見出し画像

【しまね女子ブログ】豊かさを問い直す

初めまして。山口小春と申します。
東京都江戸川区出身。村の鍛冶屋に憧れ新卒で兵庫県へ移住しました。
その後、島根県大田市温泉津に移住し、丸二年。
世界遺産の温泉街がある港町、の里山で生きています。

今回は野鍛冶に憧れた経緯について書きたいと思います。
前半、島根は全く登場しないのですが、何故今里山で活動しているのかにつながる大事な部分なのでしばしお付き合いください。
 

自業自得の絶望

私が野鍛冶という存在を知ったのは大学三年生のときです。
文学部史学科所属。ものづくりとは無縁の生活でした。バイトやサークル、大学生活を謳歌しこのままなんとなく一般就職するんだろうとのんびり構えていました。
当時私は所謂ガクチカと呼ばれる経験を得るためにWEBメディアの有給長期インターンシップに参加していました。人間関係に恵まれバイトの感覚でそれなりに楽しく続けていましたが、半年ほど経った頃でしょうか。
労働の構造にありふれたやるせなさと厭世観がわいてきました。
満員電車での通勤、空調の効きすぎたビルの中で陽の傾きも意識せずPCと向き合い、データを指標とした成果を追い求め、実体のないものから価値を生み出す日々。
一体私は誰の幸せのために何をしているのか、この営みに一体どんな価値があるのか分からなくなっていました。
陳腐な表現ですが資本主義社会の歯車でしかなく、更にその構造を助長させる存在であり続ける自分の未来にひどく落胆しました。
ここに来てようやく実社会の中の「自分」という個体を客観的に意識しました。
驚くことに私はこのときまで世の中の事象は自分個人の行いと何の関係もないと本気で思っていたのです。
このまま就職し今まで通り何となく環境に適応してそれなりに楽しく過ごす自分は容易に想像できました。が、そんな人生なんてあってもなくても同じだろうとも思えました。
環境に甘えて何も考えずに生きてきたツケが回ってきました。
その頃、所属していた地域研究論ゼミの課題で野鍛冶について触れました。
 

野鍛冶の在り方

野鍛冶は戦前は人口1000人あたりに一軒あるほどの身近な職業でした。
ナタ・カマ・斧・包丁などの刃物に限らずクワやスキといった農具、燭台、五徳、荷車の輪金、建築用の金物、井戸のポンプなどありとあらゆる金ものの制作と修理を担う存在です。
注文の基本はオーダーメイドです。使い手であるお客さんから直接注文を受け、その人の用途や体格に合わせて様々な道具を作ります。

廃業なさった野鍛冶さんの工場から出てきた大量の型。これでもほんの一部。

道具の造形には必ず意味があります。野鍛冶は、地域の自然環境を理解した上で「依頼主はどんな体格で、どんな場所で何を相手にどんな姿勢で作業をするか」考え尽くして道具を作りました。
道具の使い手は農業・林業・漁業に従事し自然を相手にする人達です。
山林の近い鍛冶工場には炭窯が併設されている場合もあり、道具を持って自ら山に入り炭を焼き、それを燃料に道具を鍛えました。

人の暮らしを想い・支え、そして自然の循環の一部として機能する。
野鍛冶は私が求めている豊かさを体現した存在でした。
しかしそんな野鍛冶も今では絶滅危惧種。1960年代には産業としての終焉を迎えたと言われています。
高度経済成長以降の合理化によって地方から人口が流出すると、手道具の使い手が減少。労働力不足から農林業の機械化が進みます。またホームセンターの台頭により量産品が流通すると、道具は研いで直すものから消耗品になりました。一丁から手作りする手法では量産品に太刀打ちできません。
同時並行で暮らしと自然との分断が起こりました。
エネルギーは炭や薪から石油やガス電気へ。畑の肥料は落ち葉から化学肥料へ。
人が立ち入らなくなった山は荒廃し、保水力が失われ土砂崩れや渇水、花粉症、動物被害などが全国的に問題となっています。

