「主流派経済学 .vs. 異端経済学」の対立構造は「MSY理論 .vs. 反MSY理論」の対立構造と酷似していて、驚きました!

 主流派経済学のベースとなる一般均衡理論や資源管理のベースとなるMSY理論は、「実際にはあり得ない仮定」を前提として導かれた理論であるにも関わらず、なぜ人々はこれらの理論にこんなにも強く魅了されてしまうのであろうか? その「理論の美しさ」ゆえだろうか? しかし、理由はどうであれ、これらの理論を用いて、実経済や水産資源の変動メカニズムが解明されることは決してないだろう。なぜなら、これらの理論は事実を反映していないからである。我々は勇気をもってこれらの理論から決別する必要があるだろう。

1.はじめに

 これまで私は、水産資源の管理のもとになる考え方である最大持続生産量(MSY)理論が誤った理論であることを、そしてMSY理論に基づいて資源管理を実施していることこそが、資源管理に失敗する主な原因であることを、いろいろな実例を挙げながら説明してきました(櫻本、2020)。

 このような私の主張に対して、現場で魚類資源の変動を日々観察されている漁業関係者の方々からは賛同をいただくことも多かったのですが、資源研究者からはほとんど無視されるという状態が続き、暗澹たる思いを重ねてきました。なぜ、資源研究者は「MSY理論では資源の変動が説明できないことを認めようとしないのか?」、「なぜ、明らかにMSY理論の間違いを示すような資源変動の観察結果が得られているにも関わらず、その事実から目を背けてしまうのか?」不思議で仕方がありませんでした。

 ところで、話は変わりますが、最近、「失われた30年」と言う言葉をよく耳にするようになりました。日本はこの30年間デフレから脱却できず、経済成長もなく、実質賃金もマイナスです。そんな国は、先進国30ヶ国中、日本だけだということです。なぜ、これだけ勤勉で教育水準も高い日本において経済が成長しなくなってしまったのか、なぜ、こんな国になり下がってしまったのか、私は不思議で仕方がありませんでした。

 その原因はどうみても「経済政策が誤っているから」としか考えられないとずっと思っていましたが、最近、中野剛志氏の「入門シュンペーター」(中野、2024)を読む機会があり、まさに「目から鱗が落ちる」ように、その疑問がクリアーに解決されました。なぜなら、「日本が経済成長できない理由は、経済政策のもととなる経済理論が誤っていたからであり、その誤った経済理論に基づいた経済政策を実施していたからに他ならない」ということが、上記の名著で「見事!」に説明されていたからです。

 その誤っている経済学とは、残念ながら、現在「主流派」とされている経済学のことを指しています。シュンペーターは100年以上も前に、その主流派経済学の間違いを指摘し、新しい経済学を提唱していました。しかし、残念なことに、未だに文字通り、主流派経済学は主流として経済界に君臨しており、シュンペーターが提唱した新しい経済学は「異端経済学」という扱いを受け続けて今日に至っているというのが現状のようです。ただし、後ほど述べるように、アメリカ合衆国などを中心に、その状況はかなり変わってきているのも事実のようですが・・・。

  「入門シュンペーター」を読んでいて、さらに驚いたことは、「主流派経済学と異端経済学」の経済動態を解明するための基本的な考え方の違いが、「MSY理論 と反MSY理論」の資源動態を解明するための基本的考え方の違いと、極めてよく似ていることでした。

 私は経済学の門外漢で経済学のことはよくわかりませんが、ノーベル経済学賞もあるぐらいですから、経済学という学問はとても素晴らしい近代的なサイエンスであるとばかり思っていました。しかし、「入門シュンペーター」を読んでみると、「経済学も水産資源学に劣るとも勝らない(?)前近代的、非科学的な学問である」ということがよくわかりました。

 なぜなら、MSY理論は、実際に観測される資源変動が説明できない理論であるにも関わらず、現在の主要な資源管理理論として君臨し続けているのと同様に、主流派経済学も、実際に観測される経済現象が説明できない静態的理論であるにも関わらず、主流派経済学として君臨し続けており、その「前近代的、非科学的」なところが、MSY理論とあまりにもよく似ていたからです。「異常なのは水産資源研究者だけではなかったんだ」と思うと、逆に、なんだかとても気が楽になったような気がしました。

