帰る場所がなかった私と、祖母の団地
「ぴよぴよぴよ」
私の朝は鳥のさえずりから始まります。
近所に住む野鳥の声ではなく、目覚まし時計です。
朝起きるのが苦手な私は、「ジリリリッ」や「ピピピピッ」といった電子音が好きになれませんでした。
鳥のさえずりを目覚まし音にしてから、穏やかな目覚めとまではいきませんが、ほんの少しだけ、お布団から出やすくなりました。
畳の部屋からふすまを開けて、洗面所で顔を洗い、台所に向かいます。
そこには朝食が並んでいます。ヨーグルト、トースト、バナナ。
用意してくれたのは、鉄瓶で沸かした白湯を飲みながら、のんびり過ごす祖母です。
私は団地で祖母とふたり暮らしをしています。
2つのことを同時に行うのが苦手な私は、黙って食事をします。
祖母もわかってくれているので、食卓は静かです。
私たちの住む団地は、築50年を超えていて、建て替えも検討されているそうです。
新しく入居を募集していないので、少しずつ人が減っています。
静かな団地の、静かな食卓。
外の世界は慌ただしく動いているけれど、ここはとてもゆったり時間が流れているようで、それが私にとってちょうどいい朝です。
よくない朝もあります。
私には朝起きたとき、今日はダメだってなる日があります。
それはほとんど平日で、きっと仕事に行くのがいやなのでしょう。
でもたまに、休日の朝に、ダメだってなる日がきます。この日もそうでした。
目は覚めているのに、布団から出たくない。出れない。
布団の中でスマホをぼんやり眺めて、時間だけが過ぎていく。
スマホを触って、いつの間にか寝ていて、またスマホを触って、気づけばお昼近くなっていました。
朝から何も食べてないのに、お腹も空いている気がするのに、食べる気力も、あまりありません。
祖母は私にはこんな日があることを知ってくれているから、何も言わずにそっとしてくれます。
トイレに行こうと部屋から出たとき、祖母が声をかけてくれました。
「せなちゃん、おにぎり握ったから、一口でもいいから食べてみる?」
テーブルの上にあったのは、四角い竹ザルと、その上に乗った三角のおにぎりでした。
白いごはんと、その下の落ち着いた色の竹ザル。
それを見ていたら、不思議と「一口なら食べられるかも」と思えました。
一口食べてみると、おにぎりがふっくらしています。
いつ作ってくれたのかわからないけど、私が今まで食べたおにぎりと違っていて、どこを食べても、やわらかくて、少し空気を含んでいる感じが不思議で、何口も食べていると、中からおかかが出てきて、それも美味しくて、いつの間にか1個食べ終わっていました。
これはあとから知ったのですが、ご飯はいつもどおりのお米で、竹ザルの影響だそうです。
食べ終わったあと、私はいつものように洗い物をしました。
「それ水洗いでいいからね」
祖母の言うまま、竹ザルを水洗いだけして、洗い物のカゴに置きました。
時間が少し経っても、美味しく食べられるように。洗い物をするときに、軽いように。水洗いだけで済むように。
祖母は、どこまで先回りしてくれているのだろう。
子どもの頃からおばあちゃん子だったわけでもなく、昔から一緒に暮らしていたわけでもありません。
5年前、祖父が亡くなって、祖母はひとり暮らしになりました。
その頃、高校生だった私は就職を控えていました。
兄は遠方で暮らしていて、母は重度の精神疾患でグループホームの入居が決まっており、父とは小学生のときに別れたきり、会っていません。
私は就職と同時に、一人でワンルームに住んでいました。
働き始めてしばらくして、うつ病で休職し、そのまま退職することになり、途方にくれました。
帰る実家がなかったからです。
あのころのことは、あまり覚えていません。
休職中は無気力で、スーパーで値引きシールが貼ってあるおにぎりとか、おかずパンとか、適当に買ったものをそのまま食べていました。誰かと家でごはんを食べることも、ずっとありませんでした。
そんなとき、祖母が連絡をくれました。
