4億円超の未計上債務から利益剰余金6.7億円へ。私が「会社を残すこと」にこだわった理由
会社は、利益が出ているから生き残るのではない。
支払うべき日に、支払える現金があるから生き残る。
中小企業の家に生まれ、子どもの頃から資金繰りを身近に見て育った私が、入社後、4億円を超える未計上債務があることを確認した旅行会社で約21年間経営に携わり、考え続けた「会社を残す」ということについて、書いてみたいと思います。
4億円を超える未計上債務
2004年12月、私はある海外旅行会社に入社しました。
入社後、会社の財務状況を調べていくと、大きな問題が見つかりました。
過去に発生した債務で、帳簿に計上されていなかったものが4億円以上あったのです。
私が入社後に確認した限りでは、単なる経理処理の遅れやミスでは説明できない状態でした。
この問題は、その後、裁判にまで発展し、最終的には和解に至りました。
新しい会社に入り、「これから会社を立て直していこう」と考えていた矢先に、4億円を超える過去の問題と向き合うことになりました。
さらに厄介だったのは、帳簿上の問題だけではありません。
過去に発生した4億円以上の未計上債務の支払いに、現在の事業で入ってくるお金が使われていました。
売上は伸びている。お客様もいる。仕事もある。今の事業そのものは動いている。
それなのに、なぜか会社に現金が残らない。
現在の事業で稼いだお金が、過去の債務の支払いに消えていたからです。
私の旅行会社での約21年間は、そんなところから始まりました。
高価なシステムがあっても、会社の数字が分からない
当時の会社には、それなりに高価で高度な業務システムが導入されていました。
ところが、そのシステムを十分に運用できていませんでした。
システムを運用できていないから、月次の数字をきちんと締められない。
月次を締められないから、債権・債務の残高を正確に把握できない。
債権・債務の残高が分からないから、資金繰り表も作れない。
つまり、
「今、会社にいくらお金があるのか」だけではなく、「これからいくら入ってきて、いくら出ていくのか」が見えていない状態でした。
私には、4億円という金額そのものと同じくらい、この「会社のお金が見えていない」という状態が怖く感じられました。
「経理担当者がいる」=「経理ができている」ではない
中小企業では、経理や財務など管理部門の経験がほとんどない人が、いつの間にか管理部門の責任者になっている、ということも珍しくないと思います。当時の会社でも、管理部門とはまったく異なる分野の仕事をしていた人が、その責任者になっていました。
もちろん、異なる分野の出身だから経理ができない、という話ではありません。
問題は、経理という仕事を体系的に学ぶ機会がないまま、会社の経理や財務を管理する立場になっていたことです。
月次試算表をどう作るのか。決算書につながる数字をどう積み上げていくのか。債権・債務をどう管理するのか。資金繰りをどう把握するのか。
そうした一連の経理業務を十分に理解する機会がなかったのだと思います。
これは担当者個人の能力だけの問題ではなく、経理を体系的に教え、会社全体の数字を管理する仕組みがなかったことの方が、大きな問題だったと私は考えています。
一方で、これは中小企業だけの問題ではありません。
私は、経理という仕事が「1から10」まであるとすると、会社によっては、規模が大きくなり業務が細分化されるほど、自分が担当する一部分しか分からない、ということが起きる場合があると思っています。
1から2までしか知らない。
あるいは、
1から8までは分からないのに、なぜか9の作業だけはできる。
前任者から「この数字をここに入力する」「月末になったら、この処理をする」と教わり、その作業自体はできる。
でも、なぜその処理をするのか。その数字がどこから来て、最終的にどこにつながるのか。
そこまでは分かっていない。
通常通りに仕事が流れている間は、一見すると経理業務が回っているように見えます。
ところが、一つ数字が合わなくなったり、例外的な取引が発生したりすると、原因を追うことができない。
だからこそ、私は中小企業の経理担当者であれば、できるだけ「1から10」まで、経理全体の流れを理解しておくべきだと考えています。
中小企業では、一人の経理担当者が、日々の仕訳から売掛金・買掛金の管理、月次決算、資金繰り、そして決算まで、幅広い業務に関わることが多いからです。
