「表現の自由」は批判されない権利ではないだろ
常日頃から、というか直近ですら「手に負えないものを扱うべきではない」と言っているように、出来る限り物申し系ムーブは避けたいんですが。
だからまあ、物申したいわけではなくて、実際の状況を見て察したことというか、実情への理解です。
何事にも、ラインってありますよね。人それぞれ。
表現の自由とは、何を作っても批判されない権利ではない。
これは当たり前の話ですよね、理解していなさそうな人も散見されるとは言えど。
少なくともド素人の一般消費者である自分ですら理解できているのだから、コンテンツ制作側のプロはもっと理解しているでしょう。
普通に考えるならば。
作りたいものを作る自由があるなら、それを見た側にも「これはひどい」「これはまずいんじゃないか」と言う自由がありますね。
もちろん、創作物に対する批判が行き過ぎることもありますが。
作者個人への人格攻撃、脅迫、デマ、関係者への嫌がらせとかは基本的に、道理として許されることはほぼあり得ません。
しかし、だからといって作品やその売り方に対する批判まで、
「表現の自由なんだから文句を言うな」
で封じられるわけでもないですよね。
むしろ本当に表現の自由を重視するなら、作品を出す側だけでなく、それを批評する側の自由も同じように認めなければおかしいんですから。
と言っても、自分は相当に創作に対する見方は甘い側の人間だと思っていますが。
この世の殆どの創作は(自分にとっては)所詮エンタメコンテンツでしかなく、娯楽として消費するものでしかないので。
「ぬきたし THE ANIMATION」
「ぬきたし」なんて作品を好きなゲームに挙げている時点でそこは自明です。
あれは中身のテーマが実はかなり真面目であるところを加味したところで、だいぶ危ういコンテンツであることは言うまでもありませんから。
下ネタパロディに至っては普通に倫理的にアウト寄りだとすら思いますが、何ならそれが一番の売りですらありますし。
際どいネタを使っている上でふざけ倒しているにも関わらず話の核は相当真面目、というかなり歪んだ作品です。
ヘンプリはさらに真面目度が引きあがっていましたね。
だから自分はぬきたしのアニメ化に関して最も、第一に評価しているのが「炎上しなかったこと」なんです。何度か書いた気がしますが。
「うまくやれたら面白いだろうけど普通にお出ししたら9割がた燃えないかな?」とかなり心配していました。
しかし結果としては、少なくとも自分の知る限りでは「炎上」と呼べるようなことは起こりませんでした。
誰も文句を言わなかった、誰も不快に思わなかったとまでは流石に思いませんが、炎上と呼べる規模でまとまった何かは無かったと思います。
そしてこれが、かなり過剰気味に感じたゾーニングと規制のおかげである割合が大きいのも確かだと考えています。
ぬきたし、というかQruppo作品は基本「バカなノリで引き込んで割と真面目なテーマをぶつける」という作風が強いので、自分のように作品を楽しめる人間の視点では確かに、真面目なテーマも扱っているエンタメ作品だなという理解はできるかと思います。
が、それが世間一般の全員に通用するとは到底思えません。それが悪いことだとも思っていません。
そもそも最初のバカなノリの時点で人によってはドン引きするでしょうし、真面目なテーマ部分も専門家がガチで検証して倫理的に何も問題の無い描写ができているのかと聞かれれば自分は専門家でもないのでわかりませんし、ほぼファンタジーみたいなもんだろとは言えど一応は現代社会上に存在していることになっている世界観なので、リアリティとの接続も起きています。
でも燃えませんでした。
相当意識的に見ようと思わないとまともに視聴できないレベルのゾーニングと、更に完全に近い内容を見るためには高めなハードルが設定されている規制があったからでしょう。
「嫌なら見るな」を通り越して「見たくても見づらい」のレベルでした。
正直、問題なく作品を楽しめる自分個人のみが視聴者だとするならば、迷惑な話です。
が、視聴者は自分のみではないので、炎上を回避するならそれくらいのことはして然るべきだったのでしょう。
