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教皇庁に禁書指定されたジャンヌ・ダルク伝|上巻・第三章 ヴォークルール初訪問/ヌフシャトーとトゥールへ/ヴォークルール再訪

【アナトール・フランス『ジャンヌ・ダルクの生涯』完訳プロジェクト】
1908年発行の名著を、膨大な独自注釈とともに現代日本語で蘇らせる個人翻訳プロジェクトです。継続的な活動維持と出版支援のため、一部を有料公開としています。

▼総合目次・リンク集:なぜ、21世紀に『ジャンヌ伝』を完訳するのか

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【この章のポイント】
- ヴォークルールでの初接触と拒絶
- 周囲の困惑と「妖精の木」の噂
- 再訪と支援者の獲得、そしてシノンへ

3.1 ヴォークルール初訪問:ロベール・ド・ボードリクールに接触

 当時、王太子シャルル(シャルル七世)のためにヴォークルールの町を統治していたロベール・ド・ボードリクールは、かつてバル公ロベールの侍従でありポン=タ=ムッソンを統治していた故リエボー・ド・ボードリクールと、バシニー地方ブレーズの女領主マルグリット・ドーノワの息子だった。

 14~15年前、ロベール卿は二人の叔父、ポワティエの庶子ギヨームとジャン・ドーノワの後を継いで、ショーモンの代官(Bailie)およびヴォークルールの司令官(Commander)に就任した。

 彼の最初の妻は裕福な未亡人だったが、彼女の死後、1425年に最初の妻と同じくらい裕福な別の未亡人、アラールド・ド・シャンブレー夫人と再婚した。
 なお、ウリュフとジボメの羊飼いたちが、婚礼の宴のために注文された菓子を運んでいた荷車を盗んだという話は事実である。

 ロベール卿は、当時、その地域にいた大多数の戦士たちと同じように、貪欲で狡猾だった。
 敵の中に多くの友がおり、友の中に多くの敵がいた。
 ある時は味方のために、またある時は敵方で戦ったが、それは常に自分自身の利益のためであった。
 その他の点では、彼は仲間たちと比べてとりわけ悪いわけではなく、最も愚かでない人間のひとりだった。[328]

 ジャンヌは、粗末な赤いガウン[329]を身にまとっていたが、心の中は神秘的な愛に輝きながら、町と谷を見下ろす丘を登った。
 城門は祭日(市場の日)のように自由に行き来できたため、ジャンヌは難なく城内に入り、ロベール卿が部下の兵士たちとともにいる広間(ホール)へと導かれた。

 ジャンヌは、「あれが彼だ!」[330]という声を聞いた。
 すぐさま、ロベール卿のところにまっすぐに進み出ると、恐れることなく話しかけ、おそらくジャンヌ自身が「最も急を要する」と信じることから話し始めた。

わが主メシエ(Messire)から遣わされて、あなたのところに来ました。王太子に使者を送って、『準備を整えて待つように、ただし敵と戦わないように』と伝えてください」[331]

 ジャンヌは確かに、自分の「声」による新たな啓示に促されて、このように語った。

 注目すべきは、ジャンヌがここで語った言葉が、75年前にヴォークルールからほど近いシャンパーニュの自由農民《ヴァヴァソール》(Vavasour:農奴ではない自由農民)が語った言葉と一言一句同じだったという事実である。

⚠️自由農民(Vavasour):中世ヨーロッパの封建制度における階級の一つ。大領主(国王や公爵など)から直接領地を与えられた直臣(大バロン)ではなく、その直臣からさらに領地を与えられた「家臣の家臣(陪臣)」を指す。土地に縛られた農奴とは異なり、法的に自由な権利を持つ「下級貴族」でもある。

 この農民の(啓示を受けた預言者としての)経歴は、ジャンヌと同じように始まったが、ジャンヌよりもはるかに短期間で終わりを迎えた。

 戦争に関する啓示を受けたと語ったのは、ジャック・ダルクの娘(ジャンヌ)が最初ではなかった。大きな苦難の時代には、霊感を受けた人物がもっとも頻繁に現れる時期である。

