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ひらがなの消費量

ひらがなの消費量が、ときどき気になる。

死んだら、向こうの世界の入り口で「人生で消費したひらがなランキング」を受け取る。昔から、そんなイメージが頭の片隅にあった。そんなことを誰かに教わった記憶はない。テレビで見たわけでも、本で読んだわけでもない、と思う。ただ、そのあるのかないのか分からないランキングに、私は結構こだわって生きてきた。

「死んだら」などと言うと、急に壮大な話っぽくなるが、要は「結構『う』使ってたな」とか「9位は『ふ』なんだ」と言いながら今世を振り返る時間である。

窓口のおじさんに「『い』は毎年人気ですよ」とか「『ぬ』が入っているのは珍しいですよ」などと言われ、プリントアウトされた薄っぺらい紙を渡されるのだ。
その程度の話なのだが、少なくとも私にとっては、遠足の朝にちゃんと目が覚めるかどうかくらい気がかりなことだった。

当時、実家にはレオという犬がいた。
物心ついた頃から「犬を飼いたい」と言い続け、ようやく迎えた念願の家族がレオである。はじめて見る子犬という生き物に、私はすっかり夢中になった。レオと散歩へ行くときは、できるだけリードを持つ係になりたかったし、レオが弟にしっぽを振るとおもしろくなかった。レオはそんな私に対して年上の姉のような態度をとった。父や母にはお腹を見せ、自らくっつきに行くくせに、私が呼んでも絶対に腕の中まで来なかった。たまにチラッとこちらを見たかと思うと、すぐ明後日の方向を向いた。

そちらが動かないなら、こちらから行くまでである。「れおちゃーん」と顔を近づけてスリスリすると、フンと鼻でため息をつかれた。私は完全に舐められていた。レオの気を惹こうとして、ごはんの「よし」の合図を遅らせたり、ジャーキーをできるだけ細かくちぎって与えたりした。そんな作戦は見事に裏目に出た。レオは私が投げたボールを父の足元に運ぶようになった。自分で投げて、自分で拾いに行くこともしばしばあった。
私はレオのしっぽばかり追いかけていた。

レオへの気持ちは、普通に名前を呼ぶだけでは足りなくなった。「レオ」は「れおちゃん」になり、「れっちゃん」になり、「れれ」になった。愛情が膨らむほど、名前は音へとほどけていった。気持ちが乗るのは、いつだって一丁目一番地の「れ」なのである。

いつしか、私は「れ」の消費量を気にするようになり、暇になると「れれれれれれれ」と呟くようになった。「れ」をたくさん発したところで別にレオは寄ってこないが、1週間分の「れ」を消費したことにすると気持ちが落ち着いた。これで「れ」の順位はかなり上がったはずだ。ランキングの1位は、絶対に「れ」にしたかった。

どれだけ積極的に「れ」を消費しても、不安は居座り続けた。毎日を普通に過ごしていると、「れ」はほとんど現れないからである。基本の挨拶に姿はなく、しりとりでもなかなかお目にかからない。国語の教科書も、給食の献立表も眺めてみたが、「れ」は影を潜めていた。これでは「れ」が上がってくる気配がない。私は本気で「れ」の可能性を考えた。

「レモン」
唐揚げの横でしか見ない。

「冷凍みかん」
給食でもたまにしか出ない。

「れんげ」
ラーメン屋以外の居場所を知らない。

「連絡帳」
ランドセルから出てこない。

このままでは、「れ」はワーストの方へ転げ落ちてしまう。それなら、自力で「れ」を挽回するしかない。そんなわけで、私は暇さえあれば「れ」を消費した。これだけ努力したんだから「れ」は1位に決まってる!と思う日もあれば、最近、全然「れ」を消費していないと焦る日もあった。


私は、大人になってもその世界観を引きずっている。今でも、たまに「れれれれれれれ」と発していることがあるのだ。車の運転中やスーパーをうろついているときに無意識にそう口が動く。ハッとなり、周囲を見回し、胸を撫で下ろす。そして、レオは今頃何をしているだろうかと妄想にふける。一人でいるとそんなことばかりやっている。でも、あたたかい陽の下でなら、レオはご機嫌に走り回っているはずだ。

レオを見送ってもう8年になる。寂しさは時間がゆっくりと溶かしてくれている。今は「れ」を発していると、向こうでいいことが起きているような気さえする。できるだけ長くレオの頭上に花を振らせてやろう、と思っている。息が続く限り「れ」を連呼するゲームも10数年嗜んでいる。まあ、レオのことだから、鼻にくっつく花びらに顔をしかめているだろう。おそらく「れ」の消費は、レオにとってはありがた迷惑でしかないのだ。

私は「れ」に入れ込みすぎていた。娘の名前にも「れ」を忍ばせようとして、名前辞典を読み漁り、候補を見つけては、夫に却下されていた。結局、「れ」は採用されなかった。
今思えば、それでよかったのかもしれない。「れ」はレオ専用の音なのだ。娘にまで「れ」を使い始めたら、向こうの世界でレオの取り分が減ってしまうような気もする。

私は昔から、好きな相手ほど呼び方を増やす癖がある。レオがそうであったように、娘のことも夫のこともそうなのだ。娘はまだ1歳3か月なのに、呼び名はもう片手では足りない。一方、出会って4年になる夫は、指3本で収まっている。娘の成長に興奮し、その時の気持ちを伝えるのにちょうどいい音を選んでいたら、あれやこれやと増えてしまった。ただ、この年になっても娘の名前の一丁目一番地を連呼している自分には、あまり成長が見られない。

最近、娘の「めめ」が「まま」に修正された。そして、そのあとすぐに「ばあば」と「ぱあぱ」と「ずーず(じいじ)」も仲間入りした。この子が人生で一番使うひらがなは何だろう。できれば、「ま」であってほしい。しかし今のところ、「ば」の消費スピードが圧倒的に速い。ばあばがいないところでも、彼女はずっと「ばあば、ばあば」と言っている。ぐずっていても「ばあば」と言うと機嫌が直ったりもする。なんなら、私を見て「ばあば」と言ったりもする。
母を老けさせるスピードも速い。

私は「まま」であり「ばあば」ではない。「まま」のプライドにかけてすかさず訂正する。
「ままだよ」
「ばあば?」
「まま」
「ばあば?」
「ま、ま」
「ばあば?」
全く伝わらない。
むしろ「ば」をどんどん消費してくる。私は「ま」で対抗する。「れ」の首位が脅かされつつあるかもしれない。

もし本当に、向こうの世界でランキングを受け取るのだとしたら、私が消費したひらがなは、好きになった人たちの名前に思いっきり偏る予定だ。

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