自分が入力している数字がどこから来て、その数字が最終的に試算表や決算書、そして会社の資金繰りにどうつながっていくのか。
一つひとつの作業だけではなく、その先にある会社全体の数字まで理解する。
私は、それが中小企業の経理にはとても大切だと思っています。
システムがあることと、システムを運用できることは違う。
そして、
経理担当者がいることと、会社の経理・財務を管理できていることも違う。
私は入社早々、このことを痛感しました。
21年後、利益剰余金は約6.7億円になっていた
それから約21年。
2025年12月、私はその会社を退職しました。
退職時の決算書に記載されていた繰越利益剰余金は、
約6億7,500万円。
もちろん、これは私一人の力で作った数字ではありません。
社員、取引先、航空会社、ホテル、現地スタッフ、そして多くのお客様がいて、初めて残すことができたものです。
そして、私が大切にしていたのは、会社に利益を残すことだけではありませんでした。
利益が出れば、そこで働く社員にもできるだけ還元する。
社員の給与水準も、旅行業界の中ではトップクラスを目指していました。
会社にお金を残すことと、社員に還元すること。
私は、この二つは相反するものではないと考えていました。
社員にきちんと還元しながら、それでも会社に利益と現金を残す。
それが、強い会社を作ることだと思っていたからです。
4億円を超える未計上債務が確認された会社から始まり、約6億7,500万円の利益剰余金がある会社を離れる。
約21年間を振り返ると、
「なぜ自分は、これほど会社のお金にこだわってきたのだろう」
と思います。
その原点は、旅行会社に入るずっと前にありました。
私が育った家庭です。
母が夜中に掃除をすると、「お金がないんだ」と分かった
私は1974年、静岡県の旧庵原郡由比町で生まれました。
実家は食品関係の中小企業を経営しています。
父は中学校を卒業した後、丁稚奉公を経験し、その後、自分で会社を立ち上げました。現在、創業から52年になります。
今でこそ50年以上続く会社になりましたが、私が子どもの頃は、本当に厳しい時期がありました。
会社にお金がなければ、家にもお金がない。
会社の資金繰りが苦しくなると、家庭の空気も変わります。
今でも忘れられないのが、母です。
会社のお金が厳しくなると、母はなぜか夜中に起きて、家の掃除を始めました。
子どもの私に決算書なんて分かりません。でも、母が夜中に掃除を始めると、
「ああ、今、お金がないんだな」
と分かりました。
それが私にとって、会社の資金繰りが悪くなっていることを知らせるサインでした。
今考えると、ずいぶん変わった「経営指標」です。
でも、私が会社のお金について最初に学んだのは、MBAの授業でも、会計の教科書でもありません。
家庭の中でした。
母から学んだ「現金」の大切さ
母から、お金について何度も言われた言葉があります。
「もらえるお金は、1日でも早くもらいなさい。支払うお金は、1日でも遅く払いなさい」
そして、もう一つ。
「お金は、借りられるときに借りておきなさい。借りたいときには借りられないから」
子どもの頃は、その意味を深く理解していたわけではありません。
でも、後に会社の経理や財務を担当するようになって、この二つの言葉の意味がよく分かるようになりました。
母が言っていたのは、単に「支払いを遅らせろ」とか「借金をしろ」ということではなかったのだと思います。
会社にとって、現金と時間はとても大切だ。
そういうことだったのだと思います。
会社の業績が良く、お金に余裕があるときには、銀行の方から「借りませんか」と言ってくれる。
ところが、本当に資金繰りが苦しくなってから「貸してください」とお願いすると、簡単には貸してくれない。
だから、会社が良いときにこそ、悪くなったときに備えておく。
そして、売上代金はできるだけ早く回収し、支払い条件はできるだけ長くする。
同じ売上、同じ利益でも、お金が入ってくる日と出ていく日が違えば、会社の資金繰りはまったく違います。
私は、この感覚を母から教わりました。
例えば、
半年後にもらえる1,000万円と、今すぐもらえる900万円。
どちらを選ぶか。
私は、「今の900万円の方がいい」と考える人間になりました。
もちろん実際の経営では、金利や利益率、取引先との関係、信用力など、いろいろな条件を考える必要があります。
