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教皇庁に禁書指定されたジャンヌ・ダルク伝|下巻・付録 医学的な所見/近世と近代のフランス王に謁見した預言者たち/ジャンヌの肖像および図像学

【アナトール・フランス『ジャンヌ・ダルクの生涯』完訳プロジェクト】1908年発行の名著を、膨大な独自注釈とともに現代日本語で蘇らせる個人翻訳プロジェクトです。継続的な活動維持と出版支援のため、一部を有料公開としています。

▼総合目次・リンク集:なぜ、21世紀に『ジャンヌ伝』を完訳するのか

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⚠️字数が多い(17,000字)ため、訳者の裁量で小見出しをつけています。

付録(1)G・デュマ博士による医学的な所見

親愛なる先生——
あなたはジャンヌ・ダルクの症例について、私の医学的見解を求められました。

もし私が、ルーアンの法廷に召喚されたティフェーヌ医師やドラシャンブル医師と共に、充分な余裕を持って(精緻に)彼女を診察できていたとしても、明確な結論を下すことは難しかったかもしれません。

ましてや、神経疾患の存在を見出そうなどとは夢にも思わなかった人々による調査に基づき、必然的に遡及的な診断を行わなければならない現在においては、それはなおさら困難なことです。

しかしながら、彼らは今日私たちが病気と呼ぶものを悪魔のしわざと見なしていたのですから、彼らがした質問は私たちにとっても決して無意味ではありません。

それゆえ、多くの留保を伴うことにはなりますが、あなたの質問にお答えするよう努めたいと思います。

ジャンヌの遺伝的体質については何も分かっておらず、彼女の個人的な既往歴についても、私たちはほぼ完全に無知です。

こうした事柄に関する唯一の情報源は、ジャン・ドーロンによるもので、彼は複数の女性たちの証言に基づき、「ジャンヌの身体的な成熟が不十分(無月経)だった」と述べていますが[1152]、これは神経症患者にしばしば見られる状態です。

⚠️「身体的な成熟が不十分」について補足:この所見では遠回しな言い方をしているが、記録によるとジャンヌは初潮が来なかった、つまり無月経症(amenorrhée)だった。本書が書かれた20世紀初頭の医学では、神経症の指標の一つとされていた

しかしながら、もしジャンヌの裁判官たち、とりわけジャン・ボーペール師がおこなった数多くの尋問の中で、彼女の幻覚に関するある重要な詳細を聞き出していなかったならば、私たちはジャンヌの神経的な体質に関していかなる結論にも達することはできなかったでしょう。

ボーペール師は、ジャンヌが初めて「声」を聞いた前日に断食していたかどうかを、非常に思慮深く尋ねることから始めています。

このことから、この著名な神学教授は、飢餓状態と幻覚状態の相互関係を認識していたと推測できます。

彼はジャンヌを魔女と断罪する前に、単に衰弱しているだけではないかを確かめたかったのです。

後年、聖テレサもまた、ある修道女が見たという幻覚は、単に長期間の断食の結果に過ぎないのではないかと疑っています。聖テレサがその修道女に食事を取るよう強く勧めたところ、幻覚は止まりました。

ジャンヌは、朝から断食していたと答え、ボーペールは続けてこう尋ねます。

問 「その『声』はどの方向から聞こえたか?」

答 「右側に、教会の方から聞こえました」

問「その『声』には光が伴っていたか?」

答 「光なしに『声』を聞くことは滅多にありませんでした。この光は『声』が聞こえた方向から生じていました」[1153]

「右側に(à droite)」という表現について、ジャンヌは《《自分の右側》》を指していたのか、それとも自分から見た《《教会の位置》》を指していたのか、疑問に思うかもしれません。
もし後者であれば、この情報は臨床医学的な意味を持ちませんが、文脈から判断すれば、彼女の言葉の真意について疑いの余地はありません。

「もしそれがあなたの右側にあるのなら」とジャン・ボーペールは問い詰めます。
「あなたに現れるというその光を、どうやって見ることができるのか?」

もしそれが単に「教会の位置」の問題であって、「ジャンヌ自身の右側」のことではなかったなら、彼女は顔を向けるだけで「正面から光を見る」ことができたはずで、ボーペールの異議は的外れ(臨床的な観点からはむしろ確定)なものとなっていたでしょう。

