教皇庁に禁書指定されたジャンヌ・ダルク伝|下巻・第十三章 撤回の誓い/最初の判決
【アナトール・フランス『ジャンヌ・ダルクの生涯』完訳プロジェクト】1908年発行の名著を、膨大な独自注釈とともに現代日本語で蘇らせる個人翻訳プロジェクトです。継続的な活動維持と出版支援のため、一部を有料公開としています。
▼総合目次・リンク集:なぜ、21世紀に『ジャンヌ伝』を完訳するのか
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13.1 ジャンヌに対する12箇条の宣告:5月19〜23日(1)全文朗読
⚠️下記『ジャンヌに対する12箇条の宣告』は英訳版をAIで下訳してから当方が独自に修正し、さらに旧翻訳版(吉江孤雁訳, 1917年)および高山一彦編訳『ジャンヌ・ダルク処刑裁判』(白水社, 1984年)の訳文を参考にしている。(敬称略)
⚠️敵方の公文書につき、ジャンヌの言動や信条はひどく歪められているが、当時のジャンヌの詳細な服装について書かれている第5条はビジュアル的にも資料価値が高い。
5月19日土曜日、50人にのぼる博士と教授たちがルーアンの大司教礼拝堂に集まった。そこで彼らは満場一致で「パリ大学の決定に同意する」と宣言し、ボーヴェ司教はジャンヌに対してあらためて慈悲深い訓戒を与えるよう命じた。[842]
それを受けて、23日の水曜日、ボーヴェ司教、副審問官(ジャン・ル・メートル)、検事(ジャン・デスティヴェ)はジャンヌの独房に近い城内の一室を訪れた。7人の博士と教授たちに加えて、ノワイヨン司教とテルアンヌ司教が同行した。[843]
後者(テルアンヌ司教)は、ジャンヌを売り渡したジャン・ド・リュクサンブールの兄弟で、イングランド大評議会における最も著名な人物のひとりだった。ランス大司教ルニョー・ド・シャルトルがシャルル王のフランス宰相(大法官)だったのと同様、彼はヘンリー王(ヘンリー六世)のフランス宰相を務めていた。[844]
被告(ジャンヌ)が連れてこられると、神学博士のピエール・モーリスが、彼女に12箇条を読み聞かせた。パリ大学の審議に基づいて要約され、注釈を加えたその内容は、全体がジャンヌに直接語りかける形式で記されていた。[845]
【第1条】
第一に、ジャンヌよ、汝(おまえ)は13歳ごろから啓示を受け、天使たちと聖人たち、聖カタリナと聖マルガリータの姿を目撃し、実際に汝の肉眼で何度も見たと述べた。また、それらが汝に語りかけ、今もなおしばしば言葉を交わし、汝が裁判において詳細に供述した多くのことを汝に告げたと述べた。
パリ大学の有識者一同はその他の聖職者とともに、これらの啓示ならびに聖人の御公現の様相とその目的、啓示された事柄の本質、啓示を受けた汝の人柄について検討し、あらゆる点を考察した。そして今、彼らはここに宣告する。これらの啓示ならびに御公現はすべて、人を欺く危険かつ虚偽の捏造か、さもなければ、邪悪で悪魔的な精霊に由来する迷信である。
【第2条】
同じく。汝が言うには、汝の王はしるしを受け取り、汝が神から遣わされたことを知るに至った。すなわち、翼を持ち冠を戴く多数の天使たちを従えた大天使聖ミカエルが、聖カタリナと聖マルガリータをともない、シノン城の町で汝のもとを訪れ、彼らは皆、汝とともに城の階段を上り、汝の王の部屋に入り、冠を戴いたその天使が王の前で身を屈めて敬礼した。そして、汝はかつて、汝が「しるし」と呼ぶこの王冠は、ランス大司教に与えられ、汝が名指しした多数の諸侯や貴族が見ている前で、大司教がそれを汝の王に授けたと述べた。
さて、このしるしに関して、前記の聖職者たちは宣告する。真実味に欠け、傲慢な虚偽であり、欺瞞的かつ有害な虚言であり、天使の尊厳を冒涜するものである。
【第3条】
同じく。汝が言うには、天使と聖人たちが与える正しい助言と慰め、立派な教えによって汝は彼らを見分けることができる。また、彼らはみずから名乗り、汝へ挨拶することによって、彼らが天使や聖人だとわかると述べた。また、汝に現れたのは大天使聖ミカエルだと信じ、この天使と聖人たちの言動は善良で、イエス・キリストを信じるのと同様に固く信じた。