ここで言いたいのは、100万円の損得ではありません。
「いつ現金になるのか」には、それだけ大きな価値がある。
私が言いたいのは、そういうことです。
半年後に1,000万円入る予定でも、その前に会社の現金がなくなってしまえば意味がありません。
会社は、
利益が出ているから続くのではなく、支払うべき日に支払えるから続いていく。
私はそう考えるようになりました。
会社のお金がなくなる怖さを、子どもの頃に知った
実家では、父だけが働いていたわけではありません。
母も、姉も、弟たちも、私も。家族全員で会社を支えていました。
冬の繁忙期には、学校や部活動より工場の仕事が優先され、母と一緒に徹夜で仕事をしたこともあります。
そして会社が本当に苦しかった時期には、家族の会話に「保険金」という言葉まで出てくることがありました。
ある夜、両親が小さな声で、
どちらかが海に身を投げれば、その保険金で会社を何とかできるのではないか――
そんな話をしているのを聞いてしまったことがあります。
私は布団の中で、声を出さないように泣きました。
幸い、そのようなことにはなりませんでした。
でも、私はこのときのことを忘れたことがありません。
そして、もう一つ忘れられない光景があります。
会社の資金繰りが本当に厳しくなったとき、銀行に融資をお願いしても、お金を貸してもらえない。
親戚や知人に助けを求めても、簡単に助けてもらえるわけではありませんでした。
私は、母が父方の祖父母に土下座をして、助けてほしいとお願いしている姿を見たこともあります。
子どもだった私には、会社の詳しい事情までは分かりませんでした。
ただ、
「会社からお金がなくなるということは、ここまで人を追い詰めるのか」
ということだけは、子どもながらに感じていました。
そんな中で、最後に手を差し伸べてくれた人がいました。
父の親友です。
その方は、父のために保証人になることを引き受けてくれました。
今、自分が大人になり、会社経営にも長く携わってきたからこそ、その決断がどれほど大きなものだったのかが分かります。
もし私がその方と同じ立場だったら、友人の会社のために保証人になれるか。
私には、できないと思います。
それほど大きなリスクを背負って、父と会社を助けてくれた人がいた。
そのことを、私たち家族は今でも忘れていません。
今でも、その方には家族全員が頭が上がりません。
会社が苦しいとき、誰かが助けてくれることはあります。
でも、それを当たり前だと思ってはいけない。
本当に資金繰りが苦しくなってからでは、銀行からお金を借りることも、人に助けてもらうことも簡単ではありません。
だから私にとって「資金繰り」は、単なる会計用語ではありません。
会社に現金があるかどうかは、そこで働く人と、その家族の人生にまで関わる。
そして、
会社が良いときにこそ、悪いときに備えておかなければならない。
私は子どもの頃に、家族の姿を通して、そのことを知りました。
だから私は「現金商売」がしたかった
そんな家庭で育ったからでしょうか。
私は子どもの頃から、
「大人になったら現金商売をやりたい」
と思っていました。
例えば、立ち食い蕎麦屋を何店舗も経営する。
なぜ蕎麦屋なのか。
特別、蕎麦が好きだったからではありません。
毎日、現金が入ってくるからです。
実家の食品会社では、商品を作り、納品し、売上を計上する。
でも、お金が入ってくるのは後です。
売掛金になり、当時は手形での取引もありました。
一方で、原材料費、人件費、電気代、工場の経費などの支払いは待ってくれません。
売上はある。
利益もある。
でも、
現金がない。
だから私は昔から、
「いくら売ったのか」より、「そのお金はいつ入ってくるのか」
を気にするようになりました。
売上だけでなく「入る日」と「出る日」を見る
この感覚は、その後、実際に会社の経営に携わるようになっても変わりませんでした。
例えば、1億円の商品を売った。
それだけでは、私には十分な情報ではありません。
その1億円は、いつ入金されるのか。
そして、その売上を作るための仕入代金は、いつ支払うのか。
ここが重要です。
売った商品の代金が入るのは90日後。でも、仕入先への支払いは30日後。
これでは、売れば売るほど、その間の運転資金が必要になります。
逆に、お客様からの入金が先で、仕入先への支払いが後なら、同じ売上、同じ利益でもキャッシュフローはまったく違います。
