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かえるの親はかえる

「私たち、かえるなんだって」

母がこちらを向いて言う。言葉の意味がわからず、かえる?と聞き返す。

「そう、かえる。カネコさんには、私たちはかえるの家族に見えるみたい」


いつからかカネコさんは家にいた。

カネコさんは平たく言えば母親の連れてきた年上の彼氏で、私からすればしばらく前に離別した父に代わった、2人目の父親だった。父親といっても、もちろん血は繋がっていないし、戸籍の上でも同じ場所に名前が並んでいるわけではない。親しみを持つにはあまりに歳の離れた、共通項もまったくない男性に対してなんと声をかけていいのかわからず、私は彼のことをただ「カネコさん」と呼んでいた。

カネコさんと生活するようになってまず驚いたのは、その気性が何より穏やかであることだった。

風貌は、はっきり言って怖い。180cmを超える長身に、髪はオールバックのロングヘア。趣味のダイビングで日焼けした浅黒い肌に、標準装備のサングラス。とてもじゃないが「カタギ」の人間には見えない。

中学生の頃のこと。私が職業体験で和菓子屋の店頭に立っていたところ、母とカネコさんがその様子を見に来てくれたことがある。やってきた大男にぎょっとした和菓子屋のおばちゃんが冗談めかし、「とても親子には見えませんなあ」と言い放つ。途端に、3人の間に緊張が走る。何せ本当に血は繋がっていないし、親子ではないのだ。滅多なことは冗談でもいうものじゃない、という教訓を中学生ながらにして得て、饅頭を買って帰っていく2人の背を見送った。とにかく一目見てそう感じるくらいには、カネコさんはいかつい見た目をしていた。

しかしその『龍が如く』みたいな容姿とは裏腹に、カネコさんは感情を露わにすることの少ない人だった。決して無口というわけではないが、大きな声を出すことはまずないし、長い髪と髭も相まって、将来宝船にでも乗りそうな穏やかな笑みを浮かべる。学校の先生以外に知っていた「大人の男性」のサンプルとして、声も荒げれば手も上げる「前の父親」と、陽気ではあるが酒飲みで親父ギャグを厭わない伯父しか知らない私にとって、これは不思議なことだった。こんな人も、いるんだ。

カネコさんは私と弟がロクに家事も手伝わずに遊び呆けていたときだけ、母のいないところで「ママのことは大切にしなさい」と、いつもより少しだけ強い口調で言った。「実の父親」が家をめちゃくちゃにした挙句にどこかへ行ったかと思ったら、「新しい父親」──その実、自分には何の関係性もない──に至極真っ当な叱られ方をする。私はそのうちに、家族というものがまったくわからなくなっていた。

そんなカネコさんのことを話すのには、ロン毛サングラスを差し置いて語らなくてはいけない特徴がある。彼は、それまで見たこともないくらいの「映画好き」だった。休日ともなると、リビングにあるテレビの前に座って一日中映画ばかり観ていた。

まだNetflixなどのサブスクサービスも一般的でない頃だったので、カネコさんは最寄駅のTSUTAYAで新作から旧作まで映画のDVDを手当たり次第に掴んでは、そのディスクの束を運び屋みたいに家に持ち込んでいた。映画を観るときは部屋の電気を消すタイプだったため、朝から映画を1本観終えては次のディスクに差し替えて、また観終えては次のディスクに差し替えて、というのを何度か繰り返すうちに、いつの間にか空も真っ暗になっているのだった。

そんなカネコさんのことを、私と弟はただ「変わった人だ」と思って見ていた。時折、一緒に映画を観ないかと誘われたこともある。しかし、まだ小学生だった私たちには、2時間、ときに2時間半を超えるような時間はじっとしているには長すぎた。大抵はやりたいことがあるからと言って外へ飛び出して友達と遊ぶか、家にいても隣の部屋でNintendo DSに没頭するかをして過ごしていた。

それでも、カネコさんがあまりに映画に向き合っていた機会が多かったこともあり、結局少なくない回数を一緒にテレビの前で過ごすことになった。要は、「逃げられない」こともよくあったのだ。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『インディ・ジョーンズ』といった子供の私たちにも楽しいものであればまだ良かった(カネコさんはベタな映画だって何度も繰り返し観た)。しかし、中にはタイトルにすら聞き覚えのないようなものや、子供には退屈なものもある。『ゴッドファーザー』については、冒頭の少しを観たところでこれがいつまで続くのか怖くなり、どれくらいの尺の映画なのか尋ねたところ「3時間だよ」と言われたのでそのままリビングから出てしまった。以来、私は未だにそこから先を観ることもなく、ファーザーのどんなところがゴッドなのかも知らないままだ。

