教皇庁に禁書指定されたジャンヌ・ダルク伝|下巻・第九章 ボールヴォワールのラ・ピュセル/パリのカトリーヌ・ド・ラ・ロシェル/ピエロンヌの処刑
【アナトール・フランス『ジャンヌ・ダルクの生涯』完訳プロジェクト】1908年発行の名著を、膨大な独自注釈とともに現代日本語で蘇らせる個人翻訳プロジェクトです。継続的な活動維持と出版支援のため、一部を有料公開としています。
▼総合目次・リンク集:なぜ、21世紀に『ジャンヌ伝』を完訳するのか
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【この章のポイント】
- ピエール・コーション司教の政治的野心とジャンヌへの執着
- ジャンヌの絶望とボールヴォワール城での飛び降り
- 仲間の聖女たちの断罪
9.1 ボーヴェ司教ピエール・コーションの軽率な献身
ジャンヌ・ラ・ピュセルはボーヴェ司教区で捕虜になった。[458]
当時、ボーヴェ司教兼伯爵を務めていたのはランス出身のピエール・コーションだ。彼はパリ大学の偉大で尊大な聖職者であり、1403年に同大学の総長に選出された。
彼は穏健な人物ではなく、激しい情熱でカボシャンの暴動に身を投じた。[459]
1414年、ブルゴーニュ無怖公(フィリップ公の父)はジャン・プティの教義を擁護するため、コンスタンツ公会議にピエール・コーションを使節として派遣した。[460]
その後、1418年には彼を請願官(maître des requêtes)に任命し、最終的にボーヴェの司教座に昇格させた。[461]
⚠️カボシャン(Cabochiens):ブルゴーニュ無怖公が、王弟殺害に反発する政敵アルマニャック派を排除するため、食肉業者組合(ギルド)カボシャンと結託してパリで暴動を扇動した。カボシュの乱またはカボシャン蜂起と呼ばれる。
⚠️ジャン・プティ(Jean Petit):パリ大学で教鞭を執った神学者(1360年頃〜1411年)。ブルゴーニュ無怖公ジャン(Jean sans peur)による、王弟オルレアン公ルイの暗殺(1407年)を合法であると擁護する論陣を張った人物。
⚠️請願官(maître des requêtes):フランス国務院の顧問官であり、行政における高位の司法官。日曜や祝日に、国王が教会へ行くときに請願官2人が同行し、ミサ中は国王に寄り添い、民衆からの請願を受け付ける。高等法院では裁判長と同じ立場。
ボーヴェ司教ピエール・コーションは、イングランドからも同様に寵愛されて高い地位につき、ヘンリー六世の顧問官、フランスの大宮内祭司長、イングランド王妃の宰相を務めた。
⚠️フランス大宮内祭司長(grand aumônier de France):王室の宗教儀礼と慈善を司る最高職。
1423年以来、彼の普段の居住地はノルマンディー地方の首府ルーアンだった。
(戴冠式の遠征で)ボーヴェの町の人々はシャルル王に服従したため、コーションは司教としての収入を奪われたも同然だった。[462]
当時のイングランド人は「フランス王の軍隊は修道士リシャールと乙女(ラ・ピュセル)に操られている」と言い、それを信じていたため、哀れなボーヴェ司教ピエール・コーションはジャンヌに対して個人的な恨みを抱いていた。
確かに教会は、ジャンヌを偶像崇拝者、占い師、悪魔の使者かもしれないと疑っていた。だが、コーションの個人的な復讐心のために教会の名誉を汚すようなやり方は、彼自身の評判のためにも避けるべきだっただろう。
彼はイングランド摂政ベッドフォード公に雇われており[463]、摂政もまたジャンヌへ激しい憎悪を燃えたぎらせていた。[464]
繰り返すが、ボーヴェ司教(コーション)は自身の名誉のためにも、「ジャンヌを信仰の問題で訴追する(異端審問にかける)ことは、主君の怒りに従って、現世の権力者の世俗的な利益を助長することになる」とみずからを振り返るべきだった。
⚠️原文がわかりにくいので補足。コーションは「信仰の問題」を口実にジャンヌを訴追することで……
🔸主君の怒りに従う:イングランドの政略(シャルル七世とその勢力の弱体化)に協力するために動いている。
🔸現世の権力者の世俗的な利益を助長する:イングランドの権力者の世俗的な利益(フランス支配)に貢献している。
ようするに、コーションがジャンヌを訴追する動機は、純粋な信仰上の理由からではなく、政治的な思惑や個人的な恨みなど不純なものである。司教としての良心よりも、イングランドへの忠誠や自身の地位保全を優先している——と著者は非難している。
だが、ボーヴェ司教はこれらのことを振り返らなかった。
それどころか、この世俗的かつ霊的な事件(ジャンヌの訴追問題)は、彼自身の立場と同じくらいあいまいで、彼の激しく最悪な情熱をかき立てた。
彼は、暴力的な人間らしい軽率さでこの事件に身を投じた。
告発されるべき乙女、異端者、おまけにアルマニャック派だ。ヘンリー王の顧問官を務めるこの高位聖職者にとって、これほどそそられる(芳醇な)獲物があるだろうか!
