教皇庁に禁書指定されたジャンヌ・ダルク伝|上巻・第十四章 トゥールとセルアンベリーのラ・ピュセル/ジャック・ジェリュとジャン・ジェルソンの意見書
【アナトール・フランス『ジャンヌ・ダルクの生涯』完訳プロジェクト】1908年発行の名著を、膨大な独自注釈とともに現代日本語で蘇らせる個人翻訳プロジェクトです。継続的な活動維持と出版支援のため、一部を有料公開としています。
▼総合目次・リンク集:なぜ、21世紀に『ジャンヌ伝』を完訳するのか
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【この章のポイント】
- 碩学たちによる意見書の提出
- シャルル七世に戴冠を急ぐよう強く迫る
- ジャンヌへの崇拝と内面世界の表出
⚠️第十四章のタイトルになっている「ジャック・ジェリュとジャン・ジェルソンの意見書」について。吉江孤雁氏の旧日本語訳版では、
助言や教訓に満ちたものではあったが、ちぢめてしまえば、
「善良なれ。信心深く強くあれ。謙虚に慎み深くあれ」と言うだけのこと
……と、ひとまとめに要約されてます。
ですが、当時のフランス最高の碩学2人による意見書は、シャルル七世とその評議会が「乙女(ジャンヌ・ラ・ピュセル)の扱い方・付き合い方」の参考にしており、政治的・宗教的な時代背景を知る上で、きわめて重要な資料です。長文かつ難解ですが、できるだけ忠実に翻訳してみます。
14.1 包囲戦の戦後処理
5月8日、日曜日の朝、イングランド軍はムンおよびボージャンシー方面に撤退した。
同日の午後、シャトーダン総督のフロラン・ディリエ卿は兵士たちとともにオルレアンの町を発ち、自身が治めるシャトーダンの指揮所へと直行した。退却中のゴドン(イングランド人への蔑称)がマルシェノワに駐屯し、ル・デュノワを襲撃しようとしていたからである。
⚠️ル・デュノワ(Le Dunois):オルレアン公爵領内にある地域のこと。のちに、オルレアンの私生児はデュノワ伯に叙勲されて領主になる。
翌日、ラ・ボースおよびガティネなど、各地の隊長たちもそれぞれの故郷や城塞へ帰っていった。[1119]
5月9日、ジル・ド・レ卿が連れてきた兵士たちは、報酬も接待(もてなし)もなかったため、各自の意向で勝手に立ち去った。
乙女(ジャンヌ・ラ・ピュセル)も長くとどまることはなかった。[1120]
町の人たちが神に感謝を捧げる行列に参加したあと、ジャンヌは苦難と悲嘆のときに助けを求めてやってきた人々、そして今や解放と歓喜のときに去っていった人々に別れを告げた。
彼らは喜びの涙を流して感謝し、自分たちの財産を好きなように使って欲しいと申し出た。ジャンヌは彼らに優しく感謝を述べた。[1121]
*
国王は、自身の支配下にある町、特にラ・ロシェルとナルボンヌの住民に向けて、オルレアンから戦況が届いた5月9日の夜から10日の朝にかけて、3回に分けてシノンから書簡を送った。
国王はこの書簡で、サン・ルー、レ・オーギュスタン、レ・トゥーレルの砦を奪取したことを報告し、各地の住民に、神に感謝するよう促した。そして、オルレアンで成し遂げられた偉業、特に「これらの偉業が成し遂げられたとき、常にそこにいた」乙女を称えるよう呼びかけた。[1122]
国王の権力(王権)は、オルレアン勝利におけるジャンヌの役割をこのように表現した。
ここに記されているジャンヌの功績は、決して指揮官(隊長)のものではない。ジャンヌはいかなる指揮権も持っていなかった。
だが、神によって遣わされたと、少なくともそう信じられるジャンヌの存在は、オルレアンに救いと慰めをもたらした。
**
ジャンヌは数人の貴族とブロワに戻り、そこで2日ほど滞在し[1123]、それから王が到着する予定のトゥールへ向かった。[1124]
