流された町は、同じ場所に建て直してよいのか|ネパール大洪水、その後
洪水が引いたあと、ひとりの女性が、家のあった場所を何度も訪れている。
どこに家が建っていたのかは分かる。隣には、彼女が営んでいた小さな店もあった。しかし、そこにはもう、暮らしがあったことを示すものがほとんど残っていない。
家を建て直したい。けれど、同じ場所には戻れない。
災害のあとに残されるのは、壊れた建物だけではない。どこで暮らしをやり直すのかという、さらに難しい問いが残される。
一軒の家が残り、町が消えた
先日、ネパールを襲った大洪水の中で、一軒だけ流されずに残った「緑の家」について書いた。
前回の記事では、ネパール大洪水の中で一軒だけ残った「緑の家」を取り上げ、なぜその建物は流されなかったのかを、建築の視点から考えました。今回は、その家の周囲から失われた町と、人々がこれから暮らす場所について考えます。
周囲の家々が濁流にのみ込まれていく中、その家は最後まで立っていた。映像を見たとき、私は建築家として、なぜこの家だけが残ったのかを考えた。建物の形、構造、基礎、洪水を受けた方向。断定はできないが、偶然だけでは説明できない条件が重なっているように見えた。
けれど、記事を書き終えたあとも、ひとつの光景が頭に残っていた。一軒の家は残った。しかし、その周囲にあった町は消えていた。
道路が失われ、橋が壊れ、学校も流された。隣に住んでいた人が戻らなければ、家が一軒残っていても、以前と同じ暮らしを続けることはできない。建築は、一棟だけで成立しているわけではない。
「より安全な場所」という正しさ
報道によると、今回の洪水では約7,500戸の住宅が完全に破壊され、損傷して住めなくなった家を含めると、約2万戸を再建する必要があると推計されている。
洪水は、ネパールと中国との国境に近い山岳地域で起きた氷河の崩壊をきっかけに発生した。氷と岩、泥を巻き込んだ水が谷を下り、集落や道路、橋を短時間で押し流した。これまで家が建っていた場所の中には、再び住むには危険すぎると判断される土地もある。
家と小さな店を失った女性も、以前と同じ場所に建て直すことはできないと話している。そこが安全ではないことを、彼女自身が誰よりもよく分かっているからだ。
行政や技術者の立場から見れば、「より安全な場所へ移転する」という判断は正しい。川から距離を取る。高い土地を選ぶ。過去に水が通った場所を避ける。地盤や斜面を調べ、避難できる道路を確保する。私たちが設計を始めるときにも、まず敷地を見て、その場所にどのような危険があるのかを確認する。
しかし、図面や地図の上では正しく見える移転も、そこで暮らしてきた人にとっては、それほど単純な話ではない。
家は移せても、暮らしはそのまま移せない
なぜ人は、危険だと分かっている場所へ戻ろうとするのだろう。
それは、災害の危険を軽く考えているからではない。その場所に、生活を支えてきたものがあるからだ。農地がある。家畜がいる。小さな店がある。近所には親族や友人がいる。子どもが通う学校があり、祈りをささげてきた寺院がある。
人が暮らしているのは、住宅の壁と屋根の内側だけではない。朝起きて仕事へ向かう道、食料を買う店、子どもを預ける相手、困ったときに声をかけられる隣人。それらがつながって、ひとつの暮らしができている。
安全な高台に新しい住宅を建てたとしても、農地まで何時間もかかるようになれば、仕事を続けられない。学校や病院、商店が遠ければ、毎日の生活は成り立たない。建物だけが新しくても、そこに住み続けることができなければ、再建は完成したとはいえない。
災害後の集団移転では、新しい住宅が用意されたにもかかわらず、住民が元の土地へ戻ってしまうことがあるという。危険だから移ったはずなのに、暮らしていけないから戻らざるを得ない。安全な場所を用意しただけでは、人の生活を守ったことにはならないのである。
建物の強さだけでは守れないもの
私は建築設計の仕事を長く続けてきたが、設計できる範囲には限界があると感じることがある。
柱を太くし、基礎を深くし、水に耐えられる材料を選び、床を高くすることはできる。しかし、それだけで町全体を守れるわけではない。どこに住宅を建て、どこを空けておくのか。集落からどこへ避難するのか。建物の設計より前に考えなければならないことが数多くある。
町の再建には、少なくとも三つの安全が必要になる。ひとつは、洪水や土砂災害から命を守るための安全。もうひとつは、仕事や教育、医療を失わずに暮らし続けるための安全。そして最後に、家族や近隣との関係を保ち、自分がここに住んでよいと思える安心である。最初の安全だけを優先すると、人は暮らしから切り離される。以前から住んでいたという理由だけで同じ場所に戻れば、再び同じ危険にさらされる。どちらか一方を選べば解決する問題ではない。
どこを危険区域とし、どこに住宅を建てるのか。専門的な調査をせず、住民の希望だけで再建場所を決めることはできない。けれども、遠くから来た専門家が地図だけを見て、暮らす場所をすべて決めることにも違和感がある。どの道が日常的に使われていたのか、高齢者はどの坂道なら歩けるのか、農地まで通える距離はどれくらいか。そこで暮らしてきた人にしか分からないことがある。安全な町は、行政や技術者だけでつくるものではないのだと思う。
以前の私は、災害に強い建築とは、何より壊れない建物だと考えていた。もちろん、それは今も重要である。しかし、どれだけ強い住宅でも、仕事や学校から切り離され、誰も住み続けられなければ、人を守る建築にはならない。
残すものと、移さなければならないもの
流された町を、何も考えずに同じ場所へ戻すことはできない。川の流れが変わり、地形そのものが変わってしまった場所もある。一方で、安全という言葉だけを理由に、人々を土地や仕事、共同体から切り離すこともできない。
移さなければならない家がある。使い方を変えなければならない土地がある。それでも、近隣との関係や祭り、祈り、暮らしの習慣まで失う必要はない。建物の位置が変わっても、町を町として成り立たせてきたものは引き継ぐことができる。
再建とは、災害前と同じ風景を再現することではない。以前の暮らしの中から何を残し、これからの危険に備えて何を変えるのかを選び直す作業である。
家と店を失った女性は、今も以前の家があった場所を訪れているという。そこへ行けば、建物がなくなっても、家の位置は分かる。店のあった場所も、入口の向きも、そこから見えていた風景も覚えているのだろう。
次の家は、別の場所に建つのかもしれない。それでも、新しい町のどこかに、以前の家へ続いていた道の感覚や、隣人と声を交わしていた距離が残されていれば、暮らしは完全には途切れない。
流された町をどこに建て直すのか。まだ、その答えは出ていない。ただ、地図の上に新しい線を引くとき、その線の向こう側に、家があった場所を何度も訪れている人がいる。そのことだけは、忘れてはならないと思う。
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