さて、本項について、聖職者たちは宣告する。汝が主張するしるしは、聖人や天使たちを識別する根拠としては不十分である。汝が軽率に信じ、無謀に断言し、汝が『固く信じる』と表現に用いた比較に至っては、汝は信仰の道から外れている。
【第4条】
同じく。汝は未知について、将来のことをよく予見し、隠されたものを見つけ、一度も会ったことのない人を見分けることができるが、これは聖カタリナと聖マルガリータの「声」のおかげであると述べた。
本項について、聖職者たちは宣言する。これらの発言には迷信、占い、傲慢な主張、むなしいうぬぼれが含まれている。
【第5条】
同じく。汝が言うには、神の命令とその意志に従い、汝は男の衣服を着用して今も着続けている。すなわち、汝はこの服装をせよとの神の命令を受けて、短いチュニック、胴衣(袖なしの革ベスト、男性用)、多くの飾り紐のついたショース(股間と脚部を覆うぴったりしたズボン)を身につけ、頭髪を耳の上まで短く切り揃え、生まれつき備わったもの以外は女性であることを示すものを何ひとつ身につけていない。しかも、汝はしばしばこの衣服のままで聖体拝領の秘跡を受け、その衣服をやめるようにたびたび訓戒を受けたにもかかわらず、汝はそれを拒み、神の命令がない限り、この衣服をやめるくらいなら死んだ方がましだと述べた。また、今もこの衣服を着て仲間たちと共にいられたら、フランスにとっても大いなる幸福だと述べた。汝は、何があろうと、この衣服と武具を身につけないという誓いをしないと述べ、その上、これらすべての事柄は正しく、神の命令によるものだと主張している。
以上について、聖職者たちは宣告する。汝は神を冒涜し、神とその秘跡を侮辱し、神の法、聖書、そして教会の規範に違反している。汝の考えは邪悪で、信仰の道から逸脱し、虚栄心に満ち、異教徒の慣習に従って偶像崇拝と汝自身および己の衣服への崇拝にふけっている。
【第6条】
同じく。汝はしばしば手紙の中で「ジーザス・マリア」の名および十字架を記し、手紙の受取人に対し、この手紙に書かれたことを実行しなくていいと警告するためだと述べた。また別の手紙では、汝に従わない者を皆殺しにすると豪語し、誰が天国の神の恩寵をより多く受けているかを、汝の打撃によって証明してみせると公言した。さらに、汝の行為はすべて啓示ならびに神の命令によるものだと繰り返し述べている。
本項について、聖職者たちは宣告する。汝は神を欺いた裏切り者で、背徳かつ残忍で、殺戮を望み、扇動を好み、暴政をそそのかし、神の戒めと啓示の冒涜者である。
【第7条】
同じく。汝が言うには、17歳の時に受けた神の啓示に従い、父母の意志に背いて家出し、そのために父母を狂気に陥れた。汝はロベール・ド・ボードリクールのもとを訪れ、彼は汝の要求に応じて男の衣服と剣、そして汝を王のもとへ案内するための兵士を与えた。王のもとへ到達すると、汝は王に対し「敵を追い払うために来た」と伝え、王に偉大な王国をもたらし、敵に勝利を収めると約束し、さらに、そのために神は汝を遣わしたと告げた。汝はこれらのことを神への服従と啓示に従って成し遂げたと述べている。
本項について、聖職者たちは宣告する。汝は父母に不幸をもたらし、「両親を敬え」という神の戒めに背いた。汝は醜聞の原因となり、神を冒涜し、信仰の道から逸脱し、人に対して軽率かつ傲慢な約束をした。
【第8条】
同じく。汝はみずからの意思でボールヴォワールの塔から飛び降りたが、その理由は、イングランド軍の手に捕らえられ、コンピエーニュが崩壊した後も生き延びるより死を選んだからだと述べた。聖カタリナと聖マルガリータが身投げを禁じたにもかかわらず、汝は自制することができなかった。さらに、これらの聖人たちに逆らうという大罪を犯したにもかかわらず、汝は告解をしたから神はこの罪を赦した、そのことを「声」によって知っていると述べた。
