テロの実行者に名前を与えるな ── 係争中の殺人事件を商業映画にすることへの抗議
2022年7月8日、参議院選挙の最中に、街頭で演説していた安倍晋三元首相が手製の銃で撃たれ、殺されました。戦後初めて、首相経験者が殺害された事件です。
その男を主役にした映画が作られる、と報じられました。2026年9月2日のことです。人気俳優が演じ、全国公開が想定され、興行収入は実写映画の歴代1位に迫るかもしれない、と業界関係者が語っているそうです。
裁判は、まだ終わっていません。無期懲役の判決に弁護側が控訴し、審理は大阪高裁にあります。その最中に、殺した側を主役の椅子に座らせようというのです。私は、この企画に強く抗議します。
この企画には、まだ正式な発表が何ひとつありません。監督も制作会社も名乗っていない。いま行われているのは、世間がこれを許すかどうかを測る作業だろうと私は見ています。
おそらく、この犯人の擁護派は、表現の自由という言葉を持ち出してくるのでしょう。私は上映を止めろとも、法で縛れとも言いません。しかし、批判は検閲ではありませんし、作る自由と、作った結果を引き受けない自由とは別のものです。表現の自由は、批判されない自由ではありません。この企画が実行されるなら、社会は相応の代償を払うことになります。
なお私は、この事件に無期懲役では軽いと考えています。ただし本稿はその主張のための文章ではないので、ここで使うのは、刑が確定していないという事実だけです。
第1章 報道の中身と、確かめられる範囲
報じられた内容
出所は、2026年9月2日に配信された東スポWEBの記事です(注1)。エンタメ面に掲載されました。書かれている内容を整理します。
事件を題材にした映画製作が、極秘プロジェクトとして進行している
映画界の有名監督が、この事件について「後世に残さなければならない」として動き出した。ヒット作を持つ作り手である
今秋のクランクインを予定している
内容は「ニュース報道をなぞりながら、事件前後の山上被告に迫り、逮捕、勾留を経て裁判に臨むまでの様子が描かれる」(制作会社ディレクターの話)
「政治色の強いものにはならないとみられます」(同)
山上被告役は人気俳優が務めるとの情報がある。髪を伸ばしているのは役作りとされる(映画関係者の話)
事件を伝えるマスコミ関係者の役もあり、「報道目線で描かれる」(芸能プロ関係者の話)
実写映画で歴代1位の興行収入を記録した作品と関係の深い会社も関わっている。興行成績がそれに迫る可能性を見る業界関係者が少なくない
俳優の所属事務所に問い合わせたが、期日までに回答はなかった
媒体の数と、根拠の数
この報道を受けて、翌3日までに夕刊フジ系のzakzak、SmartFLASH、週刊女性PRIMEが追随しました。台湾や中国のメディアも報じています。zakzakは「危険な偶像視」という見出しを立てています。
ただし、ここは注意が必要です。追随した各社は、いずれも最初の記事を引く形で書いています。独自に裏を取り直した形跡は、私が確認した限りありません。監督の名前は出ておらず、制作会社も明かされておらず、証言者はすべて匿名で、所属事務所は回答していません。
報じた媒体の数が増えたことと、事実が確かめられたことは、別のことです。10社が同じ一本を引けば、読む側には10の根拠があるように見えますが、実際には1つのままです。この記事は報道の作られ方を扱う記事ですから、まず自分がその落とし穴を避けておきます。
だから私は、この企画を確定した事実としては書きません。書くのは、報じられた内容が事実であるなら何が起きるのかです。
引き返せる形での観測
この報道には、奇妙な特徴があります。確かめられる情報が、ひとつも入っていないのです。
監督の名前も、制作会社も、配給会社も、題名も出ていません。クランクインの時期は「今秋」とあるだけです。極秘プロジェクトだと書かれている一方で、証言者は制作会社ディレクター、映画関係者、芸能プロ関係者の三人にのぼります。本当に極秘であれば、これだけの人数が気持ちよく喋ることはないはずです。
検証できるものだけが抜け落ちて、反応を呼ぶ材料だけが残っています。事件、人気俳優、全国公開、そして興行収入が実写映画の歴代1位に迫るかもしれないという見立て。この配分は、偶然にしては整いすぎています。
そのうえ、誰も名乗っていません。名乗っていない者には、撤回する必要が生じません。正式発表をしなければ、企画は最初から存在しなかったことになります。俳優の側も、オファーを受けたとも断ったとも表明しておらず、事務所は取材に回答せず、否定も出ていません。事実無根であれば否定は一行で済むのに、それが出てこないのです。
