#458 なぜ日本ではデモが少ないのか?
海外のニュースを見ていると、
大勢の人が道路を埋め尽くし、政府に対して抗議の声を上げている場面をよく目にします。
フランスでは年金改革への反対デモ。
アメリカでは人種差別問題をめぐる大規模な抗議活動。
韓国でも政治問題をきっかけに大規模集会が開かれることがあります。
一方、日本ではどうでしょうか。
もちろんデモがまったく存在しないわけではありません。
しかし、
「海外に比べると少ない」
という印象を持つ人は多いのではないでしょうか。
では、なぜ日本ではデモが少ないのでしょうか。
その背景には、日本社会の特徴と、戦後の歴史が大きく関係しています。
そもそもデモとは何か
デモとは、
自分たちの意見や要求を社会や政府に伝えるための集団行動
です。
正式には「デモンストレーション」と呼ばれます。
例えば、
・政治への抗議
・労働条件の改善要求
・環境保護活動
・平和運動
など、さまざまな目的で行われます。
民主主義国家では、
表現の自由 や 集会の自由
の一つとして認められています。
日本国憲法でも、
集会・結社・言論・出版その他一切の表現の自由
が保障されています。
つまり、デモは民主主義社会における正当な政治参加の方法の一つなのです。
日本にデモがないわけではない
まず確認しておきたいのは、
日本でもデモは行われている
ということです。
例えば、
・安全保障関連法への反対デモ
・原発再稼働反対デモ
・最低賃金引き上げ運動
・財務省解体デモ
などは近年も行われています。
特に財務省解体デモは近年SNSなどで大きく注目を集めました。
物価上昇や増税への不満を背景に、
「財務省の政策に問題があるのではないか」
と考える人々が集まり、全国各地で抗議活動が行われています。
賛否はありますが、
日本でも一定規模の政治的デモが行われていることを示す事例の一つと言えるでしょう。
ただし海外で見られるような、
数十万人規模
あるいは
社会全体を揺るがす規模
のデモは比較的少ないと言われています。
つまり、
「ゼロではないが目立ちにくい」
というのが実態です。
また、「日本ではデモが少ない」と感じる理由の一つとして、報道のされ方の違いも考えられます。
海外の大規模デモは、暴動や交通の混乱を伴う場合も多く、国際ニュースとして大きく取り上げられることがあります。
一方、日本のデモは比較的平和的に行われるケースが多く、ニュース番組で扱われても短時間で終わることがあります。
そのため、実際には一定規模のデモが行われていても、私たちが目にする情報量は海外の事例より少なく感じられることがあります。
つまり、「デモが存在しない」のではなく、報道量やニュースでの扱われ方の違いが、『日本ではデモが少ない』という印象につながっている可能性もあるのです。
理由① 日本は比較的安定した社会だから
デモが多い国には共通点があります。
それは、
社会への不満が非常に大きい
ことです。
例えば、
・高い失業率
・急激な物価上昇
・政治腐敗
・独裁的な政権運営
などです。
フランスの年金改革デモも、
単なる制度変更への反対だけではありません。
生活への不安や政府への不信感が背景にあります。
もちろん日本にも不満はあります。
しかし世界全体で見ると、
・治安
・行政サービス
・インフラ
などは比較的安定しています。
そのため、
「生活が立ち行かなくなるほどの不満」
を持つ人の割合は相対的に少ないと言われています。
実際、日本では政治への不満があっても、
生活そのものが崩壊するような状況は比較的少ないのです。
理由② 学生運動の負のイメージが残っている
日本でデモが少ない理由として、歴史的な背景も見逃せません。
1960〜70年代、日本では大規模な学生運動が起こりました。
当時は、
・安保闘争
・大学紛争
・全共闘運動
などが全国で展開されます。
政治や社会への不満を背景に、多くの学生がデモや抗議活動に参加しました。
しかし運動が過激化する中で、
・警察との激しい衝突
・大学の占拠
・過激派組織同士の対立
なども発生します。
特に社会へ大きな衝撃を与えたのが、
内ゲバと呼ばれる過激派同士の暴力です。
政治的立場の違いから仲間同士で集団リンチが行われ、死者が出る事件もありました。
また、1972年には連合赤軍による
あさま山荘事件
が発生します。
人質を取って山荘に立てこもり、警察との攻防が全国へ生中継されました。
事件そのものはデモではありませんが、
当時の学生運動や過激派運動と結び付けて報道されたため、
「政治運動=危険」
というイメージを社会に強く残しました。
その後、日本は高度経済成長を迎え、学生運動は急速に下火になります。
しかし、
・デモは危険なもの
・過激な人たちが行うもの
という印象は社会の中に残り続けました。
現在行われている平和的なデモと当時の学生運動はまったく別のものです。
それでも、
「デモに参加するのは少し怖い」
「普通の人が行くものではない」
という感覚の背景には、この時代の記憶があるとも言われています。
海外ではデモが政治参加の一部になっている
一方、海外ではデモが比較的身近な政治参加の方法として定着している国もあります。
例えばフランスでは、
政府への抗議デモは日常的な政治文化の一部とも言われています。
政治に不満があれば、
まず街頭で意思表示をする
という考え方が比較的一般的です。
つまり、
日本人が特別おとなしい
というよりも、
デモに対する歴史的な認識や文化が違う
と考えた方が実態に近いのかもしれません。
デモが少ないことは良いことなのか?
ここで気になるのは、
デモが少ないことは良いことなのか?
という点です。
社会が安定しているから少ないのであれば、
それは良い面とも言えます。
しかし一方で、
不満があっても声を上げにくい
という状況であれば、
別の問題があるかもしれません。
実際、日本ではデモだけでなく選挙の投票率の低さも長年課題となっています。
政治への不満があっても、
行動につながりにくい
という指摘もあります。
そのため、
デモが少ない社会が理想的だ
とも、
デモが多い社会が良い
とも一概には言えないのです。
デモの数よりも大切なこと
日本では海外ほど大規模なデモは多くありません。
その背景には、
・比較的安定した社会
・1960〜70年代の学生運動が残したイメージ
があると考えられています。
私たちはつい、
「日本人は政治に無関心だから」
と説明したくなります。
しかし実際には、
社会の安定や歴史的な経験が現在の行動に影響しているのです。
なぜ日本でデモが少ないのかを考えることは、
日本人がどのように政治と向き合ってきたのかを考えることでもあります。
そしてそれは、
私たちがこれからどのように社会へ声を届けていくのか
を考えるきっかけにもなるのかもしれません。
【目次】
