「よく聞かれるけど、これは全部感覚です」
最近noteでこういう記事を出すようになって、
ありがたいことにいろんな人が読んでくれるようになった。
で、ちょくちょく聞かれる。
「どうしてそんなこと思いつくの?」
「どこかで学んだの?」
「何か参考にしてる哲学者とかいる?」
…正直、全部答えはひとつや。
「いや、全部感覚なんよ。」
俺は哲学の本も読んでないし、
数学も物理もほぼできない。
でもなぜか昔から、
「世界ってほんまにこうなんか?」っていう疑問だけは、ずっと頭の中にある。
人にとっては“なんでもない瞬間”に、俺はめちゃくちゃ深くハマっていく。
自販機に飲み物落ちてくるのを見て、
「この動き、宇宙全体の縮図じゃね?」とか思ってしまう。
誰も気にしてない音、揺れ、感情の上下に、
「これ、何かの原理なんちゃうか」って勝手に気づいてしまう。
理屈じゃなくて、
現象の“肌ざわり”で真理を探してる感覚。
勉強して身につけたんじゃなくて、
“身体のどこかに昔からある違和感”にずっと触れてるって感じ。
学校の先生には「もっとちゃんと学びなさい」って言われてたし、
周りの友達からも「考えすぎ」ってよく言われた。
でも俺にとっては、
考えるんじゃなくて“感じてしまってる”だけ。
この違い、けっこう大きい。
だからnoteに書いてる話も、
何かを証明したいわけじゃない。
論破したいとか、正しさをアピールしたいわけでもない。
ただ、
「俺にはこういうふうに世界が見えてる」ってことを、
そのまま置いていきたいだけ。
感覚で拾ったものを、感覚のまま文章にして、
読んだ誰かの中にも同じ“違和感”があればいいなと思ってる。
正直、文章にするのはめっちゃむずい。
感覚って言語化するには粗すぎるし、
伝えようとすればするほど、“ズレてく”のもわかる。
でも、それでも書いてるのは、
「この感覚、誰かにもあるはず」って信じてるからや。
だから、
noteに書いてあることは、全部感覚の塊です。
本も参考書も引用もない。
ただ俺が、毎日どこかでふと感じた“違和感のかけら”。
それを拾って集めて、並べて、
「これ、なんかあるんちゃうか?」って言ってるだけ。
だから読む人は、
“正しい”かどうかより、
“感じるか”どうかで読んでくれたら嬉しい。
このnoteは、俺の思考ってより、
“俺の感覚そのもの”やから。