本項について、聖職者たちは宣告する。汝は弱気から絶望に傾き、おそらく自殺を図って身投げに及んだ。その上、汝はこの罪について、軽率かつ傲慢にも「赦免された」と断言し、自由意志の教義に関する信仰の道から逸脱している。
【第9条】
同じく。汝が言うには、聖カタリナと聖マルガリータは、汝が処女であり続けるならば天国へ導くと約束し、汝は処女を守ると誓った。さらに汝はすでに祝福された聖人たちの栄光の中にいるかのように、そのこと(天国へ行くこと)を確信していると述べた。また汝は、自分は大罪を犯していないと信じ、もし汝が大罪を犯していたら、聖人たちは今のように毎日汝を訪ねてこないだろうと考えている。
本項について、聖職者たちは宣告する。このような主張は有害な捏造であり、傲慢かつ軽率で、汝が以前に述べたことと矛盾しており、結局のところ、汝の信条は真のキリスト教信仰から逸脱している。
【第10条】
同じく。汝が言うには、神は汝(ジャンヌ)よりも特定のある人物を強く愛しており、汝はこのことを聖カタリナと聖マルガリータからの啓示によって知った。また、これらの聖人たちはイングランドの味方ではないため、英語ではなくフランス語を話すと主張した。そして、これらの「声」が王の味方であると知って以来、汝はブルゴーニュを嫌うようになった。
本項について、聖職者たちは宣告する。それは軽率かつ傲慢な主張であり、迷信的な占いであり、聖カタリナおよび聖マルガリータに対する冒涜であり、そして「汝の隣人を愛せよ」という戒律への違反である。
【第11条】
同じく。汝が言うには、汝が大天使聖ミカエル、聖カタリナ、聖マルガリータと呼ぶ者たちにひざまずき、帽子を取り、彼らが踏んだ地面に口づけし、汝の処女を誓うことで敬意を表した。汝は彼らに呼びかけ、口づけし、抱擁までした。彼らが汝の前に現れた途端にその教えを受け入れ、司祭や他の聖職者に助言を求めることをせず、汝はこれらの「声」が神から来たことを、キリスト教の教義や我らの主イエス・キリストの受難を信じるのと同じくらい固く信じている。さらに汝は、もし邪悪な精霊が聖ミカエルの姿で現れたとしても、それを見抜き、聖人と区別できると述べた。そしてまた、汝の王に与えたしるしについて、誰にも明かさないとみずからすすんで誓ったと言い、最後に「神の命令がない限り」と付け加えた。
さて、本項について聖職者たちは宣告する。仮に、汝が主張するような啓示を受け、汝が言うような姿で現れたとしたら、汝は偶像崇拝者であり、悪魔の召喚者、信仰の背教者、軽率な捏造者、不当な立誓者である。
【第12条】
同じく。汝は、「神から受けた」と自称する命令に従わないよう教会が求めても、何人たりとも汝にそうさせることはできないと述べている。裁判で告発された汝の行為はすべて神の命令に従って行われたもので、背くことはできないと言い張っている。これらの行為に関して、汝は地上の教会やいかなる生身の人間の裁きにも服従せず、ただ神のみに服従すると述べた。さらに、汝はこの答弁自体が、みずからの意志ではなく神の命令によるものであると宣言した。
信仰箇条「ウナム・サンクタム・エクレシアム・カトリカム(Unam sanctam Ecclesiam catholicam=われ唯一の聖なる公教会を信ず)」を汝に何度も説明し、すべてのキリスト教徒は、とりわけ啓示やそれに類する事柄に関して、その言動を「戦う教会(地上の教会)」に委ねるべきであるにもかかわらず、汝はこれに従わなかった。
それゆえに、本項について聖職者たちは宣告する。汝は、教会の統一と権威を信じない分裂主義者であり、今日に至るまで頑固に信仰の道から逸脱している背教者である。[846]
13.2 ジャンヌに対する12箇条の宣告:5月23日(2)ニガヨモギと蜂蜜
ピエール・モーリスは12箇条の読み上げを終えると、ボーヴェ司教の求めに応じ、ジャンヌの説諭に移った。