聖霊降臨祭(イエス・キリストが復活した後、50日目に、集まっていた弟子たちの前に聖霊が降臨して教会が誕生したことを記念する祝祭日)前の金曜日にジャンヌはトゥールへ着いたが、シノンを発ったシャルル七世はまだ来ていなかった。
ジャンヌは旗を手に持ち、王を出迎えるために馬で出かけた。
王を見つけると帽子を取り、馬上でできるだけ深々と頭を下げた。
国王はフードを上げ、ジャンヌに顔を上げるように命じ、キスをした。
国王はジャンヌと再会して喜んだと言われているが、実際にどう感じたか、本心はわからない。[1125]
14.2 ジャック・ジェリュの意見書(1)神の救済が与えられた理由
1429年5月、王はジャック・ジェリュから乙女(ジャンヌ・ラ・ピュセル)に関する意見書を受け取った。おそらく王自身は読まず、聴罪司祭が代わりに読んだのだろう。
かつて王太子の顧問を務め、現在はアンブラン大司教のジャック・ジェリュ[1126]は、当初、王の敵が王を毒殺するためにこの羊飼いの少女を送り込んだのではないか、あるいは彼女が悪霊に取り憑かれた魔女ではないかと恐れていた。
⚠️アンブラン(Embrun):フランス東南部、イタリアとの国境に近い王太子領ドーフィネにある。アルプス山脈のふもとに位置する。
ジェリュは当初、性急に拒絶するのではなく、乙女を慎重に尋問して注意深く観察することを勧めていた。なぜなら、外見(第一印象)は欺くものであり、神の恩寵は(人に理解できない)神秘的な方法で動くからである。
しかし、ポワティエの神学者たちの結論を読み、オルレアンの解放を知り、庶民の叫びを聞いた今、ジャック・ジェリュはもはや乙女の無実と善良さを疑わなかった。
神学者たちの中でジャンヌに対する意見が分かれているのを見て、ジェリュは短い論文を書き上げ、非常に詳細で、非常に謙虚で、非常に価値のある献辞(献呈の書簡)を添えて国王に送った。
*
その頃、ランス大聖堂の舗装にはコンパスと定規で迷路(ラビリンス)が描かれていた。[1127] 忍耐強く根気のある巡礼者たちは、その曲がりくねった道をすべてたどった。
アンブラン大司教(ジャック・ジェリュ)の意見書もまた、緻密に計画されたスコラ哲学的な迷路のようだ。
前進するのは後退するためであり、後退するのは前進するためである。
だが、十分な忍耐と注意を払って歩けば、完全に道に迷うことはない。
すべてのスコラ哲学者と同様に、ジェリュはまず自分の意見に反する理由を述べる。反論者の主張にしばらく付き合った後、ようやく自分の意見に取り掛かる。
ジェリュの複雑な思考迷路をすべて理解するには、時間がかかりすぎるだろう。
だが、(1)国王の側近たちがこの神学論考(意見書)を参考にしたこと、(2)この意見書が国王宛てだったこと、(3)国王とその評議会がジャンヌに対する評価と対応をこの意見書に基づいて決定した可能性がある。特異な状況下で、彼ら(国王とその評議会)が何を教えられ、何を推奨されていたのかを知りたいと思うのは当然だろう。
**
まず初めに教会の幸福について論じてから、ジャック・ジェリュは「神が異端者を打ち負かすために乙女を立ち上げた」と主張する。彼の見解によれば、異端者の数は決して少なくない。
「神を信じる者を、信じていないかのように混乱させるために」
「その衣と腿に『王の王、主の主』という名が記されている全能の神は、身分の低い子供の手によってフランス王を救うことを喜ばれた(望まれた)」
アンブラン大司教は、シャルル七世に神の救済が与えられた理由を5つ挙げている。
(1)国王の大義の正当性
(2)国王の祖先の驚くべき功績
(3)敬虔な魂の祈りと抑圧された人々の嘆き
(4)王国の敵の不正義
(5)イングランド国民の飽くことのない残酷さ
神が軍隊を打ち破るために乙女を選んだことは、ジェリュにとってまったく驚くべきことではない。
「神は、人間の傲慢さをくじくために、ハエやノミなどの虫を創造した」
