を、揶揄しているわけじゃない。あくまでも、比喩だ。

2025-6-12(木)朝の室温、25度。

自宅瞑想、5:55-6:30、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、柔軟運動15分、メモ書き。

前半は、<雑念>が背景に流れていたが、まずまず、数を数え続けた。<雑念>は、おもに、<説経節>の動画制作と、マージャンゲームのことだ。ふたつとも、きのう、少し夢中になっていた。

後半は、とくに意識したわけではないが、深く大きく呼吸しながら、数を数え続けた。しかし、しだいに、<漠としたイメージ>の中を漂いはじめた。とはいえ、きのうのような<眠気>に襲われることはなかった。

不鮮明なイメージも、いくつか見えた。白いゴミ収集車のうしろで、二、三人、男たちがたむろしている。これ以外は、もう思い出せない。

150回目を過ぎたあたりで、このあと、まだ50回もあるのかと思った。端座位は、大儀ではなかったものの、やや飽きた感じがした。それでも、そんな気持ちを行動には移さず、そのままにした。我慢したといえば、我慢したのだが、ほんのちょっとだけだ。

200回を数え終えた。締めの心経も読み終え、ストップウォッチを見た。32分しかたってない。いつもより、五、六分早い。たしかに、180回前後で、数をすこし飛ばしたような気がする。

2025-6-12(木)朝の室温、25度。

自宅瞑想、6:30-7:00、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、柔軟運動20分、メモ書き。

150回までは、何回か、<雑念>に気を取れたものの、まずまず、息の出入りに合わせて、数を数え続けた。手足もジーンとしていて、気持ちもゆったりしている。かなりリラックスしていた。

<雑念>は、おもに、マージャンゲームのことや、家周りの清掃のことなどだ。マージャンゲームに関しては、気分転換のつもりが、少し夢中になっている。毎日、二時間ほどやっているから、寝たあとにも、脳神経に刺激が残ったままなのだろう。

150回目以降は、いわゆる、前<ウトウト>状態に陥ってしまった。イメージを見ているような、見ていないような、曖昧模糊とした状態だ。再三、数を数えることを忘れて、ふと気づいて、数えなおすが、すぐにまた忘れている。いくつまで数えたのかも、忘れている。150回から200回までは、かなり、いい加減な<数息>だった。

締めの心経にしたところで、完全には覚醒していなかったので、言葉に力が入らない。<ウーウーウ―ウー>言っているだけだ。そのあと、ゆるゆると、柔軟運動をやっているうちに、しだいに頭がはっきりしてきた。たらたら、20分もやってしまったが、終わった後には、気分が良くなっていた。

ところで、ここのところ、夢の記述をサボっていた。久しぶりに、メモ書きしておこう。

旅館。チェックアウト時の荷物整理をしている。荷物が多いうえに、分散しているので、なかなか終わらない。空き缶などを捨てに、旅館の外のごみ箱へ行く。旅館の女将がついてきて、捨て方をチェックしている。横で、彼女が何かしゃべっているが、よく聞こえない。

場面が変わる。目の前に、泥だらけの、急な山道が見える。自転車に乗った奴が、登っている。アウトドアスポーツのようだ。次は、自分の番だ。やや不安、緊張している。

荷物整理、無謀な挑戦、この二つは、よく夢に出てくる、おなじみの主題だ。ここのところ、執筆や動画制作が、かなり負担になっている。夢は、<実存>の心身状態、あるいは、精神状態の反映だ。そう理解したい。

散歩、新Aコース、7500歩。

完全に、梅雨空だ。ロンTシャツ一枚で、歩き出した。少し肌寒い。とはいえ、歩いているうちに、背中の辺が汗ばんできた。リックの中に、替えのロンTシャツを入れているが、重ね着することもあるまい。

生き物の姿がほとんどない。<モンシロチョウ>たちも、日を追うごとに、少なくなっている。と、真っ黒な、大きなカラスが土手斜面にいる。近づいて行っても、逃げない。ドン、と足踏みして、おどかしてやった。すると、田植えの終わった田んぼの 畦に、ひらりと身をひるがえした。そこには、奴より一回り小さなカラスがいた。メスのような気もするし、子供のような気もする。それにしても、ふてぶてしい奴だ。