そして自分は別に自分が手軽に規制なしの作品を見れればコンテンツそのものや制作会社が炎上しても構わないとは思っていなかったので、結果としてあの強烈な規制もかなり許容できています。
これは別に、「規制したから内容そのものが倫理的に問題なくなった」という意味ではありません。
そんなわけはない。中身は中身です。
ただ、危ういコンテンツを危ういコンテンツとして認識したうえで、「それでも見たい人が自分から見に行く」形になるよう、届け方の側で相当に気を遣った。
自分が評価しているのはそこなわけですね。
まあ普通にノベルゲームのアニメ化としてはかなりクオリティ良い方なので出来だけでも評価してますが。
「嫌なら見るな」という言葉は乱暴ですが、基本的には非常に強力な正論パンチです。
少なくともそれが「単なる娯楽として消費される作品」ならば。
ぬきたしは明確に娯楽作品ではあるものの、それだけで逃げきれる範疇かと言われると微妙な作品だとも思います。
だからこそ、「目に入りにくくする努力」をしたのでしょう。
ただのポーズかもしれませんが、ポーズをとることは大事です。ちゃんとしたポーズを取れるなら、ですが。
だって「炎上するかしないか」ってあくまで周囲の感情で決まるものですからね。
内輪以外にも見てほしいが、あまりにも内輪の外に広がりすぎないようにもしていたのだと思います。
「嫌なら見るな」では処理できないケース
嫌なら見なくても済む環境を整えること…よりもその前提として。
「ただの娯楽作品で済んでいるか否か」は重要だと思うんですよね。
その範疇も人それぞれとは言えど、例えば「恋愛作品は苦手なので目に入らないようにしてほしい」なんて文句は世間に通じるでしょうか?
自分は無理だと思います。流石に「お前が自衛しろよ」で終わるでしょう。
ただの単なる好き嫌い.comで「嫌だから見せるな」は中々納得されないと思います。
でもそれが、現実に存在する弱い立場の人々や、障害、貧困、虐待、性搾取といったものを極めて生々しく題材にしたものだった場合。
その中身を作中でどう扱っているのかも含めて、世間の目はかなりシビアになるでしょう。
Qruppo作品も、まあそうでしょうね。
ただQruppoの場合、そういうネタの方が「核」に近くてパッと見ではあまりわからないようにもなっていたりするので、感情曲線的に拒否感が(比較的)生まれにくいつくりではあるのですが。
それでもその自覚があるからこそ、アニメ化しつつも、世間の目にはあまり触れにくい形でのアニメ化になったわけでしょう。
「単なる娯楽扱いして大丈夫なのか」というケースですね。
そういう作品に対して、「私はこういう暗い話が嫌いです」と言っているだけなら、「嫌なら見るな」でも別に終わる話なんですが。
「現実に存在する人々の生々しい境遇そのものが、刺激の強い見世物として消費されていないか?」みたいなマジレス気味の批判だったら少し話は変わります。
そこで問われているのは視聴者個人の不快感ではなく、「それをその形で娯楽商品化することをどう考えているのか」だからです。
別にこれに回答する義務も無いのですが、回答を避けた場合どう思われるのかを制限する権利もまた無いでしょう。
嫌なら見るなが強く成立するのは、争点が基本的に個人の嗜好で完結している場合に限ると思うんですね。
回答たり得るのは「私はこれが嫌いだ」までであって、「あなたは何を商品価値として売っているのか」というようなマジレスに対する真面目な回答にはなりません。
で、先述したように、それを問われるリスク(別に本当に真面目なつもりで作っているなら大したリスクではないのだが)は、扱っているネタと現実の距離感が近いほど跳ね上がると思います。
例えば同じような話でもハイファンタジー世界観の上でやるなら、かなりそんなマジレスをされる可能性は低いでしょう。
最初からファンタジーで、現実と距離を取っているので。
「現実に近い作品として受け取られること」と「その現実認識に疑問を持たれる描写」が重なると、当然マジレスの対象になります。
テニプリでブラックホールが出てきてもあまり問題ありませんが、ハイキューくらいの温度感でブラックホール出てきたら多分炎上するかはさておき荒れますよね。スポーツ漫画を率先して読むわけじゃないので変な例え方になってしまいました。