これらの小さな生き物は、しつこく私たち(人間)を悩ませ疲れさせ、私たちが勉強したり行動したりすることを妨げる。どんなに自制心が強い人でも、ノミがはびこる部屋で休むことはできない。
貧しく身分の低い両親から生まれ、卑しい労働に従事し、言葉では言い表せないほど無知で単純な若い農民の手によって、神は傲慢な者を打ち倒し、彼らを謙虚にさせ、滅びゆく者を救う。そうすることで、神の威厳を明らかにすることを喜ばれた(望まれた)。
14.3 ジャック・ジェリュの意見書(2)乙女を天使だと信じる理由
また、至高の神が、ユリの王国(フランス王国)に関する計画を乙女に明らかにしたとしても驚くには当たらない。
かねてより神は、処女に予言の力を授けている。すべての異邦人に隠されていた神秘を、シビュラ(巫女、女預言者)に明かすことを神は喜ばれた(望まれた)。
ニカノール、エウリピデス、クリシッポス、ネンニウス、アポロドロス、エラトステネス、ヘラクレイデス・ポンティコス、マルクス・テレンティウス・ウァロ、そしてラクタンティウスの権威に基づき、ジャック・ジェリュは「歴史上、シビュラは10人いた」と教えている。
ペルシャ人、リビア人、デルフォイ人、キンメリア人、エリュトライ人、サモス人、クマエ人、ヘレスポント人、フリギア人、そしてティブルティウス人の10人である。
10人のシビュラは異邦人に対して、①神の栄光ある受肉、②死者の復活、③世界の終焉を予言した。彼女たちの先例は、(ジャンヌについて考察するにあたり)考慮に値すると思われる。
*
ジャンヌ自身については、不可知の存在である。
アリストテレスは、こう教える。
「知性の中に存在するものは、
まず感覚を通じて経験したものでないものは何一つない。
そして、感覚は、経験の範囲を超えて理解することはできない」
⚠️補足:スコラ学の公理「感覚に先んじて知性に存在するものはない(Nihil est in intellectu quod non prius fuerit in sensu)」を訳したもの。
しかし、精神(マインド)が直接的に理解できないことでも、迂回して間接的に理解できるようになる場合がある。
未熟な人間が知ることができる範囲で、ジャンヌの業績を考慮すると、「この乙女は神から遣わされたものである」と言わざるを得ない。
彼女は武器を取ることを選んだが、残酷な行為を勧めることはなかった。
敵が彼女の慈悲にすがったとき、彼女は慈悲深く接し、和平を申し出た。
最後に、アンブランの大司教(ジャック・ジェリュ)は、「この乙女は万軍の主である神が人々を救うために遣わした天使であると、私は信じる。彼女が天使の本性(性質)を持っているからではなく、天使の職務(務め)を果たしているからである」と述べている。
14.4 ジャック・ジェリュの意見書(3)王の行動指針
この驚くべき状況において、王が従うべき行動指針について。
ジャック・ジェリュは、「戦争において、王は人間の知恵に従って行動すべきである」という意見を述べている。
「汝の神、主を試してはならない」
もし人間が自分の使命において、それ(知性)を利用しないのであれば、人間に能動的な精神が授けられたことが無駄になってしまう。
迅速な実行の前には、長い熟考が必要である。
神の助けは、女性の願いや懇願によって得られるのではない。
繁栄とは、行動と助言の成果(賜物)である。
*
神の霊感を拒んではならない。したがって、乙女(ジャンヌ・ラ・ピュセル)の意志は、たとえそれが疑わしく、間違っているように見えても、成就されなければならない。
もし、乙女の言葉が確かなものであると判明した場合、王は彼女に従い、彼女が託された使命の遂行を神に委ねなければならない。
もし王に何らかの疑い(疑念)が生じた場合は、人間の知恵よりもむしろ神の知恵に頼るべきである。なぜなら、有限を無限と比較することができないように、人間の知恵を神の知恵と比較することはできないからである。