 この2つの事例は、「研究者と言われる人達でさえ、一度刷り込まれたマインドコントロールから脱却することが如何に難しいか」と言うことや、「自らの誤りを認めることの難しさ」、「いろいろな利害関係のもとで、大きな勢力に反旗を翻すことの難しさ」等々を示す好例ではないかと思います。

 本記事によって、「主流派経済学 .VS. 異端経済学」と「MSY理論 .VS. 反MSY理論」という視点から、両論争を比較することによって、MSY理論が原理的に誤った理論であることを、いつもとは異なる切口から論証することができるのではないかと期待しています。

 ただし、私は経済学の専門家ではありませんので、「主流派経済学 .VS. 異端経済学」等の取りまとめについては、中野剛志氏の「入門シュンペーター」に記載されている内容を、私なりに理解した範囲内でとりまとめたものを使用させていただくことにしました。従ってもし、記載内容に間違い等があるとすれば、その責任は、すべて引用、取りまとめを行った私にあることをお断りしておきたいと思います。

 また、MSY理論とは、資源量をある資源水準(MSY資源水準という)に維持しておけば、毎年、毎年、最大の持続的な漁獲量(最大持続生産量、MSYという)が得られるという理論のことです。この理論をもとに、MSYという均衡点を管理目標として資源管理を実施するという方法が採用されているわけですが、その方法が如何に前近代的・非科学的な方法であるのかということも、2つの論争を対比することによって示すことができるのではないかと思っています。

  MSY理論のベースとなる「密度効果」とは、資源量増大によって、すなわち、「密度が増大することによって、餌の競合や生息場所の競合等が起こり、出生率の低下や死亡率の増大等が生じ、過度の密度の増大が資源の増大(自然増加量という)を抑制するような効果として働く」という作用のことをいいます。この密度効果があるために、資源量は大きければ大きいほど良い、ということにはならず、「漁獲量を持続的に最大(MSY)にすることができるような最適な資源水準が存在する」というのが、MSY理論の考え方です。

2.主流派経済学と異端経済学の相違点

 表1は、中野剛志著、「入門シュンペーター」を参考にして、主流派経済学と言われる経済理論と、シュンペーターが提唱する経済学(異端経済学と呼ばれる)の相違を私なりに整理したものです。また、表2には、水産資源管理の基本となるMSY理論と、それを否定する反MSY理論の相違を示しました。こちらの方は、櫻本のオリジナルということになります。

 現在の主流派経済学の基礎は、ワルラスにより確立された、一般均衡理論に基づいています(図1)。赤い線が供給曲線を表し、価格の上昇とともに、供給量は増大することを示しています。また、青い線は需要曲線を示し、価格の低下とともに需要量は増大することを示しています。従って、時間が経過すると、両曲線が交差する点に自然に収れんしていき、その点が均衡点となります。すなわち、「供給量と需要量が均衡する最適な点が存在し、その均衡点に自動的に収れんしていく」という考え方です。

 もちろん、供給曲線や需要曲線が変わると、均衡点も変わりますが、主流派経済学では、「均衡点は、経済システムの外部要因(例えば、戦争や気候変動など)がない限り、大きな変動はない」と考えています。

図1 供給曲線(赤の線)と需要曲線(青の線).  価格の上昇に伴って供給量は増加する.  また、 価格の低下に伴って需要量は増大する.  両者が交わる点は、需要と供給が一致する点で、この点で均衡するという理論. 

 しかし、ワルラスの理論には、時間の概念がなく、完全競争市場であること等の非現実的な前提のもとで成立する理論であること等が、提案当初から批判されていたことにも注意する必要があります。また、シュンペーターも、ワルラスの理論は「静態的」であり、「動態的」な経済を分析することができないという理由で、ワルラスの理論を批判しています。「静態的」な経済とは、経済発展が起きない経済のことであり、需要と供給が一致し、均衡安定している経済のことです。

 これに対し、「動態的」な経済とは、経済発展が起きる経済のことです。「動態的」な経済では、新しい価値を生み出す活動、すなわち、イノベーションの存在を非常に重要視しています。「静態的」な経済である主流派経済学では、そもそもイノベーションという概念は想定されていません。「主流派経済学は、もともと経済発展のメカニズムを説明しようとはしていない理論」ということでもあるようです。

