『見通しの良い人生』(図解版)・・・①複線時間を生きる
◼️はじめに・・・ここまでの経緯とこれからの見通し
こんにちは。この生活思創ラボも2023年4月から初めてましたから、おおよそ3年経ちました。(これを書いている今は、2026年の7月) ちょうど生成AIが普及し始めと頃がスタートでしたね。生活思創という名前もちょうど3年目ってことです。この「生活+思創=生活思創」っていう言葉は少しトリッキーな文字組みですよね。そもそもなんですかね、その思創って? 生活思創は、生活に焦点を当てて物事を深く探求してみようという意味合いなんですけど、私が造語にしたものです。思想っていう字だと、硬めで遊びが許されない感じがしたものですから。
ついでながら、この生活思創ラボの3年間に、思創と思想の違いとかも書いてみたので、そちらを見ていただくこともできます。造語といえども、五分の魂はあるのです。
なぜ、こんな活動をし始めたのか? きっかけについて触れておきます。この目新しい活動を続けているエネルギーがどこからきているのか、ちゃんと言葉にしておくのが賢明だろうと感じているからです。そうなのです。本人も生活思創が変な活動であることに自覚と自信があるのです。
生活思創ラボ。それまでの私のメインの仕事であるマーケティング・コンサルタントともかけ離れてます。ところが、実は、生活思創はマーケティングの仕事と陸続きなのです。ちょっと紐解いてみましょう。
まずは、私のマーケティング歴から。マーケティング・コンサルタントとなって25年です。その前は会社員生活の中で10年ぐらいマーケティングに関する仕事をしてきました。すると合計35年です。
マーケティングっていう単語は今や市民権を得てますが、仕事の実態はあまり知られてません。カタカナならではのイメージワードなところが未だにあります。たまに「なんかマーケティングしてるよね」って、ディスるときに使われている場面もよく見かけます。いや、得体の知れなさがあるのは、その通りだと思う。
マーケティングの仕事って、簡潔にいってしまうと、消費者の意識や行動を観察して、そこからビジネスの具体的な活動に繋げていくことです。消費者調査はその中心となります。つまり、観察です。
消費者調査ってデータを収集して分析するイメージがありますが、それはあくまでも定量調査っていう消費者調査の半分でしかありません。とても大事なのは、消費者に会うことです。生の人間にあって、その人物像を目の当たりにしながら、あれこれ質問したり、意見を聴きながら、消費者の意識を立体的に翻訳していきます。これが定性調査。これら定量と定性っていう2つの調査種類がお互いを補わせながら、消費者の意識や行動を観察して、ビジネスにとって意味のある情報を組み立てていくわけです。定量調査は数字、定性調査は言葉、雑に言わせてもらえるなら理系視点と文系視点の融合するところです。このバランスが肝の仕事なのです。
さて、こうやって20年以上も消費者に会うことを生業の一つにしてきたわけです。消費者の意識や行動を言葉にしていくと、とても本質的なところに行き着きます。商品を選ぶのは消費するためではなく、生活を充実させるためだということです。消費者の前に生活者なのです。アイスクリームであろうが、ビールであろうが、コスメであろうが、自分の生活の中で欲求が意味を持つのです。
さて、では生活者に行きつけば、話の決着くかというと、そんなことはなのです。その人の人生と繋がっているのです。
ある人はアイスクリームを選ぶ時、家族みんなの好みのものを代表して冷蔵庫にストックしておく。その人にとって、アイスクリームは豊かさのシンボルであり、常に好きなアイスクリームがあるという状態は、家族の和やかさを感じさせる。子供の頃は、家族がバラバラだった。豊かな生活って、高いものを買うことではなく、毎日の中にあるのではないかと思う。家族がアイスクリームを食べる瞬間を眺めると、なぜか嬉しい。
こんな話に行き着いたりします。ヒアリングしてて、こちらも感情移入しちゃうような時があるのです。「あるある、そんな生活」っていう感じから「そっかー、そういう人生の生い立ちとつながってるのかー」 とか。表向きは全て同じような消費行動をしていても、根っこにある人生への向き合い方は各自それぞれで、むしろ、全くと言っていいほど異なるのです。そらそうですよね。同じ人生を歩んでいる人は二人としていないのですから。

こうやって描いてみれば「一人の人生を語れるのはその人のみ」でしかないのですが、誰もがやっていることもあります。私たちは自分の生活と自分を取り巻く環境と折り合いをつけながら生きていることです。そして、この折り合いを重ねていく日々を人生と呼んでいるのです。
ですから、「人生はその人だけの固有なもの」で他人が語れるものではないはずです。でも、その一方で、その人の消費行動は消費者として、生活は生活者として、第三者がグルーピングもできてしまいます。「あなたの消費パターンは・・・タイプな人です」みたいな。氷山に例えると、消費者は生活者のある一面でしかなく、その生活者も人生という海の中に浮かぶ一つの氷山なのです。