したがって私たちは、この子供を遣わした神は、「人間の助言よりも優れた助言を彼女に与えることができる」と信じなければならない。
**
このアリストテレス的な推論から、アンブラン大司教(ジャック・ジェリュ)は二つの結論を導き出している。
「一方では、戦闘の指揮、兵器、はしご、その他すべての戦争道具の使用、橋の建設、十分な物資の配送、資金の調達、そして奇跡なしではいかなる事業も成功し得ないすべての事柄において、この世の知恵に頼らなければならないことを理解してもらいたい。
しかし、他方で、神の知恵が何か特別な方法で働いていることが明らかな場合、人間の理性は謙虚になり、退くべきである。そのときこそ私たちは、乙女の助言を求め、探求し、受け入れなければならないと私は考える。
命を与える者は、命を支えるための手段を与えてくださる。
神は、働き手たちに、仕事に必要な道具を授けてくださる。
それゆえに、私たちは神を信頼しよう。
神は、王の大義をみずからのもの(大義)とする。
それを支える者には、勝利に必要な知恵を授けてくださる。
神は、いかなる仕事も不完全なままにはしない」
***
ジェリュは、「乙女が聖なる考えを呼び起こし、敬虔な行いをする」ことを理由に、乙女を王に推薦し、この意見書を締めくくっている。
「王に、神の目にかなうことを毎日行い、それについて乙女と話し合うようにすすめる。乙女の助言を受けたら、それを敬虔かつ熱心に実践するように。そうすれば、神は王から手を離すことなく、王に愛と優しさを与え続けるだろう」[1128]
14.5 ジャン・ジェルソンの意見書(1)老いたオルレアン派
かつてパリ大学で総長を務めた偉大な神学者ジャン・ジェルソンは、1429年当時、彼の兄弟が修道院長を務めていたリヨンのレ・セレスタン修道院で晩年を過ごしていた。
彼の人生は、仕事と疲労に満ちていた。[1129]
1408年、彼はパリのサン・ジャン・アン・グレーヴ教会の司祭だった。
その年、彼は教区教会で、ブルゴーニュ公の命令で暗殺されたオルレアン公の葬儀演説をおこない、群衆の怒りを激しく煽ったため、命を失う危険にさらされた。
コンスタンツ公会議では、異端者を火あぶりにすることを強いた、いわゆる「慈悲深い残酷さ」に取り憑かれ[1130]、皇帝から安全通行証を与えられていたヤン・フスの有罪判決を促した。
公会議に集まっていたすべての教父たちと同じく、ジェルソンもまた「神と人間の法にしたがい、カトリック信仰に有害な場合はいかなる約束も守られるべきではない」と信じていたからである。
ジェルソンは(ヤン・フス断罪と)同じ熱意で、ジャン・プティによる暴君殺害の合法性に関する意見書を非難し、公会議で有罪判決を求めた。
⚠️ジャン・プティ(Jean Petit):パリ大学の神学者。ブルゴーニュ無怖公の王弟殺害を正当化し、被害者の王弟オルレアン公を不敬罪で告発した上に「暴君(王弟)殺害は国家のためである」と無罪を主張した。本稿のジャン・ジェルソンは、プティの演説とブルゴーニュ無怖公の犯罪を強く非難した。
世俗的なことも精神的なことも、ジャン・ジェルソンは統一された服従と確立された権威への敬意(尊重)を主張した。
ある説教で、ジェルソンはフランス王国を『ネブカドネザルの像』に例え、商人と職人を像の足とし、「その足は、一部は鉄、一部は粘土でできている。それは、奉仕と服従における彼らの労働と謙虚さのためである…」と述べた。
鉄は労働を、粘土は謙虚さを意味する。すべての悪は、王と偉大な市民が身分の低い者たちに服従させられることから生じている。[1131]
⚠️ネブカドネザルの金の像:旧約聖書『ダニエル書』に登場するバビロニアの王。王が夢で見た金の像を建立し、民衆にひれ伏すように命じた。ダニエルたち3人は拝まなかったため火の炉に投げ込まれたが、「第四の者(天使または受肉前のキリスト)」に救い出された。
*
