瓦を砕いた午後 ― 新しさより、時間を託せる建築を
もう20年前になる。完成間近の住宅の現場で、私は建築主と並んで金槌を振るい、古い瓦を細かく砕いていた。
敷地いっぱいに敷き詰めるのは、コンクリートでも砂利でもなく、割った瓦にしようと決めていた。効率だけを考えれば、明らかに手間のかかる選択だった。それでも建築主は嫌な顔ひとつせず、むしろ楽しそうに金槌を振るっていた。私たちは言葉少なに、ただ黙々と瓦を割り続けた。設計とはほとんど関係のない、単純な作業だったが、不思議と心地よい時間だった。図面の上でのやり取りより、あの数時間の方が、施主との距離を縮めてくれたように思う。
数か月後、雨の日にその庭を訪れて驚いた。雨粒が瓦に落ちるたびに、水琴窟のような澄んだ音が地面の奥から立ち上がってくる。設計図には一度も描かなかった音だった。歩けば足音が返り、結果として防犯にもなった。
だが、いちばん心に残ったのは音そのものより、建築主と並んで瓦を割った、あの数時間だった。あれは間違いなく、その建築の一部になった。

以来、ヨーロッパの石畳の路地や、日本の古い町並みを歩くたびに、同じことを考える。石畳は均一ではなく、外壁には補修の跡が残る。それでも破綻せず、むしろ落ち着いて見えるのは、完成度が高いからではなく、人が使い、直しながら、少しずつ手を入れ続けてきた跡がそこにあるからだと、今は思う。
これから人口が減っていく時代には、新しい建物を一つ増やすことは、未来の誰かに、その維持という責任まで手渡すことでもある。
だから私は、新しくつくることだけを設計とは呼ばないようにしている。素材が変わっていくことを受け入れ、直せる余地を残し、使う人の手が入り続けられるようにする。それも、建築家にできる仕事だと思う。
住み続けられるまちをつくることも、つくる責任を果たすことも、まずは一つひとつの現場で、時間を託せるものを選ぶことから始まるのだと思う。未来のためにできることは、多くを新しくつくることではなく、時間を託せるものを、一つずつ選んでいくことなのかもしれない。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!