 シュンペーターはイノベーションを起こすことができる人を「行動の人」と呼び、その存在を極めて重要視しています。「行動の人」は新しいことをやらずにはいられないような精力的な人であり、「需要に応じて供給するのではなく、自ら需要を創造する人である」とも述べています(中野、2024)。

 この点が、「静態的」な経済理論である主流派経済学と「動態的」な経済理論である異端経済学が大きく異なる点です。主流派経済学では、「行動の人」ではなく、「経済合理的な人」を経済主体として想定しています。「経済合理的な人」とは、「自分の効用を最大化するために合理的に行動する個人」と定義されています。従って、このような「経済合理的な人」は「ハイリターンではあるけれども、極めてハイリスクでもあるイノベーションを起こそうなどとは、おおよそ考えない人」ということになります。

 このイノベーションという要素を考慮するか否かが、主流派経済学と異端経済学を区別する時の重要なポイントになることに注意する必要があります。

 中野(2024)は、ワルラスを評して以下のように述べています。
「ワルラスは、経済というのもは本質的に均衡に向かうメカニズムを持っていると信じていました。経済が変化するとしたら、経済システムの外部要因(例えば、戦争や気候変動など)に求めるしかない、とワルラスは考えていたのです」

 私なりに上記の内容を解釈すると、以下のようになります。
経済の変動メカニズムを考える場合には、「本質的に均衡に向かう内部システム」と、「内部システムとは無関係な外部要因」の2つを考慮しなければならない。しかし、主流派経済学は経済の変動メカニズムとして「均衡に向かう内部システム」のみを考慮し、「内部システムとは無関係な外部要因は考慮の対象とせず、無視してしまった理論である」ということになると思います。

 これに対して、シュンペーターは以下のように述べています(中野、2024)。
 「私(シュンペーター)は、この見方は間違いで、経済システムのなかには均衡を自ら攪乱していくエネルギーの源泉が付与されていると強く感じていた。これが正しければ、経済システムを1つの均衡から別の均衡へと推進する要因を、もっぱら外的な要因に求めるのではなく、その外部要因に相当する内部要因として経済変化に関する純粋な意味での経済理論が存在しなければならない。私が作り上げたかったのは、このタイプの理論である。」

 私なりに上記のシュンペーターの言葉を解釈すると、以下のようになります。
 経済システムを1つの均衡点から別の均衡へと推進しようとするメカニズムが存在する。そのメカニズムを理論化するためには、「内部システムとは無関係な外部要因」という考え方ではなく、この外部要因と考えられている要因自体を、経済変化を説明するための内部要因として取り込んだ新しい理論が必要になる。シュンペーターはそのような内部要因として「イノベーション」という新しい概念を創出し、新しい理論を作り上げた人ということになるのだと思います。

3.主流派経済学とMSY理論との共通点と相違点

 ところで、MSY理論も定常状態を仮定した(時間の概念がない)理論であること、単一種のみを対象とした理論であること等の問題点が、今日までずっと批判されてきました。そういう意味でも、ワルラスの考え方とMSY理論の考え方は、「同じような欠陥が内在している理論」と言うことができるでしょう。また、上記の中野(2024)のワルラス評は、そのまま以下のように言い換えることができそうです。

  「資源研究者は、水産資源というのもは本質的に均衡に向かうメカニズムを持っていると信じていました。資源が大きく変化するとしたら、資源変動システムの外部要因(例えば、海洋環境変動など)に求めるしかない、と資源研究者は考えていたのです」。

 つまり、主流派経済学と異端派経済学との相違が、「本質的に均衡に向かう内部システム」のみを考えるか、「内部システムとは無関係な外部要因」を外部要因としてではなく、内部システムとして取り込んで考えるかの相違にあると言えるのと同様に、「MSY理論」と「反MSY理論」との相違とは、「密度効果により均衡に向かう内部システム」のみを考えるか、「内部システムとは無関係な外部要因」、すなわち、海洋環境変動を「内部システム」として考えるかの違いである、と言うことができるでしょう。

