<数息観瞑想 日誌>2025年度版(34)
<数息観瞑想 日誌>2025年度版(34)
動画版 https://youtu.be/uIfgOeZYp6c
~瞑想と般若心経の日々~
11月分
2025-11-19(水)朝の室温、15度。
自宅瞑想、6:00-6:40、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチ10分、メモ書き。
全体的に、まずまず、数を数え続けた。途中、一、二回、ぼうっとして、数を失念したこともあった。
<雑念>は、背景に、脈絡なく、ずっと流れていた。が、内容的には、これといって、気になったものはない。記銘する気にもなれなかったので、今となっては、もう思い出せない。
後半になると、心持が、明らかに、普段の状態とは違う。瞑想状態とはいいがたいが、気持ちがゆったりしている。頭の隅で、数を数えながら、静かに座っていることが、心地いい。
200回を、数え終えた。締めの心経は、ためしに、高音域で読んでみた。鼻のあたりに、声を響かせる。最後の方は、頭の上に抜けるように発語してみた。<民謡>の発声法だが、高音域の声を出すのは、うまく出せた場合は、すごく気持ちのいいものだ。
昨晩、ユーチューブで<クリスタルキング>の<大都会>という歌を、久しぶりに聞いた。出だしの<あ~あ~~~>という高い声が、爽快だ。歌手の喉や胸、腹のあたりを見ていると、ほとんど力が入っていないのに、力強い高音域の声が、頭の上をつき抜けて、響き渡っている。あんな風に歌えたら、さぞかし、気持ちがいいだろうなあ~、と思った。
心経の読誦も、ただ読んでいるだけではなく、もう少し、<歌>として唱えることができるようになりたいものだ。
2025-11-20(木)朝の室温13 度。
自宅瞑想、6:10-6:50、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。
呼吸が浅い。気持ちが浮ついている。なぜだかわからない。
数は数え続けていたが、気持ちが、なかなか静まらない。<雑念>も、これといったテーマがあるわけでもなく、次々と、頭の中を流れていく。昨日、久しぶりに、人間と長い時間話したので、脳神経に、その刺激が、まだ残っているのかもしれない。
人と話していると、ときどき、少し甲高い声が、早口で、大きな声でしゃべっている。自分で自分を演じているような気がする。心のどこかで、これは、本来の自分ではない、と思ったりもする。
たしかに、これまでも、人の前では虚勢を張っていた。弱弱しい自分を見せなかった。が、ときには、弱弱しい自分を演じて、他人をだますこともあった。
交通事故を起こして、警部補に調書を取られている時だ。本当は、反省などしていないのに、うなだれて、反省しているフリをした。警部補の心証をよくしたいがためだ。この時も、迫真の演技で、まんまと、他人をあざむいた。
物心ついたころから、他人の前に出ると、知らず知らずのうちに、鎧を着込み、仮面をかぶってしまう。おそらく、<人間不信>が根底にあるのだろう。なにしろ、自分のことすら、信じられないのだ。だが、そう思う自分を、どこかで、信じている。それがあったので、<悪の道>には踏み込まず、ちゃんと生きてこられたような気がする。
ま、とにかく、人間と話をすると、いろいろな意味で、神経が興奮する。今朝は、その興奮が、一晩経っても、尾を引いていたわけだ。こういう時にこそ、<数息>が役に立つ。波打った心を、静かな心にしてくれる。だが、いかんせん、<修行が足らん>!凡夫が、いくら数を数えたからといって、心が静まることはなかった。
2025-11-21(金)朝の室温、12度!今季最低気温。
自宅瞑想、6:30-7:15、(椅子)端座位数息170回、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。
深く大きく呼吸しながら、数を数え続けた。ひところ感じていた息苦しさがない。あれは、<コロナ>の後遺症だったのかな、と思ったりもした。
<雑念>も、背景に流れていたが、とくに、気を取られることはなかった。病気関連のことがおもで、脈絡なく、思い浮かんでいた。