向き直った。遠くの方で、カラスの鳴き声が聞こえた。土手下のカラスたちは、一瞬、びくっとして、その方向を見ている。と、二羽のカラスが、田んぼの上を飛んできた。目で追って、振り返ると、そのうちの一羽が、先程の小振りなカラスにちょっかいをかけて、土手道の<距離案内板>の上に、止まった。もう一羽は、畦に着陸して、件のふてぶてしいカラスの横にいる。

天敵のいない川の流域で、自由自在に飛び回っているカラスたちだが、仲間同士で、コミュニケーションを取って、生きているのだ。いま、目の前にいる四羽も、いわば、<ファミリー>なのかもしれない。となれば、さしずめ、件のふてぶてしい奴がオヤジで、<案内板>に止まったのは、見張り役の息子だ。小さいのは子供で、飛んできて、オヤジの横にいるのが母親なのかもしれない。

洞察。世界の多様性。カラスにはカラスの世界があるということだ。

折り返し点の、右岸の橋際に着いた。なじみの給水塔にデジカメを向けた。いつもの、定点撮影だ。今日は、曇り空だから、動画用の画像としては、使い物にならない。でも、決まり事だ。撮らないと、なんとなく、落ち着かない。それに、散歩が半分終わったという気分を味わいたいのだ。

復路は、来た道を戻った。右岸の橋の下で、今日もまた、心経を読んだ。暑苦しいのと、息苦しいのとで、マスクはしていない。さほど大きな声は出さなかったが、わりとよく響いた。しかも、最後の<咒>は、自然と声が大きくなってしまい、オーバーだが、自分の声が、世界中に響き渡っているように感じた。これもまた、気分のいいものだ。

温浴施設の駐車場に戻ってきた。着替えて、ロビーの休憩テーブルで、持参したカップ麺などを食べ、風呂に入った。半身浴の露天風呂で、断続的に、200回、数を数えた。

自宅と違い、屋外での<数息>は、周囲の音などに対抗するために、数を数えることに、多少の努力が必要だ。その分、瞑想状態が深まることはないが、体の力は抜けて行くので、<リラクゼーション>にはなっている。これはこれで、気持ちのいいものだ。

2025-6-14(土)朝の室温、25度。

自宅瞑想、6:30-7:00、(椅子)端座位数息150回くらい、般若心経2回。柔軟運動、メモ書きはさぼる。

100回目くらいまでは、まずまず、数を数え続けた。<雑念>も出ていたが、何回か、気を取られる程度だった。

だが、100回目以降は、前<ウトウト>状態に陥った。<眠気>が出てきて、端座位を保持するのが大儀だ。それに、再三、数を忘れて、数えなおしている。しかも、いくつまで数えたのかも、忘れている。

限界だ!中断して、そのまま、ベッドに横になった。ふと気づいた時には、八時半になっていた。一時間半も、寝ていたことになる。

昨晩、マージャンゲームに夢中になって、寝るのが遅くなった。睡眠不足だったのだ。大切な<数息>のためにも、睡眠は、しっかりとらないとだめだ。いやむしろ、じゅうぶんな睡眠こそが、<数息>より大切なのだ。

2025-6-15(日)朝の室温25度。

自宅瞑想、6:25-7:00、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、柔軟運動15分、メモ書き。

最近よく、前<ウトウト>状態に陥っている。それに対抗すべく、はじめから終わりまで、深く大きく呼吸し、息の出入りに合わせて、数を数え続けた。

<雑念>は、マージャンゲームのことや、昔の映画<地獄の黙示録>のワンシーンなどだったが、気を取られることはなかった。ちなみに、そのシーンとは、ジャンキー兵士が、先住民の女性たちに愛され、慕われているシーンだった。

あと、<想念>もわいていた。ただただ、ぼうっと座っているのが<瞑想>ではない。数を数えるという、多少の努力をしながら、覚醒と睡眠の境を、ゆっくり歩いていくことだ。歩きながら、静かに思索することだ。