苦しみと悲しみに打ちひしがれたジェルソンは、今や、幼い子供たちに教えを説いていた。「改革は彼らから始めなければならない」と信じて。[1132]
オルレアン市の解放は、老いた「オルレアン派」の支持者であるジェルソンの心を喜ばせたに違いない。
⚠️オルレアン派:アルマニャック派の前身。フランス王国の内乱について、元をただせば、シャルル六世発狂で摂政の座をめぐり、王弟オルレアン公と無怖公ブルゴーニュ公が宮廷闘争を繰り広げた末に、王弟が殺害されたことが発端。
シャルル七世の顧問たちは、乙女(ジャンヌ・ラ・ピュセル)に仕事をさせることに熱心で、ポワティエでの審議の経緯をジャン・ジェルソンに伝えた。そして、フランス王家の忠実な臣下として、彼の意見を求めた。
それに応えて、ジェルソンは乙女に関する簡潔な意見書を書いた。
14.6 ジャン・ジェルソンの意見書(2)信仰と献身を区別する
この意見書の中で、ジェルソンは終始「信仰(faith)の問題と献身(devotion、信心)の問題を区別すること」に注意を払っている。
信仰の問題に関しては、疑うことは禁じられている。
献身の問題に関しては、俗っぽい表現をすれば、不信心者が必ずしも罪に問われるわけではない(献身的じゃないからといって地獄に落ちるわけではない)。
ある事柄を、信仰の問題として扱うには3つの条件が必要だ。
(1)それは啓発的(教化的)でなければならない。
(2)それは妥当であり、一般の評判や信者の証言で裏付けられていなければならない。
(3)それは、信仰に反するいかなる内容にも触れてはならない。
3つの条件がそろっている場合、一概に非難したり承認したりするのではなく、教会に判断を仰ぐのが適切である。
例えば、聖母マリアの受胎、免罪符、聖遺物について。これらは信仰の問題であり、献身の問題ではない。
聖遺物は、複数の場所に存在し、同時に崇拝されることがある。
最近、パリ高等法院は、フランスのサン・ドニとパリの大聖堂(2カ所)で崇拝されている聖ドニの頭部について論争した。これは献身の問題である。[1133]
⚠️聖ドニ(Saint Denys):フランスの守護聖人。パリの司教。パリ近郊のモンマルトルの丘で斬首刑に処せられたが、遺体は斬り落とされた自分の頭を拾い上げ、説教しながら数キロ歩いた。彼が立ち止まり絶命した場所に礼拝堂が建てられ、歴代フランス王の霊廟サン=ドニ大聖堂になった。
したがって、乙女(ジャンヌ・ラ・ピュセル)に関する事柄を、献身の問題として考えることは妥当であると結論づけられる。特に、彼女の動機が、国王の王国を回復すること、頑固な敵を正当に追放または滅ぼすことだったと考えれば、なおさらである。
彼女の無駄話、軽薄さ、狡猾さについても、さまざまな意見がある。
ならば、今こそカトーの言葉を引用すべきだ。
「世間の評判は、我々の判断基準(裁判官)ではない」
使徒の言葉によれば、神のしもべを疑うのはよくない。
判断を差し控えるか、疑わしい点については教会の長にゆだねる方がはるかに良い。
これは聖人の列聖において、教会が従う原則である。
聖人のリスト(目録)は厳密に言えば、必ずしも信仰の問題ではなく、敬虔な献身の問題である。
したがって、いかなる人であっても(ジャンヌの振る舞いについて)厳しく非難するべきではない。
*
今回の件についていえば、以下の状況に注目する必要がある。
第一に、王室の評議会と兵士たちは、彼女を信じて従うよう促された。少女の指揮下で敗北した場合、恥をかく危険に直面した。
第二に、人々は歓喜しており、彼らの敬虔な信仰は、神の栄光と敵の混乱につながった。
第三に、敵は、君主さえ隠れており、多くの恐怖に襲われている。
彼らは、身重の女性のように弱さに屈する。モーセの姉ミリアムが小太鼓を手に、彼女に従う女性たちとともに歌い踊っていたときのエジプト人のように、彼らは打ち倒される。