150回目くらいで、腰回りの冷えが気になりだした。たくさん着込んで、コタツに入っている。ファンヒーターもつけているが、それでも、気温が低いので、じっとしていると冷えて来る。ちょっと座り直したり、両手をうしろに回して、背中や腰のあたりを、おもいっきり、さすったりした。そして、また、数を数え始めた。
170回目前後で、急に、眠気が出てきた。心地いい眠気だ。それと、端座位の保持が、やや大儀に感じられた。時間的に、もういいだろう。数息を終了した。ストップウォッチを見ると、45分くらいたっていた。
締めの心経は、始めの心経と同様に、声を、鼻に響かせるようにして読んだ。音域は、たしかに、広くなるが、高音になると、声のトーンが、やや<すっとんきょう>だ。重厚感に欠け、自分でも笑ってしまう。とはいえ、ノドへの負担は、確実に減っている。気持ちよく発語できる方法を、もう少し探ってみよう。
2025-11-22(土)朝の室温15度。
自宅瞑想、6:10-6:50、(椅子)端座位数息150回、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。
いちおう、数は数えていたが、<雑念>が優勢だった。
<雑念>は、<秩父巡礼行>の執筆のことから派生して、イメージが広がった。高校のバスケの大会で、<秩父農工>に負けたことがある。いま思えば、彼らは、ずいぶん遠くから来ていたのだ。あの頃は、県内には、高校は60校くらいしかなかった。いまは200校近くあり、50年たって、人口も二倍になった。
当時の高校を、鉄道の沿線別に思い浮かべた。主要な<市>には、必ず、工業高校と商業高校があった。それと、私立の高校は、男女ともに、数えるほどしかなかった。のどかな時代だった。
100回目前後で、この<雑念>も、しだいに薄くなり、少しぼうっとしてきた。脈絡のないイメージが、頭の中に、ふわふわ浮いている。記銘する気もなかったから、内容は思い出せない。
そのうち、端座位を続けることに、飽きてきた。あっさり、150回目で、数息を終了した。
そうじて、<瞑想>というよりは、ただ、目をつぶって、座っていただけだ。まあ、それでも、気持ちは平静で、心が穏やかだった。一日の始まりとしては、まずまずだ。<よし>としよう。
2025-11-23(日)朝の室温、15度。
自宅瞑想、6:10-6:50、(椅子)端座位数息180回、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。
前半は、<雑念>が優勢だった。おもに、演劇関連のことで、イヤな思いをさせられたAKという人物が思い浮かんできた。年は同じだったが、あなどられ、馬鹿にされたことが、いまだに忘れられない。思い出すたびに、頭にくる。
とはいえ、後半になり、こうした<雑念>も消え去って、150回目前後には、目の前の暗い空間にイメージが出てきた。海だ!瞬間的ではなく、かなり長い間見えていた。
そのあと、少し眠くなってきた。端座位の保持も、やや大儀だ。180回目で、数息を終了した。
締めの心経を読み終え、ゆるゆると、ストレッチを始めた。と、なぜか、高校のバスケ部の同級生だったKT君を思い出した。自分より背が低くて、地味で寡黙な奴だった。ほとんど話したこともなかったが、三年間、ほぼ一度も休まずに練習に参加していた。のちに、<東工大>に行ったと誰かに聞いた。その後、どんな人生を送ったのだろう?あるいは、もう、この世の人ではないかも知れない。
ひょんな拍子に、何十年も前に出会った人間の表情や姿が、まざまざと、思い浮かんでくる。人生の黄昏時に、誰しもが経験することなのだろうか?ほんとうに、もうすぐ、この世とも、おさらばだ。
2025-11-24(日)朝の室温15度。
自宅瞑想、6:05-6:45、(椅子)端座位数息180回、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。
はじめは、今後の創作活動に関する<雑念>が出ていた。そのうち、ふと気づいて、意識して、数を数え続けた。
