建築家がイーハトーヴに惹かれる理由― 地図に載らない場所と時間建築論 ―
1. 地図に載っていない場所
私は宮沢賢治が好きだ。
『銀河鉄道の夜』も、『風の又三郎』も、『注文の多い料理店』も読んだ。子どもの頃に読んだ時は、不思議な物語だと思った。大人になって読み返すと、それは単なる童話ではなく、どこか遠い場所から届いた手紙のようにも感じられた。
その中でも、私が特に惹かれる言葉がある。
『イーハトーヴ。』
岩手をもとにしながら、岩手そのものではない場所。現実にありそうで、どこにもない場所。地図を広げても見つからないのに、なぜか心の中には確かに存在している場所。
私はこの感覚がとても好きだ。

私は岩手県の盛岡市に、何年か住んでいたことがある。
その頃、花巻市にある宮沢賢治記念館にも何度か足を運んだ。
岩手の空気の中で賢治の言葉に触れ、展示を見ながら、その世界をゆっくり味わった時間がある。
そこにあったのは、派手な物語の世界ではなかった。
静かで、少し不思議で、どこか趣のある世界だった。
そして不思議なことに、その世界はとても居心地が良かった。
今思えば、私はその時すでに、イーハトーヴという「地図に載らない場所」の入口に立っていたのかもしれない。
建築は普通、土地の上に建つ。敷地があり、道路があり、境界線があり、法規があり、構造がある。建築家はその条件を読み取りながら、図面を描いていく。
しかし、建築を考える前に、私たちの心の中にはすでに一つの風景があるのではないだろうか。
まだ柱も壁もない。屋根も窓もない。けれど、そこには光があり、風があり、音があり、誰かの記憶がある。
イーハトーヴとは、そういう場所なのだと思う。
実在しないからこそ、自由に行くことができる。誰かに説明しようとすると少し遠ざかってしまうのに、一人で思い浮かべると不思議なほど近くにある。
宮沢賢治は、建物を設計したわけではない。けれど、彼は言葉によって、一つの世界を建てた。
星の光が差し、風が通り、雨が降り、銀河鉄道が走る世界。そこには、目に見える建築以上に強い場所の感覚がある。
建築家として空間を考えるようになってから、私は時々思う。
人は建物そのものだけに惹かれているのではない。建物の奥にある「まだ名前のない場所」に惹かれているのではないか。
そして私にとって、その最も美しい言葉の一つが、イーハトーヴなのだ。
2. 建築家が設計する前に描くもの
建築家は、いきなり建物を描いているわけではない。
もちろん実務では、敷地条件を確認し、法規を調べ、面積を整理し、構造や設備の条件を合わせていく。道路斜線、日影、避難、駐車場、消防、バリアフリー。建築は、現実の条件から逃げることはできない。
けれど、その前にあるものがある。
この場所に、どんな時間が流れてほしいのか。ここに立つ人は、どんな光を見て、どんな風を感じるのか。帰ってくる人は、どんな気持ちで扉を開けるのか。そこに暮らす人の記憶は、どこに残っていくのか。
そうした、まだ図面にならない感覚が、建築の最初にある。
宮沢賢治のイーハトーヴも、きっとそれに近い。
イーハトーヴには明確な住所がない。境界線もない。建築確認申請もない。それでも、その場所には確かな空気がある。
星が見える。風が吹く。遠くで汽車の音がする。草や土や雨の匂いがする。
それは建物として完成しているわけではない。けれど、場所としてはすでに立ち上がっている。
建築家が最初に描くべきものも、本当はそこなのかもしれない。
形ではなく、時間。外観ではなく、体験。面積ではなく、記憶。
図面に線を引く前に、心の中に一つの風景が生まれる。その風景が曖昧なままでは、どれほどきれいな建物を描いても、どこか弱い。
逆に、その風景がはっきりしていれば、建物は少しずつ自分の形を見つけていく。
だから私は、イーハトーヴという言葉に惹かれるのだと思う。
それは単なる空想の地名ではない。建築家が設計する前に、心の中で最初に立ち上げる「見えない敷地」のようなものだからだ。
3. イーハトーヴと時間建築論
宮沢賢治が描いた世界には、いつも時間が流れている。