「主に歌え、主は栄光のうちに勝利を収め、馬とその乗り手を海に投げ込まれた」[1134]
私たちも、それぞれの立場・状況にふさわしい献身をもって、ミリアムのように歌を歌おう。
⚠️ミリアム(Miriam):旧約聖書に登場する女預言者。モーセの姉。イスラエルの民を率いてモーセがエジプトを脱出した時、追いかけてきたファラオの軍勢が紅海に飲み込まれた。ミリアムは小太鼓を手に、仲間の女性たちの音頭をとって歌い踊った。
14.7 ジャン・ジェルソンの意見書(3)男装について
⚠️小見出しタイトル「男装について」は三つ星***まで飛ばしてください。
第四に、そして結論として、この点は考慮に値する。乙女(ジャンヌ・ラ・ピュセル)とその兵士たちは、人間の知恵を軽蔑せず、神を試さない。
それゆえ、乙女は、神から受けた(と解釈される)指示や啓示以上のことをしないのは明らかである。
*
彼女の人生について、幼少期からの多くの出来事が豊富に収集されており、ここで引用することもできるが省略する。
ここでは、デボラ、50人の博士や修辞学者を奇跡的に改宗させた聖カタリナ、ユディト、ユダ・マカバイの先例を引用するのがふさわしい。よくあることだが、彼女たちの人生には、純粋かつ自然な状況が多くあった。
最初の奇跡の後に、人々が期待する他の奇跡が続くとは限らない。
たとえ乙女が、彼女自身と人々の期待を裏切った(失望する結果になった)としても——神よ、そんなことがありませんように——、そのことを根拠に、彼女が起こした最初の奇跡までも「天の恵みではなく悪霊から生じたものだ」と結論づけるべきではない。
むしろ、人々の恩知らずと冒涜のせいで、あるいは神の正当で不可解な裁きによって、私たちは裏切られたのだと考えるべきだ。私は、神が私たちに対する怒りを捨て、神の恩恵を与えてくださるよう懇願する。
**
ジャン・ジェルソンの意見書には、①王と王家の血を引く者、②王の軍隊と王国、③聖職者と民衆、④乙女(ジャンヌ)への教訓が見受けられる。
教訓の目的はすべて同じだ。すなわち、神に捧げられ、他者に対して公正で、節度があり、高潔で、穏やかで、善良な生活を心がけること。
乙女(ジャンヌ)への特別な教訓に関しては、
彼女に啓示された神の恵みについて、小さなことまで気を配ること。
世俗的な利益、党派的な憎悪、暴力的な扇動、過去の行為への復讐、愚かな自己顕示のためにそれ(神の恵み・奇跡)を用いるのではなく、柔和さ、祈り、感謝に用いるべきである。
そして、平和が確立され、正義が再び執行され、敵の手から解放され、神が私たちに好意を寄せ、私たちは神聖さと正義をもって神に仕えることができるように、すべての人が現世の財産を惜しみなく提供しよう。
***
ジェルソンはこの意見書の結論で、ポワティエの神学者たちが見落としていた教会法の一点について簡単に考察している。
彼は、乙女が男性の服装をすることは禁じられていないと断言している。
まず第一に、古代の法律は、女性が男性の服装をしたり、男性が女性の服装をしたりすることを禁じていた。この制限は、厳密な法的観点から言えば、新しい法律では施行されなくなった。
第二に、この法律(服装規定)は、道徳的な意味において依然として拘束力を持つ。しかし、これは単に礼儀の問題にすぎない。
第三に、法的および道徳的な観点から、この法律(服装規定)は、正義の敵を討つために天の王(神)が騎手に任命した乙女に、男性的な軍服を着ることを拒否するものではない。神の力の働きにおいて、目的は手段を正当化する。
第四に、聖なる歴史と世俗的な歴史の両方から、特にカミラとアマゾネスの先例を引用することができる。
⚠️カミラ(Camilla):ローマの建国神話をもとにしたウェルギリウスの叙事詩『アエネイス』に登場する女戦士。
⚠️ アマゾネス(Amazons):ギリシア神話に登場する女性だけの部族。実在した母系部族で、女性の地位が高く、女性も戦う訓練を積んでいた。