数を数えながら座っている。無為だ。世のため、人のためになるとは、とうてい思えない。とはいえ、<自分>のためにはなっている。これまで気づかなかったことや、思ってもみなかったことを教えてくれる。潜在意識が、活性化する。それに、心がやすまる。安心だ。
170回前後になると、かなり、ぼうっとしてきた。意識が、とろけそうだ。数を数えることも忘れている。眠りこみたい。これ以上は無理だろう。180回目で、数息を終了した。
そうそう、朝方、刺激的な夢を見た。久しぶりに、記述してみよう。
駅の改札口。窓口には寄らないで、券売機で切符を買う。最寄りの駅まで¥300だ。百円玉を入れていると、そのうちのひとつが、下へ落ちる。かがんで拾おうとする。と、大学生のような青年が隣にくる。機械にお金を入れている。あっ、まだ途中なんだ、と声をかける。青年は頓着せず、大丈夫です、大丈夫ですと言っている。見ると、切符が二枚、出てきた。一枚は<立川>行きだ。すでに、青年の姿はない。この切符で<キセル>ができなと思う。でも、方向が全然違う。駅の構内歩きながら、切符を捨てる。
プラットホームに上がる。どうやら<上野駅>らしい。案内板を見て、自分の乗る電車をたしかめる。いまいるホームではないようだ。が、そこに、電車が入ってくる。つい、乗り込んでしまう。窓際の席に座る。窓に、汚い網戸がついている。開けたり閉めたりする。
灰色のジャケットを着た若造が、隣の席にくる。背中を向けている。自分との間に、バッグを置いている。と、場面が急転して、そばで、男女が絡み合っている。筋肉質の、てかてかの肉体だ。車内を見回すと、大勢の男女が、素っ裸で乱交している。それならばと、自分も、男と絡み合っている女の下半身をまさぐる。卑猥で、グロテスクな女陰を見て、興奮している。
これは、明らかに、最近見たAVビデオの影響だ。とはいえ、いやらしい夢を見てしまった、というような嫌悪感も、罪悪感もなかった。むしろ、自分が抑圧している背徳的な欲望が、夢の中でイメージ化されて、その情動が、多少なりとも、解放されたような気がした。これも、一種の<ホメオスタシス>なのだろう。
高齢者の性欲など、思ってもみなかったことだ。自分自身のことではあるが、我ながら、あきれてしまう。
2025-11-25(火)曇り、朝の室温16度。
自宅瞑想、7:20-8:00、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチ20分、メモ書き。
前半は、病気関連と演劇関連の<雑念>が出ていた。間近に迫った<大腸ポリープ切除手術>や、来年早々の<カテーテル手術>、それと、D劇団の故IN君のことが、思い浮かんでいた。
後半になると、体感に注意が向かった。とくに、手のひらと足の裏だ。ジーンとして、重くなっている。毛細血管が広がって、末端まで、血流がよくなっているのだ。体にいいことをやっていると思った。
200回を数え終えた。端座位が大儀でもなく、<飽き>も来なかった。そのあとの、締めの心経では、新機軸も出てきた。
目を開けて、目の前のパソコンの黒い画面を見ると、自分の上半身が、うっすら写っている。それを見ながら、読誦した。まさに、自分で自分に語りかけている。
ここのところ、活舌をよくするために、唇を、大きく動かすようにしている。とくに、<む>という語を発語するときには、意識的に、口をすぼめるようにしている。したがって、必要以上に、口をとんがらかしているように見える。あまりきれいな表情とは言えない。むしろ、滑稽ですらある。
前にも書いたが、262文字の般若心経の中で、<無=む>という語は21回も出てくる。一番重要な語、と言ってもいい。それを、はっきり、しっかり発語するためには、表情の見栄えなど、二の次だろう。とはいうものの、もう少し、普通の表情で発語できないものか、と思ったりもする。
唇の動きは最小限にして、しっかり、はっきり発語する。これが、目標だ。意識して、練習してみよう。
2025-11-26(水)晴れ。
<秩父巡礼行5>のため、朝の数息は中止。
2025-11-27(木)晴れ、朝の室温14度。
自宅瞑想、7:10-7:40、(椅子)端座位数息120回、般若心経2回、ストレッチ10分、メモ書き.
