人の気配がする写真が好き
人の気配がする写真が好き。
誰かが写っていなくても、そこに誰かが暮らしていることを感じられる写真。
例えば、飲みかけのコップ。

干された洗濯物
窓辺に置かれたもの
使い込まれた椅子
朝方、家の中に灯る明かり
お誕生日会の足跡
そういう、小さくて静かなものに、帰国してから、とても惹かれるようになった。
たぶん、窓からの眺めが好きなのも、同じ理由だ。

窓の向こうに見える家や、そこにある暮らしの気配。
知らない誰かの暮らしなのに、「ここにも誰かの毎日があるんだ」そう感じる瞬間が好き。
世界を旅して、いろんな場所で暮らす人たちを見てきた。
湖の上で暮らす人。山の中で暮らす人。
場所が変われば、暮らし方も、見える景色も、
当たり前も変わる。
それでも、朝が来て、誰かがごはんを作って、
誰かが子どもの手を引いて、いちにちが始まっていく。
そんな姿をたくさん見てきたからこそ、帰国してから、身近にある暮らしが、以前よりずっと愛おしく見えるようになった。
決して、派手で大きな出来事じゃない。
世界中の誰もが共通して持っている、なんでもない一瞬。そんな、暮らしの断片。
もし私がカメラを持っていなかったら、きっと見過ごしてしまうような、小さくて、静かなもの。
いまの私は、そういうものを残したい。
その人の顔が写っていなくても、声が聞こえなくても、そこに、誰かがいたことが伝わるような写真。
家族写真を撮るときも、私はきっと、そんな瞬間に惹かれている。
笑っている顔だけじゃなく、おもちゃで散らかった部屋、脱ぎっぱなしの靴、テーブルに残った食べもの。
あとから見返したときに、「ああ、確かにここで暮らしていたな」と思えるもの。
なぜなら、それは、確かに存在していた、愛おしい暮らしの断片だから。
特別じゃない一日。何気なく過ぎていく時間。
そこにある、小さなものたち。
暮らしって、きっと、そういう小さなものの、奇跡の積み重ねなんだと思う。





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