つまり、この企画は、いつでも引き返せる形のまま、反応だけを取っている状態にあります。批判の量に耐えられるかを測っている最中で、耐えられそうなら進め、耐えられなければ話は無かったことにする。そう読むと、確かめられる情報が一つも入っていないことも、極秘だと書きながら証言者が三人いることも、興行収入の話が同じ記事に入っていることも、すべて説明がつきます。
私にはそう見えます。
沈黙の扱われ方
この読みが正しければ、いま測られているのは私たちの反応ということになります。反対の声が小さければ耐えられると判断され、大きければ引き返す。そして黙っている人は反対には数えられず、耐えられるという側に計上されてしまいます。
作品ができてから批判しても遅い、という話ではありません。判断はすでに下されつつあり、こちらの声が届く時期は今しかない、ということです。
第2章 判決の認定
抗議の土台になるのは、判決です。ここは推測の余地がありません。
判決の内容
2026年1月21日、奈良地方裁判所(田中伸一裁判長)の裁判員裁判は、山上徹也被告に対し、求刑通りの無期懲役を言い渡しました(注2)。問われた罪名は、殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反、武器等製造法違反、火薬類取締法違反、建造物損壊の5つで、起訴内容はすべて有罪と認定されました(注3)。
判決は、犯行を「卑劣で極めて悪質」と表現しました。悪質さについては、銃による他の殺人事件と比べても「著しい」としています。
判決要旨には、被告が2020年12月頃から2022年7月8日頃までの間に手製の3銃身パイプ銃など6丁を製造し、2021年2月27日頃から2022年3月頃までの間に黒色火薬約2251グラムを製造したことが記されています(注3)。1年半をかけた準備であり、衝動的な犯行ではありません。
この日、一般傍聴用の31席に685人が並びました。倍率は20倍を超えています(注2)。
生い立ちについての判断
この裁判の主な争点は、量刑でした。検察は無期懲役を求刑し、弁護側は「最長で懲役20年にとどめるべきだ」と主張していました(注4)。
争点の中心は、被告の生い立ちを情状としてどこまで考慮するかでした。そして、法廷が出した結論はこうです。
検察は論告で、次のように述べています。被告の生い立ちに不遇な面があったのは否定できない。しかし被告は善悪を判断できる社会人として過ごしてきた。生い立ちと安倍氏は関係がなく、犯行に与えた影響は極めて限定的である(注4)。
判決は、生い立ちについて「不遇な側面が大きい」と認めました。そのうえで、「殺人に至るには大きな飛躍がある」として情状酌量を認めませんでした(注5)。さらに「不遇な生い立ちは犯行に大きく影響しておらず、酌むべき余地も大きくない」と述べています。
つまり、教団への恨みと家庭の崩壊が、元首相の殺害を説明する、という筋書きは、法廷で正面から退けられています。生い立ちから殺人までの間には、大きな飛躍がある。裁判所はそう書きました。
未確定の刑
2026年2月4日、弁護側は無期懲役判決を不服として大阪高等裁判所に控訴しました(注6)。控訴審では、生い立ちが事件に与えた影響と、手製銃の法律上の位置づけが、改めて争点になる見通しです。
2026年9月の時点で、控訴審の期日が報じられた形跡はありません。いつ始まるかすぐには分からない、という2月時点の弁護人の説明以降、新しい情報は確認できていません。
この事件は、まだ終わっていません。いま争われているのは、量刑です。
第3章 素材としての報道
見出しの集計
私は2025年11月、この事件の公判報道について、テレビ各局の見出しを集めて数える記事を書きました(注7)。第7回公判までを対象に、抜き出せた分だけを分類したものです。
結果はこうでした。
加害者および加害者家族に関する見出しが、約70件。全体の95%以上
被害者に関する見出しは、2件から3件。3%から4%
検察側の主張や法的な観点に関する見出しは、1件から2件。1%から3%
局ごとに見ると、読売テレビ、TBS、カンテレ、ANNの4社で、検察側の観点が報じられた割合は0%でした。同じ期間に、日テレNEWSだけが22.2%を報じています。
つまり、この偏りは避けられなかったものではなく、選択の結果です。同じ法廷を取材しながら、片方は検察側の主張を伝え、片方は一件も伝えなかったわけで、編集方針の違いがそのまま出ています。