それは時計で測る時間ではない。朝になり、夜になり、季節が変わり、風が吹き、星がめぐる。自然の中にある、大きくて静かな時間である。
『銀河鉄道の夜』を読むと、私たちは宇宙を旅しているように感じる。
けれど本当は、あの物語は空間の旅であると同時に、時間の旅でもあるのだと思う。
失われたもの。もう会えない人。それでも心の中に残り続ける記憶。そのすべてを乗せて、銀河鉄道は夜の中を走っていく。
賢治は建築をつくったわけではない。しかし、彼は言葉によって、時間の居場所をつくった。
風が吹く場所。雨が降る場所。星を見上げる場所。誰かを思い出す場所。
それは、私が時間建築論で考えてきたことと重なる。
建築とは、単に形をつくることではない。人がそこで過ごし、何かを感じ、やがて記憶として持ち帰るための器である。
きれいな壁や大きな窓だけが建築をつくるのではない。朝の光、夕方の影、雨の日の匂い、床に落ちる木漏れ日。そうした小さな時間の積み重ねが、建築を本当の場所にしていく。
イーハトーヴも同じだ。
そこには実際の建物があるわけではない。けれど、風景があり、季節があり、音があり、記憶がある。だから私たちは、その世界に入っていける。
おそらく賢治は、場所を書いていたのではない。場所の中に流れる時間を書いていた。
だからイーハトーヴは、地図には載らない。地図に載せた瞬間、それはただの土地になってしまう。
イーハトーヴは、読む人の心の中でしか完成しない場所である。
そして建築もまた、本当はそういうものなのかもしれない。
完成図や写真の中ではなく、そこを歩いた人の記憶の中で、少しずつ完成していく。時間の中で育ち、誰かの心の中に残った時、建築は初めて「場所」になる。
宮沢賢治のイーハトーヴは、私にとって文学上の理想郷であると同時に、時間建築論の原風景でもある。
4. 私にとってのイーハトーヴ
私にとって、イーハトーヴは遠い文学の中だけにある場所ではない。
宮沢賢治が言葉で一つの世界を建てたように、私もまた、建築という視点から存在しない場所を考えてきた。

蛍を待つためだけの旅館。見えない海の音を聴く美術館。海底に沈む図書館。風が手紙を運ぶ郵便局。木漏れ日が静かに降りる礼拝堂。
それらは実際には建っていない。
敷地もない。構造計算もない。確認申請もない。工事費も、施工者も、竣工写真もない。
それでも、私の中では確かに存在している。
むしろ、実在しないからこそ自由に考えられる。そこでは建築は、機能や収益性だけで決まらない。誰かが何を感じるのか。どんな時間を過ごすのか。帰ったあと、どんな記憶として残るのか。そのことだけを、静かに考えることができる。
建築家の空想休憩室で描いてきた建築は、現実逃避ではないと思っている。それは、現実の建築を考えるためのもう一つの入口である。
実務の中で建築は、どうしても条件に囲まれる。面積、予算、法規、工期、発注者の要望。その一つ一つはもちろん大切で、建築はそれらを無視して成立しない。
条件だけで建築を考えていると、いつの間にか大切な問いを忘れてしまう。
この場所は、人の心に何を残すのか。
イーハトーヴは、その問いを思い出させてくれる。
宮沢賢治の世界には、完成された建物の説明はほとんどない。それなのに、読む人はそこに風景を感じる。星の光を感じ、風の音を聞き、遠くの汽車の気配を思い浮かべる。
私が空想の建築を書き続ける理由も、きっとそこにある。
建築とは、実際に建てるものだけではない。人の心の中に、まだ見たことのない場所を立ち上げることも、建築の一部なのではないか。
5. どこにもない場所を探して
この記事を書きながら、大学時代に夢中になって読んでいた一冊の本を思い出した。
16世紀のイギリスの思想家、トマス・モアの『ユートピア』である。
ユートピアとは、架空の理想的な社会や場所、理想郷を指す言葉として知られている。語源には「どこにもない場所」という意味が含まれているという。
それを思い出した時、私は少し驚いた。
イーハトーヴもまた、どこにもない場所である。
もしかすると私は、大学時代からずっと、現実には存在しない理想郷のようなものを心の中に描いていたのかもしれない。