7月14日、彼はパリ大学の博士や教授たちと協議した後、コンピエーニュの陣営を訪れて、ジャンヌを自分の管轄下に置くよう要求した。[465]
9.2 パリ大学からの手紙(1)ブルゴーニュ公宛とジャン・ド・リュクサンブール宛て要約版
ボーヴェ司教ピエール・コーションは、アルマ・マーテル(母校、ここではパリ大学を指す)からブルゴーニュ公とリニー伯ジャン・ド・リュクサンブール卿に宛てた手紙で、自身の要求を裏付けた。
パリ大学は、最も高名な君主であるブルゴーニュ公に対して、「かつて一度、乙女(ラ・ピュセル)と呼ばれるこの女を引き渡すよう要求したが、返事がなかった」と明かしている。
「私たちは非常に恐れています」と博士たちと教授たちは続けた。
「地獄の敵の偽りの誘惑力と、
邪悪な者たちの悪意と狡猾さによって、
あなた方の敵である対戦相手たちは、
この女を不正な手段で救出しようと
あらゆる手を尽くしていると言われています。
何らかの方法で、彼女を
あなた方の手から奪い去るのではないかと。
それゆえ、大学は、
フランス王家の「最もキリスト教的」な名声に
大きな不名誉が降りかからないよう願うとともに、
ブルゴーニュ公爵殿下には、この女を
異端の悪事を取り締まる異端審問官か、
彼女が捕らえられた地の管轄権を持つ
ボーヴェ司教に引き渡していただくよう、
改めて懇願いたします」
次に、パリ大学の博士と教授たちがジャン・ド・リュクサンブール卿に宛てて、ボーヴェ司教に託した手紙だ。
⚠️原著では手紙全文が掲載されているが、回りくどくて長文だからか、旧翻訳版では翻訳者・吉江孤雁氏による要約にとどまっている。
先に要約版に目を通してから手紙全文を読んだほうが理解しやすいと思われるので、本稿ではそのようにする。
⚠️以下、旧翻訳版から「訳者による要約部分」を引用。
この手紙はまだずっと長いのであるが、その全体の意味は要するに、礼を篤くし、辭を卑くして、諭すが如くあるいは脅すが如くして、乙女ジャンヌを宗教裁判もしくはボーヴェの監督の手に引き渡してくれという内容だった。
その理由は、この手紙の前半に書かれているように、ジャンヌを異教徒・偶像崇拝者とみなしての上である。
パリ大学の博士や学者たちは、フランス方が非常な陰謀をめぐらせて乙女を奪還しようとしていることを再三反復し、もし不幸にしてそのようなことが起これば、これはジャン卿(リュクサンブール卿)にとっての最大の不名誉であり、またキリスト教世界にとっても最大の不幸であるから、すぐさま引き渡すようにと要求するのであった。
この手紙の中で最も力を込めて書いてあったことは、すなわち、かくの如き大逆罪を犯したジャンヌのような罪人は、決して金銭のために手放してはならぬということだ。
パリ大学の先生たちがもっとも心を悩ませたのはここにあった。
シャルル王の方では、いかなる巨額の金でも乙女のためなら支払うに違いない、そして当時の習慣として戦場で捕虜になった貴族や勇士、いや一兵卒といえど、身請金(身代金)さえ出してくれる人がいれば自由の身となって味方の方へ帰ることができたのである。
つまり、この身代金のために彼女を手放すことは神に対する不敬罪であり、人類に対しても許しがたい大罪であると力説しているのである。
⚠️旧翻訳版からの引用はここまで。
9.3 パリ大学からの手紙(2)ジャン・ド・リュクサンブール宛て完全版
次に、パリ大学の博士と教授たちがジャン・ド・リュクサンブール卿に宛てて、ボーヴェ司教に託した手紙だ。
「最も高貴で、誉れ高く、力ある君主よ、
あなたの高貴なる御身に心から敬意を表します。
あなたの賢明なご見識は、
すべての良きカトリック騎士が
その力と権力をまず神への奉仕に、
次に公共の福祉のために用いるべきことを
よくご存じであり、認識しておられます。
何よりもまず、騎士道の第一の誓いは、
