(映画)おいしい給食 炎の修学旅行
この作品はコメディなのですが、「大切なことはみんな給食が教えてくれた」という大仰なメッセージを感じ取ってしまったのは、私がこの作品にハマり過ぎているからでしょうか?
6年ほど前だったと記憶しております。番組編成の自由度が高い独立局の利点を最大限に生かし、地上波テレビ局であるにもかかわらず、ホーム・ビジター問わず阪神タイガース戦の全試合・試合開始から終了まで、完全生中継を行っていることで夙に有名なサンテレビが深夜にとあるドラマの放送を開始していました。ドラマのタイトルは「おいしい給食」です。
サンテレビは独立局なので、放送されるドラマは
自力で作る
面白そうなものを買ってくる
コスパが成り立つ(要するに安い)ものを買ってくる
のいずれかなのですが、おそらく3であろうと思い、それほどの期待はせぬままに、夜中の放送なので録画して日を改めて鑑賞することとしました。ところが、鑑賞してあまりに面白過ぎたので、最終回まで完全に鑑賞することとなり、有意義な3カ月を過ごすことができました。それ以来「映画版」「シーズン2」「シーズン2の映画版」「シーズン3」「シーズン3の映画版」とドラマの合間に映画を各シーズンの完結編として挟み作品は作られていきました。しかしながら、あの作品はすでに終わってしまったのかという余韻を私の心に残しながら、シーズン3の完結編となる映画を最後に静かな時間が過ぎていきました。
そんなある日に「おいしい給食の映画版第4弾」が上映されるという話を聞き、シーズン4を作っていないのに映画を作るのか、という驚きとともに、ぜひとも鑑賞せねばなるまいという思いを強くしておりました。
ここからはこれまでのこの作品の歴史を踏まえてこの映画のネタバレを含める説明をしていきます。
ドラマ及び映画を通して、この作品の主演を務めるのは市原隼人です。市原隼人演じる中学教師 甘利田幸男は給食を愛する給食絶対主義者です。ドラマ及び映画を通して狂気しか感じえない市原隼人の素晴らしい演技に感動しております。きっと最初からほかの俳優が甘利田幸男を演じていたならばそれはそれとして面白い作品となっていたであろうと察するくらいに甘利田幸男のキャラが立っているのですが、一度市原隼人によって見事に演じられた今となっては、まさに文字通り「余人を以て代え難い状況」であると思わずにはいられません。これに関しては、市原隼人が必要以上にアドリブで甘利田幸男を盛りまくり、それを監督が潔く受け止めたという夢のようなコラボがあったと思われます。
市原隼人がこの甘利田幸男を演じて以来、私の中では渥美清と車寅次郎を同一視するかのように、市原隼人と甘利田幸男を同一視してしまっております。正直不動産の桐山貴久も、鎌倉殿の十三人の八田知家も、べらぼうの鳥山検校も、私の認識は「甘利田幸男がドラマに出演している」になっています。この呪いが解ける日は来るのでしょうか?来ない方が幸せなのかもしれません。
なお、甘利田はシーズンごとに異なる中学校に赴任しているのですが、シーズン1でライバルである給食マニアの生徒である神野ゴウ(佐藤大志)はシーズン2では甘利田を追いかけてきたかのように転校してきます。シーズン3でもそのようなことが起こるかと思ったのですが、シーズン3では別の生徒である粒來ケン(田澤泰粋)が現れます。子役なので4年間も同じ雰囲気を保つのが難しく、同級生の子役とのギャップが大きくなるので泣く泣く出演者変更があったのではないかという大人の事情が推察できよう話です。