見出しの中身を並べると、何が選ばれたかが見えます。母親の「私が加害者」。妹の「つらかった、死にたかった」。「2人で児童養護施設に行けばよかった」。「徹也は根は悪い人間じゃない」。「子どもたちの将来より献金」。
一方で、安倍昭恵夫人が法廷に提出した上申書に触れた見出しは、私が集めた範囲では日テレの1件のみでした。
素材の中身
ここで第1章に戻ります。報じられている制作方針は、「ニュース報道をなぞりながら、事件前後の山上被告に迫り、逮捕、勾留を経て裁判に臨むまでの様子が描かれる」というものでした。
素材が偏っていれば、なぞった結果も偏ります。これは作り手の思想とは関係がなく、材料をそのまま使えば材料の形がそのまま出てくる、というだけのことです。
問題は、その材料が何であったかです。第2章で見たとおり、法廷は、生い立ちから殺人への道筋には大きな飛躍があると認定しました。ところが報道は、その飛躍を埋めるような証言ばかりを2年以上にわたって流し続けてきました。母親の涙、妹の告白、家庭の崩壊、献金、宗教2世。
報道をなぞることと、判決をなぞることは、この事件では別のことになります。報道をなぞれば、法廷が退けた筋書きを、そのまま映像にすることになるからです。
判決の認定と、報じられた制作方針と、私が数えた見出しの分布。この3つを並べれば、どういう作品ができ上がるかは見えています。
画面に入る報道
報じられているところによれば、この映画には事件を伝えるマスコミ関係者の役もあり、「報道目線で描かれる」とされています。
これは無視できない点です。報道が作り上げた物語を、映画が引き受けようとしています。作った側が、作ったものの中に自分を配置するわけです。そして観客は、報道記者の視線を借りて事件を見ることになります。
その視線が、この2年半、何を映し何を映さなかったかは、上に書いたとおりです。
第4章 政治色を抜いた後の残り
報道の中に、気になる一文があります。「政治色の強いものにはならないとみられます」。
一見すると、穏当な配慮に読めます。政治的な主張を持ち込まずに中立に描く、という意味に受け取る人もいるでしょう。
しかし、この事件から政治を抜くと、何が残るでしょうか。残るのは、不遇な生い立ちの男が、絶望の果てに行動を起こしたという個人の物語だけです。
抜け落ちるものを数えてみます。参議院選挙の最中だったこと。街頭で演説していた元首相が撃たれたこと。言論を暴力で封じる行為であったこと。それが選挙という手続きそのものへの攻撃であったこと。戦後初めて首相経験者が殺害された事件であったこと。
これらはすべて、政治に属します。政治色を抜くとは、これらを抜くということです。
抜いた後に残るのは、加害者の内面と家族の事情だけです。つまり、政治色を抜くことは中立化ではなく、動機の物語だけを画面に残す操作になります。
第5章 主役という位置
映画には、小説や記事にはない性質があります。誰を主役に置くかで、観客の感情の向かう先が決まってしまうことです。
観客は、画面に長く映っている人物の事情を知り、その人物の目で世界を見ることになります。悩みを聞き、家族を知り、追い詰められていく過程に二時間付き合わされれば、その人物が何をしようと、観客はその人物の側から事件を眺めるようになる。作り手の善意とは関係なく、形式そのものがそう働きます。
報じられている企画の主役は、山上被告です。「事件前後の山上被告に迫り、逮捕、勾留を経て裁判に臨むまでの様子が描かれる」とされています。
では、安倍晋三元首相は、この映画の中で何になるのでしょうか。
主人公の物語の中で、事件という場面に登場する人物です。それ以上にはなりません。カメラは元首相の家に帰りませんし、元首相の朝食も、元首相の悩みも追いません。
そして、人気俳優が演じるなら、その人物には顔と声が付きます。表情や間や目線が加わり、観客はその顔を通して事件を記憶することになります。
記録と商品
報道によれば、この企画は「後世に残さなければならない」という思いから始まったとされています。
記録なら、すでにあります。公判記録は残り、判決要旨は公開され、取材にもとづく書籍も出版されています。
しかし、同じ記事の中に、こうも書かれています。実写映画で歴代1位の興行収入を記録した作品と関係の深い会社が関わっており、興行成績がそれに迫る可能性を見る業界関係者が少なくない、というのです。