映画を見続けるカネコさんは、どこまでも「無害」な存在だった。

血の繋がった前の父も、私と弟の遊びにはよく付き合ってくれた。ヒーローごっこの悪役として、短い足によるキックで潔く倒されてくれたことだってある。それでもいつからか、夜になれば大きな声を出し、母を追い詰め、明確に私たちを脅かす存在へと変わっていった。怒声を聞きながら毛布を被り、「父」というのはそういうものなのだと、必死に納得しようとしたこともある。

一方で、カネコさんは違った。そもそも、映画への情熱があまりに目に見えるところにあり過ぎた。一緒に観た『ジュラシック・パーク』をひとしきり楽しんだ私たちに気持ちをよくしたのか、同じスピルバーグの作品だと言って、次に『激突!』(スピルバーグの名が知られるきっかけになった初期の作品で、主人公の車がトラックに執拗に追い回される様子が延々と描かれる)を持ち込んでくるくらいのズレたところはあったが、それは何ら気になるものではなかった。結局、私が就職して家を出るまで、彼とはテレビの前で映画のことについて話す以外に、ほとんど会話を交わすことはなかった。細かな演出や技法の話はしない。監督や俳優の名前と、私が面白いと感じたのか、あるいはそうでなかったか。映画の話だって、彼の口から聞いたり、問われたりしたのはそれぐらいだ。でも、それでよかったのだろうと思う。

これは母から聞いた話だが、カネコさんは私たちのことを「かえるの家族」だと評していたらしい。もとより母はファンタジー趣味の、世間的には「不思議ちゃん」寄りのタイプであり、前の父と離れて以来、そんな母に連れられて3人はどこか浮世離れした生活を営んでいた。その姿が人間というよりも、人間に化けたかえるか何かのように見えたのだそうだ。

人の家をシアタールームみたいに使っておいてよくそんなことを言うなとも思ったが、不思議とイヤな感じはしなかった。なんとなく私が「かえるの家族」の一員であることにしっくりきたのは、決して豊かとは言えない生活の中で、どこか「外の人間たちの暮らし」からの疎外感を覚えていたからかもしれない。それに、母がほとんど独りで息子2人を育てるのに苦労したであろうことも容易に想像でき、その仲間が人間であるか、そうでないかなんていうのは些細な問題でもあった。かえるか人間か、というのもそうだし、一般的な家族としての枠組みも、記述できるような関係性のことも、たいして大事なことではないんだというのも、その頃には既にわかっていた。


会社を早く上がり、数個隣の駅にある映画館へと向かう。

勤めている会社はフレックス制のため定時は決まっておらず、うかうかしているとお目当ての作品の最終上映回を逃してしまう。いい歳になった私は、観たい映画があるときは半ば強引にデスクを片付けて、逃げるようにオフィスを出ていた。観たい映画はいくらでもあった。

カネコさんは私たち3人のことをかえるの家族と呼んだけれど、そんなかえるたちに長年ついてきた彼もまた、同じ池かどこかで泳いでいたかえるなのではないかと、今になって思う。それも、私たちなんかよりもっと人間のふりが得意な。なんにせよ、同類であることに違いはないだろう。

30歳を超えた今でも、私はカネコさんのことを「父さん」なり「親父」なり、そういった呼称で呼んだことはない。なんと形容したらいいかもわからない関係のまま、カネコさん、と呼び続けている。きちんと父親として扱ってあげたほうが彼も喜ぶのではないか、とも考えた。ただ、それで取りこぼすものが多いような気もしてならないのだ。素晴らしい映画を、ときどきはまったく興味の惹かれない作品を交えながらでも、隣で観てくれること以上に大事なことを私はまだ知らない。

映画を観終えてスマホの電源を入れると、LINEの通知が入っていることに気づく。弟からのメッセージだった。

弟は、実家を出てしばらく見ないうちに映像作家になっていた。いわゆる大衆向けの作品ではなく、小難しいコンセプトの下で何かを訴えるショートフィルムばかり撮る、芸術家としての作家だった。そんな弟からのメッセージには、いくつかのスプレッドシートへのリンクが貼り付けてあった。

シートを見ると、マス目のそれぞれにずらりと映画の名前が書かれている。多くは古く、名前ぐらいは聞いたことのある有名なものばかりだが、中には知らないものもそれなりにある。どうやら何らかの映画賞を受賞した作品のリストらしく、それぞれのシートで賞の名前ごとに分けられているようだった。

「兄ちゃん、この〇が付いてない中でおすすめある?」

「できれば、全部埋めていきたいんだけど」

再度シートに目を向けると、映画のタイトルの横に「〇」が付いていることがわかる。それは視聴済みのマークらしかったが、エンタメに寄った洋画から古典とも言える旧作、果てはアジア系のアートフィルムまで相当な数に「〇」は付いていた。弟は、4人の中でもっとも優秀なかえるである。