 百年戦争初期、黒死病ペストとエドワード黒太子の時代に、シャンパーニュ地方の自由農民《ヴァヴァソール》は光の束の中から発せられる「声」を聞いた。

 彼が畑で働いているとき、「声」が彼に語りかけた。

「フランス王ジャン(ジャン二世・シャルル七世の曽祖父)にのもとへ行け。いかなる敵とも戦ってはならぬと警告せよ」

 それは、ポワティエの戦いの数日前のことだった。[332]

⚠️ポワティエの戦い(Bataille de Poitiers):百年戦争前半の主要な戦いの一つ。1356年9月19日、イングランドのエドワード黒太子が8月からアキテーヌ地方を拠点に行軍と略奪を繰り返しており、ジャン二世は討伐を試みたが奇襲を受けて敗北。王が捕虜となり、フランスは莫大な身代金を要求された。

 1356年当時の忠告は賢明なものだったが、1428年5月時点の(ジャンヌの)忠告はあまり賢明とは思えず、当時の情勢とはほとんど関係ないように見える。

 ヴェルヌイユの戦いで大敗して以来、フランス軍は敵に立ち向かう意欲を失っており、決戦を挑もうとは考えてもいなかった。
 いくつもの町が奪われ、消滅し、小競り合いが起こり、対処が試みられたが、敵と陣を構えて戦うような激しい戦闘をしていなかった。

 当時、生まれつきの性格と運命(境遇)ゆえに、王太子シャルルは冒険を好まなかったため、わざわざ「敵に戦いを挑むな」と警告して抑える必要はなかった。[333]

 ジャンヌがロベール卿の前でこれらの話をしていた頃、フランス北部を占領しているイングランド軍は遠征の準備を進めており、アンジェに進軍するかオルレアンに進軍するかを決めかねて迷っていた。[334]

 ジャンヌは大天使と聖女たちのささやきに従って言葉を発したが、戦争や王国の情勢について、彼ら(声)が知っていることはジャンヌより多くも少なくもなく、ほとんど何も知らなかった。

 しかし、みずからを「神の遣い」だと信じる者が、自分が行くまで「待つように」と求めるのは不思議ではない。

 また、フランスの騎士たちが、再び《《自分たちのやり方》》で戦いを挑むのではないかと、ジャンヌが恐れたのは、いかにも民衆らしい健全な常識が大いに関係していた。騎士の戦い方がどういうものかを、あまりにもよく知りすぎていたからだ。

3.2 ジャンヌの予言、ベルトラン・ド・プーランジとの出会い

 ジャンヌは完全に落ち着いており、自信に満ちた様子で、「四旬節(レント)の半ばまでに、主は王太子に助けを与えるでしょう」と王太子に関する予言を口にした。そしてすぐに付け加えた。

「実際には、この王国は王太子のものではありません。しかし、わが主メシエの意志によって、王太子は王となり、王国を『信託(アン・コンマン)』されて受け継ぎます。[335] 敵がいるにもかかわらず、王太子は王となるでしょう。そして、彼をその塗油式(戴冠式)へと導くのはこの私なのです」

 おそらく、ジャンヌが用いた「わが主メシエ(Messire))」という尊称は、曖昧で奇妙な響きだったのだろう。
 なぜなら、ロベール卿はそれが理解できず、「わが主メシエとは誰のことか?」と問い返したからである。

 ジャンヌは「天国の王です」と答えた。

 このとき、ジャンヌはもうひとつ、奇妙な言葉を使っていた。
 ロベール卿はそれについて何も言わなかったらしいが、示唆に富む言葉だ。[336]

 王位継承に関して使用された「アン・コンマン(en command)」という言葉は、相続に関わる事柄で「信託されたもの」を意味する。もし、王が王国を「信託」として譲り受けるというならば、王国は王のものではなく、単に神の信頼によって王国を預かっているにすぎない。

 ジャンヌのこの発言は、「王国の支配者は神である」という、極端に信心深い宗教家の見解と一致していた。

 ジャンヌが独力でこの言葉や考えを思いついたはずがない。
 彼女は明らかに、「ロレーヌの予言」ですでにその影響が認められる[338]、ある聖職者から教唆されていたのだろう。しかし、現在まで、その人物の痕跡は完全に消え去ってしまっている。