 ここで、一般均衡理論が主張する均衡点とは、「経済合理的な⼈が、完全競争市場のもとで、⾃らの効⽤を最⼤化するために合理的に⾏動していれば、自動的に最適な点に収れんしていく」という考え方でした。このことが、しばしば「神の手」という表現が用いられる所以でもあります。

 これに対して、水産資源学の場合の均衡点(MSY)は、図2の赤で示した自然増加量(生物が子を産むことによって自然に増加していく量)を表す曲線(余剰生産曲線という)を前提として導出された概念です。通常、自然増加量は親魚量の増大に伴って増大していくと考えられますが、密度効果があるために、やがて頭打ちとなり、さらに、親魚量が増大すると、密度効果によって、自然増加量は、逆に、減少してしまうという形状を示すことが仮定されています。 一般均衡理論に合わせて言えば、この曲線が供給曲線に相当することになりますが、人間の関与がなく、単に、生物学的に決まってくる自然的現象であるという点が、図1の供給曲線とは大きく異なります。

図2 親魚量と自然増加量の関係(赤い線). 密度効果の影響でドーム型の形状になると考えられており、その最大値がMSYになる.  折れ線はMSYを達成するために設定された漁獲量曲線を表す.  ただし、縦軸と横軸は架空の数値である.

 図2の青い線で示した折れ線は、MSYを達成するための漁獲政策として設定された漁獲量曲線を示します。一般均衡理論に合わせて言えば、需要曲線に相当します。しかし、需要曲線が、「経済合理的な⼈が、⾃らの効⽤を最⼤化するために合理的に⾏動した時の結果として決まってくる」のに対して、漁獲量曲線は、「MSYを達成するための漁獲政策として管理者によって人為的に設定されたものである」という点が大きく異なります。

 このような漁獲量曲線を設定すると、親魚量がMSYを与える親魚量水準(15万トン)より大きい時は、漁獲量が自然増加量よりも大きいので、親魚量は減少することになります。反対に、親魚量がMSYを与える親魚量水準(15万トン)より小さい時には、漁獲量は図2の青で示した直線で与えられ、自然増加量が漁獲量よりも大きいので、その差の分だけ親魚量が増大することになります。結果として、現状の親魚量水準の大小に関わらず、親魚量はMSY水準(15万トン)に収れんし、漁獲量はMSY(4.5万トン)を維持することになり、安定します。ただし、数値はわかり易く説明するために設定した架空の値です。

 これが、「MSY理論」に基づいて水産資源の管理を実施する場合の、基本的な管理指針となります。ただし、この考え方には、致命的な問題があります。それは、自然増加量を表す曲線の妥当性です。個体数以外のすべての条件を一定に保った実験室の水槽等で飼育実験をしている魚類などに対しては、図2に示した余剰生産曲線と同じような自然増加の曲線を観測することは可能かも知れませんが、広大な海洋に広く分布している魚類等に対しても、同様の曲線が出現すると考えるのは、非現実的に過ぎると言えるでしょう。
 
 つまり、管理目標として達成しようとしている均衡点(MSY)は、密度以外のすべての条件が一定であるという非現実的な条件のもとで初めて成立する概念であり、現実にその前提条件が満たされることはあり得ないということです。

 以上、見てきたように、ワルラスの一般均衡理論においては、「経済合理的な⼈が、完全競争市場のもとで、自らの効⽤を最⼤化するために合理的に⾏動する」という、前提条件が非現実的であるのと同様、MSY理論においては、「密度以外の条件が一定であるという条件のもとで成立するという非現実的なMSYの存在を前提としている」という点で、一般均衡理論もMSY理論も、非現実的な理論であるということになります。

 ところで、上記の、シュンペーターが述べているイノベーションのある動態的な経済学に倣って、反MSY理論の考え方を述べると以下のようになります。

 資源変動システムのなかには均衡を自ら攪乱していくエネルギーの源泉が付与されていると考えられる。このような均衡点のない非定常な資源変動を説明するためには、環境変動という一見、内部システム要因とは無関係に見える外的な要因を内部システムの要因として取り込むことが必要になる。このような取り組みを行うことによってはじめて実際の資源の変動を説明することができる理論の構築が可能になる。現場が必要としている理論は、まさにこのタイプの理論である。