神の名誉、カトリックの信仰、
そして聖なる教会を守り、
維持することにあります。
あなたがその高貴な力と身を投じて、
自らを乙女(ラ・ピュセル)と名乗る女を捕らえた時、
まさに、この神聖な誓いを
心に留めていたからに違いありません。
この女によって、
神の栄光は甚だしく冒涜され、
信仰は深く傷つけられ、
教会は大きな不名誉を被りました。
なぜなら、彼女によってこの王国に
偶像崇拝、誤ち、偽りの教義、
そして数え切れないほどの悪事と災厄が
蔓延したからです。
忠実なキリスト教徒は皆、
聖なる信仰と王国全体のために
これほどの偉大な貢献をしてくださった
あなたに心からの感謝を捧げなければなりません。
私たちは心から神に感謝し、
精いっぱいの敬意を込めて、
あなたの高貴な力に感謝を捧げます。
しかし、このような捕縛も、
ふさわしい結末が伴わなければ、
取るに足らないものとなってしまうでしょう。
その結末とは、この女が、
慈悲深き創造主、その信仰、
聖なる教会に対して犯した罪、
そして数えきれないと言われる
その他の悪行について責任を問い、
償いをすることです。
もし事態が現状のまま続くか、または
この女が解放・奪還される事態に陥った場合、
災厄はこれまで以上に大きくなり、
人々は以前よりもさらに深い誤ちに陥り、
神の威信は耐え難いほどに損なわれるでしょう。
伝えられるところによると、
さまざまな敵があらゆる秘密手段を用いて、
さらには賄賂や身代金によって、
この女の解放あるいは奪還を望み、企て、
実行しているとされています。
しかし、神がこれほど大きな災厄を
ご自身の民に降りかかることを
お許しになりませんように、
そして、あなたの偉大で賢明なご見識が、
そのような災厄が起こることを許さず、
あなたの高潔さにふさわしい対策を
講じられることを、私たちは願っております。
もし、当然受けるべき報いを受けることなく
彼女が解放されるようなことがあれば、
あなたの偉大なる高貴さと、
この件に関わったすべての人々に、
取り返しのつかない不名誉が降りかかるでしょう。
ですが、あなたの賢明で高潔なご見識は、
この醜聞を一刻も早く終わらせる方法を
編み出されるに違いありません。
それこそが今、切実に必要とされているのです。
そして、この件におけるあらゆる遅延は、
この王国にとって非常に危険で有害です。
ですから、私たちは心からの敬意を込めて
あなたの力強く誉れ高き高貴さに
お願い申し上げます。
神の栄光のため、
聖なるカトリック信仰の維持のため、
そして王国の善と名誉のために、
この女を正義(司法)に引き渡し、
信仰の異端審問官に引き渡していただきたい。
異端審問官はすでに彼女を要求しており、
今まさに、緊急に要求しています。
それは、彼女が抱えている重大な罪を調査し、
神を満足させ、人々を善良で聖なる教義によって
正しく啓蒙するためです。
または、もしあなたがより良いとお考えなら、
この女を敬虔なる神父、我らが高名なる
ボーヴェ司教に引き渡してください。
なぜなら、彼女は
彼の管轄下で捕らわれたため、
彼もまた彼女を要求しているからです。
この司教と異端審問官は、
信仰に関する事柄において、
この女の裁判官であり、
いかなる身分のキリスト教徒も、
この件に関しては、重い法的処罰の下で、
彼らに従う義務があります。
そうすることで、
あなたは至高なる神の愛と恵みを得て、
聖なる信仰を高める手段となり、同様に、
あなた自身の高貴で気高い名前、
私たちが畏怖すべき領主であり、
最も高貴で力ある君主、
ブルゴーニュ公爵殿下の名をも
輝かせることになるでしょう。
すべての人が、
あなたの最も高貴な崇拝の繁栄を
神に祈るよう求められるでしょう。
我らの救い主である神が、
その恵みによって、あなたを導き、
すべての事柄において守り、
