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「見通しの良い人生」のための用語とツール開発<10>生活股割きコトワザ

今回は、小生の人としての器の小ささから話を始めます。特に若い頃は、どうも自分を人と比べて良し悪しを判断するようなところがありました。意識的ではないです。無意識のうちに、他人を自分より上か下かで評価しては、「オイラはダメだ」「オイラは良い」とか心の中で判断していたようなのです。そう、無意識にやっているというのは、意識的よりタチが悪いのです。

 なぜなら、自分では気がつくことなく、常に他者比較をして、それが自然体になってしまっているから、直すきっかけがなかったのです。思い返すと、会社員時代がこの兆候が最も顕著だったかな。社員って組織の中で常に比較されることを宿命付けられた生き物だからかもしれない。

まあ、百歩譲って、他人と比較してもいいんです。それが自己研鑽の動機になるかもしれないし、人の優れた部分から学ぼうとするきっかけになるならね。

 でも、相対的に上か下かで自分の幸不幸を判断し出すなら、これはかなり深刻です。だって、自分は差し置いて、他人が自分より下な状態だと思えれば幸福感が得られるような体質になっている可能性があります。

で、ある時、昔から知っていたはずなのに、まるで初めて聞いたようにドキッとした諺(ことわざ)があるんです。

人の不幸は蜜の味

結構、有名な諺ですから、今更解説もいらないと思いますが。他人の不幸を喜ぶのが人の習性だと言い切ったフレーズです。「あ、俺だ!」ってストレートに自分ごとに感じた時があるんです。また、タイミングも意味深です。他人との比較に明け暮れてた会社員を辞め、フリーランスのコンサルタントを始めた頃の気づきだったような記憶があります。

 フリーランスはピンで張ってるから、少なくとも集団の中で比較し合うことから解放されたせいなのだろうか。聞き慣れているはずの諺に「人の不幸を喜んでいる俺が、俺の奥底にいたんだな」ってな強烈な自責の念を感じたんです。

そんな小生が自責の念を感じてしまう諺を、自戒の言葉に変えることにしたのです。「人の不幸は蜜の味」が小生の心の奥底の沼からボコって泡立ってくるのは止めれません。でも、気づけば、その泡に気づきの針を刺すことはできます。パチンって割るのです。ここで有効なのが、この諺を捻って意味をプラスするという技(?)です。

人の不幸は蜜の味、蜜は不幸のお裾分け

自分で自分をドキドキさせるための口癖とも言えます。そこの人、その蜜は舐めたらあかんで。え?、オイラ舐めそうになってたの?、みたいな。今までは、これを生活マントラ(以前にここでも書いていました)って呼んでました。実は、これが今回提唱したい生活股割きコトワザの原型なのです。

 生活股割きというネーミングは、ちとトリッキーな名前です。元の諺や慣用句が示す意味をグイッと捻る感じを託してます。逆張りで矛盾感を強調する、それでいて、元ネタも新ネタも「どっちもあるね」といった決めつけのない世界を目指したいのです。

 そして、いつもの自分の信念に「ゆらぎ」を与えるのです。ちなみに、この名称は生成AIと一緒に作ったよ。AIへのプロンプトは「みうらじゅん風で提案して」ってw。


娘「私は、人の不幸な話を聞くと滅入るな。もちろん、自分の不幸も嫌だから、不幸を妄想するだけでも気分は良くない」

父「ええ、健全だと思いますよ。いつの間にかトーチャンは、誰かと自分を比べることで、自分が幸福か幸福じゃないかを評価する変な癖が染みついちゃったみたいです」

娘「それってさ、幸不幸が偏差値で表されるような世界じゃん」

父「言い得て妙だな。トーチャンも表向きは、個人の幸せはその人だけにしか分からない、って信じているし、そのように振る舞っているはずなんだが。どうも、刷り込まれたゲスい評価基準があることに、いい年の大人になってから気がついたってわけですよ」

娘「競争社会に生きた人の話かも。ちょっと、気の毒」

父「父の不幸は競争の味、ってか・・・」




 話を進めます。

別の事例で一般化してみたのが下図(図表531)です。よく知られている諺に「井の中の蛙、大海を知らず」があります。これって、中国の思想家・荘子の言葉で、特に「井蛙之見(せいあのみる; 井の中の蛙大海を知らず)」という有名な部分です。見聞の狭さや偏狭な知識がいかに視野を狭め、真理を理解する妨げになるかを説いています。

 そこからが面白いところなのですが、その後に「されど、空の深さを知る」っていう追加の言葉がでてきます。もちろん、 荘子ではありません。後世の日本で誰かが追加したものです。俄然、意味が変わります。膨大な知識や知見よりも、自らの境遇の中に心理を見出すことこそ尊い、とも読めます。

  まあ、単純に「おまえさんは、そんなことも知らんのか」といった揶揄への切り返しかもしれんけど。


図表531

でもって「井の中の蛙大海を知らず、されど、空の深さを知る」っていうのにも、生活股割きコトワザの原風景を感じるんですね。これを参照して、図表には、「井の中の蛙大海を知らず」に繋げる生活股割きコトワザとして、3つの事例を作成しています。


