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#486「沢村賞」の起源は太平洋戦争にあった?

プロ野球では、シーズン終了後になると「沢村賞」が注目されます。

その年に活躍した先発投手の中から、特に優れた投手に贈られる賞です。2026年も、どの投手が沢村賞に選ばれるのか、注目が集まるでしょう。

ところで、なぜこの賞には「沢村」という名前が付いているのでしょうか。

その由来は、「沢村栄治」という巨人軍のプロ野球選手です。

沢村栄治は、プロ野球の歴史を語るうえで欠かせない伝説的な投手です。

しかし、その野球人生は戦争と深く結びついていました。

沢村賞とは何か?

沢村賞の正式名称は「沢村栄治賞」です。

1947年に制定され、故・沢村栄治の功績をたたえて、その年に最も優れた先発完投型投手に贈られてきました。

現在の沢村賞では、勝利数や防御率だけでなく、完投数、投球回数、奪三振数、登板数、勝率なども選考の際に考慮されます。

なぜ、先発投手の大きな栄誉となる賞に「沢村栄治」という名前が付けられたのでしょうか。

その答えを知るためには、まず沢村栄治という人物について見ていく必要があります。

沢村栄治はどんな投手だったのか?

沢村栄治は1917年、三重県に生まれました。

1936年に始まった日本のプロ野球で、巨人の前身である東京巨人軍の投手として活躍します。

特に有名なのが、1936年9月25日の大阪タイガース戦です。

この試合で沢村は、日本プロ野球史上初となるノーヒットノーランを達成しました。その後もノーヒットノーランを通算3度記録しています。
通算成績は63勝22敗、防御率1.74。現在のように投手分業制が確立していなかった時代とはいえ、非常に優れた成績です。

さらに沢村は、1934年の日米野球でも活躍しました。

ベーブ・ルースやルー・ゲーリッグらを擁する大リーグ選抜を相手に、若き沢村が好投したことは、後に伝説として語り継がれることになります。

当時の日本プロ野球は、まだ始まったばかりでした。

その中で沢村は、日本を代表する投手として知られる存在になっていったのです。

戦争が沢村の野球人生を変えた

しかし、沢村の野球人生は順調には続きませんでした。

1938年、日中戦争が続く中、沢村は初めて召集されます。
その後も召集を受け、戦地での軍務を経験しました。

その間、手榴弾を投げるなどしたことで肩を痛め、かつてのような速球を投げることが難しくなったとされています。戦地から戻った後も登板を続けましたが、かつての剛速球は失われていました。

それでも沢村は投手を続けます。
選手生活終盤は、投球フォームをサイドスローへ変更し、変化球主体の技巧派投手になったと言われています。

しかし、戦争は沢村から野球選手としての時間を奪っていきます。

1943年のシーズンを最後に、沢村はプロ野球の公式戦から姿を消しました。そして1944年、3度目の召集を受けます。

沢村が乗っていた輸送船が、1944年12月2日、東シナ海でアメリカ軍の潜水艦による攻撃を受けて沈没しました。

沢村栄治、27歳。

日本を代表する投手は、戦場へ向かう途中で命を落としました。

その後、沢村栄治が背負った背番号14番は、巨人の永久欠番となりました。

戦没した野球選手は沢村だけではなかった

ここで忘れてはいけないのが、戦争によって命を奪われた野球選手は沢村だけではなかったということです。

例えば、阪神の前身である大阪タイガースで活躍した景浦将も、その一人です。

景浦は1936年のプロ野球創設期から活躍した選手で、「投」の沢村に対して「打」の景浦と並び称されたスター選手でした。打者としてだけでなく投手としても活躍し、1936年秋には最優秀防御率と最高勝率を記録しています。

その景浦も戦争に召集され、1945年5月20日にフィリピンで戦死しました。

そして、東京ドームには現在、「鎮魂の碑」があります。

これは戦争で命を落としたプロ野球選手を追悼するために1981年に建立されたもので、現在73人の名前が刻まれています。沢村栄治や景浦将の名前も、そこに刻まれています。

沢村賞は戦後復興の中で生まれた

沢村賞が制定されたのは1947年です。

つまり、1945年の終戦からわずか2年後でした。戦争で大きな被害を受けた日本で、プロ野球が再び人々の前に戻ってきた時期でもあります。

1946年には戦後初のプロ野球公式戦が行われ、翌1947年には沢村賞が制定されました。最初の受賞者は南海の別所昭です。

現在では、「沢村賞」と聞けば、その年のエース級投手を表彰する華やかな賞を思い浮かべるでしょう。

しかし、その名前の由来をたどると、そこには太平洋戦争の中27歳の若さで亡くなった一人の投手の人生があります。

戦後間もない1947年に始まった沢村賞は、今も毎年、その名前とともに沢村栄治の存在を私たちに伝えています。

甲子園やプロ野球から戦争を考える

8月は、甲子園では高校球児たちが白球を追い、プロ野球のペナントレースが終盤に差し掛かる季節です。

私たちにとって、野球は当たり前のように存在するスポーツです。

一方で、8月は広島・長崎への原爆投下、そして終戦の日があることから、戦争について考える機会の多い月でもあります。

野球の歴史を振り返ってみると、

戦争によって野球を続けることができなくなった選手たちがいたことに気づきます。

沢村栄治も、その一人でした。

そして現在、私たちは毎年のように「沢村賞」という名前を耳にします。

それは単に、その年に活躍した投手を表彰する賞ではありません。

その名前をたどれば、プロ野球が始まったばかりの時代に活躍し、戦争によって27歳で命を落とした一人の野球選手の人生に行き着きます。

野球が盛り上がる8月、スポーツを入り口にして戦争の歴史を考えることも、過去を知る一つの方法なのではないでしょうか。

【目次】


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