私の話に戻すなら、私は20年以上もこういう現場に立ち会いながら、奥底にある人生の断片を垣間見てきたのです。「人って環境に応じて生活を編み直し、その編み直した生活に沿って生きているんだな」ということを、じんわりと感じてしまったのです。
さて、やっと生活思創の話に戻っていきます。
私が生活思創家を標榜しているのは、マーケティング・コンサルタントとであったが故なのです。もちろんそこには私自身の人生への探求も重なっています。自分の生活と環境の折り合いを付けていく日々を言葉や図表で可視化したいのです。それは実証でもなく、理論でもありません。人が生きるのに実証も理論も、少しは役に立ちますが、それほど意味をもちません。その場その場の生活と環境との折り合いの付け方ができる、つまり、「この生活が、より良い人生の一部に思える」なら、それでその時・その場は十分なのではないかと思っているのです。
消費者の先に生活者をみて、その先に人生を見るような仕事を長くしてきていると、その折り合いをつけるのが上手な人もいれば、折り合いがつけるのにいつも振り回されている人もいることを痛感します。お金持ちだとか、頭が良いとか、社会的に成功しているとかとは、どうも別次元にある生活習慣がありそうなのです。
ささいな日常のさりげない行動が、その人の人生にいつもつながっている。こういう人の話を聞いていていると、なぜか爽やかさを感じます。いや、穏やかさという言葉に近いかもしれない。だから、迷いもなければ、懸命さもない。そんな生き方の秘密がありそうなのです。私は、この折り合いのついた状態の探求を生活思創と呼んでいます。そして、折り合いとは「見通しの良い生活」であり、正しい生活とは異なるものらしいのです。
生活思創ラボの3年であーだこーだ試考したものが溜まってきました。「見通しの良い生活」というテーマに、その秘密を体系的に可視化してみたものが、今回の内容です。
生活思創ラボが綴ってきた「見通しの良い生活」のまとめ。
まず、押さえとして「見通しの良い生活」とその先にある「見通しの良い人生」について言葉にしてみました。
見通しの良い生活とは、社会の「正しさ」と、自分自身の「実感」のバランスを取り戻しながら生きる生活です。
私たちは仕事や学校、政治、経済、文化、SNSなど、多くの集団の中で暮らしています。そこでは「もっとできる」「こうあるべき」という数多くの正しさが示されます。これらは社会を維持するためには必要な基準ですが、その多くは社会のリズム、一般的に私たちが時計を使って管理する時間に沿って組み立てられています。これをクロノス時間(語源はギリシャ語:Chronos)と呼びます。私たちが信じている正しい生活は、ほとんどがクロノス時間の上に成り立った集団の論理です。それぞれの正しさには意味がありますが、すべての正しさを一人の生活で満たすことはできません。その結果、比較や焦り、迷い、義務感が積み重なり、「何を大切に生きればよいのか」という見通しを失ってしまいます。つまり、正しさが過剰なために起きる感情で混乱しやすい生活をしています。この混乱はモヤモヤする落ち着かない気分と言ってもいいでしょう。
そこで一度、もうひとつの個人の内側にある時間に立ち戻ります。これをカイロス時間(語源はギリシャ語:Kairos)と呼びます。カイロス時間には未来とか過去のような直線的な軸はありません。身体の感覚や静かな時間、その場の生活の実感に耳を澄ませることで、自分には必要のない正しさを少しずつ間引いていきます。過剰な正しさを生活に要求しなくなるのです。すると、「今日はこうやって生きていこう」「今の私にはこれで十分だ」という静かな納得と覚悟が生まれ、感情の混乱は穏やかなものとなります。「あれもこれもしたい。あれもこれもしなければいけない」が同時多発で起きていた感情のエネルギーの消耗が消えていきます。
見通しの良い生活とは、このようにクロノス時間に偏り過ぎで生じた生活での混乱を、カイロス時間を取り戻す習慣によって、何度でもバランスを取り直す生活です。そして、この「見通し」を日々生成し続ける習慣こそが、見通しの良い人生です。人生とは、未来を完全に見通せることではなく、その都度、自分の生活に見通しを取り戻しながら歩み続ける営みなのです。
巷で言われているワーク・ライフ・バランスを否定しているわけではありません。とはいえ、どうも視点がズレている感じがするのは私だけではないはずです。だって、ワークはライフの一つの様相ですから。そうです。生活思創ラボが「見通しの良い人生」で新たに提示したい視点は、クロノス・カイロス・バランスなのです。
◼️『見通しの良い生活』ー目次
生活思創が提供する「見通しの良い生活」の構成です。一冊の本に見立てるなら、目次と言ってもいいでしょう。
noteでは、図表を中心に据えて、話を進めていきます。
「見通しの良い人生」大きく三部構成になっています。

「見通しの良い人生」を支える3つのサブテーマがあります。「複線時間を生きる」、「見通しの良い生活を続ける」、「自分の器を変える教養を身につける」です。詳細はそれぞれでの章で解説しますが、「複線時間↔︎単線時間」、「見通しの良い生活↔︎正しさ中心の生活」、「第二教養↔︎第一教養」という風にキーワードが対峙して一つのセットになっていることに特徴があります。
