見出し画像

赤が見えなくなるまで


おはよう。

昨日は予定通り実家に行った。

大量に買い物して。

ちゃんと行ってきた。

チュッパチャップスも買ってった。

前に買ってあげた老眼鏡をなくしたっていうから、新しい老眼鏡も買って。

それも持って行った。

母がその老眼鏡をかけて、
私の顔をちらっと見て、

「あら、あなた綺麗ね。綺麗になったんじゃない?」

なんて言った。

薄ら笑いを浮かべながら言うその感じ。

うっとうしいわ。

と思って、

斜め上目遣いにちらっと母を見て、
また自分の手元に目を落とした。

無言の圧。

もうそれ以上やめてね。

みたいな。

それから、

父も母も、また昔の話をしていた。

何度も何度も聞いた話。

別にボケてるわけじゃない。

ただ、話すことが
昔のことしかないんだろうね。

父が自分が小学校4年生のときの写真を出してきた。

学芸会のあとにクラスみんなで撮った集合写真。

教室の後ろには、
父が描いた絵も飾られていた。

父はその頃、クラスの女の子が好きで、
ラブレターを書いたけど振られた。

これも何度も聞いてる。

母は母で、
学芸会で子豚役をやって、
張り切りすぎて舞台から落ちて、
脳震盪を起こして運ばれた話。

これも何度も聞いてる。

「へえ~!そうなんだ」

って聞く。

「それは恥ずかしいよね」

って笑う。

毎回、同じところで驚いて、
同じところで笑う。

まるで台本があるみたいに。

でも昨日、
父が好きな子にラブレターを書いたって話をしているとき、

喧嘩にならなければいいな、

と思っていた。

前にも父から電話があって、
「助けてくれ」みたいになったことがあったから。

父が持っているダウンジャケットのことで、
母がこれは誰からもらったのかとか何か言い出して、
ヒートアップしていた。

「それ、私があの時買ったやつだよ。覚えてないの?」

って言った。

でもほんとは、そのダウンジャケット、
私が父にプレゼントしたものなんかじゃない。

でも、もうそういうことにした。

めんどくさいから。

それで、なんとなく事は収まった。

くだらないと思う。

でも、母にとってはくだらなくなんてないのだろう。

女の意地だけで父を手放さなかったのだから。

なんかさ。

父と母との時間。

嫌々ながらも、
私はそれを守ろうとしている。

毎度同じ話を聞いて、
同じところで驚いて、
同じところで笑う。

手元の台本通りに。

でも、それでいいと思っている。

彼らにとっての意味が、
少しでもそこにあるなら。

そこが、
彼らにとっての着地点なら。

ただ私は、
内心そこにはいない。

身体はそこにある。

笑う口元も、
声も、
そこにある。

でも、

脳はそこにはいない。

昨日も10時くらいに着いて、
14時くらいまで時計をちらちら見ていた。

もうそろそろいいかな。

2時くらいまでいたら大丈夫だろう。

そう思って、

「じゃあ、そろそろ帰るね」

と言って帰ってきた。

なんか、これでいいのかな。

いいんだろうね。

たぶん。

同じ話をして、
相槌を打って、
おいしいものを食べさせて、

「また来るね」

って言う。

たぶん、それでいいんだろうね。

そう思いながら帰ってきた。

いろんな人と話していると、

日々いろんなやるせないことがある。

なんて言っていいのかわからないことも、
日々、たくさんある。

誰かと話す。

おいしい珈琲を一緒に飲む。

好きな洋服の話をする。

何気ない写真を送り合う。

一緒にお酒を飲む。

くだらないことで笑う。

落ち込んでいるときに、
少し話をする。

そういうことが、
人と人との間にはたくさんある。

たぶん私は、
これからもいろんな人に出会う。

のかな?

