生活思創の深化Ver.3-10「不登校の子供を全肯定する父親のためのワーク」
娘「今回は、私の不登校が全面に出てますね」
父「すみません、レギュラーテーマなんで」
娘「テーマとしては重い?」
父「重くはない、けど軽くもない。強いて言えば、歯応えのあるテーマでしょうか」
娘「硬いグミキャンデーかな? フレーバーはレモン味w」
父「いやいや、むしろサキイカです。噛み続けて滋味深さが出てくる感じっす」
前回は信頼の置き場所がお題でした。人が何を信頼して生きていくかを巡って、優先順位があることを可視化してみました。最終的には、自分ごとまで押し込んでみたわけです。(記号接地までやってみた)それが、再掲する下記にある図表640。
今回は、この表の中にある二番目、「関係に置かれた信頼」を押し込んでみます。「不登校を全面肯定する」の解像度を上げてみます。
もともとこのnoteは、小生の娘の不登校をきっかけに、家庭生活を見通しの良いものにするのが目的となってました。日々の混沌に、ひとときの秩序を創るブログっすね。「不登校についての関心人口を増やす」、「不登校がもたらす感情と理性のギャップをほぐしていく」などが小テーマでしたね。

もっと具体的な現場の葛藤に首を突っ込んでいきます。「深化の螺旋」を駆け降りてみるよ。
さて、今回中心になる設定「不登校を全肯定する」とは何でしょうか?
まず、話の登場人物の確認からします。「全肯定するのは誰?」でしょうか。今回の主人公は親ですが、親の中でも父親を主人公に想定しています。ええ、この試考するのは小生であり、不登校の子供を持つ父親です。自然な設定とも言えます。
ただ、ちょっとここには、小さなトゲのようなものがあります。
それは、父親っていう人物像に絞り込むことに、ややジェンダーバイアスの香りがすることですね。父親と母親で不登校に対する態度が異なると思っているのです。家庭の現場で小生が感じているのは、母親って「不登校の全肯定」の前に「子供の全肯定」ができているのではないかってことです。もちろん、全ての母親とは言い難いけど、「子供の存在そのものが肯定されている」は母親の基本態度だと感じるのです。もう身体に根差した本能としか言いようがないものです。そして、この母親が持っている子供への無償の愛に対して、多くの父親は出遅れてしまってる気がするのです。いやいや、もちろん父親も子供の存在そのものを肯定しています。が、いかんせん弱い。弱いというより、細い。極太な愛を歌う子宮からのメッセージがないから、理性に頼るしかないのではないだろうか。 まあ、そんなジェンダー的な背景を引きずりながら、あえて「父親のために」を謳ってみるのだった。
では、本題に入ります。
最初に、不登校の全肯定に対して、他の態度を規定しておきます。できるだけシンプルに捌かせてもらうと、「不登校の否定」または「不登校の部分肯定(部分否定でもいいよ、グレーってやつね)」が該当します。