かつては棚田だった杉林。隣の沢は枯れている。

便利さと生の実感

便利なインフラも身の回りに溢れる素敵な商品も先人たちの努力のおかげで私の手元にやってきたものです。本当に恵まれていてありがたいことだと思います。
幸運なことに私は今まで特別な努力をしなくてもその恩恵に乗っかってこられてしまいました。背景情報を理解せずともお金さえあれば大抵のものを手に入れられます。
しかし、この因果関係の見えづらさこそが社会における自分の存在意義を希薄にしている感覚もありました。「忙しいから」と自分の生を支える根本的なものを蔑ろにし続けられる社会構造は、確実に私の首を締めていました。
需要があるのか、食っていけるのか分からない。それでもあらゆるものが金銭と交換できるサービスになってしまったこの時代にもう一度大事なことを思い出したい。
ゼミのレポートの取材と称して突撃したデザイン会社の中にある「Mujun Workshop Ono」で鍛冶屋になりたい旨を伝え、2020年に新卒で兵庫県に移住しそこで4年間働きました。

温泉津へ

島根県への移住は元々「Mujun Workshop」を運営する代表の意思でした。
2020年当初から島根県での場所探しは始まっており、私はパンデミックの最中初めて温泉津を訪れました。
そこで目にしたのは日常の延長として自然と交歓する暮らしでした。
山に分け入り山菜取りをしたり、海では釣りやサーフィンをしたりと地元の方々は思い思いに自然を味わっており、そんな日常に寄り添うような生き方ができたらと思いました。

山菜採りに誘っていただく。見つけ方から保存方法までとんでもない情報量をお持ちです。

もうひとつ印象的だったのは湯里にある名もなき浜の真っ黒なビーチです。
黒い砂の正体は砂鉄。山から流れ出したのか、他所の山から流れたものがたまたま浜へ溜まったのか。

この浜にはたたら(砂鉄と炭を原料に鉄を作る古来の製鉄方法)の遺跡が残っており、波打ち際にはノロ(たたら製鉄の際に出る不純物)がたまっています。

ここで作られた鉄はどんな道具になったんだろうか。
今を生きる人達と先人の軌跡が共存する何とも形容し難い愛おしい場所です。
 

島根の魅力

当初私にとって島根県でなければいけない絶対的な理由はありませんでした。
しかし訪れなければこの愛おしい景色と出会うことはありませんでした。
「縁もゆかりもないけれど、来てみたら居心地が良かった」これに尽きます。

間引いた大根。食べきれないから全部持っていってとのこと。

近隣の方も程よい距離感であたたかく見守ってくださります。野菜やお魚、猟で取れた猪など頂くばかりで申し訳ないほどのお裾分けをいただいております。
漬物などの保存食、草木を使った編みカゴ、竹細工、古民家から出てくる民具にはどれも山の恵みを生かす工夫がつまっています。
次の世代に遺しておきたいものがこんなにたくさんあって、それは一度途絶えたらもう二度と取り戻せないのに。自分は何ができるんだろうかと焦りばかりが募ります。

抽象的な話になってしまいましたが、次回以降里山や仕事の具体的な様子をお届けできたらと思います。最後までお付き合いありがとうございました。
ではまた来月。


◆◇◆━━━━━━◇ プロフィール ◇━━━━━━◆◇◆

【名前】山口 小春
【居住市町村】大田市温泉津町
【UターンorIターン】Iターン
【移住前の居住地(都道府県)】兵庫県
【年代】20代
【お仕事】鍛冶屋
【好きなこと】料理、生き物、里山探索
 
【Shimane Loverとしてひと言】
移住して3年目。都市で生まれ育った私にとって温泉津での生活は新鮮な感動の連続です。暮らしと自然の密接な結びつきを目の当たりにするたび、生きている実感を取り戻しています。

いいなと思ったら応援しよう!