いつか大きな町になると思っていた|故郷から人が消えていくということ
子どもの頃、私はとある田舎町に住んでいた。
その頃は、時間が経てば、この町もいつかもっと便利になって、人が増えて、大きな町になっていくのだと、なんとなく信じていた。
道路が広くなって、新しい店ができて、知らない人が増えていく。町というものは、時間とともに少しずつ大きくなるものだと思っていた。未来とは、今より何かが増えている世界だった。
けれど、実際にやってきた未来は、私が想像していたものとは少し違っていた。
ゲーム機のあった雑貨店
家の近所に、小さな雑貨店があった。
コンビニのような立派な店ではない。お菓子や飲み物や、ちょっとした日用品が置かれている、どこにでもありそうな小さな店だった。
そこにはゲーム機が置いてあった。今思えば、たいしたものではなかったと思う。けれど子どもの私にとっては、それだけで十分特別な場所だった。その隣には、小さなお菓子屋さんもあった。
学校から帰る途中だったのか、休日だったのか。細かなことはもう覚えていない。店の外壁が何色だったのかも、入口が引き戸だったのか、開き戸だったのかも曖昧だ。
それなのに、不思議なことに、その店がそこにあったことだけはよく覚えている。店の前の道。その周りの家。誰かの自転車。夏の夕方の空気。そういうものが、ひとつの風景として頭の中に残っている。
便利になった道の先に、店はなかった
数年前、その町を車で通った。
道はきれいに広くなっていた。信号も増え、バイパスもできていた。子どもの頃、自転車で十分以上かかっていた距離を、今は数分で抜けてしまう。
その途中に、雑貨店があったはずの場所があった。
正確には、もうそこには何もなかった。更地でもなく、駐車場でもない。ただ、雑草の生えた土地と、崩れかけたブロック塀の一部が残っているだけだった。隣にあったはずのお菓子屋の位置は、記憶と照らし合わせても、もう特定できなかった。
道路は良くなった。けれど、私が知っていたものは、その道路の先で一つずつ消えていた。
便利になれば人が増える、道路が良くなれば町は栄える——子どもの頃はそう単純に信じていた。けれど実際には、便利になったことで、人は「この町の中で」ではなく「この町の外へ」動きやすくなっただけだった。
近所の店で買っていたものは、車で二十分の大型店で買うようになる。子どもは進学とともに町を出て、そのまま戻らない。バイパスは、人をこの町に運ぶためではなく、この町を素通りするために引かれたようにさえ見えた。
町を便利にするはずだったものが、結果として町から人を運び出していく。この皮肉に、私は長いあいだうまく言葉を当てられずにいた。
設計者として、消えていく建物と向き合う
私は建築を設計する仕事をしている。
図面を引くとき、私たちは無意識のうちに「この建物は残る」という前提で仕事をしている。耐用年数、メンテナンス計画、将来の増改築——すべては、その建物とそこでの生活が続いていくことを想定して組み立てられる。
けれど実際に町を歩いていると、その前提のほうが特殊なのだと気づかされる。
あの雑貨店も、誰かが設計したか、あるいは既存の建物を改装して開いたものだったはずだ。開店したとき、そこに「いつか消える」という前提で店を構えた人はいなかっただろう。それでも店は消えた。建物としての寿命が尽きたからではない。そこに来る人がいなくなったからだ。
建築家は、建物そのものの強度や耐久性については多くを考える。けれど、その建物を支えている「人がそこに居続けること」については、実はほとんど設計できない。どれだけ丈夫な建物を建てても、町から人がいなくなれば、その建物は意味を失っていく。
これは、自分の仕事にとって都合の悪い事実でもある。私は新しい建物を設計するたびに、その敷地にあった古い何かを消している側の人間でもあるからだ。
今、私が図面の上で描いている新しい建物も、いつか誰かにとっての「あの頃あった、もうない場所」になる。それを設計しながら、私はどこかで、自分がこの消失の連鎖に加担していることを感じている。
建物がなくなっても、場所の記憶は消えない
久しぶりに昔住んでいた場所へ行くと、ときどき戸惑う。こんな道だっただろうか。ここには何があっただろう。確か、この辺りにあの店があったはずだ。
建物がなくなると、記憶の中の風景と、目の前の風景がうまく重ならない。地図の上では同じ場所なのに、まったく別の町に来たような感覚になる。
それでも、頭の中には昔の風景が残っている。不思議なのはそこだ。建物はなくなった。店もない。そこにいた人もいない。それなのに、私はその場所を覚えている。
つまり私たちは、建築そのものを記憶しているわけではないのかもしれない。その建物で何をしたのか。誰といたのか。どんな音が聞こえていたのか。どんな匂いがしたのか。そこへ行くまで、どんな道を歩いたのか。建物と一緒に過ごした時間を、場所の記憶として持っているのではないだろうか。
だから、建物がなくなっても、その場所まで完全になくなるわけではない。少なくとも、そこに暮らした人の中では。
あの町は、どこへ行ったのだろう
子どもの頃、私は未来になれば町はもっと大きくなると思っていた。けれど未来になった今、町からは少しずつ人がいなくなっている。雑貨店もない。お菓子屋さんもない。昔そこに住んでいた人も、ずいぶん少なくなった。
それでも、私の頭の中には、あの頃の町が残っている。ゲーム機の置かれた小さな店があって、その隣にはお菓子屋がある。家々には人が住んでいて、道には誰かが歩いている。
けれど、この記憶を美しいものとして語ることに、私はまだ少しためらいがある。
私が覚えているこの町は、私が覚えている間しか存在しない。私がいなくなれば、雑貨店の記憶も、ゲーム機の記憶も、どこにも残らない。
「町は人の中に残る」という言い方は、慰めにはなっても、町そのものが続いていくこととは違う。記憶は、町を保存する装置ではない。ただ、失われる速度を、一人分だけ遅らせているにすぎないのかもしれない。
そして私は、日々の仕事の中で、その一人分の記憶さえ上書きしていく側の人間でもある。新しい建物を設計するとは、誰かにとっての「あの頃あった場所」を、更地にすることでもある。
だとすれば、私にできることは、消えていくものを惜しむことだけではないのだろう。自分が新しく設計する建物や町の中にも、いつか誰かが「あの頃、あそこにゲーム機のある店があった」と思い出せるような、小さな余白を残せているだろうか。
町を大きくすることよりも、そこに生まれる記憶の解像度を守れているだろうか。
答えはまだ出ていない。ただ、あの雑貨店のことを思い出すたびに、私は自分の仕事に、その問いを持ち帰っている。
建築は、完成した瞬間だけでなく、その後に人とどんな時間を過ごし、どんな記憶を残していくのかによって、意味が変わっていくのだと思います。
建築と時間、記憶、都市の変化について考えてきた記事は、こちらのマガジンにまとめています。
→ 「時間建築論」マガジンはこちら
今回は、消えていく故郷の風景について書きました。
一方で、都市の中には「残すことによって時間をつなぐ」場所もあります。韓国・慶州を歩きながら、都市がどの時代を残し、どの時代を消していくのかを考えた記事です。
→ 「都市は、過去を選んでいる――慶州に見る、時間の層と建築の記憶」
建築そのものだけではなく、建築の周りに流れている時間や、人の記憶について考えることが増えてきました。
設計の仕事をしながら考えていることや、記事になる前の小さな問いは、メンバーシップ「時間建築室」で少しずつ書いています。
→ メンバーシップ「時間建築室」
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