最終的に永遠の喜びを与えてくださいますように。
1430年7月14日、パリにて記す」[466]
9.4 イングランドの奸計(1)見せかけの異端審問と本当の目的
これらの手紙(パリ大学からの手紙、ブルゴーニュ公宛とリュクサンブール卿宛)を携えていたのと同時に、尊敬すべき神父・ボーヴェ司教ピエール・コーションは金銭(賄賂)を差し出すよう命じられていた。[467]
リニー伯ジャン・ド・リュクサンブール卿に対し、パリ大学の名において「捕虜を売ることは罪を犯すことになる」と説いていたまさにその時、司教本人がジャンヌを購入すると申し出たのは、実に奇妙だ。(矛盾している、理屈が破綻している)
これらの聖職者たちの言い分によれば、「ジャン・ド・リュクサンブールが戦いのルールと慣習に従い、身代金と引き換えに(フランス陣営に)捕虜を引き渡した場合、現世と死後で恐ろしい罰を受けるだろう。彼女を死刑にしようとする者(パリ大学の聖職者)に捕虜を売り渡した場合、称賛と祝福を得るだろう」と言っているのだ。
だが、この司教は、名目上「教会のために」ジャンヌを買いに来たのだから、少なくとも教会の資金で彼女を購入するのだろう、と思うかもしれない。
とんでもない!
購入資金はイングランドが用意したのだ。
したがって、ジャンヌは最終的に教会ではなくイングランドに引き渡される。そして、司教の管轄権に基づき、神と教会の利益のために行動する司祭が、この取引を成立させる。
ボーヴェ司教は1万リーヴルを提示した。
この金額に対する見返りとして、「フランスに広く浸透している慣習によれば、いかなる捕虜であろうと、たとえ王族の血を引く者であっても、国王に引き渡す権利がある」と彼は主張した。[468]
*
高貴で厳粛な聖職者であるピエール・コーションが、ジャンヌに魔術の疑いをかけていたことは間違いない。彼女を裁判にかけることを望み、彼は聖職者として職務を遂行した。
同時に、コーションは、ジャンヌが自分自身の敵だけでなく、イングランドの敵でもあることを知っていた。その点については疑いの余地はない。
そのため、彼はジャンヌを裁判にかけようとした時、イングランド王ヘンリー六世の顧問官として行動した。
彼が1万リーヴルで買い取ったのは、魔女だったのか?
それとも、イングランドの敵だったのか?
もし、神の栄光のために、聖なる異端審問官、パリ大学、そして司教が、金銭と引き換えに要求したのが、単なる魔女であり偶像崇拝者だったとしたら、なぜこれほど騒ぎ立てる必要があったのか? なせ、これほど多額の費用を費やしたのか?
この件に関しては(本当にジャンヌを異端の疑いで告発する気なら)、シャルル七世側の聖職者と協力して行動する方がよいではないか?
アルマニャック派は異教徒でも異端者でもなく、トルコ人でもフス派でもない。彼らはカトリック教徒で、ローマ教皇をキリスト教世界の真の指導者と認めている。王太子シャルルもその聖職者たちも破門されていない。
トロワ条約(当時王太子だったシャルル七世を廃嫡し、フランス王位をイングランドに譲渡した条約)を無効とみなした者も、条約に同意し誓約した者も、教皇から破門宣告を受けていない。
これら(英仏間の争い、フランスの王位継承と内乱)は信仰の問題ではない。
シャルル王が統治する地域では、聖なる異端審問所が奇妙なやり方で異端を訴追し、世俗の権力機関は教会が宣告した判決が死文化しないように配慮・監視していた。アルマニャック派もフランス人もブルゴーニュ人も同様に魔女を火刑に処している。
今のところ、彼ら(シャルル七世陣営の聖職者)はジャンヌが悪魔に取り憑かれているとは信じていない。それどころか、彼らの大半は彼女を聖人とみなす傾向だった。
彼らは欺かれていたのか? 彼らに、教会法上の優れた論拠を提示することは、善良なキリスト教の慈悲ではないのか?