 既に述べたように、主流派経済学の最大の欠点は、「経済発展が説明できない」ということでした。この批判を回避するために、主流派経済学者は「内生的成長理論」と呼ばれる理論を新たに提案しています。この理論は、ある研究開発投資が一定の確率でイノベーションの成功につながるという仮定を置き、技術進歩を経済成長の因子として取り込んだモデルとなっています。

 しかし、異端派の経済学者はこの「内生的成長理論」に対しても、「イノベーションというものは、極めて不確実な状況のもとで起こるものであり、一定の確率で成功か失敗かが決まる宝くじのようなものではない」と批判しています(中野、2024)。

 実は、このような取り組みはMSY理論でも試みられています。水産庁は、「新しいMSY理論は、環境変動も取り込んだ理論になっており、古典的MSY理論とは異なる(水研機構、2019)」と胸を張りますが、何のことはない、古典的な密度効果をベースにしたMSY理論から計算された値をランダムに増減させて、環境要因を取り込んだと言っているだけです。

 結局、そのようにして計算した値の平均値を計算して、それをもとに資源管理の議論をするわけですから、古典的MSY理論と本質的に変わることはありません。この「新しいMSY理論」が如何に資源管理に役立たない代物であるかということは、後ほど、太平洋クロマグロの資源管理の失敗例を示して、再度説明することにします。「イノベーションというものは一定の確率で成功か失敗かが決まる宝くじのようなものではない」という批判は、そのままこの「新しいMSY理論」にもあてはまると言えるでしょう。

4.新しいMSY理論も、資源管理の役には立たない

 MSY理論(「新しいMSY理論」も含む)に基づいて資源管理を実施した場合に、どんな矛盾や不都合な結果が起こるのか、そのダメさ加減を説明することにします。例として、最近の「note 」の記事から2つの例を紹介することにします( 櫻本、2024a)。

 一つ目の例です。図3は太平洋クロマグロの親魚量の年変動を示します。太平洋クロマグロの親魚量は、1982年に過去最低の1.1万㌧まで減少しました。しかし、当時は、漁獲量規制等が行われていなかったため、漁獲量を削減することはできず、漁獲量は親魚量が低下していた1980年代も、親魚量水準が高かった1960年前後と同様、2万トン以上という極めて高い状態が続いていました(図4、WCPFC、2024)。

 従って、もし、MSY理論が正しければ、このような極めて低い親魚量に対して極めて高い漁獲が行われているという状況の下で、親魚量が増加に転じるようなことは決して起こらなかったはずです。しかし、図3に示すように、1982年を境に、親魚量は増大に転じています。このことは、実際の親魚量の変動は、MSY理論では説明できないことを示しています。

図3 太平洋クロマグロ親魚量の年変化.  1982年親魚量には過去最低となった.  しかし、漁獲規制等を全く行っていないにも関わらず、1982年を境に親魚量は増大に転じている。また、2010年にも親魚量は大きく低下した。しかし、2010年を境に親魚量は増大に転じている。また、2015年からは、図中に示した管理目標水準を設定し、遅くとも20年後までにその管理目標水準が達成できるように、漁獲規制を実施した.  しかし、親魚量は12年も早く、たった8年で管理目標を達成した. 1983年以降、いろいろな色の線があるのは、いろいろ条件を変えて計算しているためで、赤の線が最も信頼できる計算結果とされている(WCPFC, 2024).   

 この例を示しながら、「いかなる漁獲規制も行っていないにも関わらず、観測史上最低になった太平洋クロマグロの親魚量が増加に転じた理由を、MSY理論を用いて説明して下さい」という内容を含む13項目からなる公開質問状を、2024年10月16日に水産庁長官に提出し、また、「note」の記事としても公開しました(櫻本、2024a)。この公開質問状に対する回答は、約5ケ月が経過した2025年3月10日にいただきましたが、何一つまともに回答されたものはありませんでした。その回答についての詳細は、また、noteの記事で紹介したいと考えています。

図4 太平洋クロマグロの国別漁獲量の推移.  親魚量水準が極めて低かった1982年前後の漁獲量は、親魚量水準が極めて高かった1960年前後と同程度の2万トン以上もあり、極めて高かったことがわかる(WCPFC, 2024). 