一方で給食のおばさんである牧野文枝(いとうまい子)は、もとより本人が童顔ゆえに年齢不詳感が漂うことも手伝い、かれこれ6年間も甘利田を追いかけるように甘利田の赴任先の中学校で給食を作り続けます。ドラマが始まってからの6年なんて、牧野文枝にしてみれば一瞬のことです。異なる中学で教師と生徒と給食のおばさんが何度も再開するなんてあり得ない展開でご都合主義が過ぎると批判されるかもしれませんが、この作品においては不可欠な存在であるため、素直にその展開を受け入れて鑑賞するのが良いと思います。なお、甘利田がこの先沖縄に赴任するようですが、すでにその準備がなされていることが今回の映画で示唆されていたので、まだこの先の作品は続くのかもしれないと期待がいや増すものです。
今回の映画ではシーズン1を共に過ごした御園ひとみ(武田玲奈)が登場します。設定が1990年なので当時はやっていた肩パッドが入った色鮮やかなジャケットを着ての登場となります。設定は修学旅行先の岩手県の中学校で、その学校での給食を指導している樺沢輝夫(片桐仁)の方針が給食を愛してやまない甘利田の理想と大きく異なるため、恐るべきバトルとなります。冷静に考えると、現実の世界において給食を巡って学校間でバトルが勃発することなどありえませんが、ここは給食がすべての世界線です。給食は争いの種にすらなるのです。バトルは甘利田が勝利するのですが、甘利田もこれまた無傷では済まず、沖縄への転任を余儀なくされます。
なお、甘利田の赴任したすべての中学校(常節中学校、黍名子中学校、忍川中学校)のみならず御園の赴任先の中学校(花堺中学校)までも校歌の作詞は吉津屋こまめ、作曲は澤田祐之介です。新しい赴任先である沖縄の中学校でも校歌はきっとコンビによって作られているのでしょう。
最後にして一番大きな疑問を書いておきます。
甘利田は給食の時間に心の躍動を抑えることができず、給食前に流れる校歌に合わせて極めて不審な挙動を示しており、最後に必ず机に右手をぶつけます。給食を食べる時も挙動不審の極みです。しかしながら、目の前にいる多くの生徒はその姿に全く反応しません。生徒が反応しない理由をいくつか考えてみました。
生徒が甘利田に興味がない
甘利田の挙動を甘受している
心象を映像化しただけであり、実際の甘利田は静かに座っている
まず一つ目の「生徒が甘利田に興味がない」ですが、担任である以上興味が持たれないというのは考えにくいです。もし興味を持たれないのであれば学級崩壊を起こしていてもおかしくないレベルです。
次に「甘利田の挙動を甘受している」ですが、これはつまり生徒が甘利田よりも精神的に(正確には給食に対峙する際の心持ちが)大人であり、給食に対峙して喜びを表現している甘利田を優しく見守っているということです。生徒たちも(甘利田の指導もあってか)給食は楽しく食べているので、自分達も心躍る時間であることから「気持ちはわかる」と思っているのでしょう。それが証拠にシーズン3からは生徒の一人が甘利田ほどではないですが、校歌に合わせて不審な挙動を示すようになっており、それについても他の生徒がスルーしています。しかし、これはあまりにも面白くない説明であり、更に言えば挙動不審な甘利田が憐れみを受けているかのようにすら解釈することも可能であり、映画としてそのような設定はあってはならないものです。
最後に上げた「心象を映像化しただけであり、実際の甘利田は静かに座っている」は、虚構を具現化した映像作品である映画において整合性のある表現を求めるのは適切ではない、何かしらの不整合があることこそがエンターテイメントの本質である、ということを考えると、一番尤もな解釈と言えそうです。粒來ゴウの食べ方の工夫に驚愕し、もがき、倒れ、毎回のように負けたと思っていても、実際の行動には移していないのであればよりいっそう不審な挙動を映像化することで心象をより鮮やかに描き出せるのではないでしょうか?シーズン3から生徒の一人が甘利田に合わせて不審な挙動を示しますが、これもまたこの生徒の心象を描いていると考えれば納得がいくものです。
さて、続編はあるのか。甘利田は沖縄でポーク玉子おにぎりに出会うことはあるのか。