それに、<瞑想>は、よく語られているような神秘体験でもない。脳神経に残留している過剰な緊張を開放することだ。過剰な<不安>や<恐れ>、<悲しみ>や<苦しみ>、<性の抑圧>を、<自己受容>していくことだ。そして、生きていることの<しあわせ感>を取り戻すことだ。

200回の数息が終わった。ストップウォッチを見ると、33分しかたってない。だが、今朝の数息は、もっともっと長い時間だった。物理的な時間の長さが、絶対ではない。これはまさに、瞑想状態に、近づいた証だろう。

2025-6-16(月)朝の室温、29度。蒸し暑くて、寝苦しい夜だった。

自宅瞑想、6:20-7:00、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、柔軟運動15分、メモ書き。

深く大きく呼吸し、息の出入りに合わせて、数を数え続けた。いつもは、その<多少の努力>を、すぐにやめていた。いきおい、<雑念>に気を取られ、前<ウトウト>状態に陥っていた。

<多少の努力>の結果として、<雑念>は出ていたが、気を取られることはなかった。昨晩は、蒸し暑くて寝苦しかったが、<眠気>が出ることもなかった。

粛々と数を数えている。気持ちが、正々堂々としている。

100回目で、ライン着信があった。気になったので、中座した。知り合いからではなく、広告のようなものだった。こんな時間に、いつもは来ないのに、ちょっと変な気がした。

100回目以降も、息の出入りに合わせて、数を数え続けた。背筋が伸びている。息が楽だ。水鏡のように、気持ちが清明で、静かだ。

数を数える<多少の努力>を続けた成果だ。<数息観瞑想>の実践、体得に、また一歩前進した。

散歩、新コースD、7500歩。

曇り空。蒸し暑い。<モンシロチョウ>の数は、かなり減ったが、まだ元気に飛び回っている。土手道のアルファルトの上に、<ミミズ>の死骸が、ある区間はとくに、累々としている。やや気味が悪い。

川原の草むらの中で、いつも喧しく鳴いている鳥の声に耳をすませた。今日は鳴き声を覚えて、ユーチューブで検索してみよう。ちなみに、この鳥は、どうやら<シジュウカラ>のようだ。胸のあたりが黒くて、羽根の色が深緑色の、スズメほどのかわいい野鳥だ。

あともうひとつ、気になる鳥の鳴き声がある。こちらは、土手際の背の高い木々の中にいる。<ツイッピ ツイッピ ツイッピ>と高音域の、澄んだ、かわいい鳴き声だ。どうやら、<ヤマガラ>らしい。大きさは、<シジュウカラ>と同じくらいで、胸のあたりが茶色の、目が、クリッとした野鳥だ。

<シジュウカラ>と<ヤマガラ>の姿と鳴き声を、やっと憶えられそうだ。

折り返し点に着いた。日差しはないが、汗びっしょりだ。いつものように、彼方の<落合橋>を見ながら、給水した。今日は、一口ではない、がぶがぶ飲んだ。

復路は、<木橋>を渡って、左岸の土手道を、遡上した。橋の下では、これもいつものように、心経を読んだ。周りを気にせず、多少、声を張った。自分の声が響いている。気持ちがいい。スカッとした。

温浴施設の駐車場に戻ってきた。着替えて、ロビーでカップ麺を食べ、風呂に入った。露天風呂で、半身浴や、備え付けの椅子に座って、断続的に、200回、数を数えた。

椅子の上には、タオルを敷いて座った。座面のスポンジの部分が黒ずんでいる。汚らしい。とはいえ、椅子には、これまでも、何度か座ったことがある。が、なんとなく、気になって、落ち着かなかった。

先日、この椅子に、タオルの敷いて座っている爺を見た。そういう手があるのかと、今回は真似してみた。ただ、タオルは、頭や顔を拭いたりもするので、こんどは、タオルにカビがつくのではないかと、神経質になった。ま、きれいに洗えばいい。でも、ちょっと気になる。

