見えない子供性被害③声をあげられない無症候性の恐怖と順応という防衛反応
※ この記事は、子どもへの性暴力という重い主題を扱っています。読んでいてつらくなった方は、無理に読み進めないでください。ご自身やお子さんが被害に遭われている場合、性犯罪・性暴力被害者のためのワンストップ支援センター(全国共通番号 #8891 )、警察相談専用電話(#9110)、こどもの人権110番(0120-007-110)に相談できます。この記事は法的・医学的な助言ではありません。
「元気に学校に来ているから大丈夫」
「被害に遭っていたなら、もっと暗い顔をしているはずだ」
私たちが無意識に抱くこの被害者像こそが、多くの子どもたちを絶望的な孤独に突き落としています。
体の中は叫び声でいっぱいなのに、声を出すことができない。そんな悪夢を見たことはありませんか。
性被害を受け、沈黙させられる子どもたちは、まさにその状況が永遠に続いています。
第3回では、被害の深刻さと「見かけの平穏」が両立してしまう、過酷な心理構造について解説します。
■ 1.「無症候」という、見落とされやすいサイン
性被害の影響は、被害直後に現れるとは限りません。
国際的によく参照される古典的なレビューがあります。46研究を統合したもので、こう報告されています(Kendall-Tackett, Williams & Finkelhor, 1993)。
性的虐待を受けた子どものおよそ3分の1に、症状が認められなかった
どの症状も、被害者の大多数に共通するものではなかった
約3分の2は、12〜18か月のあいだに回復を示した
「性的虐待を受けた子どもの症候群」と呼べるものは存在しない
3人に1人です。決して例外ではありません。
日本でも、性器性交や口腔性交など侵襲性が極めて高い事例について、神奈川県の児童相談所が事例調査を行っています。38事例中26事例(約68%)で、児童相談所が関与する前に、目立った症状が確認されていませんでした(神奈川県中央児童相談所, 2018)。
これは「問題がない」ことを意味するのではありません。むしろ、日常生活を切り抜けるために、感情を殺して適応せざるをえない状態にあることを示唆しています。
子どもは、自分が何をされているのかの意味を理解し、言語化できるようになる思春期以降になって、ようやく深刻な症状(複雑性PTSDなど)として噴き出すことが多いのです。
■ 2. 沈黙のメカニズム─性的虐待順応症候群(CSAAS)
なぜ子どもは、地獄のような苦しみのなかでも「普通」を演じることができるのでしょうか。
ここでよく参照されるのが、**性的虐待順応症候群(CSAAS)**という枠組みです(Summit, 1983)。
先に、大事なことを書いておきます。
CSAASは、検証された症候群ではありません。
診断名ではなく、DSMにも入っていません
提唱の根拠は、著者自身の臨床経験にもとづく記述であり、実証研究から導かれたものではありません
Summit自身が1992年に、検察が「CSAASを被害があったことの証拠として使っている」ことを批判し、「診断ツールとして意図したものではない」と明言しています
米国の裁判所では、CSAASの証言は「被害者によく見られる行動の説明」に限定され、被害の推認に使うことは禁じられています。州によっては非科学的として不採用
それでも、この枠組みを紹介する価値はあると私は考えています。 「なぜ子どもは黙るのか」を大人が理解するための地図としては、いまだに有用だからです。ただし地図であって、証拠ではない。そこを混同しないでください。
CSAASが挙げる5つの要素は、こうです。
秘密の保持─加害者からの脅しや、家族を壊したくないという思いから、秘密を守り抜く
無力感─逃げることも抵抗することもできないという絶望
陥穽(かんせい)と順応(entrapment / accommodation)─逃れられない状況を生き抜くために、加害者の要求に過度に順応し、時には自分から誘うような「歪んだ生存スキル」さえ身につけてしまう
開示の遅れ・矛盾─やっとの思いで話しても、タイミングがずれたり、内容が曖昧だったりする
撤回─恐怖や罪悪感から、一度開示した被害を「嘘だった」と取り消してしまう
これらの反応は、子どもが自分の尊厳を守るために必死に取った「正解」の行動です。
それなのに大人の側からは、「本人が喜んでいた」「嘘をついている」と誤解される要因になってしまいます。
■ 3. 解離─心を守るための、必死の切り離し
加害の現場で子どもが用いる究極の防衛策が「解離」です。
性的な暴力を受けている最中、あまりの苦痛と恐怖から、意識を体から切り離し、「これは自分に起きていることではない」とぼうっとしてしまう状態を指します。
解離がある子どもは、被害を受けているときの記憶がなかったり(健忘)、痛みを感じなかったりすることがあります。
この「解離」という壁があるために、子ども自身が自分の被害を深刻なこととして認識できず、外部に助けを求める回路が閉ざされてしまうのです。
勘違いしないでいただきたいのですが、解離をしているからといって、決して楽をしているわけではありません。
必死で押さえつけた、押さえつけている痛みや苦しみは、巨大な利子を伴います。