「大海の魚は、井戸を知らず」
知識に関して権威的な人(あえて職業等は控えます)も、自分の日々の生活知識には疎かったりする、という意味で、一人の人間が生活という現場で生きる意義を再認させます。


「蛙にとっては、井戸も宇宙」
自分の世界こそが宇宙であり、そこを丁寧に生きるかどうかが大切という戒め。周囲の大きな成功談や、いまだ経験したことのない大都会などの話に振り回されそうな自分に日々を生きる大切さを再認させます。

「住めない世界には、みんな無関心」
どんな大切な話でも、自分の生活に関係がないなら、人は興味を持てない。他人を「井の中の蛙」だと皮肉るのは無益であり、それこそ人の気持ちが分かってない人のセリフだろう。国際情勢や天下国家といった社会的な話題が通じない場面があっても嘆かないようにする心構え。



こうやって眺めると、なんか、自責とか自戒ってキツめの言い回しですが、それほどでもないな。生活股割きコトワザを作って口ずさむのは、「言葉のクッションに空気を入れ直して、たまに横たわる行為」ぐらいの感じに見える。

「生活股割きコトワザ」は、自分の生活信条や社会信念と衝突するものではなく、むしろ、それを“相対化”し、補助し、呼吸を与えるような役割を持っています。硬くなった考え・信条・癖の間に余白と柔らかさを差し込むことで、自分に対しても他者に対しても、ちょっと優しくなれる。


生活股割きコトワザまで行き着く構造は下図の図表532です。最初の気づきは、世界や自分について断定してしまう染みついた信念や習慣です。ここが起点になります。これは、心の中に埋もれている偏見です。

 しかし、人は自発的に自分の断定癖や偏見に気がつけないので、古今東西のコトワザや箴言(しんげん)や名セリフなど、感情的な「ゆらぎ」があるものを拾い上げることで、「この奥底にある私のヤバイ何か」に意識をむけることになります。
 ここから、その元ネタのことわざを「ゆらぎ」ができるように捻ってい、最終的に、口づさみたくなる生活股割きコトワザを作っていきます。


図表532


 出来の良い生活股割きコトワザは、心を股割き状態にするわけですから、やや緊張感を伴うわけですが、すでに世間に定着している諺がベースにある限り、むしろ「ふふん、面白いね」感が期待できます。

 確かに、自戒や内省を求めるる警句みたいなものなのですが、あくまでも「やさしいイエローカード」です。自分を正すわけではなく、「いかんいかん、またいつもの思考パターンに入るところだった」という注意が与えられるだけのものです。



◼️生活股割きコトワザのパターン

 元となる有名な諺(ことわざ)は、なんでもいいわけではなさそう。心理的な裏面と繋がっているからこそ、そこに個々人の独自の捻りが加えられて、初めて輝くのだろう。小さな慟哭をちくっと刺激するものを持っているコトワザや箴言が選択されやすいと試考します。

このあたりを類型化してAIに整理してもらいました。もちろん、いくらでも分類できちゃうので、キリがありませんから、ここでは代表的とおぼしき10パターンに集約してみました。

図表533


さて、この10→4を目指して、二軸マップでに圧縮します。
※生活思創では、対称性があることを仮定して、情報をポータブルにしていくのさ。

 
「内向的ー外交的」、「意識的ー無意識的」の二軸が説明しやすいかな。そんな設定です。

図表534


X軸(横):自覚レベル(意識的か無意識的か)

・無意識的
(自然に出る/気づかずにやっている)
→ 例:比較優越、貧しさの美化、表面道徳、運命論

  • 意識的(ある程度自覚的に選んでいる)
    → 例:偽善の影、犠牲と美化、努力依存、境界侵犯Y軸(縦):内向/外向の作用方向(心理の矢印)



  • Y軸(縦):内向/外向の作用方向(心理の矢印)

    • 内向的(自己への影響が強い)
      → 例:無力への逃避、犠牲と美化、運命論、努力依存

    • 外向的(他者・社会への投影や操作が強い)
      → 例:比較優越、隠れた嫉妬、偽善の影、境界侵犯内向的(自己への影響が強い)
      → 例:無力への逃避、犠牲と美化、運命論、努力依存



この基本マップに、小生が作成した生活股割きコトワザを載せてみました。
※記号接地している感じを出してみました。これも生活思創が意識している方法論でございます。


図表535

ま、なんとなくでも生活股割きコトワザにも創作の方向性が見いだせそうだってことです。つまり、ワークできるだろうと目論んでおります。

これってネガティブ・ケイパビリティに繋がっている気がします。いや、判断に隙間時間を差し込むところなんかは、ネガティブ・ケイパビリティの実践ツールと言っても差し支え無さそう。