ポイントは、「見通しの良い生活」をどこに向かって立てていくかの違いです。「不登校の否定」または「部分肯定」の親にとって、学校に通うことが「見通し」を感じるための大前提になります。
しかし、相対する「不登校の全肯定」は、もう子供は学校には戻ることがないだろうという前提になります。そこからスタートして、これからの生活に「見通し」を見出していきます。
つまり、不登校を全肯定する親は、義務教育の学校制度に背を向けることになります。もちろん、今の教育制度に対立する気はないです。ですが、今の学校制度がないもの、頼ることができないものとして扱う覚悟があるって(または覚悟が必要になる)ことになります。
◼️ワークの目的は、寄るべない親に寄るべを作ること
「不登校を全肯定」するための父親にこのワークで提供したいのは、子供の不登校に生活での寄るべを作ることです。ただ、それほど悲観的な話でもなさそうなのです。義務教育における不登校の子供は増えつつあります。また、生成AIの急激な普及は学びの意味を変えつつあります。
そこで。誰もよくわかってない教育の行方なのですから、まずは、未来に目を向けて、いつか実現する理想の教育制度や学校でのカリキュラムを妄想してみるのも意味があるでしょう。なぜなら、理想は妄想でも、今現在の不登校の子どもの生活には何か「見通し」のヒントや兆しがありそうだからです。
そのためには、今の教育の延長線上で考えるのではなく、制約なしに思い切り未来へ飛んでみます。そして、そこから今の不登校の子どもを持つ親が眺めているものを再確認してみます。理想の未来から、寄るべない現実への逆算です。
フレームワークとしてSFプロトタイピングというのがあります。それを援用しながら試考してくことにします。
SFプロトタイピングとは、一言でいえば「SF(サイエンス・フィクション)の物語を使って、まだ見ぬ未来を具体的に描き出し、今やるべきことを導き出す」という未来予測・事業開発の手法です。
従来の予測(現在のデータの延長線上で考える)とは異なり、「もしこんな技術や社会があったら?」という大胆な空想からスタートするのが特徴です。
3つのステップでわかる手順未来の世界設定(ワールド・ビルディング)
科学技術の進化や社会の変化をもとに、10〜50年後の「ありそうな未来」の土台を作ります。
物語の作成(ナラティブ)
その世界で「誰がどんな生活をし、どんな問題に直面するか」という具体的なストーリー(小説、マンガ、動画など)を制作します。
逆算(バックキャスティング)
描いた未来を実現する(あるいは防ぐ)ために、「今、自分たちは何を開発・準備すべきか」を検討します。
ここからは、小生が事例になっていきます。晒しましょう!w
◼️ヤスハラが、未来の教育を大いに語るw
親が作る教育制度のSFプロトタイピングっていうのやってみます。具体的に可視化したいので、小生のケースを試考します。そうですね、一応、こんな感じで妄想してみました。実現するのは約30年後ぐらいかな?
小生が妄想する新たな義務教育は大きく2つの斬新さを持ちます。どちらも生成AIが重要な役割を果たします。
<その1>少人数制の行き着く先です。
現在、小学校なんかは三十人ぐらいが人クラスですけど、究極は1クラスが1人になると妄想しています。なぜかっていうと、質的教育を求める流れがあるので、教員一人当たりの生徒数は減る方向にある。そもそも、少子化が続くだろう。そして、そのコストアップを吸収するのは、AIです。

で、ですね。これが何を意味しているかというと、1クラス1名の制度は、集合教育の「集合」の意味が蒸発してしまうってことです。この未来では、「なーんだ、昔の不登校ってロケーション問題だったね」ってことになります。
多分ですけど、集合教育はなくなっても、集合保育は残ります。むしろ、図書館の学習室やスタバでの自習みたいな、立ち寄りの場の一つになっていくだろう。いや、給食センターが独立して、地域の子どもカフェになっていく。そのカフェに子供たちが集うってことになるかもかもしれない。いずれにせよ、これが一つ目の未来への妄想。
<その2>もう一つが、カリキュラムの大きな転換です。
こちらが教育内容の抜本的な変革かと。さっきの1人クラスではAIはコスト貢献だったけど、今度のAIはクオリティ貢献だ。
転換とは、今の主要5教科と、それ以外の立ち位置にある副教科の主従逆転がおきることです。コペ転だな

主要教科だった国語、英語、数学、理科、社会は教育の全面から後退します。そして、それらに代わって、美術、音楽、クラフト、スポーツなどの副教科が前面に出てきます。ネーミングも新たに主要実践教科にしてみたよ。カッコいいなあ。すると、主要5教科も名称を変更して、翻訳教養5教科になります。主従逆転なので、主要実践教科が学校での学びの中心になります。そして、主要実践教科を子供が選択して(1つとか2つとか、選択数は子供次第)、中心の学びは体験と実践になります。
そうです。きっと、あなたも思っていることでしょう。これはAI普及による認知系の学びが単独で学ぶことに意味を失っていく時代への対処です。
表現が硬いな。
つまり、AIにできないところに人間の学びの柱を立てよう!、っていうことです。身体・感情・感性・直感が入り口になって、主要5教科のようなものはサブに回ります。手足を動かす具体的な体験をキッカケ(記号接地)にして、5教科に代表されるような認知系の学習機会を後から作っていく構成です。
図表644がその全体を示すマトリックス。
実践教科(美術、音楽、漫画、調理、スポーツなど)は、なんでもありだけど、身体に根差した体験、創造性に繋がる実践が該当します。ですから、漫画とか、調理とか、演劇とか、農業もありになるだろうし、地方なら地元の伝統工芸なども範囲内になります。
さて、実践教科の学びが先行します。それに角度の異なる視点を与えてくれるのが、翻訳教養(主従逆転後の主要5教科)です。国語も英語も数学も理科も社会も背骨である実践教科(美術、音楽、漫画、調理、スポーツなど)を深めていくためのものになります。表にすると図表644です。