想像してください。
あなたの大事な人が、目の前で殺されました。子どもや、親や、パートナー。
でも日常で、その事実を誰にも相談することはできません。人に言うと、あなたの命も危ういと思っているから。
この日から永遠に、「何事もなかったかのように」過ごすことになります。
徐々に心身を壊していく過程が、見えませんか。
■ 結論:沈黙は「大丈夫」のサインではない
日本の調査では、性交を伴う深刻な性暴力被害に遭った人の52.1%が、どこ(だれ)にも相談できていません(内閣府男女共同参画局, 2023)。
その背景には、今回説明したような「順応」や「解離」といった、声を出すことさえ奪われる心理構造があります。
大人の私たちは、「被害児童は泣いてSOSを出しているはずだ」という幻想を捨てなければなりません。
被害を受けている子どもほど、周囲の期待に応えて「良い子」を演じ、誰にも迷惑をかけないように静かに沈黙しています。
そして性加害者は、そういう子どもを狡猾に選んでいます。
「見えない」のは、子どもが隠しているからではなく、私たちが「いる」と思って見ていないからです。
サインがないことこそが最も深刻な危機の兆候かもしれない、という逆説的な眼差しを持つこと。それが、子どもたちの命を救う第一歩になります。
■ 3段に分けて整理しておきます
確かめられていること:性的虐待を受けた子どものおよそ3分の1に症状が認められない(46研究のレビュー)。日本の児相事例でも、侵襲性の高い38事例中26事例で事前に目立った症状がなかった。性交を伴う被害に遭った人の52.1%がどこにも相談できていない。
解釈の域にあること:CSAAS(性的虐待順応症候群)。よく知られた枠組みだが、実証的に検証された症候群ではなく、提唱者自身が診断ツールではないと述べている。
私の見立て:サインがないことこそ、最も深刻な危機の兆候かもしれない。

【この記事について】 この記事は、研究の"さわり"(要点の紹介)と、私自身の見立てです。研究デザインの限界やバイアスまで含めた本格的な批判的吟味は、Voicyプレミアム放送やEBLDジャーナルクラブで行っています。ここで紹介した論文は原著にあたって確認していますが、ぜひご自身でも原典を読み、批判的に吟味してみてくださいね。
【Voicy配信中】 ドクターりん🎓🕊「エビデンスに基づく人生デザイン」 https://voicy.jp/channel/817829
【参考文献】
Kendall-Tackett, K. A., Williams, L. M., & Finkelhor, D. (1993). Impact of sexual abuse on children: A review and synthesis of recent empirical studies. Psychological Bulletin, 113(1), 164–180.
神奈川県中央児童相談所(2018)『性的虐待・性被害調査報告書』(報告書名・発行形態を要確認)
厚生労働省(2020)『令和元年度 子ども・子育て支援推進調査研究事業:児童虐待対応におけるアセスメントの在り方に関する調査研究 報告書』(付録「アセスメント項目情報リスト」)
厚生労働省(2021)『令和2年度 子ども・子育て支援推進調査研究事業 潜在化していた性的虐待の把握および実態に関する調査 報告書』(研究代表:髙岡昂太/国立研究開発法人産業技術総合研究所)
内閣府男女共同参画局(2023)『こども・若者の性被害に関する状況等について』(令和5年6月13日)
奥山眞紀子(2005)「性的虐待の臨床的特徴とその対応」
岡本正子(2008)『子どもの性的虐待─被害児童と家族への援助』
Summit, R. C. (1983). The child sexual abuse accommodation syndrome. Child Abuse & Neglect, 7(2), 177–193.
Summit, R. C. (1992). Abuse of the child sexual abuse accommodation syndrome. Journal of Child Sexual Abuse, 1(4), 153–163.
Weiss, K. J., & Alexander, J. C. (2013). Sex, lies, and statistics: Inferences from the child sexual abuse accommodation syndrome. Journal of the American Academy of Psychiatry and the Law, 41(3), 412–420.
柳澤昭臣・玉井邦夫・山本恒雄(2011)『子どもへの性的虐待・家庭内性暴力の初期対応手引き』(出版社を要記載)
山本恒雄(2010)『子どもの性的虐待被害とその支援』(書誌情報を要記載)
山本恒雄(2016)「児童福祉領域における子どもの性暴力被害の全体像」(掲載誌・巻号を要記載)
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