だから私は、販売条件と仕入条件をセットで考えるようになりました。
いくらで売るか。いくらで仕入れるか。
それだけではない。
いつ回収するか。いつ支払うか。
これも経営です。
私にとっては、
利益を作ることと、キャッシュフローを作ることは、同じくらい重要でした。
振り返ってみれば、これは母から言われた、
「もらえるお金は1日でも早く、支払うお金は1日でも遅く」
という言葉を、会社経営の中で実践していたのかもしれません。
この考え方は、後に旅行会社で販売先の構成を見直し、入金と支払いのタイミングまで含めて、販売の仕組みそのものを変えていくことにつながりました。
その話は、今後このnoteで詳しく書いていきたいと思います。
MBAより先に、家業で経営を学んでいた
その後、私はアメリカの大学院でMBAを取得しました。
帰国後は実家の会社で、経理・総務・財務を担当しました。
父とは経営について意見が合わないこともあり、最終的に実家の会社を離れます。
そして縁があって、2004年に海外旅行会社へ入りました。
そこで出会ったのが、冒頭に書いた、
「売上を作る力はあるのに、会社を管理する仕組みが追いついていない会社」
でした。
私が最初に取り組んだのは、難しい経営理論ではありません。
会社の数字を、きちんと見えるようにすること。
売上はいくらなのか。
利益はいくらなのか。
債権はいくらあるのか。
債務はいくらあるのか。
いつ、いくら入金されるのか。
いつ、いくら支払わなければならないのか。
そして半年後に、会社にいくら現金が残るのか。
当たり前のことばかりです。
でも、
この「当たり前」を毎月正確に行い、それを何年も続ける。
私は、それが会社経営ではとても大切だと思っています。
そして改めて学びました。
高価なシステムを買っただけでは、会社は管理できない。
システムを使う人がいる。正しい数字を入力する。数字を確認する。おかしければ原因を調べる。そして、その数字を経営判断に使う。
そこまでやって、初めてシステムは意味を持ちます。
リーマンショックが、私の経営を変えた
2008年、リーマンショックが起きました。
旅行業界にとっても厳しい時期でしたが、会社は何とか乗り切ることができました。
ただ、私にとっては、この経験が一つの大きな転換点になったように思います。
会社の経営が苦しくなったとき、最後に会社を守れるのは誰なのか。
もちろん、銀行や取引先などに助けてもらえることもあります。
しかし、本当に危機的な状況になったとき、誰かが必ず助けてくれるという保証はありません。
だから私は、この頃から強く考えるようになりました。
「会社が良いときに利益を残し、内部留保を積み上げて、いざというときに自分たちで会社を守れるようにしておこう」
会社にお金があるときに使い切ってしまうのではなく、悪いときのために残しておく。
銀行から借りられることを前提にするのではなく、できるだけ自分たちの力で危機を乗り越えられる財務体質を作る。
リーマンショックを経験して、私はそのことを強く意識するようになりました。
そして、その考えで会社に利益と現金を残し続けたことが、12年後、想像もしなかった危機のときに大きな意味を持つことになります。
そして、コロナがやってきた
それから約12年後の2020年。
新型コロナウイルスが世界を襲いました。
海外旅行業界は、大きな打撃を受けました。
飛行機が飛ばない。
国境を越えられない。
旅行会社なのに、海外旅行を売ることができない。
コロナ前10年間の平均売上高は約52.6億円。
それが2020年度には約14億円、2021年度には約3億円まで落ち込みました。
それでも、
金融機関からの期末借入金残高は0円。
社員の基本給もカットしませんでした。
カットしたのは、
私自身の役員報酬だけです。
なぜ、それができたのか。
私は、
会社が良いときに、利益を全部使わず、会社にお金を残してきたから
だと思っています。
私にとって内部留保は、
何かあったときに、会社と社員を守るためのお金
でした。
子どもの頃、あれほど怖かった「会社から現金がなくなる」ということ。
母から教えられた現金の大切さ。
販売と仕入のタイミングを見る習慣。
それらが何十年も経って、コロナという最大級の危機の中で会社を守ることにつながりました。
「会社を大きくする」より「会社を残す」
私が経営で大切にしてきた目標があります。
それは、