ジャン・ジェルソンは、オルレアン解放の1週間後の聖霊降臨祭の日曜日にこの意見書を完成させた。これが彼の最後の著作となった。
1429年7月、彼は65歳で亡くなった。[1135]
この意見書は、亡命中の偉大な大学博士の政治的遺言である。
乙女によるオルレアン勝利は、彼の人生の最後の数日間を喜ばせた。彼は死にゆく声でミリアムの歌を歌う。
しかし、この喜ばしい出来事に対するジェルソンの歓喜には、洞察力のある長老の悲痛な予感が混じっている。
乙女の中に、人々を喜ばせ啓発する性質(歓喜と教化の対象)を見出す一方で、ジャンヌが呼び起こす希望がすぐに失望されるのではないかと、ジェルソンは恐れている。
勝利のとき、すなわち今、ジャンヌを称える人々に、災難の日に彼女を見捨てないようにと警告している。
14.8 意見書の総括「王は乙女をむやみに信じるな、ただし民衆には信じさせよ」
ジャン・ジェルソンの冷静で緻密な意見書は、前述したジャック・ジェリュのより豊かで華麗な意見書と根本的に異なるものではない。どちらも同じ理由、同じ裏付けを含んでおり、結論では、両者ともポワティエの審理に同意している。
ポワティエの学者たち、アンブラン大司教(ジャック・ジェリュ)、パリ大学の元総長(ジャン・ジェルソン)などアルマニャック派の神学者全員にとって、乙女(ジャンヌ・ラ・ピュセル)の件は信仰(faith)の問題ではない。
教皇と公会議が判断を下す前に、どうしてそうなり得ようか?
乙女を信じるか信じないかは人々の自由である。
しかし、ジャンヌの存在は、教化・啓発(人々の模範)の対象になりうる。偏見の目で疑い続けるよりも、心を開き、キリスト教の信仰に従って、長い目で熟考することがふさわしい。
ジェルソンの助言に従って、ジャンヌに好意的な人は「乙女は神から遣わされた」と信じるだろう。それは、パリの大聖堂やフランスのサン・ドニ修道院教会で、信者が聖ドニの首を崇拝し、本物だと信じているのと同じである。
彼らは、文字通りの真実よりも霊的な真実を重視し、あまり深く探究して罪を犯すことはないだろう。
⚠️最後の一文をわかりやすく補足
①文字通りの真実よりも霊的な真実を重視し:
表面的な事実や証拠にこだわりすぎるのではなく、その背後にある精神的な意味合いや信仰の重要性を理解しようとすることを勧めている。彼女が本当に神の声を聞いたのかどうかを厳密に証明しようとするのではなく、彼女の信仰が人々に希望を与え、国を救う原動力になったという事実を重視するということ。
②あまり深く探究して罪を犯すことはないだろう:
ジャンヌの奇跡や神聖さを疑い深く詮索しすぎると、信仰を損ない、神を冒涜する罪を犯す可能性があるという警告。彼女の言動を細かく分析し、矛盾や不合理な点を指摘することに固執するのではなく、彼女の信仰を受け入れ、その精神的な価値を尊重することが重要だと述べている。
ようするに、意見書は、国王とその評議会にそれほど影響を与えなかった。
どちらの意見書も訓戒に満ちていたが、そのどれもが「善良であれ。敬虔であれ。強くあれ。考えは謙虚で思慮深くあれ」と言っているに過ぎなかった。
最も重要な点、すなわち「ジャンヌを戦争遂行にどう生かすか」ということに関して、アンブラン大司教(ジャック・ジェリュ)は賢明にも次のように勧めた。
「乙女が命じたことを、人の思慮深さで吟味して遂行せよ。
それ以外のことは、敬虔な行いと献身的な祈りに身を捧げよ」
この助言は、ゴークール卿のような隊長や、トレヴ卿のような高潔な人物にとって、いくぶん当惑(困惑)するものだった。
聖職者たちは、国王に判断と行動の完全な自由を与え、最終的に「乙女を信じないように」、しかし民衆と兵士たちには「乙女を信じさせるように」と助言したようだ。
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