発信しようと思ったら頭からネタが消える私
「よーし、あのとき考えてたことnoteに書くぞ!」
張り切って下書き画面を開くのだが、いざ書こうとすると手がとまる。
ええと、なんだっけな?なに書こうとしてた?
アホなの?もう!さっき!考えてたことよ!!
自分にいら立つけれども、湧いてこない。
だが、そんなこともあろうかと…!メモアプリに残してるんだぜ。
今日のネタを……ナ!
9/10:山西先生
??????
誰?
ほんでその人について、何書こうとしたの?
↑こんなことありませんか?私だけ?
私はいちおう、企業のWebサイトに載せる記事を制作してるライターなので、
毎日何かしら文章を考えたり書いたりしている。
わりと難しいジャンルを扱ってるので、専門用語をわかりやすい表現にしたり資料を読み込んだりも普段しているのだが。
自分のことや考えを発信しようと思うと、頭がパーになる。
こういう人って他にどれだけいるんだろうな?
集合知たるAI(ChatGPT)に聞いてみる。
AI曰く、
それ、かなり自然です。むしろ「書くことがない」というより、発信しようとした瞬間に“書くモード”から“評価されるモード”に切り替わって、元の発想にアクセスしにくくなってる感じだと思います。
そして続けて「私ならあなたとの会話履歴から、30~50個はネタを出せる」と言うので、ほな出してみてとお願いすると、ほんとに50個ネタ出ししてくれた。
これ、「ネタ出してくれた、ラッキー!」って思う前に「こわッ」となった。
これって、こんなに何の気なしに自分のアイディアや疑問や考えをChatGPTにべらべらしゃべってたってことだもんね?
そして、人に話すんじゃなくて、ChatGPTになら気兼ねなしにどんなことでも言えてるってことでもある。
ネタ云々の前に、自分の考え方を変える必要あるなと思いました。
私は人に自己主張するのが超ニガテ。
目立ちたくない、ひっそり生きてたい。
話は聞き役が多い。
仕事の場では、「この部分はこう考えました」「この方がいいのではないでしょうか?」とか言える。
無理な納期は代替案を出した上で断る。
そういう主張ができているのに、仕事を離れるとできない。
自分を振り返ってみると、家で話を否定せずに聞いてもらうことが少なかったかな、と思う。
母は忙しい人だったし、私はもたもたしたドンくさい娘だったので、一生懸命ながらもたもた話していると
「早くしゃべりなさい!」
とよくイライラされていた。
話が思うように伝わらない、といつも悩んでいた気がする。
「私の話なんて誰も聞かない、聞きたがらない」
というのは、子どもの時に組み込まれたプログラムとして残され続けているのかもしれない。
それでも仕事ではできるのは、「理論的に妥当」「ゴール(目標・目的)のために必要」と感情から割り切っているからだろう。
仕事では困ってないならいい、かもしれない。
でも、年に数回は「発信したい、でも書けない」というのが湧いてくるので、少しずつでも向き合っていくべきなんじゃないかなと思い始めている。
こういうのを書いたりすると、
「誰が読むの?」
「そんな発信、ブランディングにつながらない」
「仕事のアカウントでは不利」
とか、私の中の誰かがわーわー騒ぐのだ。
それもまあ、何とか飼いならしながらやってみよう。
なんといっても、制作物はまず表に出さなければ始まらないのだから。
