『見通しの良い人生』(図解版)・・・③複線時間の喪失
夏休みが始まり、執筆も沼ってきてまして、生活時間は押されっぱなしです。まあ、それを充実と呼ぶことにしよう! 小生のクロノス時間が加熱しないように、この生活思創ラボも月1回程度にしていきます。ということで、今回はクロノス時間が加熱することで、生活が混乱していく様子を試考します。
まずは、健全なクロノス時間と健全なカイロス時間が、お互いを補完し合う関係であることの確認です。繰り返しになりますが、クロノス時間がいつも私たちが使っている時間の流れです。
クロノス時間は因果関係の世界です。因果関係というと固いけど、生活をコントロールしていこうとする場面です。どうせコントロールするなら「正しく」コントロールしたいですよね。そのための生活領域で意識がいく代表的な6つの領域をあげてみました。そこに健全なクロノス時間での使い方、もうひとつの健全なカイロス時間の応答をならべてみました。

健全なカイロス時間は、健全なクロノス時間と対峙してます。対立じゃなく対峙。どちらかが前面にでてもお互いを否定しない。それでいて全体はより以前の状態より「いい感じ」になっている関係です。ちなみに、この「いい感じ」とは、使う心的エネルギーが少ない状態を意味します。
クロノス時間では、生活を「正しく」コントロール。カイロス時間では、状況を受け入れて、コントロールを手放す態度になります。
さて、この両方が補完関係なので、振り子を行ったり来たりすることを意味してます。図解にするとクロノス時間にいる、カイロス時間にいる、その二つを入れ替えようとする状態にいるの3つになります

そして、この入れ替わる状態が「常に起きる」生活を自覚している時、「私の生活はどんな場面でも複線時間を行き来できている」という確信が持てます。集団基準のクロノス時間が起こす混乱を恐れない。そこが生活の本丸ではないから。
クロノス時間で過ごしていると、感情的にキーっとなるような場面や、身体的にキューっとなるような状況が起きます。それは誰にもあることです。偏りがあっても、また戻れることがバランスです。こういった事態から逃れるために、いったん、まーそれもあるだろう、ちょっと保留しましょう、といった態度が取れるなら、これは気分的な落ち着きに貢献します。
下図では、それをクロノス生活に句読点を入れる、としています。クロノス時間の加熱を弱める効果があります。
しかし、ここに重要な問題が。「カイロス時間」は考えても立ち上がってこないのです。コントロールできないものを使うわけです。夕焼けに感動する予定は立てられない。待つしかない。偶然に期待するしかない。まあ、そういう唯一にして超絶な課題があるのです。「よーし、意識を没入させていくぞ!」は漫画でさえ、やや白けるくらい嘘くさい展開でしょう。そう、クロノス時間でできるのは準備のみ。このカイロス時間へ没入するための準備の話はカイロス時間への試考でやります。

やや身も蓋もないことを追記します。
そもそも人生での選択に正解はないのです。正解に見えるだけです。どれを選んでも、次なる課題がやってきて、あの選択は違ってたかもって思い直すだけなのです。ですから、より正しい選択肢を探していこうとアタフタしてもいいし、どの選択肢でも似たりよっったりだと覚悟してもいいのです。

とはいえ、集団が過去から今までに培った叡智である「正しい」生き方は気になります。まあ、ここまではいいんです。やっかいなのは「正しい」生き方が多数あることなのです。調べれば調べるほど、新たな「正しさ」が出てくるのです。
つまり、常に正しさ過剰な世界に身を置いているので、すぐにクロノス時間での「私」はその過剰さに生活を混乱させてしまうのです。混乱?、そうカイロス時間の喪失です。単線時間から出にくくなるので、状況はますますキツくなります。ちなみに、この「キツく」とは、使う心的エネルギーが多い状態を意味します。

先に出した典型的な6つの生活場面で、健全だったクロノスが集団の持つ複数の「正しさ」と結びつくことを示したのが上図になります。
では、この混乱を視点を変えて図解します。フローチャートで眺め直してみます。
それが下図です。望ましい姿が左側で、ポイントは分岐のところにある「過去ー現在ー未来」が一本に見えることです。この時、私は正しいみたい、って感じれるのです。この気分は「生活に見通しが生まれる」感覚に繋がっていきます。

そして、図表796、右側のフローチャートへ。
これが「正しさ」過剰になった現在の生活です。正しさが多いと言うことは生活での基準が多すぎるということになります。仕事ではこうすべし、次のキャリアはこれを目指せ、健康のためにはこれが必須、いやこれも必須だから、それに、できる人はこれもやっている、人間関係はそうやって配慮しましょう。でもあまり配慮しすぎは間違いです。自分を大切にするにはこれ、そして、これも。云々・・・・
日々の生活の中で扱える正しさには許容量があるのです。生活場面ごとに正しさが林立すると、その正しさが主張している「私の生活の過去」は混沌とします。当然、「私の未来の生活の予想」も混沌とします。過去ー現在ー未来を一本で繋ぐことが難しくなればなるほど、クロノス時間での生活の見通しは怪しくなります。この生活に自信がなくなってしまうのです。
つまり、正しさ過剰の世界では、早晩、生活現場の足場は揺らぎます。正しさに視界を塞がれて、生活全体の見通しを失っていくのです。常にモヤモヤした中で現在を過ごすことになります。
<1−4>へ続く
父「なかなかnoteも書けてないな」
娘「トーチャンの言うところのクロノス時間がエグそう、ってことだね?」
父「いや、『書かねければいけない』って思ってるならエグいけど、別に急がねばならない活動でもないから。書けないのはそれで仕方ないのだ」
娘「じゃあ、コントロールを手放してるってことですか?」
父「noteの更新頻度が低くなっているのは、複線時間を生きている証拠ってってことにしよう!」
娘「調子いいね」
父「カイロス時間で整えました〜」
Go with the flow.