記録として残すことと、興行収入を期待される商品として売り出すことは、別のことです。同じ記事の中に両方が書かれている以上、後者を無視して前者だけを受け取ることはできません。
記録が目的なら、記録の方法があります。人気俳優を主演に据えて全国公開するのは、記録の方法ではありません。
第6章 英雄視の現状
ここまでは、企画が実行された場合の話でした。ここからは、すでに起きていることの話です。
差し入れと署名
事件から2か月後の2022年9月、山上容疑者(当時)のもとに、全国から100万円を超える現金が差し入れられていることが報じられました(注8)。衣類、食料品、漫画本も届き、収容しきれず一部は弁護人を通じて親族宅に届けられたといいます。当時から識者は「事件の正当化につながりかねない」と警告していました。
2023年1月13日には、市民グループが減刑を求める署名およそ1万1100筆を検察庁などに提出しています(注9)。理由として挙げられたのは、過酷な生育歴を考えての温情、そして本人が真面目で努力家であり更生の余地があること、でした。
前作の公開日
2022年、山上被告をモチーフにした映画「REVOLUTION+1」(足立正生監督)が製作され、安倍元首相の国葬に合わせて公開されました。上映はミニシアターが中心で、全国規模のシネコンではありませんでした。
今回報じられている企画は、規模が違います。全国公開が想定されていると報じられています。
支える側の言葉
判決後、山上被告の伯父が日テレNNNに手記を寄せました(注5)。「木を見て森を見ない不出来な判決だ」としたうえで、事件後に教団へ解散命令が出されたことなどに触れ、次のように書いています。
本事件が社会的に評価されているのは、事件に触発され社会が大きく動いたという類を見ない事件だからだ
この伯父は、AERAの取材にも応じています(注10)。判決が安倍氏を「もとより何ら落ち度のない被害者」としたことについて、「裁判官の独自の感覚でしかありません」と述べ、「違法な判決です」としています。
事件が社会的に評価されている、という言葉です。そして、殺された側に落ち度がなかったとする判決は違法だ、という主張です。
英雄視は、これから起きるかもしれない何かではありません。すでに言葉になって、公の場に出ています。映画がその上に乗るかどうかを議論する以前に、乗るべき土台が組み上がっているということです。
面会者の証言
旧統一教会の問題を長く取材してきたジャーナリストの鈴木エイト氏は、今回の映画化報道に関連して、次のような見方を示しています(注1)。山上被告と複数回面会して感じることとして、動機は教団への復讐心だけではなく複合的であり、安倍元首相に対する個人的な感情や、ヒロイズムもある、と。
動機の中に英雄願望があると、面会を重ねた人物が言っているのです。その人物を主役にした映画を作るとは、どういうことか。求めていたものを、社会が差し出すということです。
第7章 減刑へ向かう空気
もしこの企画が、山上被告の罪を軽くする方向へ世論を動かそうとする動きの一部であるなら、何が起きるでしょうか。
「裁判員がいない」という反論
控訴審は大阪高裁で、職業裁判官が審理します。裁判員はいないのだから世論の影響は受けない、という反論があり得ます。
これは成り立ちません。理由を4つ挙げます。
第一に、裁判官も社会の中で暮らしています。量刑は、法だけで決まるものではありません。相場と、その時代の空気の中で決まります。量刑相場そのものが時代とともに動いてきたことが、その証拠です。裁判官が新聞もテレビも見ない存在だという前提は、誰も置いていないはずです。
第二に、高裁が原判決を破棄して差し戻せば、審理は裁判員裁判に戻り得ます。可能性は高くないとしても、ゼロではありません。
第三に、撮影が今秋なら公開は早くて2027年です。控訴審、場合によってはその先の手続きが進行している時期と重なります。加えて、無期懲役は仮釈放の可能性を含む刑です。将来の判断にも、社会の空気は届きます。
第四に、そして最も重い点ですが、狙われるのは個別の判決ではなく、減刑を求める社会の空気そのものです。空気は法廷の外で作られ、法廷の中に流れ込みます。個々の裁判官が誰の影響も受けないとしても、量刑相場が動けば、判断は動きます。
判断が動いた実例
これは抽象的な懸念ではなく、実例があります。
2023年4月15日、和歌山県で岸田文雄首相(当時)の演説会場に爆発物が投げ込まれた事件がありました。2025年2月19日、和歌山地裁は木村隆二被告に懲役10年を言い渡しています。求刑は懲役15年でした(注11)。
