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ルーツかもしれない場所をたどる(その6)

さて、大樹寺に行って買った『大樹寺の歴史』新行紀一(大樹寺)です。

ここにこういう記述をみつけました。

「同年(1506年)8月、駿遠二国の太守今川氏親は、伊勢宗瑞(のちの北条早雲)を将とし、二万と号する大軍を派遣して一挙に三河を併呑しようとした。8月21日に宗瑞は根石原から井田に出て大樹寺に本陣をおき、まず岩津城を攻めにかかった。攻防の状況は明らかではないが、16世紀後半以降岩津松平氏が諸書に姿をみせなくなるところをみると、このとき岩津城は陥落し一族は大部分戦死したのであろう」

ははあ、これか。

うちの先祖かどうかわかりませんが、とにかく1501年まではあるとわかっていた岩津という家(ひょっとしてそこに岩津三郎二郎なんちゃらという人がいたかもですが)は、その五年後、1506年の今川(実質は後北条)軍の侵攻によって、滅びた、と書いてあるわけです。

そっか、ここで岩津は滅びたんだ(笑)。

でも滅びた一族の末裔がもしわたしだとすれば、ここにいますよ。まあ絶滅危惧種のニホンオオカミが生きていたみたいなもんで。

そこで想像が働くのですが、岩津三郎二郎なんちゃらさんという人がいたとして、その少なくとも男子の長子は、攻められた岩津城を逃れ、死にはしなかった。そして、どこをどうやってか鶴崎に流れて来たかもしれないということです。

ふむ。いったいどうやって絶滅を免れてきたのでしょうか。おもしろい。

この本には系図も書いてありましたので、アップしてみます。左のタヌキの部分は、こののち紆余曲折を経て今川を撃退した徳川将軍家です。右のニホンオオカミ側の丸印は今川(+後北条)に負けて滅びた岩津です。


つまりもし岩津三郎二郎なんちゃらさんがいたとしたら、丸印の親長さんの子ぐらいの世代だったんでしょう。有名な家康のおじいさんの強かった清康の二代前ぐらいの時代です。

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