#488 兵庫県明石市が日本の標準時の町となったのはなぜ?
兵庫県明石市と言えば、何を思い浮かべますか?
明石焼を思い浮かべる人が多いかもしれません。
一方で、中学校の社会科で、東経135度の子午線が通る「日本標準時の町」として習ったことを思い浮かべる人もいるのではないでしょうか。
明石市には明石市立天文科学館があり、日本の標準時子午線を示す標識やモニュメントも設置されています。そのため、明石は「時のまち」「子午線のまち」として、観光地としても知られています。
では、なぜ明石市が日本標準時の町になったのでしょうか。
実は、最初から「明石を日本標準時の町にしよう」と決められていたわけではありません。
明石市が「日本標準時の町」になっていった背景には、地理的な偶然と、地域の人々による積極的な働きかけがありました。
明治政府によって135度が基準となった
そもそも、日本の標準時の基準はなぜ東経135度なのでしょうか。
1884年、アメリカのワシントンで国際子午線会議が開かれ、イギリスのグリニッジ天文台を通る子午線を経度0度とすることが決められました。
これによって、世界の経度を測る基準が統一されていきます。
地球は約24時間で360度回転します。
360度÷24時間=15度。
つまり、経度15度の差は、およそ1時間の時刻差に相当します。
日本は東経135度付近に位置しています。
そこで明治政府は1886年、東経135度の子午線上の時刻を日本の標準時とすることを定めました。
そして1888年1月1日から、日本標準時が実際に使われ始めました。
しかし、この時点では明治政府が「明石市を日本標準時の町にする」と決めたわけではありません。
決められたのは、あくまで東経135度という経線を基準にすることでした。
そして、その経線がたまたま明石市を通っていたのです。
他にも標準時子午線が通る自治体はある
地図を見れば一目瞭然ですが、東経135度の経線は兵庫県明石市だけを通っているわけではありません。
東経135度の子午線は、京都府、兵庫県、和歌山県の12市を通っています。
北から順に、
京丹後市、福知山市、豊岡市、丹波市、西脇市、加東市、小野市、三木市、神戸市、明石市、淡路市、和歌山市です。
つまり、「東経135度が通っている」というだけなら、明石だけの特徴ではありません。
それなのに、「日本標準時の町」と聞くと明石を思い浮かべる人が多い。
なぜなのでしょうか。
その答えを知るために、明石の北にある西脇市を見てみましょう。
西脇市にも交差点標柱がある
明石市の北にある西脇市も、東経135度の子午線が通る町です。
しかも西脇市には、もう一つ有名な特徴があります。
東経135度と北緯35度が交差する地点があるため、西脇市は「日本のへそ」の町として知られています。
大正時代には、この交差点を示す「経緯度交差点標柱」が建てられました。
1923年には、陸軍参謀本部陸地測量部による確認を経て、東経135度と北緯35度の交差点に標柱が建立されています。
つまり、西脇市にも東経135度を地域のシンボルとして示す歴史的な標柱が存在するのです。
このことからも分かるように、東経135度を地域の特徴としている自治体は明石だけではありません。
では、なぜ明石が特に有名になったのでしょうか。
その大きな理由が、明石の人々が早い段階から子午線を町のシンボルとして扱ったことです。
明石が「日本標準時の町」を名乗った?
東経135度が日本標準時の基準になってから、約20年以上が経過した1910年。
明石郡小学校長会の先生たちは、日本標準時子午線が明石を通ることの重要性に気づき、子午線の通過地を示す標識を建てました。
この標識は、教員たちの寄付によって建てられたものです。
これが、日本で最初の標準時子午線の標識とされています。
つまり、明石の人々が、自分たちの町を通る子午線に価値を見出し、それを町の特徴として積極的に示したのです。
さらに1928年には、明石中学校の山内佐太郎校長の提唱によって、子午線の位置をより正確に確定するための天体観測が行われました。
京都大学の野満隆治博士が明石中学校の校庭で観測を行い、天文経度による東経135度の位置を測定しました。
その結果をもとに、1930年には新しい子午線標識が建てられました。
この標識は上部にトンボの飾りが付けられていたため、「トンボの標識」として親しまれました。
こうして明石は、単に「東経135度が通っている町」から、「子午線を町のシンボルとして積極的に発信する町」へと変わっていったのです。
おわりに
明石市が「日本標準時の町」として有名になった理由を考えると、少し意外な事実が見えてきます。
明治政府が「明石市を日本標準時の町にする」と決めたわけではありません。
東経135度の子午線は、京都府や兵庫県、和歌山県の複数の自治体も通っています。
それでも明石が特に有名になったのは、子午線が通ることにいち早く注目し、標識を建て、町のシンボルとして育てていったからなのです。
そう考えると、「明石=日本標準時」という社会科の知識も、少し違って見えてきます。
明石は、最初から「日本標準時の町」だったわけではありません。
偶然与えられた地理的な特徴を、地域の人々が「町の個性」として育てていったのです。
地理的な条件そのものよりも、それをどう地域の魅力として活用するか。
明石の「時のまち」の歴史には、そんな地域づくりのヒントも隠されています。
【参考】
【目次】