⚠️「臨床的な観点からはむしろ確定」について補足:中世の異端審問官の「理屈」は、近代医学の「症例」を知る上で有効な証言となった。

したがって、ジャンヌは13歳頃、すなわち彼女にはついに訪れなかった思春期の時期に、右側に「視覚および聴覚の片側性幻覚」を発症していたと推測できます。

今日、シャルコー[1154]は、視覚の片側性幻覚はヒステリーの症例において一般的であると考えていました。[1155]

⚠️ジャン=マルタン・シャルコー(Jean-Martin Charcot):19世紀フランスの神経科医。シャルコー・マリー・トゥース病(CMT、遺伝性末梢神経疾患)、シャルコー関節(神経病性関節症)、パーキンソン病(彼が命名)など、シャルコーにちなんで名付けられた医学用語や病名が今も健在。

シャルコーはさらに、ヒステリー患者において、それらの幻覚は身体の同じ側に位置する片側知覚麻痺と結びついていると考えており、ジャンヌの場合、それが右側にあったことになります。

もし裁判官たちが拷問を行っていたか、あるいは悪魔の刻印と呼ばれる無感覚の斑点を見つけるために彼女の皮膚を検査していれば、ジャンヌの裁判は、ヒステリーの診断において極めて重要な症状であるこの片側知覚麻痺の存在を証明していたかもしれません。[1156]

しかし、行われたのは口頭尋問のみだったため、私たちはジャンヌの全身的な身体状態について推測することしかできません。

もっとも、このような推論を過度に重要視すべきではありませんので、付け加えておきますが、今日の神経科医たちはヒステリーの診断において、シャルコーほどには視覚の片側性幻覚に注目していません。

裁判中の尋問で明らかになったジャンヌの幻覚のその他の特徴も、これらに劣らず興味深いものですが、それらもまた、より確実な結論を導き出すものではありません。

患者の外部要因に帰するそれらの幻視や幻聴は、ヒステリー性幻覚の大きな特徴であり、潜在意識下の自己から突如として生じるものです。

ジャンヌの意識的な自己は、彼女の『声』を受け入れる準備が全くできていなかったため、初めてそれを聞いたとき、彼女は非常に恐ろしかったと明言しています。

「私が13歳の時、神から正しい生活を送るようにと告げる声が聞こえました。初めて聞いた時はひどく恐怖を感じました。この声は、夏の真昼に近い時間に、父の庭で聞こえました」[1157]

そして、その声はすぐに命令的なものになります。
それは拒絶することのできない服従を要求するのです。

「声は私に『フランスへ行け』と言いました。そして私はもはやそこに留まることはできませんでした」[1158]

彼女の幻視はどれも同じ様態で生じます。
それらは全く同じように感覚に訴えかけ、ラ・ピュセルはそれを信じ込んで受け入れます。

最終的に、これらの聴覚(耳)および視覚(目)の幻覚は、すぐに嗅覚(鼻)や触覚(皮膚)の幻覚と結びつき、ジャンヌはそれらが現実であるという信念を深めていきます。

問「聖カタリナのどの部分に触れたか?」

答「それ以上は何も答えません」

問「聖カタリナと聖マルガリータにキスしたり、抱擁したりしたことがあるか?」

答「私は二人を抱きしめました」

問「抱きしめたとき、ぬくもりなど何か感じたか?」

答「感じたり触れたりしないで抱きしめることはできません」[1159]

このように感覚に訴えかけ、ある種の物質的な現実性を帯びているかのように感じられるため、ヒステリー性の幻覚は、それを体験した者に深く消しがたい印象を与えます。

当事者(患者)たちはそれらを、現実の、そして非常に衝撃的な事実として語ります。

彼女たちが告発者となる場合、例えば架空の暴行の被害者であると主張する多くの女性たちのように、彼女たちは自らの主張を極めて精力的に裏付けようとするのです。

ジャンヌは聖人たちを見たり、聞いたり、匂いを嗅いだり、触れたりするだけでなく、彼らが引き連れてくる天使たちの行列に加わりさえします。
彼女は彼らと共に実際の行動をとりますが、それはあたかも、彼女の人生と幻覚が完全に一体となっているかのようです。

