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なぜ「夏の終わり」という言葉に、胸が締め付けられるのだろう

中学生の頃、美術の時間に「レコードのジャケットをデザインする」という課題があった。

レコードといっても、今では実際に手に取ったことがない人もいるだろう。大きな正方形のジャケットから黒い円盤を取り出し、プレーヤーに載せて音楽を聴く。新しいレコードの封を開けると、紙とインクとビニールが混じったような独特の匂いがした。私はその匂いも嫌いではなかった。

その課題で、私は当時大好きだったオフコースの「秋の気配」を選んだ。

正方形の画面を二つに分け、その片方をさらに二つに分けた。大きな四角が一つと、小さな四角が二つ。三つに分かれた画面の中に、それぞれ違う風景を描いた。

いちばん大きな四角には、葉を落とす木と、その下に置かれたベンチを描いた。ベンチは赤かったような気がする。その向こうには、遠くまで続く水平線が見えていた。

ほかの二つの四角に何を描いたのか。一つはもう、どうしても思い出せない。使った色もはっきりしないが、全体が秋の木々のような色に包まれていたように思う。

中学校の美術で、ほかにどんな課題があったのかは何一つ覚えていない。美術も音楽も比較的得意だったから、それなりに気に入っていた作品はほかにもあったはずだ。それなのに、このレコードジャケットだけは、画面の分け方まで今もはっきりと覚えている。

木造校舎の二階で描いた風景

美術室は、木造校舎の二階にあったように思う。

記憶の中の校舎は少し薄暗く、木の床や階段には、長い年月を人が歩いてきた気配があった。ただし、それが本当に見た光景なのか、後からつくられた記憶なのかは、もう分からない。

その中学校は、私たちの代を最後にほかの学校と統合された。私たちは、その学校の最後の卒業生になった。校舎自体はその後も残り、しばらく工場として使われていたように記憶しているが、今も残っているのかどうかは定かではない。

考えてみれば、学校としての時間が終わろうとしていた木造校舎の中で、私は「秋の気配」という題名のジャケットを描いていたことになる。

もちろん、中学生だった私がそんなことを意識していたはずはない。学校がなくなることの意味も、長く使われてきた建物が役割を終えることも、本当には分かっていなかった。

それでも今振り返ると、不思議な気持ちになる。

なぜ、私はそこで葉を落とす木と、誰も座っていないベンチと、遠い水平線を描いたのだろう。

まだ存在しなかった、海の見える公園

描いた木やベンチには、モデルとなる場所があったわけではない。

海を見下ろす公園そのものが、当時の私にとって特別な場所であり、一つの憧れだった。実際に訪れた風景ではなく、こんな場所があったらいいと思う風景を描いていたのである。

『空と風と時と』で、オフコースの「秋の気配」がつくられた過程について読んだことがある。心象的な表現が多かったため、もっと思い切って具体的な情景を描いてほしいという要請があり、港を見下ろす高台の公園という舞台が生まれたのだという。

私は、まさにその手法にはまった一人だった。

歌の中に一つの具体的な場所が示されたことで、私の中にも風景が生まれた。ただし、私が描いた公園は、歌の中の場所を忠実に再現したものではない。歌から受け取ったいくつかの言葉をもとに、自分の中でつくり上げた場所だった。

秋色の木を立たせ、その傍らに一脚のベンチを置き、その先に海を広げた。

今になって思えば、私はその頃から、まだ存在しない場所を描いていたことになる。人がそこで何を感じ、どのような時間を過ごすのかを想像しながら、心の中に一つの風景をつくっていた。

建築家になった今の自分がしていることと、そう遠くはない。

世界を満たす音が変わる

なぜか分からないが、「夏の終わり」や「秋の気配」という言葉を聞くだけで、胸が締め付けられる。

何か一つの出来事を思い出すわけではない。悲しい別れがあったからでもない。それでも、あれほど明るかった季節が遠ざかっていくような、もう戻れない何かを見送るような気持ちになる。

子どもの頃、季節の変化を最初に教えてくれたのは、気温ではなく虫たちの声だった。

夏の盛りには、ミンミンゼミやアブラゼミの声が日中を支配していた。木々の間から降り注ぐ大きな鳴き声は、暑さそのもののようでもあった。

それが、いつの間にか夕暮れのヒグラシへと変わっていく。

ヒグラシの声は、同じセミの声でありながら、真夏の力強さとはどこか違って聞こえた。短い命を振り絞り、懸命に生きようとする叫びのようでもあり、同時に、何かの終わりを告げているようでもあった。