 霊的な事柄について、ジャンヌは何人かの司祭に相談していた。ゴンドルクール・ル・シャトーのアルノラン師や、彼女の告解師(懺悔聴聞僧)だったムーティエ・シュル・ソーの司祭ドミニク・ジャコブ師などである。[339]

 これらの聖職者たちが、イングランドの飽くなき残酷さ、ブルゴーニュ公の傲慢さ、王太子の不幸についてどう考えていたのか。そしていつの日か、主イエス・キリストが庶民の祈りを聞き入れて、シャルル六世の息子シャルルに王国を「信託(アン・コンマン)」として与えてくれることを願っていたのかどうか。それがわからないのは残念なことだ。

 ジャンヌはおそらく、これら聖職者の誰かから神権主義的な思想を吹き込まれたのだろう。[340]

 ジャンヌがロベール卿と話している間、ロレーヌの騎士であるベルトラン・ド・プーランジがそこにいた。彼は、ゴンドルクール近郊に土地を所有し、ヴォークルールの司教区の役職(provostship)に就いていた。[341]
 当時36歳くらいだった。
 彼は教会の聖職者と親しく付き合い、少なくとも信心深い人たちの話題に詳しかった。[342]

 彼は、このときジャンヌを初めて見たかもしれないが、おそらく彼女の噂を聞いていた。そして、ジャンヌが善良で信心深い人だと知っていた。

 12年前、ベルトラン・ド・プーランジはドンレミ村を頻繁に訪れており、この地域のことをよく知っていた。あの「女神の木」の下に座ったことがあり、ジャック・ダルクとロメ夫婦の家に何度か行ったことがあるので、彼らは善良で正直な農民だと知っていた。[343]

 ベルトラン・ド・プーランジは、ジャンヌの言動に感銘を受けたのかもしれない。
 だが、それよりも、この騎士は、現在知られていない「ジャンヌを導いた聖職者」と繋がっており、フランス王国と教会のために、農民の女預言者がもっとよく奉仕できるように指導していた可能性が高い。

 いずれにせよ、ベルトランは将来、ジャンヌの強力な支えとなる友人になった。

 しかし、情報が正しければ、ベルトラン・ド・プーランジはこの時点では何もせず、何も話さなかった。
 おそらく、町の司令官であるロベール卿が、ジャンヌの話をもっと好意的に聞けるようになるまで待った方がいいと判断したのだろう。ロベール卿は、これらすべてをまったく理解していなかった。

 ベルトラン・ド・プーランジにとって明らかだったのは、ジャンヌは立派な従軍者になり、兵士たちに愛されるだろうということだ。[344]

 ロベール卿は、ジャンヌを連れてきた農民を追い返す際、当時よくありがちなしつけに従って「この娘を父親のところに連れて帰り、耳をしっかり叩くように」と忠告した。

 ロベール卿は、子供を懲らしめる体罰は正しいと信じていたので、ラッソワ叔父さんに何度も「ジャンヌを家に連れて帰り、よく鞭打つように」と勧めた。[345]

3.3 夢見るジャンヌと両親の困惑

 一週間後、ジャンヌは村に戻った。
 司令官の無礼も守備隊の侮辱も、ジャンヌを諦めさせるどころか、落胆もさせなかった。ジャンヌは「声」がそれらを予言していたと想像し[346]、自分の使命が真実であると証明するものだと考えた。

 夢を見ながら歩く夢遊病者のように、ジャンヌは障害にぶつかっても落ち着いていて、静かに粘り強く行動した。

 家の中で、庭で、牧草地で、ジャンヌはすばらしい眠りを続け、夢の中で王太子やその騎士たち、そして天使たちが上空で舞いながら戦う光景を夢想していた。

 また、ジャンヌは黙っていることができなかった。
 あらゆる機会に、ジャンヌの秘密は彼女自身の口から漏れてしまった。
 いつも予言していたが、誰にも信じてもらえなかった。

 帰宅して約1カ月後、洗礼者ヨハネの祝日の前夜に、ジャンヌはビュレの農夫で、当時はまだ少年だったミシェル・ルブアンに次のように語った。

「クセとヴォークルールの間には、1年以内に王太子をフランス王に任命する少女がいる」[347]