せっかくなので、事例で押し込んでみます。
例えば、主要実践教科に調理を選んだ中学生がいるとする。我が娘を想定してるけどw すると、メインのカリキュラムは実践だから、調理実習が中心に3年間が回っていきます。まあ、調理師になるわけではないので、途中で「やっぱ、音楽の合唱にいくわ」でもOK。とはいえ、調理を選択したら、国語視点の教養を学ぶ必要があって、例えばこれは、自分の作成したレシピの言語化してレポートにする。英語なら、英語圏の類似レシピを集めて日本語にまとめ直す。数学視点は、調理手順をガントチャートとかにまとめて、可視化と数値化をしていく。理科なら化学反応と味覚についての探求学習、社会は、自分の選んだレシピの主要原料の地理、歴史、経済をレポートにまとめる。
あと、ついでに妄想させてもらうと、レポートは全て手書きです。ここは小生の強い希望的観測なのだ。手書きなら、AI使って丸写ししてもヨシとするのです。なぜなら、認知能力を手を通じて身体に落とす体験ができれば、中学生ぐらいなら充分に意味があるからです。手で覚える文字や単語や文章を体に刻むんだね。昨今の手書き習慣の推奨とか、ジャーナリングとかはその萌芽だと思っております。

図表645には調理の事例だけでなく、漫画の事例も入れてみました。
メイン実践体験は漫画の作成。で、サブの教養体験も必須になりますから、翻訳教養5教科に従って課題が出るようになります。国語なら脚本の作成、自作漫画の英語版作成、美学と幾何学を自分の漫画に取り込んだ実験作品の作成、新しい科学的な事象を漫画で説明する、特定の漫画の歴史と文化的背景の考察をレポートにする、などなど
うむ、なかなか面白そうだな。自分の子供が興味関心を持つようなカリキュラムのつもりで描いてたけど、小生が中学生だったらきっと燃えるだろうなあ(字的には「萌える」か?)。ヤスハラが選びたい実践体験は、美術とクラフトかなあ。もっと絞り込むなら、美術は版画かな、でもって、クラフトは木工なんかを実践教科にしたい。
父親の興奮はここまでです。あくまでも妄想した未来なのです。とはいえ、これらは、今の学校と子供の不登校が一致した世界です。
さて、この約30年後のカリキュラムを生成AIに投げて、カリキュラム自体の再定義を促しました。小生の妄想をベースにして、人に説明できるような設計をリクエストしてます。
カリキュラムの再定義:知識か、スキルか、熟練かあなたの条件に合わせて、組み合わせを「パーツ化」します。2056年(30年後)の学びは「3軸×3層」で設計される
3軸(何を伸ばすか)
専門知(Conceptual Depth):高度な理解・理論・抽象
熟練技能(Skill Mastery):身体・手・道具・表現の熟練
生成実践(Real-World Creation):現実の課題に価値を出す
3層(どの深さまで行くか)
L1:市民基礎(生活・社会で困らない)
L2:職能レベル(仕事にできる)
L3:領域トップ層(研究・創作・起業)
この 3×3=9セルが、個人のカリキュラムの地図になります。
3X3のマトリックスが出てきました。あくまでも未来の妄想をベースにしたものですから、3X3についてはそのまま受け入れて、話をお進めてみましょう。
L1-L3の縦の3層が学びのレベルになって深さを示しています。図表646はこのマトリックスに現状の義務教育がどの辺にあるかを黄色でプロットしてます。中学生ぐらいですから、当然ながらエントリー層です。そこから、仕事につながっていく、研究の世界に入っていくってことに繋がるわけです。○は主要5教科で、△は副教科が該当します。全体の3分の2(生成実践の領域がない)しかカバーしてないのが、今の義務教育の目線が届く範囲ってことになります。つまり、狭いのだ。

