🌱健康を確かめに行って具合が悪くなる
人間ドックの会場に着いた。
人間ドックというのは実に不思議な行事である。健康を確かめに行くのに、行くだけで具合が悪くなる。健康な人だけが安心して受けられる検査というのは、貯金のある人だけが借りられる融資のようなもので、いったい何のためにあるのか分からない(それでも毎年行く私も相当なものだが)。
まず問診票である。「気になる症状はありますか」という問いに、私は迷わず「特になし」と書いた。事実は違う。物忘れがひどく、物覚えは輪をかけて悪く、方向音痴で、人見知りで、あと、これは書きにくいのだがアイドルを志望している。しかしこれらを正直に書いたところで、医者に治せるものは一つもない(アイドルの件を相談されても、医者も困るだろう)。強がりというより、思いやりである。私は相手の立場に立てる男なのだ。
採尿は緊張の作業である。絶対に失敗が許されない。ラベルはどの向きで貼るのが正解なのか、コップは右手か左手か、そういう根源的な問いが次々と押し寄せてくる。だが困ったことに、私の寝起きはそういう思索に耐えられるほど上等にできていない(そもそも朝に思索できる人間なら、もっと立派になっているはずだ)。
体重測定の直前には、誰にも見られぬよう最後のあがきをする。やたらと姿勢を正して身長をかせぎ、息を限界まで吐き出して少しでも軽くなろうとする。空気を吐いたところで体重が減るはずもないのだが、人はいざとなると科学を捨てる(吐きながら、これは無意味だと分かっている自分がまた情けない)。
血圧測定はさらに難関である。家では実に安定した数値なのに、病院ではなぜか緊張して跳ね上がる。看護師さんに「もう一度やってみましょうか」と、あの、あきれとも憐れみともつかぬ顔で言われる(家で測ってきた数値を証拠として提出したいところだが、たぶん信じてもらえない)。
採血では過去がよみがえる。昔、献血をして気分が悪くなり、別室のベッドに横たわって採ってもらったことがある。どうやら私の体は、血を抜かれるという行為に根本から反対しているらしい。血そのものが足りていないのではないかと私はにらんでいる(それなら抜かれて倒れるのも当然で、悪いのは私ではなく採血のほうだ)。
視力検査はもはや運試しである。上下左右、確率は四分の一。今年の運勢を占う気持ちで臨む。目標は一・〇。当てずっぽうで一・〇が出たら、それは視力の証明ではなく強運の証明だが、証明されたものは黙ってありがたく受け取ることにしている。眼圧検査だけは、あの何かが目に当たる瞬間が何度やっても怖い。いったい何が目に向かって飛んでくるのか毎年身構えるのだが、いまだかつて成功したためしがない(私の目が黒いうちに正体を見てやりたい)。
聴力検査は、はっきり言って得意である。ピ、ピ、ピという音の、最後の消える瞬間にボタンを押す自信がある。というより、聞こえる前に押せる自信すらある。この反射神経はFPSゲームで鍛え上げたものであり、敵の足音を聴き分けるのに比べれば、検査室の澄んだ電子音など的が止まっているようなものだ(ゲームで培った能力が人生で唯一役立つ瞬間が、まさかここだとは思わなかった)。この俊敏さをもってすれば、できることならすべての検査もこの方式でやってほしいものだ。
腹部エコーは薄暗い密室で女性と二人きりという、字面だけ取り出せば大変な状況である。半裸になり、ローションを塗られ、強弱をつけながらなでるように触られる。しかし実態を言えば、強くグリグリと押し込まれて、私にとっては激痛の耐久試験である(字面と現実がこれほど乖離した検査を、私はほかに知らない)。
そしてラスボス、胃部エックス線である。バリウムがまずいという噂は未経験のうちから耳にしていた。ところが受けてみて分かったのは、バリウム以上に発泡剤のほうがはるかにキツいという事実である。ゲップを我慢しながら「そのままこちらを向いてください」と言われ、私は素直に首だけを技師のほうへ向けて、まっすぐ目が合った。良い思い出である。もっとも、本当は首ではなく体ごと向き直らねばならなかったのだが、それに気づいたのはずいぶんあとのことだった(あの目線を、技師はどう受け止めたのだろう)。
しかも戦いは検査で終わらない。すべてが済んだあとにも、バリウムを体外へ放出するという大仕事が残っている。これはもう、こちらの意思ではどうにもならず、ただ運を天に、いや、ウンに任せるほかない(うまいことを言えた気がして、我ながら誇らしい)。
そんなことを次から次へと考えながら歩いていると、いつの間にか病院の入口に着いていた。私は勇んで受付へ向かった。半裸も激痛もバリウムも、すべて覚悟はできている。かかってこい、と。
「しばこまです。八時半で予約しております」と告げると、受付の方が、実に申し訳なさそうに言うのである。「申し訳ございません。ご予約は八時半ではなく、十時となっております。それまで待合室でお待ちください」
私はこれまで、覚悟というものを何度もしてきた。しかし、覚悟したものが延期されるという事態には、いまだ覚悟ができていない(あれだけの心の準備を、私はいったんどこにしまえばいいのだ)。
まだ、何も始まっていなかった。

いいなと思ったら応援しよう!
この記事があなたの心に刺さったなら、それはあなたの感性が鋭い証拠だ(あるいは判断力が鈍い証拠だ)。どちらにせよチップを送っていただきたい。送らなかった場合、あなたは正常である。