好きになってくれる人も
いるかもしれない。

誰かを必要とすることも、
誰かに必要とされることも、
これからだってあると思う。

でも私は、

もう誰かの人生に対して、
大きな責任を負うことができない。

しちゃいけない。

もし、そのときお互いに必要なら、
そのとき必要とし合えばいい。

ずっと一緒にいることを、
約束しなくていい。

私は、

終着点じゃなくていい。

通過点でいい。

そう思う。

もちろん、
それを私が決めることではない。

相手の人生は相手のものだから。

それでも、

その人がたくさんの希望を持っていて、
これから先にやりたいことがあって、
生きることに前向きで、

まだまだ先へ行ける人なら尚更、

私はその人を、
私のところに留めてはいけない気がする。

留まらせてもいけない。

邪魔をしてもいけない。

ただ、

その人の人生の途中で、
一度立ち止まる場所になれたらいい。

そんなふうに思う。

どうしてそんなことを思うのか。

たぶん私は、

これから先の人生を
楽しみにするためのエネルギーが、
あまり残っていないからだ。

朝、目が覚める。

だから仕事へ行く。

やらなきゃいけないことがあるから、
自分の責任を果たす。

今日もシフトをこなす。

そうやって一日を終える。

そんな毎日を、
私は生きている。

前にも記事にしたけれど、ずっと考えている。

生きる意味って、
なんなんだろう。

「意味がないから生きる」

「意味を探すために生きる」

「生きていること自体が意味」

いろんな答えを聞いた。

どれもわかる。

でも、

私は違う答えがほしい。

例えば

数学みたいな答え。

こうやって、

こうやって、

こうやって計算したら、

こうなる。

だから、
あなたが生きている意味は、
これです。

そういう答え。

数字で出してほしい。

たとえその答えを、
私が納得、いや、理解できなくてもいい。

ただ、

「これが答えです」

って言ってほしい。

見た事もない記号であってもいい。

生きていたら、
いつか答えになるよ。

後から振り返れば、
意味があったと思えるよ。

そういう言葉も、
もういらない。

私は、

答えそのものが欲しい。

そんな話を、
昔、好きな人としていた。

大きな水槽がある。

どこまでも大きくて、
もしかしたら無限なのかもしれない水槽。

そこへ、
赤い色を一滴落とす。

最初は、
はっきり赤い。

でも水の中へ広がっていく。

少しずつ薄くなって、

やがて、

赤は見えなくなる。

どこを探しても、
赤い色は見つからない。

でも、

赤いものそのものが、
消えてしまったわけではない。

水の中に溶けている。

見えないだけ。

そして、

ものすごく遠い未来。

ずっと先の、
人間には想像もできないほど先の時間に、

その赤いものが
もう一度どこかに集まって、

また見えることがあるのかもしれない。

いつなのかは、
わからない。

どれくらい先なのかも、
わからない。

もしかしたら、
人間が生きている時間の尺度では、
永遠と言っていいほど先なのかもしれない。

私は聞いた。

じゃあ、

どれだけ長く生きても、

その赤がまた見える瞬間を
人間が見ることはできないの?

って。

できない。

そういう話だった。

それが、

なんだか悲しかった。

だって、

なくなっていないのに。

そこにあるのに。

見えない。

しかも、

それがいつかまた見えるのかどうかさえ、
自分では確かめられない。

人間って、
そういうところにいるんだと思う。

見えるものを「ある」と呼んで、

見えなくなったものを
「なくなった」と思う。

でも本当は、

見えなくなっただけのものが、
世界にはたくさんあるのかもしれない。

誰かと交わした言葉も。

一緒に飲んだ珈琲も。

くだらない会話も。

誰かに抱きしめられた記憶も。

自分が誰かに渡したものも。

誰かの中に残したものも。

もう終わったと思った関係も。

なくなったと思った時間も。

それは本当に、
なくなったんだろうか。

それとも、

ただ、

もう私からは
見えなくなっただけなんだろうか。

物理の世界では、

一度広がってしまったものが、
元の一滴に戻ることは、
私たちの時間感覚では
ほとんど考えられないほど難しい。

熱力学では、
ものが拡散していく方向を
エントロピーの増大として考える。

一滴だった赤は、

水全体へ広がっていく。

「赤」という形を失っていく。

でも、

赤を構成していたものまで
最初から存在しなかったことになるわけじゃない。

形がなくなったことと、

存在しなくなったことは、

本当に同じなんだろうか。

人もそうなんだろうか。

人が死んだら、

その人がいた時間は
なくなるんだろうか。

誰かを好きだったことは?