 ある日、ドンレミ村で王太子の党派に属していない唯一の人物、ジェラルダン・デピナルに出会った。
 ジャンヌは彼の息子の名付け親だったにもかかわらず、ジャンヌ自身の告白によれば、喜んで彼の首を切り落としてやりたいと思っていたが、そんな相手にも黙っていられず、神との神秘的な関係を隠語で告げずにはいられなかった。

「うわさ話(ゴシップ)なんだけどね。もし、あなたがブルゴーニュ派じゃなかったら、教えてあげたいことがあるの」[348]

 ジェラルダン・デピナルは善良な男だったので、ジャック・ダルクの娘は近いうちに婚約するのではないかと考えた。「妖精フェの木」の下でパンを分け合ったり、「グーズベリーの泉」の水を一緒に飲んでいた若者のひとりと結婚するのではないかと。

 ああ! 父親のジャック・ダルクは「そのような秘密だったらどんなに良かったか」と望んでいただろう。
 ジャック・ダルクは実直で非常に厳しかったため、子供たちの行動に気を配っていたが、ジャンヌの行動は父を不安にさせていた。

 彼は、ジャンヌが「声」を聞いていることを知らなかった。
 一日中、彼の庭に楽園が降りてきて、天国から彼の家にはしごが降ろされ、かつて「ヤコブの梯子はしご」を踏んだ天使よりも大勢の天使や聖女たちが行き交っているとは考えもしなかった。

⚠️ヤコブの|梯子《はしご》:旧約聖書『創世記』28章で族長ヤコブが逃亡中に夢に見た天国へ届くはしご。天使たちが上り下りしている

 また、誰にも気づかれずに、ジャネット(ジャンヌの幼名)だけのために、トゥールやナンシーなどの町で祝祭日に演じられる演目よりも何千倍も豊かで素晴らしい神秘劇が演じられていることを想像もしなかった。

 彼は、そのような驚異的な奇跡を疑うどころか、全然考えていなかった。

 父ジャックが見たものは、娘が正気を失い、気が狂い始めて、荒唐無稽な言葉を発していることだけだ。
 ジャックは、娘が騎士と戦争のことしか考えていないことに気づいた。
 ヴォークルールでの騒動について何か知っていたに違いない。
 ジャックは、いつの日か、この不幸な子が放浪の旅に出てしまうのではないかと、ひどく恐れていた。

 この苦しい不安は、寝ている間も彼を悩ませた。
 ある夜、ジャックはジャンヌが武装した男たちと一緒に村から逃げる夢を見た。この夢は非常に鮮明で、目が覚めても覚えていた。

 それから数日間、ジャックは息子のジャンとピエールに何度も何度も言った。

「もし、あの夢が正夢なら、現実になる前におまえたちの手でジャンヌを川に沈めて溺死させてほしい。おまえたちがやらないなら、俺自身の手でやる」[349]

 母親のイザベルは、父のその言葉を繰り返しジャンヌに言い聞かせた。
 娘が驚いて目を覚まし、言動を改めてくれるように願っていた。
 ジャンヌの母親は敬虔な人だったが、父親と同じ不安を共有していた。

 娘が道を外れて危険にさらされるのではないかという考えは、善良な人々にとってつらいことであった。
 困難な時代には、武装した男たちが馬に乗せて連れている野蛮な(不品行な)女が大勢いた。そういう男たちはそれぞれが自分の女を確保していた。

 若き日の聖人が、常人には理解できない奇妙な言動によって疑惑を招くことは珍しくない。ジャンヌはそういった聖人の兆候を示していた。

 ジャンヌは村で話題になっていた。村人たちは指を差して嘲笑した。

「フランスと王家を復興する女が去っていくよ」[350]

 近所の人たちは、ジャンヌに取り憑いている狂気の原因をすぐに突き止めた。

 「美しい5月(Beau Mai)」と呼ばれる女神の木の下で、花冠を飾っているのが目撃されていたから、魔法の呪文のせいだと言われた。
 近くの泉と同様に、この古いブナの木は幽霊が出ることで知られていた。
 妖精たちが呪文をかけることもよく知られていた。
 ジャンヌがそこで悪い妖精に出会ったのを見た人もいた。

 村人たちは「ジャンヌは妖精(フェ)の木の下で『運命(フェイト)』に出会った」と言った。その話を信じるのが、農民だけならよかったのに!

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