彼は1428年にパリ大学の総長を務めた人物である。[847] 雄弁家として高く評価されていた。6月5日にヘンリー六世がルーアンに入城した際、参事会を代表して国王の前で演説したのも彼である。古典文学に関する知識と造詣の深さで知られており、テレンティウスの喜劇やウェルギリウスの『アエネイス(Æneid)』を含む、貴重な写本を所有していた。[848]
⚠️アエネイス(Æneid):古代ローマの詩人ウェルギリウスの長編叙事詩。トロイア滅亡後の英雄アエネイスの遍歴が書かれている。全12巻におよぶラテン文学の最高傑作だが、ラストシーンを書く前に作者が没したため未完。
この高名な博士は、あえて平易な表現を選んで、ジャンヌに自分自身の言葉や発言の影響を省みるよう求め、教会に従うよう優しく説き勧めた。
ニガヨモギ(苦言)の後にハチミツ(甘言)を差し出し、彼はやさしく親しみやすい言葉づかいで語りかけた。驚くべき巧みさで、乙女(ラ・ピュセル)の心の感情と傾向に入り込んだ。
ジャンヌが騎士道的な熱意と、彼女の手で戴冠へ導いたシャルル王への忠誠心に満たされているのを見て、ピエール・モーリスは騎士道のたとえを引き合いに出し、ジャンヌの「声」や幻影よりも、むしろ戦う教会(地上の教会)を信じるべきなのだと説明しようと試みた。
⚠️戦う教会、戦闘教会(英:Church Militant/仏:Église militante):神学用語で、地上・現世の教会のこと。
⚠️勝利の教会、凱旋教会(英:Church Triumphant/仏:Église triomphante):神学用語で、天上の教会のこと。
「もしあなたの王が、あなたにある要塞の守備を任せて『誰も中に入れてはならぬ』と禁じたとしたら、王の元から来たと主張する者が誰であれ、手紙やその他のしるしを提示しない限り、あなたは中に入れることを拒否するのではないか? それと同様に、我らの主イエス・キリストは天に昇る際、聖なる使徒ペテロとその後継者たちに教会の統治を委ねた際、神の元から来たと称しながら確かな証拠を持たぬ者を受け入れることを禁じたのだ」
そして、教会に従わないことがいかに重大な罪であるかを痛感させるために、彼はジャンヌが戦っていた時のことを引き合いに出して、王に従わない騎士の例を挙げた。
「あなたが王のところにいた時、もし王に忠誠を誓う騎士や何者かが立ち上がり『王に従わない。王にもその役人にも服従しない』と言ったとしたら、あなたは『彼は非難されるべき人物だ』と言うのではないか? ひるがえって、あなた自身についてはどうだろう。キリストの教えの中で生まれ、洗礼によって教会の娘、キリストの花嫁となったあなたが、今やキリストの役人たち、すなわち教会の高位聖職者たちへの服従を拒むとは一体どういうことか?」[849]
このようにして、ピエール・モーリスはジャンヌに自分の言葉を理解させようと努めた。
しかし、それは成功しなかった。
この子供の勇気を前にしては、世界中のどんな理屈も雄弁さも何の役にも立たなかっただろう。
ピエール・モーリスが話し終えるときに「自分の行いや言葉を教会に服従させる義務があるとは考えないのか」と問われたジャンヌは、こう答えた。
「私がこの裁判で常に主張し、述べてきたことをこれからも貫きます……。たとえ私が有罪を宣告されて、薪の束に火がつけられるのを見て、処刑人が火をかき立てようと構え、私自身がその炎の中にいたとしても、私は裁判で述べたこと以外に何も言わず、死ぬまでそれを主張し続けるでしょう」
この言葉を受けて、ボーヴェ司教は議論の終了を宣言し、判決の言い渡しを翌日まで延期した。[850]
13.3 啓蒙的な見世物:5月24日(1)処刑場へ
翌日、聖霊降臨祭の後の木曜日、5月24日の早朝、ジャン・ボーペールが獄中にいるジャンヌを訪れ、「最後の説教を聞くためにまもなく処刑台に連れて行かれる」と告げた。
「もしあなたが善良なキリスト教徒ならば、あなたは自分の行いと言葉のすべてを聖母教会、とりわけ教会の裁判官たちに委ねることに同意するだろう」
ジャン・ボーベールは、ジャンヌが「そうします」と答えたのを聞いたような気がした。[851]