注目すべきは、判決後に報じられた裁判員の言葉です。自営業の50代男性は、裁判員に選ばれるまで、この事件をテロ行為だと感じていました。ところが審理が進むなかで被告の生い立ちなど背景を知り、考え方が変わったと述べています。60代の女性は「被告の将来について考えた」と語り、償った後に社会復帰できることを願うと話しています。
背景の物語が、量刑の判断を動かしたわけです。これは推測ではなく、報じられた事実です。
法廷の中で背景を知っただけで、これだけ変わります。全国公開の映画で、人気俳優の顔と声を通して二時間の背景を見せられたら、何が起きるでしょうか。
想定されるリスク
仮に、この企画が意図の有無を問わず実行された場合、次のようなことが起こり得ます。
判決が退けた「生い立ちが事件を生んだ」という筋書きが、映像として社会に定着する
控訴審およびその後の手続きが進行している時期に、被告に同情的な空気が全国規模で形成される
要人を狙った暴力事件についての量刑相場が、実質的に引き下げ方向の圧力を受ける
事件が「社会を動かした行為」として記憶され、目的のための暴力が結果によって正当化される前例になる
同種の行為を考える人間に対して、名前と顔が残るという見返りを示すことになる
いずれも、公開されてから修正することはできません。だから、事前に言います。
私の読み取り
私には、これが、オールドメディアが繰り返してきた世論の誘導の一つの形に見えます。事件直後から公判に至るまで、加害者と加害者家族の物語に報道を集中させ、被害者と検察側の主張はほとんど流しませんでした。その積み重ねが素材となり、今度は「ニュース報道をなぞる」映画になろうとしており、報道自身が登場人物として画面に入ろうとしています。
そう見られたくないのであれば、方法はあります。検察側の主張と遺族の言葉を、これまで加害者側の証言に割いてきたのと同じ量だけ流せばよいだけのことです。
第8章 一度たどった順序
英雄視がテロを呼ぶという話には、この国自身の経験があります。
1921年
1921年9月、朝日平吾が実業家の安田善次郎を刺殺し、その場で自決しました。この人物は、世間で英雄視されました。
その2か月後の同年11月、原敬首相が東京駅で刺殺されます。実行犯の中岡艮一は、先の事件に刺激を受けたと言われています。
1932年から1936年へ
1932年5月15日、海軍青年将校らが首相官邸などを襲撃し、犬養毅首相を暗殺しました。五・一五事件です。
公判が始まると、被告への同情が広がりました。全国から100万を超える減刑の嘆願書が寄せられたと記録されています(注12)。裁判官の机の上に嘆願書が積み上がった当時の写真が残っており、中には血判を押したものもあったと伝えられます。当時のメディアは、将校たちの動機を美談として報じました。
判決は軽いものでした。首相を殺害したにもかかわらず、一人の被告にも死刑の言い渡しがありませんでした(注13)。
そして1936年に二・二六事件が起きます。五・一五事件の軽い判決がこの反乱を後押ししたと言われており、実際、反乱将校たちが投降後も量刑を楽観していたことは、磯部浅一の獄中日記からうかがえます(注14)。
繰り返された順序
因果関係については諸説あります。しかし、記録に残っている順序は動きません。動機に同情が集まり、嘆願が集まり、量刑が軽くなり、そして次が起きる。この流れの中で、メディアは常に同じ役割を果たしてきました。動機を美談として報じることです。
そして今、差し入れが100万円を超え、減刑署名が1万筆を超え、支える側は事件が社会的に評価されていると書き、報道は加害者側の証言を流し続け、全国公開の映画が計画されていると報じられています。
私たちは、同じ順序の途中にいます。
第9章 名前を与えない国
2019年3月15日、ニュージーランドのクライストチャーチで、モスクが襲撃され50人が殺害されました。
その4日後の3月19日、ジャシンダ・アーダーン首相は議会で演説しました(注15)。その中に、次の趣旨の言葉があります。
実行犯はテロ行為から多くのものを得ようとしたが、その一つは悪名だった。だから自分は彼の名を決して口にしない。彼はテロリストであり、犯罪者であり、過激主義者であるが、自分が語るときには名前を持たない存在である。皆にも求めたい、奪った男の名ではなく、失われた人々の名を語ってほしい。彼は悪名を求めたかもしれないが、この国は彼に何も与えない、名前さえも。
これが、一国の首相が国会の場で示した態度です。名前すら与えないという国がある一方で、こちらは顔と声を与えようとしています。それも、多くの人に愛されている俳優の顔と声を。
