名もない建築を、次の時間へ|古い住宅を残す人たちの静かな活動
ある建築の記事を読んでいて、「千鳥文化」という名前に目が止まった。はじめは地域の文化施設か、古い公民館のような建物を想像した。しかし調べてみると、そこは大阪・北加賀屋に残されていた「文化住宅」だった。
ここでいう文化住宅とは、文化活動を行うための施設ではない。戦後の関西で数多く建てられた、木造二階建ての小規模な集合住宅を指す言葉である。かつて造船業で栄えた北加賀屋で、働く人たちの日常を支えてきた、ごく普通の住まいだった。
なぜ、そのような建物が「千鳥文化」という文化複合施設になったのだろう。気になって調べていくうちに、似たような活動が大阪だけでなく、東京や広島など、各地で行われていることを知った。
有名な建築家が設計したわけではない。文化財として認められているわけでもない。それでも、その建物を壊さず、次の使い方を考えようとしている人たちがいる。
千鳥文化から始まった問い
大阪市住之江区の北加賀屋は、かつて造船業で栄えた町である。千鳥文化の前身となった文化住宅も、そうした時代の中で、地域に暮らす人たちの住居や店舗として使われていた。
造船業の衰退とともに建物の役割は薄れ、やがて住む人もいなくなった。そのままなら、老朽化した木造住宅として取り壊されても不思議ではなかった。
しかし、千鳥文化は解体されなかった。既存の柱や梁、建具などをできるだけ残しながら改修され、食堂やバー、商店、ギャラリー、イベントスペースなどが入る場所へと生まれ変わった。
興味深いのは、昔の住宅をきれいに復元し、見学するための建物にしたのではないことだ。過去の痕跡を残しながら、今を生きる人が食事をし、働き、展示を見て、誰かと話す場所になっている。
残されたのは、柱や梁だけではない。人が上り下りしてきた階段、何度も開け閉めされた建具、小さな部屋が連続する住宅のつくりも、次の使い手へと引き継がれている。
建物を残すとは、外観や形を保存することだけではない。部屋の狭さや玄関の近さ、そこで人が顔を合わせてきた距離を残すことでもある。
私はこれまで、古い建物を残すためには、まず建築としての明確な価値が必要だと考えていた。有名な設計者、珍しい工法、歴史的な出来事など、誰もが納得できる理由があって、初めて保存の対象になるのだと思っていた。
けれど、千鳥文化を見ていると、順序はそれだけではないように思えてくる。長く使われてきたことや、地域の人たちの暮らしを受け止めてきたことも、建物を残す理由になり得る。確かな評価が先にあるのではなく、使い続けようとする人の行動から、あとになって価値が見えてくる場合もある。
では、なぜ人は、建築史に名を残すわけでもない普通の建物を残そうとするのだろう。その答えを探すように、私はほかの事例を見ていった。
木造アパートが文化の場所になる
東京・谷中にあるHAGISOも、千鳥文化とよく似た経緯を持っている。もとは1955年に建てられた「萩荘」という木造アパートで、後には東京藝術大学の学生たちが、アトリエ兼住居として使っていた。
老朽化により解体されることが決まったとき、入居していた学生やアーティストたちは、建物との別れのために展覧会を開いた。建物全体を使ったその展覧会には予想を超える人が訪れ、それをきっかけに建物の価値が見直された。
萩荘は解体を免れ、カフェやギャラリーなどが入る「最小文化複合施設」として再出発した。大きなホールも広い展示室もないが、かつて人が暮らした部屋の近さが、展示や食事、会話のための空間として生かされている。
ここでも建物を救ったのは、文化財としての評価ではなかった。そこに住み、使い、建物との関係を築いていた人たちの行動だった。
もし解体前の展覧会がなければ、その建物は古い木造アパートとして姿を消していただろう。けれど、人が集まったことで、それまで見えていなかった使い方と価値が表に現れた。
古い建物は、過去を記念するためだけに残されたのではなかった。新しい人が入り、新しい活動が始まったことで、再び町の日常に戻っていったのである。
建物の価値は、完成したときにすべて決まるものではない。誰が使い、何を行い、どのような時間を過ごしたかによって、何十年も後に見つかる価値もある。

一軒の再生が、町へ広がっていく
さらに調べていくと、こうした活動は一棟の建物だけにとどまらなかった。古い住宅を一軒ずつ再生することで、町全体の風景や人の動きを変えようとしている人たちがいた。
大阪の空堀には、古い長屋を改修した複合施設「惣」がある。取り壊して駐車場になる可能性があった長屋に、飲食店や雑貨店などの小さな店が入り、再び人が行き交う場所となった。
空堀では惣だけでなく、古い屋敷や長屋を使った複合施設が少しずつ生まれていった。一棟の再生が単独で終わらず、周辺の建物や路地へとつながり、町を歩く人の流れにも変化を与えている。
同じ大阪の蒲生四丁目では、「がもよんにぎわいプロジェクト」が進められている。大正時代から残る米蔵や、戦災を免れた長屋、役割を終えた古民家などを改修し、主に飲食店として再生する活動である。
古い建物に新しい店が入り、そこで人が働き、食事をする。一つひとつは小さな変化だが、それが町の中に増えていくと、人は店から店へ歩くようになる。かつての町並みを残しながら、新しい仕事や人のつながりが生まれている。
広島県尾道市の「尾道空き家再生プロジェクト」は、さらに広い活動へと発展している。坂道や路地に残る空き家を、住宅、店舗、工房、宿泊施設、交流拠点などへ再生するだけでなく、空き家相談や移住支援、改修ワークショップにも取り組んでいる。