「ちゃんと食べてる?ご飯作ったから食べにおいで」
そこから、週に1〜2回、祖母の家で夕飯を食べるようになりました。
使い込まれたフライパンで焼いたハンバーグや野菜とか、少し重たいお茶碗によそわれたごはんとか。
ちゃんと食べていなかった私にとって、祖母のごはんはあたたかくて、大げさではなくこれまで食べたどんな料理よりも美味しかったです。
「おじいちゃんが亡くなって、一人だったから」
と祖母は言って、少しうれしそうでした。私はそれに甘えていました。
結局私は復職はできず、そのまま退職しました。
傷病手当や失業保険に助けていただき、事務のパートの仕事につくことができましたが、それだけでは一人暮らしが続けられませんでした。
どうしようもなくなって、祖母にその話をしました。
たぶん私は、「ここに住む?」と言ってもらえるのを期待していたのだと思います。
祖母は少し間を置いてから、こう言ってくれました。
「一人じゃ広いし、部屋も余ってるし、ここ住む?」
こうして1年前、祖母との生活が始まりました。
週に1〜2回だった手作りの夕食が、毎日になりました。
洗い物を終えた私が共用の部屋に戻ると、祖母の本が置いてありました。
「うつ病のごはん」
私はドキッとして、本を手に取りました。
勝手に見るのはいけないことかもしれませんが、祖母が私の病気の本を持っていることを知って、動揺し、見ずにはいられませんでした。
付箋が2ヵ所貼られていて、そのページには、こう書かれていました。
大豆製品、乳製品、バナナ、青魚、豚肉、海藻類、葉物野菜
私は本を閉じて、元の場所に戻しました。自室に戻りました。
ドキドキする。
もしかして祖母は、私の病気のことを考えて、料理をしてくれている?
いつからだろう。
一緒に暮らし始めてからだ。
休職中、祖母の家に夕食を食べに行っていた頃は、ハンバーグとか唐揚げを作ってくれていました。
一緒に暮らし始めてからは、食卓には焼き魚や納豆やお味噌汁が並ぶようになりました。
私の病気に良い食事を作ってくれるようになっていたのです。
引っ越しが決まったときに、診察についてきたことがありました。
あのとき主治医に相談したのかもしれません。
頭の中がぐるぐる回って、考えがまとまりません。
まとまらないけど、強くこう思いました。
うれしい。
これが素直な気持ちで、目に涙がたまってきて、私は声を出して泣いてしまいました。
「せなちゃん、いいかな?」
いつの間にかお風呂から出た祖母が、泣いている私に気付いたのか、ふすまの向こうから声をかけてくれます。
私はふすまを開けても、まだ泣き止むことができなくて、祖母の手を握って、大泣きしました。
(いつも、ありがとう。)
泣きすぎて、上手く言えてなかったけど、祖母は私が泣き止むまで、手を握り返してくれました。
泣き止んで顔を上げると、祖母も目が赤くなっていました。
なんだかおかしくて、ふたりで少し笑いました。
最近体調が良くなっている気がします。
朝起きるのが辛くない日があったり、体調を崩しても回復しやすくなったり。
お薬がよく効いたり、私が無理をしていないからだと思っていました。
「私の病気はお薬をきちんと飲んで、無理をしないでいれば大丈夫」
全部、私だけのことだと思っていました。
でも、祖母は自分にできることをして私を助けてくれていました。
私は一人で病気に向き合うのではなく、家族と向き合っていたのです。
気づくのが遅すぎて、自己嫌悪にもなりました。
恩返しがしたいけど、今の自分には難しい。
どうしていいかわからないから、今はこれまでどおり、美味しく全部食べようと思います。
今日も台所からトントントンと包丁とまな板の音が聞こえてきて、いいにおいがしてきます。
畳の部屋からふすまを開けて、洗面所で手を洗い、台所に向かいます。
そこには作り立てのあたたかい夕食が並んでいます。
外の世界は慌ただしく動いているけれど、私はこの静かな団地の静かな食卓で、祖母と一緒に、ゆっくりと過ごしています。
それが今の私にとって、ちょうどいい日常です。