もし本当にそう言ったのだとしたら、それは一連の苦悶に疲れ果て、火刑による死が迫ってくるのを感じて、ジャンヌの肉体的な勇気がひるんでしまったからに違いない。
彼が立ち去ろうとしたちょうどその時、ジャンヌはドアの近くに立っていた。ニコラ・ロワズルールは(ボーベールと)同じ助言をし、従うように説得するために偽りの約束をした。
「ジャンヌよ、私を信じなさい。救われるかどうかはあなた次第だ。女性にふさわしい服を着て、求められることをしなさい。さもなければ、あなたは死の危険にさらされる。私の言う通りにすれば、あなたに良いことが起こり、何の害も及ばない。あなたは教会の手に引き渡されるだろう」[852]
*
ジャンヌは荷車に乗せられ、武装した護衛に付き添われて、城壁の下に広がるブール・ラベと呼ばれる町の一角へと連行された。
ほんの少し進んだところで荷車は止まった。そこはサントゥアン墓地で、別名レ・エイトル[853]・サントゥアンと呼ばれていた。
⚠️レ・エイトル(les aitres):教会の入り口にある前庭・中庭のことだが、そこは教会を取り囲む埋葬地でもあった。墓碑や地下納骨堂に埋葬する資金のない人たちは、教会の周りに亡骸を埋めた。
そこでは毎年、修道院の守護聖人の祝日に、非常に人気のある市(いち)が開かれていた。[854]
ジャンヌはここで説教(最後の訓戒と判決文)を聞くことになっており、彼女以前にも、多くの不幸な人が同じ場所で同じ目に遭っていた。群衆が大挙して押し寄せることができるこのような場所は、人々を啓発する見世物をおこなう舞台としてよく選ばれた。
この広大な集団墓地の境界には、過去100年にわたり教区教会がそびえ立ち、南側には修道院の身廊があった。
教会の壮麗な建物を背にして、二つの台座が設けられていた。[855] 一つは大きく、もう一つは小さかった。多数の小さな像が彫られていたことから「マルムゼの門」と呼ばれていた玄関(ポーチ)の西側に設置されていた。[856]
⚠️マルムゼ(Marmousets):シャルル五世とシャルル六世(初期)を取り巻く寵臣たちのこと。王子でも官僚でもないが国王に非常に近い存在で、王族や公爵を遠ざけて実権を握った。
大きいほうの台座には、二人の裁判官、すなわちボーヴェ司教と副審問官(ジャン・ル・メートル)が着席した。
彼らを補佐したのは、ウィンチェスター枢機卿(Cardinal)、テルアンヌ司教(Bishop)、ノワイヨン司教、ノリッジ司教、フェカン修道院長(Abbot)、ジュミエージュ修道院長、ベック修道院長、コルネイユ修道院長、モン=サン=ミシェル=オ=ペリル=ド=ラ=メール修道院長、モルトマール修道院長、プレオー修道院長、そして集会がひらかれたルーアンのサントゥアン修道院長、さらにロングヴィル小修道院長(Prior)とサンロー小修道院長、多くの神学博士や神学士、教会法と民法の博士や修士たちだった。[857]
同様に、イングランド側の高官たちも多数列席していた。
もう一つの台座は、説教するための演壇だった。
異端審問の慣例に従い、ジャンヌに説教する役目の博士がそこに登壇した。神学博士のギヨーム・エラールで、ラングルとボーヴェの教会の参事会員(聖職者)だった。[858]
当時、彼はフランドルへ行くことを切望していた。そこでは彼が緊急に必要とされていたからである。彼は若い従者であるジャン・ド・ルニソル修道士に、この説教の役目は自分にとって大変な迷惑であると打ち明けた。
「私はフランドルに行きたい」と彼は言った。
「これは私にとって非常にいらいらすることだよ」[859]
しかし、ある観点からすれば、ギヨーム・エラールはこの役目を遂行することを喜んでいたに違いない。この演説でフランス王シャルル七世を公然と攻撃する機会を得て、彼が強く肩入れしていたイングランドの大義に対する忠誠心を示すことができるからだ。
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