山上被告と複数回面会したジャーナリストは、動機の中にヒロイズムがあると述べていました。その男が求めていたものを、社会の側が差し出そうとしているわけです。私たちが語るべきなのは、奪った男の名前ではないはずです。
第10章 示されるべきこと
批判だけで終えるつもりはないので、示してほしいことを具体的に書きます。示されれば、検証が可能になります。
一つ。企画の存在と概要を、制作側が明らかにすること。現時点で表に出ているのは匿名の証言だけです。批判に晒されたくないから極秘にしているのだとすれば、その姿勢自体が、企画の性質を語っています。
二つ。遺族への事前の説明と同意の有無を明らかにすること。安倍昭恵夫人は、公判に上申書を提出し、被害者参加制度による意見陳述も行っています。結審した第15回公判では、代理人を通じて「被告には自分のしたことを正面から受け止め罪を償うことを求めます」と述べました(注16)。この意向を、制作側がどう扱ったのかを聞きたい。
三つ。誰の視点で描くのか、そして被害者と検察側の主張をどう扱うのかを、公表すること。第2章で見たとおり、検察は生い立ちと犯行の関係を極めて限定的と論告し、判決もそれを認めました。この認定を、作品はどう扱うのか。
四つ。判決が確定する前の公開を避けること。これは最低限の線だと考えます。
五つ。英雄視にならないと考える根拠を、作り手自身の言葉で示すこと。今のところ、示されているのは「後世に残さなければならない」という一言と、「政治色は強くない」という一言だけです。これは根拠ではありません。
以上は要望です。ここからは私の態度です。
この企画に関わる人たちを、私は軽蔑します。テロの実行者を主役の椅子に座らせ、それを商品にして金を稼ごうという判断を、理解するつもりはありません。
対象は、関わっていることが確認された人に限ります。名前を出された俳優は含みません。本人も事務所も、何も表明していないからです。
第11章 いま打てる手
第1章に書いたとおり、企画の側はいつでも引き返せる位置に身を置いています。ここに書くのは心構えではなく、判断が下される前にできることです。
声を上げる時期は、今です。公開されてからの批判は、興行収入という形で相手に利益を渡すだけです。話題になった作品ほど客が入るので、批判が宣伝になる構図に自分から入っていくことになる。制作が決まる前の反対だけが、純粋な反対として働きます。
沈黙は反対に数えられません。反応を測っている側から見れば、声を上げなかった人は耐えられる側に計上されます。不快に思っているだけでは集計に入らないので、書くなり投稿するなり、数として残る形にする必要があります。
声を上げる先を間違えないこと。批判が俳優個人に集中すると、企画そのものの是非がぼやけますし、個人への攻撃は企画にとって好都合な逃げ道になります。批判が過熱すれば、批判している側が異常だという話に転換できるからです。矛先は、企画と、それを動かしている側に向けます。
見ないという選択も意思表示になります。作られてしまえば、興行収入が唯一の通信簿になります。見に行くかどうかは、その一票です。
見出しを数える習慣を持つこと。私が前回やったのは、各局の見出しを並べて数えるという、それだけの作業でした。特別な技術は要りません。誰が何を選んだかは、並べれば見えます。この事件に限らず、使える方法です。
判決要旨に当たること。この事件については、判決の要旨が報じられ、公開されています。報道が伝える物語と、法廷が認定した事実を突き合わせれば、どこがずらされているかが分かります。
そして、名前を語る対象を選ぶこと。実行者の名前ではなく、奪われた人の名前を語ることです。アーダーン首相が求めたのは、それだけのことでした。
終章 主役の椅子
安倍晋三元首相を主役にした映画は、まだ一本もありません。通算在職日数3188日という歴代最長の首相であり、その死は国内にとどまらず世界各国でトップニュースとして伝えられ、国葬が営まれ、献花台には長い列ができました。それでも、この人物を主役に据えた作品は一本も作られていない。にもかかわらず、殺した側を主役にした作品が、全国公開の規模で計画されていると報じられています。
順序が逆です。私が抗議しているのは、この一点に尽きます。
裁判はまだ終わっておらず、刑も確定していません。その一審判決は、不遇な生い立ちから殺人に至るまでには大きな飛躍があると認定しました。ところが報道は、その飛躍を埋めるような証言を2年半にわたって流し続け、いまその報道をなぞる映画が作られようとしています。