 太平洋クロマグロの記事からもう一つの例を紹介します。太平洋クロマグロは中西部太平洋マグロ類委員会(WCPFC)という国際機関が管理を行っています。太平洋クロマグロの親魚量は2010年に観測史上2番目に低い水準まで低下し(図3参照)、WCPFCは2015年より漁獲規制を実施しました。しかし、図3を見ると、漁獲規制を実施する5年も前の2010年を境に、親魚量は既に、増加に転じていることがわかります。

 WCPFCでは、親魚量の水準を図3に示した資源水準まで増大させるという管理目標を設定し、少なくとも、20年後の2035年までに、その管理目標を達成させることを決定しました。そして、その決定を実現するために漁獲してもよい漁獲量を算出し、それに基づく漁獲規制を実施しました。ところが、図3を見ればわかるように、予定した期限よりも12年も早く、わずか8年で管理目標が達成されてしまったことが明らかになりました(WWFジャパン、2024)。

 「予定した期限よりも12年も早く、管理目標が達成できたのだから、管理は大成功ではないか」という人もいますが、それは大きな間違いです。なぜなら、漁業管理というものは、管理の結果得られる利益と漁獲量削減を行うことによる損失とのバランスが極めて重要になるからです。計画よりも12年も早く、わずか8年で管理目標が達成されてしまったということは、不必要に過大な漁獲量の削減(つまり、漁業者の負担や損失)を漁業者に背負わせてしまった(特に、沿岸零細漁業者に)ということを意味しているからです。

 一例をあげると、クロマグロの漁獲規制があるために、定置網に入網したクロマグロが水揚げできずに、放流しなければならないといったケースも頻発しました。クロマグロを放流するときに、同時に、他の重要魚種も逃げてしまうので、沿岸の定置網漁業は大混乱に陥りました。京都府では、「定置網に入網したものの、漁獲ができずに放流しなければならないクロマグロの小型魚が、京都府に許可された漁獲可能量の10倍以上に達した」とも報告されています(野口他、2024)。しかし、定置網に入網し、傷ついたクロマグロは、放流したとしてもかなりの割合が死亡してしまうと言われており、文字どおり、大量のクロマグロを無駄に殺してしまったことにもなります。

 なぜ、このようなことが起こってしまったのでしょうか? それは、たまたま漁獲規制を実施した時期の環境条件等が良くて、資源が予想よりも早く増大した、というような偶発的なことが原因ではなく、これは、「起こるべくして起こった」極めて当然の「管理の失敗」であると言わなければなりません。

 なぜなら、「間違ったMSY理論にもとづいて、シミュレーションを実施し、誤った将来予測にもとづいて漁獲してもよい漁獲量を計算していたこと」に、その原因があるからです。いくらランダムな変動を入れて「環境変動も考慮した「新しいMSY理論」に基づいて、目標が達成される確率も計算しています」、「極めて科学的なアプローチの仕方を実施しています」とうそぶいてみたところで、その予測は外れまくっていて、全く役に立たないことを、この太平洋クロマグロの例は証明してしまったということでもあります。詳細については、櫻本(2024b)をご覧ください。

 要約すると、間違ったMSY理論に基づいて資源管理を実施すると、必ず、漁獲規制の効果は過小評価され、その結果として、不必要に過度な漁獲規制が実行されてしまうということです。すなわち、「管理の失敗は、誤ったMSY理論に基づいて設計された資源管理方策に基づいた資源管理を実施していたから」ということです。

4.その他の関連する事項

 大平洋クロマグロの例のように、誤った理論に基づいて設計された政策を実行したために管理に失敗してしまった例は、主流派経済学の場合についても示すことができます。そもそも、主流派経済学と異端経済学とでは、貨幣の概念が大きく異なっています。主流派経済学では貨幣とは「商品貨幣」、「貸付資金説」を意味しています。簡単に言うと、「貨幣が生産物など、実体のある何らかの物の代価として使用されている」という考え方です。