もう一つ、思い出した歌がある。
ゴダイゴの『ガンダーラ』である。
私が音楽を好きになる最初のきっかけになった曲だった。当時、『西遊記』という番組が大人気で、その主題歌として流れていた。今でも私の音楽リストには入っていて、時々ふと流れてくる。
子どもの頃、私は「ガンダーラ」とは何なのか、一生懸命調べようとしていた気がする。
『西遊記』は、三蔵法師が弟子たちを連れて天竺へ向かう物語である。ありがたいお経を求めて旅をする話ではあるが、今考えると、それもまた理想郷を求める旅だったのではないかと思う。
ユートピア。
ガンダーラ。
イーハトーヴ。
言葉も時代も場所も違う。
けれど、どれも私の中ではどこかでつながっている。
地図には載っていない。
簡単には辿り着けない。
けれど、人が心の奥で求め続けている場所。
幼い頃から、自分の根底にはそういう思いが流れていたのかもしれない。
6. イーハトーヴを探す旅
建築家になってから、多くの建物を見てきた。
有名な建築も見た。美しい空間にも出会った。強い思想を持った建築にも、静かに人の暮らしを支える建築にも触れてきた。
けれど、今になって思う。
私が本当に探していたのは、建物そのものではなかったのかもしれない。
建物の向こう側にある風景。その場所に流れる時間。人がそこで何を感じ、何を思い出すのか。そして、その記憶がどのように心の中に残っていくのか。
私は、そういうものを探していたのだと思う。
宮沢賢治のイーハトーヴは、地図には載っていない。けれど、読んだ人の心の中には確かに存在する。
それは、どこか遠い理想郷であると同時に、誰もが自分の中に持っている場所なのかもしれない。
子どもの頃に見た夜空。雨上がりの道の匂い。誰かと歩いた夕暮れの道。二度と戻れない時間の中にある、なぜか今も消えない風景。
そうした記憶の中に、それぞれのイーハトーヴはある。
建築もまた、そこに近づくことができるはずだ。
ただ便利なだけではなく、ただ美しいだけでもなく、人の記憶の中に静かに残り続ける場所。
年月が経っても、ふと思い出される光。風の通り道。窓から見えた空。誰かの声が残っているような部屋。
そういう建築を、私は考えていきたい。
そして、建築家の空想休憩室で描いている場所たちは、そのための小さな旅なのだと思う。
蛍待亭も、潮音の美術館も、海底図書館も、風の郵便局も、まだどこにも建っていない。
けれど、それらを考える時間の中で、私は少しずつ自分のイーハトーヴに近づいている気がする。
宮沢賢治は、言葉で世界を建てた。
私は建築という視点から、まだ見ぬ場所を考えている。
もしかすると、それは建物を設計することとは少し違うのかもしれない。けれど、私にとっては確かに建築の一部である。
私は今も、イーハトーヴを探している。
そして今、少しずつ気づき始めている。
私がnoteで築き上げたい世界そのものが、私にとってのイーハトーヴなのだ。
そして建築家の空想休憩室とは、その途中で見つけた風景を描くための、小さなノートなのだと思う。
これから少しずつ、建築家の視点から宮沢賢治の世界をたどってみたいと思います。銀河鉄道、風、星、雨、そしてイーハトーヴ。その先に、私なりの空想建築が見えてくるかもしれません。
イーハトーヴもまた、地図には載らない場所でした。
私が考えている「時間建築論」も、建築の形ではなく、その場所に流れる時間や記憶について考える試みです。
よろしければこちらもあわせてお読みください。
▶ 時間建築論 ― 建築は時間を設計できるのか
はじめて読んでくださった方へ。
このnoteでは、建築、暮らし、時間、そして日本と韓国の住文化について、建築家の視点から記録しています。
私がどのような立場で、どんなテーマを大切にしながら書いているのかは、こちらのプロフィール記事にまとめました。
よろしければ、あわせて読んでいただけるとうれしいです。
▶︎ 建築家として、時間と暮らしを記録する|新しいプロフィール
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