現実の社会と極めて近い世界で、現実に存在する属性や境遇を強く連想させる人物を生々しく描けば、
「これは現実の誰かを観察して、その姿を見世物にしているのではないか」という疑問が出てくるのはまあ当然として。
厄介なのは、その生々しさこそが作品の魅力だったりすることでしょう。
本当に現実性が高いのかは別として、現実に近いから刺さる。現実に近いから怖い。現実に近いから話題になる。
しかし同時に、現実に近いからこそ倫理的にも危ういわけです。表裏一体ですね。
しかしどこまで行っても確かに表現の自由自体はあります。
極論、個人の作家が、「面白いと思ったから描きました。悪趣味と言われても知りません。どうぞ勝手に批判してください」と作品を世に出すなら、それを止められる人は多分居ないでしょうし、それはその人の勝手だと思います。
描きたいから描いた。表現の自由ですね。
でもまあ、「批判しないでください」は絶対に通りませんよね。
通るわけがないのでそんなことを言う人も普通居ないとは思いますが、これが企業の出す商業作品とかになるとまた話は変わりそうです。
と言っても表現の自由が失われるわけではありません。批判されることに対するリスクが跳ね上がるだけです。
批判される可能性が上がるのではなく、批判されることによるダメージが大きくなるという意味で。
自分のような個人がなんかやってて痛烈な批判を浴びたところで、精々が気分悪くなるくらいだと思います。
プロの人(なんの?)ならまた話は違うでしょうけど、それですらも完全に個人でやっているならその人の気持ちひとつで批判されるような行動の実行は決められるでしょう。
失うものが少ない「無敵の人」になれてしまうということです。
流石にプロの人はそこまで行けない気はしますが。行けなくていい。
しかし、「無敵の企業」はそうそうありませんよね、少なくとも株式会社では。当然、規模がデカければデカいほど。
世間からの印象が悪化しすぎると普通に大ダメージを受けかねないわけで、だからこそイメージ戦略だのなんだのが重要視されるわけで。
「この作品を出したい」という意思と、「この作品のためにどこまで企業全体の信用を賭けていいのか」が同じ天秤に乗せられることになります。
だから企業は、「表現の自由があるから好きに作ります」で終わらせることは難しいのでしょう。
なので、突っ込みが入れられたらそれに対して声明、もとい言い訳が必要になるのだと思います。
「アニメで表現する意義がある」だの、「専門家の助言も受けながら作る」だの。
何も言い訳しなければ、「差別や偏見を助長している作品を大々的に売り出そうとしている企業」というレッテルを貼られっぱなしにされてしまいますからね。
しかしその言い訳が通用するかどうかは別の話です。
作品…というより、作品のアニメ化を正当化するための要素を用意して提示したなら、それを検証されてもおかしくありませんし、それに文句は言えません。
例えばまた別の専門家に「これ本当に専門家の助言受けてるんですか?誰ですか?」と言われたら、それに答えなければ、また宜しくない目で見られるでしょう。
「意義って具体的に何ですか?」
「過去の制作側の言動からして、そんな真面目なテーマを描いてるつもり無いのでは?」
と、更なるマジレスが襲い掛かってくるのも当然あり得るでしょう。
真面目っぽく振舞って誤魔化すなら、真面目に問い質されるのも至極当然です。
本当に真面目にやってるはずなら答えられるはずですからね。
そして答えられないなら、「専門家の助言も受けながら作る(だから素人は黙っとれ───)」だったのか?となりかねません。
「専門家」という言葉を出せば議論が終わるのではなく、むしろそこから検証が始まるわけです。
そこで答えられなければ、「専門家の助言等も得ながら制作します」という言葉自体が、批判を黙らせるために権威を借りただけだったのではないか、と疑われても仕方がないでしょう。
自分がそう思っているかではなく、一般論として。
こうなるのを避けるのならやはり、内輪からあまり外に出てくるべきではないと思うんです。
商業作品だからある程度は広めようとしないといけないにしたって、大々的にやろうとして多くの人の目に止まって反発されるのは当然予想できることです。