 これに対して、異端経済学では、貨幣とは「信用創造」であると考えます。例をあげましょう。例えば、1000万円のお金を元手に事業をしようとしている人が銀行から1000万円お金を借りたとします。銀行は、お金を借りた人の通帳に1000万円と記入します。これで、新たに市場に1000万円というお金が生まれ(創造され)、その1000万が新たに市場に流通します。すなわち、1000万円に対応する何らかの実態(物)があるわけではないにも関わらず、1000万円というお金が新たに創造され、市場に流通するということです。

 お金を借りた人はそのお金を使って事業等を行い、それによって得た利益から1000万円を銀行に返済します。そうすると、その時点で創造された貨幣は消滅し、社会から1000万円が消滅します。これがシュンペーターの経済学での貨幣の循環ということです。すなわち、お金を借りて事業をしようとする人がいれば、新たなお金が市場に出回ることになるので、返済能力があり、お金を借りて事業をしようとする人が多ければ多いほど、市場に流通するお金の量は増える、ということになります。

 このことは、信用創造によって市場に流通するお金を増やすことが先にあって、市場に流通するお金を増やすことができれば、それによって経済成長が促進されるということを示しています。このような貨幣観に立てば、財源とは関係なく、経済成長をさせるためには、まず、財政出動や減税を行って、市場に流通するお金を増やすことが必要ということになります。新貨幣理論(MMT)もこのような考え方に基づいた理論体系ということになります。

 これに対し、主流派経済学の貨幣の考え方は商品貨幣、貸付資金説であり、集めたお金を元手に、財政出動や減税を行うという建付けになっています。従って、減税や政府の財政出動をするためには、財源が必要になり、「財源をどう手当てするのか」といったいつもの議論が繰り返されることになるわけです。しかし、信用創造という考え方から言えば、そんな議論は全く無意味であることがわかります。

 このような誤った経済政策を30年間も続けてしまったために、日本は経済成長できない国になってしまったというわけです。誤った主流派経済学に基づく間違った経済政策が実施され、経済成長を毀損しているという構図は、誤ったMSY理論に基づく誤った過度の漁獲規制を実施し、産業としての漁業の経済活動を毀損してしまっているという構造と、酷似していると言えるでしょう。

5.まとめ

 以上をまとめると、変動メカ二ズムの理解の仕方として、主流派経済学とMSY理論は、定常状態を仮定して(時間の概念を無視して)、変動のメカニズムを説明しようとしているのに対して、異端経済学と反MSY理論は、非定常な状態にあるという事実に基づいて、変動のメカニズムを説明しようとしている点が異なると言うことになります。すなわち、「主流派経済学が実際の経済動向を説明することができない誤った理論であるように、MSY理論も実際の資源動向を説明することができない誤った理論である」というのが本記事の結論です。

 しかし、主流派経済学が現時点においても主流の経済理論として認められているという事実を考慮すると、「主流派経済学とMSY理論が定常状態を仮定した同じような考え方をしているからと言って、MSY理論が誤った理論であると結論することはできないのではないか」という反論が、当然あるだろうと思います。

 確かに、現時点においても、「主流派経済学」と「異端経済学」は対立しており、「主流派経済学」が誤りであり、「異端経済学」がより妥当であるという結論が明確に得られているわけではありません。従って、上記の反論はある意味「正しい」と言えるでしょう。しかし、少なくとも、「主流派経済学」と「異端経済学」の対立構造と、「MSY理論」と「反MSY理論」の対立構造は本質的な構造において極めてよく似ていることは納得していただけたのではないかと思います。

 すなわち、私が、偏見に満ちた奇想天外なロジックを振りかざして、「MSY理論」を批判しているのではなく、「主流派経済学」と「異端経済学」の論争で議論されている内容と、同程度のまともな視点に基づいて議論をしているということは、お認めいただけるのではないかと思います。もし、そういう理解を得ることができたのであれば、今回の記事を執筆・公表した意義は十分にあったのではないかと思います。

 もう一つ、「主流派経済学」は世界的にも「主流派経済学」であり、日本だけが「主流派経済学」に基づいた経済政策をしているわけではないにも関わらず、先進国30ヶ国中、なぜ日本だけだが、30年間デフレから脱却できず、経済成長もなく実質賃金もマイナスであるのかということについては、どのように理解すればいいのか、という疑問が残ります。