◼️第一部「複線時間を生きる」
第一部では、複線時間という話をします。「見通しの良い人生」を語るための大前提になるのが時間の話です。人がどの時間を生きていくのか、ここを起点に「見通しの良い人生」を生活で実現する技法を解説していきます。
「どの時間を生きるか?」なんて、普通はそんなことを考える人はいません。時計があって、チクタクと秒針と共に進むヤツを時間だと信じています。でも、この時計の動きとは異なる時間があるのです。そして、これは驚きでもなんでもないのです。
なぜなら、あなたは考えてないかもしれないけど、実は、誰もが複線時間を生きているのです。それが2つの時間軸、クロノス時間とカイロス時間。とはいえ、複線時間は、ほとんどの人にとって初見でしょう。ですから、この複線時間が私たちの生活の中にどのような介在しているかを最初に解説します。

<1−1>複線時間とは何か?
まず時間軸が大きく2つあることを提示しています。クロノス時間とカイロス時間です。普段、時間と言ったらクロノス時間を指します。ですから、いちいち「クロノス時間では今何時?」とか尋ねることはありません。時間が複線っていうのは、もうひとつの時間軸、カイロス時間があるからです。
両方とも古代のギリシャ語から来ています。通常、私たちが時間というとクロノス時間を示します。しかし、瞬間的な場面ではクロノス時間を感じさせないので、それをカイロス時間としています。
以下は、この2つの時間の定義です。
クロノス時間とは、時計や予定によって区切られる時間です。仕事、学校、家事、約束など、社会生活を成り立たせるために欠かせない時間であり、「何をするか」「いつまでに終えるか」を考えます。成果や効率、計画、評価とも結びつきやすく、私たちは日常の多くをこの時間で過ごしています。生活を支える大切な時間ですが、この時間だけで生き続けることを「見通しの良い人生」では問題視します。その問題とは、目の前の体験や自分自身の感覚を見失いやすくなることで、人生の「見通し」が悪くなることです。
カイロス時間とは、「ここ・今」に心が自然と向かい、時間を忘れるような体験の時間です。美しい景色に見入る、本に夢中になる、人との対話に没頭する、自然の中を歩くなど、時計では測れない時間です。端的にいうと、何かに没入して、我を忘れている状態です。
この時間は成果を生み出すためではなく、自分自身や世界とのつながりを感じる時間でもあります。生活思創では、カイロス時間が清々しさや穏やかさといった至高の感情の場になると考えます。そして、生活の見通しを回復する大切な源として扱います。
図解で対比を描いてみます

クロノス時間が手帳やカレンダーに代表される直線的な流れですが、カイロス時間は瞬間の点に該当します。この違いについて、もう少しわかりやすくするために、計画と記憶と没入の3つの単語を使って説明してみます。下記の図表783を参照してください。

クロノス時間は過去から未来に向かって矢印で表すことができます。中央に「いまここ(Here & Now)があるとして、過去は矢の左側、未来は矢の右側に置かれます。私たちの意識で言うなら、過去はいままでの記憶でできています。この逆に、未来はこれからの計画でできています。
もちろん、記憶は曖昧だったり、計画だってそもそもないことも普通です。歴史のように、後から誰かから過去を教えられて、私たちの記憶に付け足されることもあります。また、偶然のように、計画外のことが未来に起きることもあります。
この赤い直線の矢印をクロノス時間だとして、カイロス時間を対比してみます。カイロス時間はいまここでの没入と言えます。なぜなら、その瞬間は記憶も計画も頭の中にはほとんどなく、意識はいまここの状態に集中しているからです。気づきの瞬間、アハ現象、フロー状態などが入ります。カイロス時間に意識がある時、クロノス時間は消えるのです。
さて、多くの人は直感的(まさにカイロス的な意識)で分かるでしょうが、私たちは、ほとんどをクロノス時間で生きています。そもそも社会はクロノス時間で運営されています。「今、何時?」から始まって、みんなが共通で使えるカレンダーがあり、それに基づいた交通機関の時刻表があり、生活インフラが成り立っています。労働時間も、生活時間も基本はクロノス時間でコントロールされます。私たちは人と会うことを約束する時、クロノス時間のお陰で会うことができます。時計がないと今日の生活は滞ることでしょう。ましてや、記憶も計画も生きる上で必須です。クロノス時間で生きることは問題ではないです。
ただし、過剰にクロノス時間に囚われてしまうと、生活が辛くなってきます。あなたの人生があなたの身体のリズムを超えて、集団の約束が優先されるリズムで生きるようになるからです。そして、それが当たり前になってしまうからです。時間をベースに計測できる、数字化できる時間がクロノス時間ですから、もっと早く、もっと正確に、いつまでに行う、いつかはやらねばいけないことが迫ってくる、などなど、効率が支配する世界に取り込まれていきます。いや、既に染まって生きている可能性が高いのでは?