<雑念>が優勢だった。おもに、プライムビデオで見ている、アメリカのTVドラマ<24>の、場面や登場人物の顔などが思い浮かんでいた。展開が早く、意外性があり、見ていてハラハラドキドキする。1話、45分くらいだが、ワンエピソードが24話もある。いまは、第4エピソードを見ている。
あの、衝撃的な<アメリカ同時多発テロ事件>後の番組で、架空の<テロ対策チーム>の活躍が描かれている。世界的に大人気になったようだが、当時は、まったく知らなかった。ちなみに、主役の<ジャック>は、<キーファー・サザーランド>で、名優<ドナルド・サザーランド>の息子だ。やはり、どことなく似ている。
それと、あと、少し息苦しい感じがしてきた。ファンヒーターをつけているから、そのせいかもしれない。だが、同時に、狭心症の症状かもしれない、と不安になった。
100回目が過ぎると、倦怠感がひどく、眠気を感じた。数を数えることができなくなり、そのうち、我を忘れて、ウトウトっとした。120回目で、数息を終了した。
締めの心経は、しっかり読めたが、そのあとのストレッチは、まったくやる気が出なかった。体を動かすのが大儀だ。倦怠感と眠気がひどく、心、ここにあらずといった状態だった。昨晩、かなり持続的に頭痛がしていた。熱はないが、少し風邪気味なのかもしれない。
2025-11-28(金)晴れ。朝の室温15度。
自宅瞑想、6:40-7:25、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。
はじめから終わりまで、ほぼ不動の姿勢で、数を数え続けた。<雑念>も出ていたが、断片的で、一瞬、注意がそちらに向かうものの、数を失念することはなかった。
<雑念>で、おぼえているのは、若いころ、JKさんが、自分のバイト先にきて、目の前のカウンター席に座り、<あなたがSKさんでしょう>と声をかけてきた場面だ。あれが、彼女との最初の出会いだった。
あとは、朝方見た夢だ。<アメ横>のような感じの場所で、店先に吊るされている<コート>を試着している。<L>サイズを着て、姿見を見る。少し大きいような気もする。<M>サイズを、試着してみようかと思うが、店員に言いだすことができない。
お袋と、大きな、高級レストランに来ている。人が大勢いて、テーブルには、御馳走が並んでいる。自分たちは金持ちだし、お袋は、上機嫌で、華やいで見える。
100回目をすぎても、端座位の保持が、まったく大儀ではない。昨日感じた息苦しさも倦怠感も眠気もない。<ファンヒーター>や<狭心症>のせいではなく、<コロナの後遺症>なのかもしれないと思った。
200回を数え終えた。深く大きく、数を数えることが、心地よかった。息を吐くたびに、気持ちが静まって行く。久しぶりに、充足した時間だった。
2025-11-29(土)晴れ、朝の室温15度。
自宅瞑想、6:10-6:45、(椅子)端座位数息170回、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。
いちおう、数は数えているが、どこか、集中しきれていない。<雑念>も出ているが、断片的で、脈絡がない。日常生活関連のことや、病気関連のことが、浮かんでは消え、消えては浮かんでいた。
100回目をすぎると、端座位の保持が、窮屈になってきた。さらに、170回目前後には、眠気が出てきた。体がだるく、ぼうっとしている。座り続けているのが、大儀だ。数息を終了した。
それでも、締めの心経は、始めの心経と同様に、目の前の、パソコンの黒い画面に映っている自分の顔を見ながら、しっかり読んだ。ただ、口の動き方が大きくて、見苦しい感じがする。
活舌をよくして、言葉をはっきり発語するには、唇や舌を、大きく動かすことが必要だ。だが、大きくすると、表情が汚くなる。
この<ジレンマ>を解決するには、むろん<練習>しかない。だが、いったい、何を<練習>するのか?もっと、具体的な課題を持つべきだ。そこで、思い浮かんだのが、<ゼロの状態>という概念だ。これは、余分な緊張を解除し、任意の体勢、姿勢に必要な緊張だけを保持する方法だ。
この<ゼロの状態>を、<発語>に援用できるかもしれないと思った。明瞭な発語が、最低限の口の動き方でなされればいいのだ。具体的な課題、方法としては、実際に発語されている<音>と、口の動かし方との、相関関係に、もっと注意を集中することだ。そして、発語されている<音>と口の動き方との、比例的な関係を、反比例的な関係として、とらえなおして,調整していくしかないだろう。
2025-11-30(日)朝の室温14度。
自宅瞑想、6:10-6:50、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、ストレッチ15分、メモ書き。
はじめは、深く大きく呼吸しながら、しっかり、数を数えた。だが、そのうちに、<雑念>が散発しはじめた。脈絡もなく、どれもみな断片的だ。数を数えている、その合間に、<雑念>のイメージを瞬間的に見ている、といった感じだった。
100回目をすぎ、はやくも、<飽き>が来た。とはいえ、中断するには、早すぎる。あと50回やろうと思った。
150回目を数え終えると、飽きた感じは消え去り、手のひら、足の裏に注意が向かった。ややジーンとして、重くなっている。とくに、足裏に重みを感じたことに、気をよくした。リラックスしているのだ。さらにそのまま、50回数えて、ノルマの200回を数え終えた。
締めの心経は、目を閉じて、自分の声に注意を向けた。一語、一語、しっかり、はっきりした発語を心がけた。おのずと、気持ちの入った読誦となった。
千葉県 犬吠埼灯台