ちょっと蛇足になりますが、こうやって眺めると、AIが提示してきた生成実践(右側)って、昨今話題になっている探求学習のゾーン(星印)と重なります。なるほど、世の中の動きにはそれなりの背景がきちんとあるんですな。それが上手くいっているかどうかは別問題ですけど。

次に、同じ3X3のマトリックスで、先に妄想した小生の理想の教育内容をプロットしてみます。全く異なったものになりそうです。
まず、中心には実践体験教科が置かれます(○)。そして、左側からは翻訳強要5教科(AIの質的なサポートを含む)を組み込んで、右側からはAIによる現場・現実に沿った情報のサポート(AIのコスト的なサポートを含む)を想像してみています。二つの△がサブの役割を示しています。
それが下図の図表648です↓ 前述との絵柄の違いが明白だね。

余談ながら、この新しい学びの体系から、社会へ、研究へと学びが進化していきます。興味関心に応じて、子供たちがL2へ、そして、L3へと進んでいくだろうと妄想しております。(点線の楕円と、放射線状の矢印)
◼️そして、今の世界に戻ってきます
いやー、妄想させていただきました。えーっと、今回の生活思創のテーマってなんだっけ?、ってな状態なぐらい押し込んでみました!
さて、後半のワークに入ります。全体を4つのステップにしてみました。図表649でいくと、上2つのステップ1、2は未来の世界。

そして、ステップ3、4で現実に戻ります。
今度の問いは「不登校の子供の興味関心はどこになるのか?」です。そして、その中でも、「今の生活で、未来の教育に繋がるところはあるのか?」となります。
また、小生の話で進めます。うちの娘さんを眺めていると、実践体験教科に該当しそうなところは、文芸(小説を書く)、手芸(毛糸編み)、たまに美術(イラスト描き)かな。すると、「読みたい小説を探しに図書館にいきたい」とか「毛糸を買いに100均に連れてって」とか「カラーペンが欲しい」とかは、積極的にサポートしてあげたいリクエストってことになります。
図書館とか100均とか文具店とかは、学校に通うための送り迎えに該当していると思ってやっていきます。一方で、それ以外のおねだりは(推しもの、お菓子もの、とか)原則、受け付けないようにしています。
子供からのリクエストの選択基準がやや明確になっているのは、関係の「見通しの良さ」がでてきているからです。たとえ、妄想的な理想でも信頼の足場になっているのです。
するとです。「不登校の子どもには何が良いのか、悪いのか」については、いちいち考えるのをやめようって気分にもさせてくれます。感情的な穏やかさは生活エネルギーのロスが最小限になります。
同時に、今の学校制度や教育への不満も減っていきます。「義務教育は未だ理想から程遠いけど、変わっていく。今は子供達よりも出遅れているだけ」
これも、動揺しやすい親の気持ちに「穏やかさ」をもたらしてくれます。

父「こうやって試考すると、不登校が時代の最先端に見えてきますよね」
娘「なんか、うれしそうですけど。最先端の中学生を目指しているわけではないんだけどな・・・」
父「もちろん、そうです。しかし、いずれ来るであろう世界に近いっていうのは、ちょっと父も『この線で行くんだ』って勇気が沸くんだよ」
娘「なんか、遠い目になってますけど。親に心配させたくないとは思ってますから、まあ、それはそれで少しは安心か・・・」
父「うむ、むしろ感謝すべき行動なのかもしれん。 あなたが不登校になってなかったら、『このまま進学してくれれば、それでいい』なんて思ってたかもしれないからなー」
Go with the flow.