クロノス時間に過剰に依存すると、クロノス時間軸が矢印の形を頭の中で一人歩きします。管理項目でパンパンになって、次のこと、そしてまた次のことへの意識がいきます。クロノス時間が膨張して、意識が未来に乗っ取られてしまう現象です。「どうしたら、うまくいくかな」、「失敗したら、大変だ」などの期待と不安を何度も繰り返しまして、私から「いまここ」を消します。
ええ、過去の記憶も何度も反芻されます。「あの時、ああしておけば良かったかも」、「あの人のあの発言には腹がたつ」といった後悔や不満が思い出し、意識が過去の乗っ取られてしまう現象もあります。それも一回でいいはずなのに、囚われたように何度も考えてしまう。
クロノス時間とカイロス時間は完全に分かれているわけではありません。日常のクロノス時間の中に、何度も顔を出しています。問題は、それに気づくかどうか。そして、気づき続ける習慣を持てるかどうかです。つまり、「見通しの良い人生」は創意工夫するものではなく、既にあるものに気づくだけの話です。ただし、気づき続けるには、意識の方向を変えていく習慣が必要です。
生活の中での複線時間の移動には、例えばこんなものがあります。
会議中。突然、「この問題は、実はこう考えればいいのでは」と腑に落ちる。時計は進んでいる。でも数秒だけ時間を忘れる。小さなアハ体験であり、クロノス時間からカイロス時間へ。
しかし、すぐに、この考えを会議ではどう説明したらいいかなと、考え始める。カイロス時間からクロノス時間へ戻る
プレゼン中。初めは緊張していたが、徐々に自分の話のペースが出てくる。相手の反応が見え、資料を読み上げる段階から、話が自然に流れ始める。時間を気にしてなくても、予定通りにプレゼンが進む、没入感がある。フロー体験での、クロノス時間からカイノス時間へ
そして、プレゼンが終わり、質疑応答の段階に入る。すると、うまく答えたいと思い、緊張してくる。カイロス時間からクロノス時間へ戻る
帰宅時。駅まで歩くと、途中で信号待ちになる。信号機の先に夕焼けを見る。一瞬だけ魅入ってしまう。「ああ、きれいだな。」審美が立ち上がる瞬間がある。クロノス時間からカイロス時間へ。
信号が変わると、周囲の人々と歩調を合わせるようにして歩き始める。次の電車の時刻が気になりだす。カイロス時間からクロノス時間へ戻る
休みのある日。子供が手作りでケーキを作ってくれた。家族みんなでおやつタイムになる。一口目、口の中に広がる味に唸る。あの子がこんなものまで作れるようになっているとは。子供の成長に立ち会う場。クロノス時間からカイロス時間へ。
子供のことをもっと褒めてあげようと思って、良い言葉を探し出す。感動が思考に変わる。カイロス時間からクロノス時間へ戻る
生活思創では、カイロス時間をクロノス時間と同等なものだと捉えています。特別な瞑想や旅行だけではありません。むしろ、日常のクロノス時間の中に、何度も顔を出しています。
問題は気づけるかどうか。この気づきを個々人の特性から、生活習慣にしていく道筋があるとしたら? そういう問いに応答するのが「見通しの良い人生」で語りたい生活技法なのです。
<1−2>へ続く
Go with the flow.
娘「なんか新しいシリーズが始まったようですけど」
父「ええ、このラボも3年ぐらいやってるからねえ。そろそろ成果物とか目指しちゃおうかなーって」
娘「作品っすか?」
父「作品か・・・まぁ、そのぐらいの心意気はあるよ」
娘「具体的には本にするのね」
父「そうだなあ、出版となるとハードルが高いから、電子書籍ぐらいにはできるようにしたいところです」
娘「そこには見通しがあるんだな」
父「まだ書き始めですからね。半分ぐらいはモヤモヤしてます。とはいえ、見通しをつけて見せましょう!」
