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人間はやわい。だから私は考え続ける


昨日、娘が過呼吸になった。

泣き叫びながら、「死にたい」と言い、自分の顔を何度も叩いていた。

母親として、何もできなかった。

ただ隣にいて、背中をさすり、呼吸を整えることしかできなかった。

今日の私は少し疲れていた。

朝礼のとき、左目にモヤがかかっているような感覚があった。

昨夜のこともあったし、今日は少しゆっくり過ごそう。

そう思っていた。

でも、支援員から「散歩に来てほしい」と頼まれた。

頼られたら、やるしかない。

鉄分入りの栄養剤を飲んで、気持ちを整えて外へ出た。

暑かった。

それでも、外の空気は気持ちがいい。

利用者がのびのびと走り回っている姿を見ていたら、さっきまでの重たい気持ちが少しだけ軽くなった。

私は毎日、利用者を見ていて思う。

なぜ今パニックになったのだろう。

さっきは我慢できていたのに、何が違ったのだろう。

なぜ頭を叩くほどの自傷につながるのだろう。

長く現場にいると、見えてくるものもある。

表情の変化、疲れ、環境の変化、その人なりのサイン。

「あ、今日はしんどいのかもしれない」と感じられることも増えた。

でも、まだまだわからないことのほうが多い。

考えても、本人ではない私にはたどり着けない部分がある。

それでも、考えることを諦めてはいけないと思っている。

支援者は、わからないことの中で考え続ける仕事だからだ。

私はこれまで、病気や障害によって人生の方向が大きく変わった人たちと出会ってきた。

以前は学生生活を送り、友人と笑い合い、趣味を楽しみ、ごく普通の日常を過ごしていた人たちだ。

きっと本人も家族も、今の生活を想像していたわけではないと思う。

でも、それが現実として起きることがある。

そんなことを考えていたら、昨夜の娘の姿が浮かんだ。

泣きながら、自分の顔を何度も叩いていた姿。

苦しくて、「助けて」と言葉にならない声を上げていた姿。

私は、娘と利用者を重ねていた。

そして思った。

人間はやわい。

いつ、誰が、どうなるかなんてわからない。

昨日まで元気だった人が、今日苦しくなることもある。

「この人は絶対大丈夫」

そんなふうに言い切れる人なんて、きっといない。

だから私は、利用者を特別な存在として見ることはできない。

私も、娘も、利用者も、同じ人間だ。

脆くて、弱くて、でも毎日を必死に生きている。

だから私は、これからも考え続けたい。

答えがわからなくても。

それが正解か不正解かわからなくても。

目の前で苦しんでいる人を理解したいと願い続けることだけは、諦めたくない。

私も、娘も、利用者も、同じように脆さを抱えながら生きている。

だから私は、わからなくても考え続ける。

今日、娘は笑っていた。

人は一人では抱えきれない弱さを持っている。

だからこそ、支え合って生きていくのだと思う。

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