誰かと笑ったことは?

誰かの人生に
ほんの少しでも触れたことは?

全部、

なくなるんだろうか。

それとも、

赤い絵の具みたいに、

見えないところへ
広がっていくだけなんだろうか。

もしそうなら、

私はそれを
生きているうちに
確かめることができない。

そこが、

かなしい。

ものがなしい。

人間は、
世界の全部を見ることができない。

全部を知ることもできない。

どれだけ考えても、

どれだけ計算しても、

「ここから先は、
あなたにはわかりません」

という場所がある。

たぶん、

生きる意味についても
そうなのかもしれない。

答えがないのではなく、

答えがあるとしても、
それを見るための時間が
人間には与えられていない。

そんなことを考える。

そうすると、

私たちが生きているということは、

もしかしたら、

答えを見ることではなくて、

答えが見えないまま、
何かを水の中へ落としていくことなのかもしれない。

言葉を落とす。

愛情を落とす。

記憶を落とす。

誰かとの時間を落とす。

笑ったことも、
傷ついたことも、

全部、

自分という一滴から
世界の中へ溶かしていく。

そしていつか、

自分の目には
見えなくなる。

それでも、

なくなったとは限らない。

……そうだったらいいのに、

と思う。

本当にそうなのかは、
私にはわからない。

たぶん最後まで、
わからない。

だから私は今日も、

朝、目が覚めたら
仕事へ行く。

誰かと話す。

珈琲を飲む。

服の話をする。

笑う。

ときどき、
ひどく寂しくなる。

誰かを必要として、

誰かに必要とされて、

そしてまた、
離れていく。


生きている間には
知ることができない。

だから、

せめて。

私が見えなくなったあとも、

どこかの誰かの中で、

ほんの少しだけ、

赤いままでいてくれたらいい。

水面に落ちたその瞬間を、
溶けて見えなくなる前の一瞬を。

それだけでいい。

そう思う夜がある。

そういうことを考えながら、

今年の秋冬はどんな服が出てるのかな、
なんてネットを見ていた。

去年あたりからかな。

バレルレッグジーンズとか、
バレルレッグっていうのが流行ってて。

バレルっていうのが
樽っていう意味で、
外側に湾曲した形のパンツ。

それがスタイルよく見えるらしい。

足が細く見えるのかな。

わかんないけど。

で、今年の秋冬もさ。

ユニクロとか見ても、

バレルレッグ、
バレルレッグって。

まだ出してんのよ。

ああ。

まだまだバレルレッグ続くんか。

と思ってさ。

ちょっと嫌気がさしてるんだよね。

私、すごい苦手なの。

なんでこんなガニ股に見えるというか。

外股みたいに見えない?


このモデルが着たところで、
この形だからね。

っていう。

自分に合う人が好きで履くのは、
もちろんいいんだけど。

私はどうしても、

ガニ股に見える。

と思ってしまう。

何が流行るかわかんないね。

バレルレッグが早く終わることを、
ひそかに願ってるんだけど。

なかなか波が終わりませんね。

あと数年は続くんじゃないか、これは。




あ!元気です。
私、大丈夫です(笑)

いつも読んでくれる方ありがとう。

初めて読んで下さった方ありがとうございます。

一応、元気なんだけど、
ただ、こんなことを思っているというだけの話。

ただここにちょっと置かせてもらう。

後から取りに来るかはわかんないけど(笑)



#存在について
#生きるということ

いいなと思ったら応援しよう!