露天風呂のテラスでは、何人かの、爺たちが、素っ裸で、<マグロ状態>で横たわっていた。そこへ、あばら骨が浮き上がった、ペラペラの体躯の爺さんが入ってきた。あきらかに、なにかの、大病をした後だろう。

露天風呂を出るときに、その爺さんが、壁に寄りかかっているのが、ちらっと眼に入った。なんだか、苦しそうな、つらそうな、悲しそうな表情だった。やりきれない気持ちになった。

そのことが気になっていたのだろうか、タオルを洗うことを忘れて、体をふいてしまった。黒ずんだ座面のカビ、か!自分が、アホらしかった。

2025-6-17(火)朝の室温、28度。真夏の朝のようだ。

自宅瞑想、6:20-6:55、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、柔軟運動15分、メモ書き。

はじめから終わりまで、息の出入りに合わせて、数を数え続けた。<雑念>が、頭の中に出てきたが、気を取られて、数を忘れるようなことはなかった。これは、数を数えることに<多少の努力>をしながら、注意を向け続けたからだと思う。<数息のコツ>を、つかんだような気がする。

洞察。数を数えることは、瞑想の手段ではあるが、瞑想そのものでもある。気持ちが静まり、心地いい。息を感じるのが、すなわち、瞑想だ。

2025-6-18(水)朝の室温、29度。

自宅瞑想、6:35-7:00、(椅子)端座位数息100回くらい、般若心経2回、柔軟運動15分、メモ書き。

40回目くらいで、ぼうっとして、数を忘れる。その後も、再三、数を数えることを忘れる。昨晩も、蒸し暑くて、よく眠れなかった。どうも、まだ眠いらしい。その後も、あまりにも、ぼうっとしている時間が多いので、100回目くらいで中断した。

今日は、二週間おきに行く<秩父巡礼行>の日だった。用意も、ちゃんとしていた。だが、三日連続の猛暑日だ。炎天下の中、お参りしても、楽しくないだろう。気持ちがくじけてしまった。

<それでいい>と思う反面、<情けない奴だ>と、誰かに叱責されているような気もする。ま、いい。予定変更、仕切りなおそう。

2025-6-19(木)朝の室温、28度。

自宅瞑想、6:00-6:30、(椅子)端座位数息150回くらい、般若心経2回、柔軟運動15分、メモ書き。

80回目くらいまでは、順調だった。息の出入りに合わせて、数を数え続けた。ときどき、<雑念>が背景に流れた。

高校のバスケ部の同学年のメンバーたちだ。SS君、SB君、ON君、KT君だ。彼らは、レギュラーにはなれなかったが、三年間、最後まで、まじめに練習して、部活動を終えた。当時は、自分の方がうまいと思っていたので、少し侮っていたところもある。鼻持ちならない奴だったのだ。

100回目を過ぎたあたりで、端座位の保持が、大儀になってきた。首筋も少し痛い。立ち上がり、首筋をもんで、仕切りなおした。

だが、それ以降も、座っているのが、やや苦痛だ。そうのち、ふと気づくと、<ウトウト>している。昨晩も、暑くて、寝苦しかった。睡眠不足で、お疲れのようだ。150回目で、中断した。

あと、朝方見た夢が、頭の中に残っていた。長大、かつ、支離滅裂だったが、要点だけ、メモしておこう。

フェリーの先端部いる。船が傾きはじめる。ケースに入った大切なカメラが、ずり落ちそうだ。凹みを見つけ、その中にカメラを固定する。場面が変わる。船を降りて、対岸の岸壁にいる。カメラを船の中に置き忘れたこと気づく。

数十メートルもある、運河を飛び越える。空を飛んでいる感覚だ。自分でも、この距離を、よく飛べたなと思う。団体客が船に乗り込んでいる。船が、岸壁から、そろそろと動き始める。焦る。

<荷物の紛失>は、おなじみの主題だが、<空中浮遊>も、よく見る夢だ。<万能感の発現>、と何かの本で読んだ覚えがある。たしかに、いまではもう、なにをするのも大変になったが、子供の頃は、何でもできるような気がしていた。淡い幻想だ。子供だった頃が懐かしい。

いいなと思ったら応援しよう!