プロの人は自分なんかより遥かに予想できているとは思うんですが…プロなんだし…
内輪の外に広がれば広がるほど、言い訳は通じづらくなります。
「まあまあ、そういうテイでわかるでしょ?」という内輪でだけ成立していた暗黙の了解は、外に出れば出るほど通用しなくなります。
内輪では「これはこういう作品だから」「こういうノリだから」で済んでいたものも、文脈を共有していない人間から見れば、当然ながら額面通りにマジレスされます。
内輪では「そこまで真面目に考えなくても分かるでしょ」で済んだとしても、外の人間にはそんな義理はありません。
しかもそれが、元々どう見てもそんな真面目なノリじゃなかった、少なくともそれまで刺激性や悪趣味さも含めて娯楽として消費されていた作品がいきなり展開に伴って真面目ぶりだした場合は、既存のある程度理解している層からすら反発されかねないわけで。
ぬきたしの場合は原作が最初から最後まで入っている一本のゲームなのもあって、既存層の感想が「実は真面目な中身がある」という理解になりやすかったのもその辺りマシなポイントだったのかもしれませんが。まあアレはそれ以上に規制頑張りまくったからかな…
連載形式の作品の場合はそもそも作品自体、連載中にノリをあっさり変更出来ちゃったりするので、元々「そういうことをやりかねない」という目でも見られやすいですよね。
結局のところ、最初から真面目にやるつもりがないのにマジレスされてしまったなら、無理やり真面目ぶらない方がいいと思うんです。やるなら本気でやれよ、とも言えますが。
小手先で逃れようとしたところで更なるマジレスで返されてしまい、余計状況が悪化します。
内輪でコソコソと悪ふざけしてた人が、真面目な人のマジレスに返しきれるわけがないじゃないですか。
そもそも最初から、厳密な批判に耐えるために組み立てた理屈ではないのですから。
別にマジレスされても無視してノーダメにできるならまだ良いですけど、ちゃんとそれが効くならダメじゃないですか。
この記事だって同じです。
これも明確に「内輪でコソコソやってる側」ですから、真っ当なマジレスに対抗するのは難しいでしょう。
「これ反論されにくいよう遠回しにしてるけどどう見ても『みい山』に関する一連の騒動の話でしょ?」って言われて、「いや別に固有名詞なんも出してないじゃないですか」って言い訳が内輪以外で通じるとは中々思えません。
「では何の話をしていたんですか?」「サムネがミヤマクワガタなのは何故ですか?」って聞き返されて、「ぎゃふん」と答えて敗北です。
「察してもらう」ことで成立している言外の曖昧さは、万能の逃げ道ではないんですよね。
だからまあ、これに関して本当に言いたかったのは作品の是非がどうこうじゃなく、売る側は一体どういうつもりだったんだろう…って話だったりするんですけど。
別にアニメなんて自分には関係ないし。
至極当然の流れから至極当然の結果に繋がっているように見えます。
わかっててやってても、わかってなくても、どちらにしろそれどうなん?という感じ。
流石に当然わかるだろと思うんですけど、対応見てると、マジでわかってなかったの?という感じ。
表現の自由って、自由に対する責任とセットで成立するもんだと思うんですが。
なぜか前者だけで成立していると勘違いしてる人が多いような気がしますね。
いや、別に責任取らないという選択肢もありますよ?
でも責任取らないという行為にも当然それ相応の反応が返ってきますよね。
自分のnoteみたいな本当に何の利益にもならない自己満足ならともかく、企業の商売でそれをやる勇気はあるんですかね?
「嫌なら見るな」と突き放す自由があるなら、世間から「そこまで批判されたくないなら世に出すな」と迫られることも甘受しなければ。
もちろん、それに従って本当に出すのをやめる義務なんてありません。
ただ、コンテンツを作る側だけが相手を突き放す権利を持っているわけではない、というだけの話です。
つっても本来自分は、消費者側の都合として創作者が優遇されて欲しい側なんですけどね…
自由にやってほしい。
でも自由にやった結果として何を言われるかまでは保証できない。
そこまで含めて表現の自由なんじゃないでしょうか?