 それについては、「入門シュンペーター」の「第7章 シュンペーター的国家」に詳しい説明があります。簡単に言うと、例えば、「アメリカ政府は19世紀以降、イノベーションを促進するような物的なインフラや知識への投資を積極的に行ってきた」のに対し、「日本政府は、構造改革という名のもとにイノベーションが起きなくなるような愚行を次々に断行した」ということが述べられています。

 経済学会では、いわゆる重鎮と言われる方が、主流派経済学者であるために、未だに主流派経済学が君臨しているのかも知れませんが、アメリカをはじめとする日本を除く他国の政府は、既に、異端経済学にシフトした経済政策を実施しているということではないかと思います。なぜなら、日本以外の先進国29ケ国が、大きく経済成長しているからです。

 ところで、「入門シュンペーター」を読んで大変驚いたのですが、日本ではシュンぺータの考え方がとても重視されていた時期があったようです。シュンぺータは1950年に亡くなっていますが、生涯に11の書籍を著わしています。そのうちの10の書籍が邦訳されているそうです。これほど多くの翻訳が出たのは日本語だけということです(中野、2024)。

 また、シュンぺータは一時期オーストリアの蔵相を務めたり、銀行の頭取に就任したこともあったそうですが、1924年銀行の頭取を辞した後のシュンぺータに最初にポストをオファーしたのは東京帝国大学だったそうです(中野、2024)。これらのことは、日本にはシュンぺータの考え方に共感する人が多く、その考え方は日本の政策にも大きな影響を与えていたことを示しています。シュンぺータの評伝を書いたトーマス・マクロウは以下のように述べているそうです(中野、2024)。

「日本では占領軍が撤収した1952年から石油危機の1973年まで、政策担当者たちが、シュンぺータの示唆の多くを非常に注意深く採用したのである。」

 上記を受けて、中野氏はさらに以下のように述べています(中野、2024)。「1953年から1973年の奇跡的な経済成長期における日本的システムの中核がシュンぺータ的であったことは間違いない」。「ところが、1990年代に入ると、日本は、構造改革と称して、シュンぺータ的な中核を持ったの日本的システムを、自ら進んで破壊し始めました」。「シュンぺータに従って発展し、シュンぺータに背いて衰退した国。それが日本だと言ってもよいのではないでしょうか」。

 なぜ、1990年代に入ってから、そんなバカことをしてしまったのか、1990年代に入ってから、いったい何があったのかは、やはり謎です。しかし、もう「答え」は歴史が示しているのではないでしょうか?「シュンぺータ的システムへの回帰を急ぎ、政策を大転換することこそが、日本をこのまま没落させてしまわないための唯一の方法である」ことだけは、確かなようです。

 このことは、「資源管理を成功に導くためには、MSY 理論の誤りを認め、一刻も早く反MSY 理論に基づく資源管理へシフトすることこそが何よりも重要である」ということも同時に示している、と言えるのではないでしょうか!

引用文献
1.  櫻本和美. ここが問題、新しい水産資源の管理-MSY理論に代わる新しい資源変動理論-.デザインエッグ(株). 2020. 276pp.
2.  中野剛志 入門シュンペーター、PHP新書、2024、東京、334pp.1. 
3.  櫻本和美 太平洋クロマグロに関する記の資源管理についてー水産庁への公開質問状、note、2024a.
4.  WWFジャパン. WCPFC北小委員会会合2024閉幕 太平洋クロマグロ資源が安全水準まで回復 ネイチャーポジティブの好事例に. 2024. 9. 3.
5.  櫻本和美 太平洋クロマグロ急増の原因、note、2024b.
6.  国立研究開発法人 水産研究・教育機構 令和元(2019)年度 漁獲管理規則およびABC算定のための基本指針 令和元年6月10日.
7.  WCPFC. Assessment of Pacific Bluefin Tuna in the Pacific Ocean in 2024. WCPFC-SC20-2024/SA-WP-08. 2024.
8.  野⼝俊輔、⽊下直樹、舩越裕紀、岩尾敦志. リアルタイム操業⽇誌アプリを⽤いた定置網へのクロ マグロの⼊網状況の把握. ていち. 第145号. 2024.



 



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