「私がシノン城の近くの、ある善良な女性の家に宿泊していた時、天使がやって来ました。それから彼と私は一緒に王のもとへ行きました」

問「その天使は一人だったか?」

答「その天使はその他大勢の天使たちと一緒でした。[1160] 彼らはその天使と一緒にいましたが、誰もが彼らを見たわけではありません……。よく似た天使もいれば、そうでない天使もいました。少なくとも私にはそう見えました。翼のある天使もいました。冠をかぶっている天使もいました。聖カタリナと聖マルガリータも彼らと一緒にいました。前述の天使や他の天使たちと共に、彼らは王の部屋へまっすぐに入っていきました」

問「天使がどのようにしてあなたのもとを去ったか話しなさい」

答「彼は私を小さな礼拝堂に残して去りました。彼が去った時、私はとても悲しく、泣いてしまいました。彼と一緒に行きたかったのです。私の魂が行きたかったという意味です」[1161]

これらすべての幻覚には、中毒性幻覚に見られるのと同じ「客観的な明晰さ」と「主観的な確信」が存在します。この明晰さと確信こそが、ジャンヌのケースではヒステリーを示唆しているのかもしれません。

しかし、ジャンヌはヒステリー患者とある部分で似ているとしても、他の部分で異なっています。彼女は早くから、自らの幻視から独立し、それらに対する支配力を獲得していたように見受けられます。

ジャンヌはそれらの現実性を疑うことは決してありませんでしたが、それらに抵抗し、時には背くことさえありました。例えば、聖カタリナの言葉に逆らって、ボールヴォワールの牢獄から飛び降りた時のことです。

「聖カタリナはほぼ毎日、私に飛び降りてはいけない、神は私を助け、コンピエーニュの人々も救ってくれると言っていました。そこで私は聖カタリナに言いました。『神がコンピエーニュの人々を助けるなら、私は彼らと共にいたいのです』」[1162]

また別の機会には、彼女は自分の幻視に対して非常に強い権限を行使し、2人の聖人が現れないときには、自分の命令で彼らを呼び寄せることができるほどでした。

問「あなたはこれらの聖人たちを呼び出すのか、それとも呼ばなくても来るのか?」

答「呼ばなくても来ることがよくありますが、来ない時には、速やかに遣わしてくださるよう神に祈りました」[1163]

これらはすべて、ヒステリー患者のよくある症状とは異なります。彼らは通常、神経発作や幻覚に対していくぶん受動的です。

しかし、ジャンヌが幻視に対して支配力を持っている点は、私が多くの高等神秘家や名声を得た人々に見出した特徴でもあります。

この種の患者は、最初はヒステリーに受動的に従いますが、後にはそれに従うというよりは、むしろそれを利用するようになり、最終的にはそれを通じて、みずからが追い求める神との合一を恍惚のうちに達成するのです。

もしジャンヌがヒステリー症だったとしたら、こうした特徴は、彼女の人格形成や人生において、彼女の神経症的な側面がどのような役割を果たしたかを判断する助けとなるでしょう。

もし彼女の性質に何らかのヒステリー症的な傾向があったとすれば、それ(ヒステリー症的な傾向)によって、彼女の心の最も奥底にある感情が幻視や天上の声という形をとって現れたに違いありません。

彼女のヒステリーは、神聖なもの――あるいはジャンヌが神聖なものとみなしたもの――が彼女の人生に入り込むための開かれた扉となったのです。
それは彼女の信仰を強め、彼女の使命を神聖化しましたが、知性と意志において、ジャンヌは健全かつ正常であり続けました。

したがって、神経病理学はジャンヌの性質にわずかな光を当てることしかできません。それは、あなたの著書がその全体像を蘇らせたあの精神(スピリット)の、ほんの一部分を明らかにし得るに過ぎないのです。

私の敬愛の念を表しつつ、親愛なる先生へ。
ドクター・G・デュマ

⚠️ヒステリー症(hysteria, hysterical):20世紀の精神医学用語。現在の診断基準としては「転換性障害・解離性障害」に分類される。

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