やがて鈴虫やコオロギの声が、夜の闇を満たし始める。

夏の虫たちがある日を境に一斉に姿を消し、秋の虫と入れ替わるわけではない。昼を占めていた大きな声が少しずつ遠のき、その代わりに、夕方や夜の草むらから小さな声が聞こえてくる。

景色は昨日とほとんど変わらない。それでも、世界を満たす音の主役は、誰にも気づかれないまま静かに交代している。

その小さな変化を、私たちは「秋の気配」と呼んできたのだろう。

高い空を見上げていた日

秋になると、空が急に高くなったように感じる。

いつの頃だったか、そんな秋の日に、仲間たちと静かな公園で過ごした時間を今でも忘れられない。

一時間か二時間ほどだったのかもしれない。あるいは、もっと長い時間が過ぎていたのかもしれない。けれど、そこには始まりも終わりもなく、時計を確かめる理由もなかった。

私たちは、何をするでもなく、それぞれにぼんやりと過ごしていた。

私はベンチに寝そべり、空を見上げた。高い空に飛行機雲が一本、ゆっくりと引かれていった。そのさらに上を、トンボの群れが飛んでいた。


トンボが、驚くほど高いところを群れになって飛ぶことがあるのを知っているだろうか。

手を伸ばしても決して届かない高さを、いくつもの小さな影が行き交う。私たちは何を話すでもなく、ただその空を眺めていた。

その頃の私は、仕事にどこか行き詰まりを感じていた。毎日するべきことに追われ、立ち止まる余裕を失っていたのだと思う。

だからこそ、何もしなかったあの時間が、今もたまらなく愛おしい。

まだ、今のように誰もがスマートフォンを持っている時代ではなかった。写真を撮ることも、誰かに見せることも、過ごした時間をその場で記録することもなかった。

写真は一枚も残っていない。それなのに、あの日の空は今も記憶の中にある。

飛行機雲も、遠いトンボの群れも、ベンチに寝そべって空を見上げた感覚も、不思議なほど鮮明である。

想像の中で描いた場所へ

中学生の頃、私は想像の中に秋の公園を描いた。

そこには木があり、ベンチがあり、その向こうには水平線があった。それから長い時間が過ぎ、大人になった私は、仲間たちと公園のベンチで秋の空を見上げていた。

二つの公園が同じ場所だったわけではない。

一方は、歌を聴いた中学生が頭の中につくった場所である。もう一方は、仕事に行き詰まりを感じていた大人が、現実の中で過ごした場所だった。

それでも、二つの風景はどこかでつながっているように思える。

中学生だった私が想像の中に描いた秋の公園へ、大人になった私は、知らないうちにたどり着いていたのだろう。

夏の終わりが歌われる理由

春にも、秋にも、冬にも終わりはある。それなのに、「夏の終わり」という言葉ほど、多くの歌に歌われ、人の心を揺らす季節の境目は少ないように思う。

なぜなのだろう。

夏の記憶は、いつも強烈である。

真っ青な空と白い雲。強い光と濃い影。蝉の声、草の匂い、汗ばんだ肌、冷たい水。夏の記憶には、色も音も匂いも温度もあり、出来事だけでなく、身体全体で覚えているものが多い。

だから、終わりもまた強く感じるのだろう。

冬の終わりには、春が来る喜びがある。けれど夏の終わりには、あれほど鮮やかだったものが少しずつ色を失い、過ぎ去ったものへ変わっていく感覚がある。

夏の終わりが物憂げなのは、秋が来るからではない。

終わろうとしている夏が、あまりにも明るかったからである。

季節としての夏は、来年もやってくる。けれど、今年の光や、そこで交わした言葉、同じ空を見上げた人たちまで、そのまま戻ってくるわけではない。

「夏の終わり」という言葉は、その事実を私たちの胸の奥へ、そっと触れさせる。

日本と韓国、二つの夏の光

私は日本で育ち、今は韓国で暮らしている。

どちらの国にも、はっきりとした四季がある。夏の暑さも冬の寒さも厳しいが、その間には、光や風、虫の声、木々の色によって知る季節の境目がある。

同じ四季のある国でも、暮らしてみると、季節の感じ方には少し違いがある。

日本にいた頃、夏の夕方は七時を過ぎると、すでに暗くなり始めていたように思う。ところが韓国では、夏の長い日には夜八時を過ぎても、まだ空に明るさが残っている。

最初の頃は、そのことが少し不思議だった。

仕事を終えて外へ出ても、まだ一日が終わっていない。夕方をもう一度与えられたようで、どこか時間を得した気持ちになる。空の明るさが残っているというだけで、夏の一日が少し長く、豊かに感じられた。