作る自由はあるでしょう。その自由には、作った結果を引き受ける責任がついてきます。
テロの実行者に、名前を与えるな。顔を与えるな。声を与えるな。
私は、この企画に強く反対します。
出典
注1 東スポWEB「安倍晋三元首相銃撃事件が映画化へ 山上徹也被告役に『菅田将暉』か」2026年9月2日 https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/401586
注2 日本経済新聞「安倍晋三元首相銃撃事件、山上徹也被告に無期懲役 『卑劣で悪質』」2026年1月21日 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF204DE0Q6A120C2000000/
注3 弁護士ドットコムニュース「山上徹也の生い立ちは『不遇だが酌めない』 奈良地裁はなぜ無期懲役を選んだのか<判決詳報>」2026年1月21日 https://www.bengo4.com/c_1009/n_19904/
注4 日本経済新聞「安倍元首相銃撃事件、山上徹也被告に無期懲役を求刑 検察側」2025年12月18日 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF101PX0Q5A211C2000000/
注5 日テレNEWS NNN「“無期懲役”山上徹也被告の伯父が手記『不出来な判決』初めて思い語る」2026年1月
注6 日本経済新聞「安倍晋三元首相銃撃、山上徹也被告側が控訴 一審の無期判決に不服」2026年2月4日 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF041440U6A200C2000000/
注7 拙稿「安部元首相を殺害した山上徹也被告の事件・裁判報道をめぐる『物語の作られ方』──テレビ各局の見出しを比較したら分かったこと」2025年11月20日 https://note.com/senioranalyst_sn/n/nac83578fd696
注8 時事通信「山上容疑者に支援金100万円超 事件正当化に識者警鐘 安倍氏銃撃2カ月」2022年9月8日
注9 弁護士ドットコムニュース「『山上徹也さんにどうか寛大な処遇を』減刑求め、署名1万1000筆超を提出」2023年1月13日 https://www.bengo4.com/c_1009/n_15513/
注10 AERA DIGITAL「山上徹也被告が控訴 支え続ける伯父は『不遇な生い立ちは犯行に影響していない』という地裁判決に異議」2026年2月
注11 日本経済新聞「岸田文雄前首相襲撃、木村隆二被告に懲役10年判決 『未必的な殺意』認定」2025年2月19日 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF100XX0Q5A210C2000000/
注12 日本大百科全書「五・一五事件」(ジャパンナレッジ) https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=2143
注13 山本政雄「旧陸海軍軍法会議法の意義と司法権の独立 ── 五・一五及び二・二六事件裁判に見る同法の本質に関する一考察」防衛研究所紀要 https://www.nids.mod.go.jp/publication/senshi/pdf/200803/05.pdf
注14 「五・一五事件」(ウィキペディア日本語版)
注15 ニュージーランド外務貿易省「Prime Minister Jacinda Ardern's House Statement on Christchurch mosques terror attack」2019年3月19日 https://www.mfat.govt.nz/en/media-and-resources/prime-minister-jacinda-arderns-house-statement-on-christchurch-mosques-terror-attack
注16 日本経済新聞「安倍昭恵さん代理人『被告は罪を償って』 元首相銃撃公判で意見陳述」2025年12月18日 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF181E00Y5A211C2000000/
以上