一軒だけでは、町全体を急に変えることはできない。それでも、一軒の再生が次の一軒を呼び、そこに店ができ、人が働き、また誰かが住み始める。その繰り返しによって、使われなくなっていた道に、少しずつ人の動きが戻ってくる。
大規模な再開発が、町を一度につくり替える方法だとすれば、こうした活動はそれとは違う。今ある建物を見ながら、残せるものを一つずつ拾い上げていくのである。

建物ではなく、暮らしをひらく
古い建物を残す方法は、店舗や文化施設への転用だけではない。「オープンナガヤ大阪」では、現在も使われている大阪の長屋を期間限定で公開し、そこで営まれている暮らしや仕事を外へとひらいている。
公開される長屋の使われ方はさまざまだ。住居として暮らし続けている場所もあれば、店舗、工房、福祉施設として使われている場所もある。
そこでは、建物だけが展示されるのではない。長屋の住人や使い手が、自分たちの暮らし方や改修の経験を来訪者に伝えている。
この活動を見ていると、建物を残すために、必ずしも特別な文化施設へ変える必要はないことに気づく。住み続けることも、傷んだ部分を修理しながら使うことも、ときどき外から人を招くことも、建物を次へ渡す方法になる。
古い長屋を特別な場所へ変えなくてもよい。住む、働く、店を開く、人を招く。その繰り返しの中で、建物の役割は続いていく。
ここで私は、建物を残すことと、昔の状態を変えないことは同じではないと気づいた。安全に使い続けるには、直さなければならない場所もあれば、新しく加えなければならない設備もある。
何を残し、何を変えるのか。その判断を重ねながら現在の暮らしに合わせていくことで、古い建物は使い続けられる。
彼らが残しているもの
もちろん、すべての古い建物を残すことはできない。耐震性や防火性に問題がある建物もあり、改修費が新築より高くなる場合もある。安全に使えない建物を、懐かしいという理由だけで残すことはできない。
所有者の高齢化や相続の問題もある。店を入れたとしても、経営が続かなければ、再び空き家になる。建物を改修すればすべて解決するほど、現実は単純ではない。
それでも、壊す前に一度立ち止まり、その建物が町の中でどのように使われてきたのかを確かめることはできる。すべてを残せなくても、柱や建具を再利用したり、建物の一部を新しい計画へ取り込んだりする方法はある。
千鳥文化やHAGISO、空堀、がもよん、尾道の人たちが残そうとしているのは、単なる古さではない。懐かしい外観や昭和らしい雰囲気だけを、商品にしているのでもない。
彼らが受け取っているのは、小さな部屋の寸法や、路地と玄関の関係、建物の中で人が顔を合わせる距離である。それらをすべて消さずに、新しい店や文化活動、今の暮らしを重ねようとしている。
新しくつくられた広い施設には、分かりやすい便利さがある。一方で、古い住宅の少し狭い部屋や低い天井が、人と人との距離を近づける場合もある。不便な部分をすべて欠点として消してしまえば、その建物だから生まれる関係まで失われる可能性がある。
建物を残しているのは、建築家だけではない。残すことを決める所有者がいて、資金を集める人がいて、店を開く人がいて、活動を支える地域住民がいる。
そして、そこで食事をし、展示を見て、誰かと話す人がいる。多くの人が無理のない範囲で建物を使い、少しずつ次の時間を引き受けることで、その場所は再び日常の中へ戻っていく。
もう一度、「千鳥文化」という名前を見る
全国を見渡せば、古い長屋やアパート、空き家、米蔵を残そうとしている人たちがいる。互いに同じ組織に属しているわけでも、共通の方法があるわけでもない。それでも、それぞれの町で目の前の一軒を見つめ、まだ使える方法を考えている。
町をつくっているのは、教科書に載る名建築だけではない。誰かが暮らし、働き、毎日のように扉を開けてきた、名もない建物の方が、私たちの身の回りにははるかに多い。
それらをすべて残すことはできない。残すべきか、建て替えるべきか、簡単に答えが出ない建物もある。
最初に目にした「千鳥文化」という四文字を、私はもう一度眺めた。今ではそれが、単なる施設名ではなく、古い住宅に次の役割を渡そうとした人たちの選択を表しているように見える。
次に古い建物の前を通ったとき、私はすぐに「残すべきだ」とは言えないだろう。ただ、ここでは誰が、どのような毎日を過ごしていたのだろうと、少しだけ立ち止まって考えてみたい。
古いものを残すとは、昔の姿をそのまま保存することだけではありません。以前、建築主と一緒に古い瓦を砕き、新しい住宅の一部として使った日のことを書きました。形を変えながら、建築の時間を次へ渡した小さな体験です。
まだ使える建物であっても、経済性や再開発、制度の変化によって解体されることがあります。私たちの社会では、なぜ建て替えることが「当たり前」になったのか。建築が壊される背景について、こちらの記事でも考えています。
スクラップ・アンド・ビルドという“当たり前”|時間建築論 第4章
一軒の建物がなくなるとき、失われるのは外観だけではありません。そこで交わされた言葉や、毎日のように通った道の風景も、少しずつ見えなくなっていきます。人が減り、店や建物が消えていく故郷について書いた記事です。
いつか大きな町になると思っていた|故郷から人が消えていくということ
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