世界の人々も、それぞれの土地で異なる季節の移り変わりを感じているのだろう。雨季と乾季の境目、風向きの変化、日の長さ、植物の色。四季という分け方だけが、季節ではない。

それでも、日本と韓国という二つの国で、光の違いまで含めて季節を体験できたことを、私は幸いだったと思っている。

昨日とは違う風に気づき、空の高さに驚き、虫たちの声から時間の移り変わりを知る。そうした小さな感覚が、私たちの記憶の輪郭をつくっていく。

建築に刻まれる季節

一方で、建築にとって四季は、必ずしも優しいものではない。

夏の強い日差しは素材を退色させ、雨は壁や屋根を濡らす。湿気と乾燥、暑さと寒さが繰り返され、冬には雪が積もり、凍結と融解が建物に負担を与える。

経年変化という観点だけで見れば、四季がはっきりしていることは、建築にとってマイナスにも思える。

けれど、季節にさらされなければ、建築に時間の表情は生まれない。

木の色が変わり、石が雨に濡れ、金属の表面に歳月が現れる。床や階段は、人が歩いたところだけが少しずつ擦り減っていく。

もちろん、防ぐべき劣化と、受け入れられる経年変化は同じではない。雨漏りや腐食まで、時間の味わいとして美化することはできない。

それでも、完成したときの状態を永遠に保つことだけが、建築の価値ではないと思う。

春の光を受け、夏の雨に濡れ、秋の風を通し、冬の寒さを越える。その積み重ねによって、建築は少しずつ土地の風景になっていく。

建築は、外の季節を完全に閉め出すための箱ではない。

暑さや寒さ、雨や雪から人を守りながら、光や風、匂いによって外に流れている時間を伝える。夏から秋へ移る日の、昨日とは少し違う風が窓から入ってくる。そんなわずかな気配を受け止められる場所であってほしい。

思い出せない一つの風景

中学生の頃に描いたレコードジャケットは、もう手元にはない。

三つに分けた画面のうち、一つには何を描いたのか、それさえ思い出せなくなった。美術室の光も、机の並び方も、そこで交わした会話も、記憶の中からほとんど消えている。

それでも、葉を落とす木と赤いベンチ、その向こうに広がる水平線は残っている。

記憶が保存するのは、起きたことのすべてではないらしい。

多くのものが失われたあとに、いくつかの風景だけが残る。そして、音楽や匂い、夕暮れの風に触れたとき、長い時間を越えて不意に戻ってくる。

あの木造校舎も、学校としての役目を終えたあと、別の用途を与えられ、しばらく生き続けた。建物の姿や使われ方が変わっても、そこで過ごした時間は、かつての生徒たちの中に、それぞれ違う形で残っている。

なぜ「夏の終わり」や「秋の気配」という言葉を聞くだけで、胸が締め付けられるのか。

今も、はっきりとした答えは分からない。

ただ、その言葉の向こうには、木造校舎の美術室があり、新しいレコードを開いたときの匂いがあり、想像の中に描いた海の見える公園がある。

葉を落とす木の下に、赤いベンチが置かれている。その向こうには、静かな水平線がどこまでも続いている。

季節はまた巡ってくる。

けれど、その風景を描いた中学生の私は、もうそこにはいない。

同じ季節が戻ってきても、そこで過ごした時間は戻らない。

だから夏の終わりは、少し寂しい。

そして、だからこそ、たまらなく愛おしいのだと思う。


この記事で触れた「秋の気配」の制作過程は、『空と風と時と 小田和正の世界』を読んで知りました。一つの歌がどのような言葉や風景から生まれたのかをたどることで、長く聴いてきた曲が、また少し違って聞こえてきます。興味のある方は、こちらからご覧いただけます。

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森に秋の風が吹きはじめたところで、この曲を。

夏が静かに遠ざかる時間に寄り添う、小田和正さんの「秋の気配」です。


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