ネガティブ・ケイパビリティとは、「答えの出ない状態や不確実さ、曖昧さの中にいながら、それに耐え、急いで結論を出そうとしない力」のこと。詩人ジョン・キーツが提唱した概念で、現代では創造的思考や人間理解に不可欠な態度とされる。白黒つけず、問いとともに生きる柔らかい強さを指す。

生成AI


◼ 迷いの時代の処方箋は「判断しない力」かもしれない

不安定な世の中で、私たちはつい、早く正解を知りたくなってしまう。社会が複雑になり、働き方も人間関係も、かつての「これでいい」が通用しなくなった今、 多くの人が「分からないことに耐える力」を失いかけている。

けれど──わからない、をわからないままに置いておくこと。 判断を急がず、曖昧さを飼いならすこと。それこそが、現代を生き抜く新しい知性「ネガティブ・ケイパビリティ」だと言われています。

とはいえ、「考えるな、感じろ」とは言っていないですよね。むしろ、 “いつもの断定”をほんの少し、横にずらす。 “決めつけ癖”にひびを入れる。

で、小生は 『生活股割きコトワザ』という遊びを提案するのだった。
「生活股割きコトワザ」は、古くからのことわざや名言に、 “ひねり”や“裏面”を加えて、自分の生活にフィットする「新しいマントラ(唱える言葉)」として作り直すプロジェクトだ。

その目的はただ一つ:“断定的な態度”に、やさしいイエローカードを出すこと。

これは、決して否定や皮肉ではないのだ。 人間の弱さや、見たくない自分をまるごと引き受けて、 ニヤリと笑いながら、「でも、ちょっと揺れてみよっか?」と提案する、 やさしくもしたたかな言葉の再構築である。

では、話の矛先を変えて、なぜ今「断定癖」に揺さぶりが必要なのか?を試考してみましょう。

  • SNSで他人の成功を見ては、嫉妬と落ち込みを繰り返す。

  • 家族や職場で、つい「あの人はいつも〇〇だ」と決めつける。

  • 自分に対しても、「もう無理」「どうせダメ」と即座にジャッジ。

そんな瞬間に共通するのは、“思考の省エネ”という防衛反応。 人は不安になると、早く白黒つけたくなる生き物だ。

でもそれは同時に、判断が早すぎる社会は、安心感をもたらすようでいて、実は誰も「本当の居場所」を持てなくなる。だからこそ、「あ、いま私、断定しそうだったな」と気づかせてくれる“ゆるくて深い言葉”が必要なのだ。それが生活股割きコトワザ。




◼️ベータ版 生活股割きコトワザのワーク


でもって、これをベータ版のワーク・フローにするならどうなるかを試考してみます。簡単3ステップでございますw。

 ポイントは、生活股割きコトワザを成果物と扱わない。むしろ、その創作過程にカタルシスがあることが重要だと睨んでおります。「やさしいイエローカード」には、いつもの信念を和らげる役割があるからです。

 ワークするという行為自体に独自の意味があるなら、生活股割きコトワザ創作ワークフローは、図表536のようにカタルシスとセットで示すことができそうだね。

 ワークでできた生活股割きコトワザの出来不出来は、思いついたその時が出来の良さのピークなのです。常に、創意工夫すれば良いのだ!

図表536



父「どうでしょうか? 父からの新しい提案、『生活股割きコトワザ』のできは?」

娘「ちょっとアホっぽいところもあるのが、親しみやすくていいよ」

父「じゃあ、何か一つお願いします」

娘「(間があって) できました! 三つ子の魂百まで、14歳の魂は15歳まで、みんな混ざって今日の私」

父「なにそれ?」

娘「わたしには変わらないところもある。だけど、今年はそうでも来年はそうじゃないところもたくさんあるよ、っていう意味。つまり、人は自分のことを決めつけちゃいけないよ、ってことかな」

父「ライブ感あるね」


Go with the flow.




※備考にして、備忘録

今回のAIセカンドリテラシーについても備考で添えておきます。まあ、自分のためなのだが。3つのチャート「五知循環」「ダブル・プロンプト」「文脈ワープ」で「生活股割きコトワザ」をみると、こんな感じってことです。



図表537

五知循環図で見ると、全体フローはオーソドックスなんだけど、途中でネガティブ・ケイパビリティを並行した概念として取り込んでるところに、揺らぎがあるね。相剋(番号順を飛び越える)の矢印がでております。




図表538

ダブル・プロンプトでは、一番右側がユニークかも。生成AI側へのプロンプトが創作時のカタルシス(外面への質問)。人側へのプロンプト(内面への質問のことね)が創作ワークフローをファシリテーションの肝について。双方がワーク現場への適用度を言語化させてる




図表539

文脈ワープで見ると、生活股割きコトワザは表面的にはゆるキャラ的。フニャッとしているが、実は、人の信念への影響度が高い分だけ「目的反転型」に近いのだった。「やさしい言葉で、深いゆらぎを」ってね。マイルス・デイビスの「少ない音で、豊かな音楽を」に近い?w

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