『波の音』 #シロクマ文芸部
波の音がラジオから流れていた。
寄せては返す穏やかな音が、ライブハウスの空気を少しだけ和らげている。
ミナがスマホから顔を上げた。
「なんか、波の音聞いてたら、浦島太郎を思い出しちゃった。」
沢村が笑う。
「なんだよ、その連想。」
「だって海じゃん。」
古田が頷く。
「浦島太郎といえば、海を舞台にした昔話ですからね。」
その会話を聞いていたオーナーが、カウンターの中から一通の封筒を取り出した。
「そういえば、ちょうどいいものがあるわ。」
四人の前へ封筒を差し出す。
「知り合いからもらったのよ。“世界のむかしばなし展”」
ミナが身を乗り出した。
「なにそれ、面白そう!」
沢村が顔をしかめる。
「また妙なの持ってきたな。」
古田は静かに封筒を見る。
「興味深いですね。」
鈴木は何も言わなかった。
ただ、視線だけが封筒へ落ちていた。
数日後。
四人は、昔話の展示会場へ来ていた。
展示会場は、明るかった。ガラスケースとパネルが整然と並び、子ども連れやカップルがゆっくりと歩いている。特別な仕掛けはない。どこにでもある展示だった。
ミナが足を止める。
「ねぇ、あったよ」
指さした先には、“浦島太郎”のコーナー。
沢村が即座に返す。
「こんなの、誰でも知ってるだろ」
古田が続ける。
「有名な昔話ですね」
三人の声が、自然に揃う。
鈴木は少し離れた場所で、展示パネルを見ていた。視線は動かない。
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『決して開けてはなりませぬ』
玉手箱の説明の一文が、目に入る。
乙姫は浦島に箱を渡し、そう告げたとある。
ミナが首をかしげる。
「でもさ、なんで渡したの?」
沢村が肩をすくめる。
「開けさせないためだろ」
古田が補足する。
「一般的には、そのように解釈されています」
ミナは納得しきれない顔をする。
「いやでも、開けるなって言うなら、渡さなきゃよくない?」
少しの沈黙。
人の流れが、背後を通り過ぎていく。
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「……開けさせるためだ」
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三人の視線が、同時に動く。
沢村が眉をひそめる。
「は?」
鈴木は展示から目を離さない。
「渡してる時点で、前提が違う」
一拍。
「開けられることを分かってる」
古田がわずかに目を細める。
「……禁止しているにもかかわらず、ですか」
「だからだ」
鈴木は短く言う。
「“開けるな”は、止める言葉じゃない」
ミナが小さく呟く。
「じゃあ、なに?」
鈴木は少しだけ間を置いた。
「誘導だ」
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ざわめきが、わずかに遠のいた気がした。
沢村が腕を組む。
「意味分かんねぇな」
鈴木は続ける。
「浦島は、時間から外れてる」
一拍。
「そのままじゃ、戻れない」
古田が頷く。
「時間の経過が異なる、という解釈ですね」
「箱が必要になる」
鈴木は言う。
「戻るための、な」
ミナが顔を上げる。
「……じゃあ」
言葉を探す。
「開けないと、ダメってこと?」
鈴木は否定しなかった。
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「開けなきゃ、帰れない」
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沈黙が落ちる。
沢村が息を吐いた。
「でも、それなら普通に“開けろ”って言えばいいだろ」
鈴木はわずかに首を振る。
「それじゃ意味がない」
一拍。
「人は、“やるな”って言われたことをやる」
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ミナが小さく笑う。
「確かに」
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鈴木は続けた。
「選ばせてるように見せてるだけだ」
古田が静かに言う。
「……選択の強制、ですか」
「違う」
鈴木は言う。
「選択してる“つもり”にさせてる」
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展示の中で、玉手箱の模型が静かに置かれている。
ただの箱にしか見えない。
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ミナがぽつりと言う。
「なんか、それ優しくないね」
鈴木はわずかに笑った。
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「優しいだろ」
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一拍。
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「帰してる」
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会場のざわめきが戻る。子どもたちの声、説明を読む親の声、どこかで笑い声が上がる。
沢村が肩をすくめる。
「考えすぎじゃねぇの」
古田は何も言わなかった。
ミナは、もう一度玉手箱を見た。
それはただの箱にしか見えない。
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外に出ると、まだ明るかった。
人の流れがゆっくりと動いている。
鈴木はポケットから煙草を取り出し、火をつける。
吐き出した煙が、空気に溶けていく。
視線はどこにも向いていない。
ただ、さっきの展示をなぞるように、わずかに細められていた。
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