もし、ジャンヌに関する容疑が、教会法廷で審理されるべき事件なら、なぜ両陣営の教会関係者が連携して、教皇と公会議の前にジャンヌを引きずり出して訴えないのか?
ちょうどその頃、教会改革と王国の平和確立のための公会議がバーゼルの町で開催されていた。パリ大学は代表団を派遣し、そこでシャルル王の聖職者たち、そしてフランス教会の特権に固執するガリア主義の聖職者たちと会うことになっていた。[469]
⚠️バーゼル(Bâle):現在のスイス北部、ライン川上流にある河港都市。フランスとドイツの国境沿いに位置する。
9.5 イングランドの奸計(2)シャルル七世を断罪したい欲望
なぜ彼らは、このアルマニャック派の預言者(ジャンヌ)を、バーゼル公会議に集まった聖職者たちの手で裁かなかったのか?
だが、ヘンリー・オブ・ランカスター(ヘンリー六世)のため、そして古きイングランドの栄光のために、この事態を別の方向へ進ませなければならなかった。
イングランド摂政ベッドフォード公の顧問官たちは、ジャンヌが天の王(神)の名においてフランスから立ち去るよう命じた時点で、すでに彼女を魔術の疑いで告発している。
オルレアン包囲戦のとき、彼らはジャンヌが派遣した使者を火刑にしようとし、もし彼女本人を捕らえたら火刑に処すと脅したではないか。
実にこの頃から、彼ら(イングランド摂政とその家臣)の確固たる決意であり、一貫した意図だったのだ。
したがって、ジャンヌを捕らえたイングランドが、彼女の身柄をすぐに教会に引き渡すことはありえない。
彼らは自国で、多くの魔女や魔法使いを火刑に処していたが、異端審問所を自国に設立することを許さず、その種の正義(教会の司法制度)にうとかった。
⚠️補足:当時のイングランドには正式な異端審問をおこなう機関がなく、王侯や宮廷レベルでも世俗の裁判と教会の裁判(異端審問)があいまいで区別されてなかった模様。そのため、彼らの理屈は矛盾をはらんでいる。
ジャンヌが捕らわれ、リュクサンブール卿の手に渡ったことを知ったイングランド大評議会は、満場一致で「いかなる代価を払ってでも彼女を買い取る」ことに賛成した。
何人かの貴族は、ジャンヌを手に入れたらすぐに袋に詰めて川に投げ込む、つまり溺死刑に処すよう進言した。
しかし、そのうちの一人(ウォリック伯爵だったと言われている)は、まずジャンヌを教会法廷で異端と魔術の罪で裁判にかけ、有罪判決を受けた後、彼女の王(シャルル七世)も共に貶められるように、厳粛に身分を剥奪されるべきだと進言した。[470]
もしパリ大学が、フランスの教会高官、司教、修道院長、参事会員(世俗の職を持つ聖職者)——、ようするに普遍教会が、
「魔女が王の評議会に出入りし、魔女が王の軍隊を率いて、悪魔に取り憑かれた者が王を不敬虔で冒涜的で無効な聖別式(戴冠式)へと導いた」
と宣言したら、フランス王を称するシャルル・ド・ヴァロワにとってなんと不名誉なことだろう!
こうして、乙女(ジャンヌ・ラ・ピュセル)の裁判はシャルル七世の裁判となり、ジャンヌの断罪・有罪判決はすなわちシャルル七世の断罪・有罪判決とみなされる。
この計画はイングランド陣営にとって都合が良いと思われ、採用された。
ボーヴェ司教(ピエール・コーション)はこの計画を実現するために熱心に取り組んだ。
司祭であり国務顧問でもあった彼は、「不幸な異端者を裁く」という名目の下で、クロヴィス王、聖シャルルマーニュ、そして聖王ルイの血を引く子孫(シャルル七世)を裁きの場に引きずり出したいという強い欲望に駆られていた。
⚠️訳者のこぼれ話:
推しゆえに、ひいき目に見てしまうのかもしれませんが。シャルル七世は正面衝突を避けるためにたびたび裏工作を駆使するものの、どちらかというと「理屈っぽくて筋を通す」タイプ。
一方で、イングランドの工作は「道義から外れた下衆な手段」が多い気がする。
オルレアン包囲戦のときも、本当なら領主不在(捕虜にしている)の町を攻撃するのは非道なことだと言われてたし……。
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