「企業を永続させること」
です。
売上100億円。
業界最大手。
急成長。
もちろん、それを目標にする経営もあると思います。
でも、私が一番大切だと思っていたのは、
会社がなくならないこと。
会社は、一年だけ大きな利益を出せばいいわけではありません。
10年。20年。30年。
そして、できれば次の世代へ。
私が育った実家の食品会社は、創業から52年。
私が約21年間勤めた旅行会社も、創業から52年。
業界も規模もまったく違う二つの中小企業です。
でも、どちらも半世紀を超えて続いている。
私は、このことに大きな価値があると思っています。
景気の良いときもある。悪いときもある。ヒット商品が出ることもある。売れなくなることもある。
旅行会社では、テロ、火山噴火、地震、空港閉鎖、航空会社の撤退、そしてコロナも経験しました。
それでも、
会社が残っている。
これが大事なのだと思います。
4億円超の問題から始まり、利益剰余金6.7億円の会社を離れた
2025年12月末。
私は約21年間勤めた会社を退職しました。
そのときの繰越利益剰余金は、
約6億7,500万円。
最初に会社の財務を見たときとは、まったく違う姿になっていました。
ただ、私が約21年間の経営で学んだことは、
「どうすれば6億円を貯められるか」
ではありません。
売上を見る。でも、現金も見る。
利益を見る。でも、その利益が現金として残る仕組みになっているかも見る。
販売価格を見る。でも、入金日も見る。
仕入価格を見る。でも、支払日も見る。
利益が出たら、社員にも還元する。そのうえで、会社にも利益と現金を残す。
会社が成長したら、営業だけではなく管理体制も成長させる。
そして、
良いときに、悪いときの準備をする。
会社がなくならなければ、失敗してもまた挑戦できます。
社員の雇用も守れる。
新しい商品にも挑戦できる。
お客様との関係も続けられる。
だから私は、
「企業は永続していくことが大事」
だと考えてきました。
振り返ってみると、MBAで学ぶずっと前から、その多くを父と母、そして実家の会社から教えてもらっていたのだと思います。
このnoteで書いていきたいこと
2025年12月に会社を離れ、一つの区切りがつきました。
そこで、これまで経験してきたことを少しずつ文章に残してみようと思います。
このnoteで書きたいテーマは、大きく二つです。
旅行業界、海外旅行、バリ島のこと。
そして、
中小企業の経営、会社運営のこと。
私は経営評論家でも、経営コンサルタントでもありません。
成功したこともあります。失敗したこともあります。
今振り返れば、「あの判断は間違っていたな」と思うこともあります。
だから、「これが経営の正解です」と教えるつもりはありません。
一人の人間が、中小企業の現場で実際に経験し、考えてきたこと。
それを書いていこうと思います。
中小企業を経営している方、家業に関わっている方、会社の数字や資金繰りに悩んでいる方、そして旅行業界で働いている方に、何か一つでも参考になることがあればうれしく思います。
次回は「1社で60%を超えさせない」
次回は、
「1社で60%を超えさせない」
という、実家の会社で母から教わった経営の考え方について書きます。
実家の会社では4つの工場を運営し、OEM製品も数多く製造していました。その中で母が大切にしていたのが、一つの工場で、特定の一社の稼働率が60%を超えないようにすることでした。
大口取引先は、もちろんありがたい存在です。
しかし、一社への依存度が高くなりすぎれば、その会社の仕事がなくなったときの影響は大きくなります。
さらに、価格や取引条件に対する自社の交渉力も弱くなっていきます。
一方、父からは、OEMだけに頼るのではなく、自分たちの商品を作り、自分たちで販売することの大切さを教わりました。
OEMで工場を安定して稼働させながら、一社に依存しすぎない。
そして、自社の商品を作り、自分たちで売る力も持つ。
私は子どもの頃から、そんな会社経営を身近で見てきました。
そして何十年か後。
私は旅行会社のBtoB中心のビジネスの中で、これとよく似た構造を見ることになります。
「売上はいくらあるか」だけではなく、「その売上を誰に依存しているのか」。
次回は、実家の工場経営と、その後の旅行会社での経験を重ねながら、「依存しない経営」について書いてみたいと思います。
これから、よろしくお願いします。
