教皇庁に禁書指定されたジャンヌ・ダルク伝|上巻・第七章 ポワティエのラ・ピュセル
【アナトール・フランス『ジャンヌ・ダルクの生涯』完訳プロジェクト】1908年発行の名著を、膨大な独自注釈とともに現代日本語で蘇らせる個人翻訳プロジェクトです。継続的な活動維持と出版支援のため、一部を有料公開としています。
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【この章のポイント】
- 困窮するポワティエの高等法院と聖職者たち
- 神学的論争と政治的思惑の交錯
- 「しるし」としての勝利の約束
7.1 最初にジャンヌを審理した人(1)シャルル七世の忠臣
ポワティエの町は、約14年間、「フランス人によるフランス王国」の首都だった。
⚠️フランス人によるフランス王国:1420年のトロワ条約で王太子だったシャルル七世が廃嫡され、パリを含む北フランスはイングランド支配下による英仏連合王国になっていた。
王太子シャルルは、ポワティエに高等法院を移した。正確には、パリから逃れてきた少数の評議員たちがそこに集まっていた。
ポワティエの高等法院(Parlement)は、小さな院(会議室)2つで構成されていた。
審議すべき問題があればソロモン王のように賢明な裁きを下しただろうが、訴訟を持ち込む者は現れなかった。ポワティエに向かう道中で傭兵や略奪者に襲われる危険があり、王国中が乱れていて訴訟どころではなかったのである。
⚠️|高等法院《パルルマン》(Parlement):フランス王国の司法機関。英語では議会を意味するが、フランスの高等法院は裁判所であって立法機関(議会)ではない。
評議員のほとんどはパリ近郊に領地を持っていたが、(パリを捨ててポワティエに来たため)衣食に困窮する生活を送っていた。
彼らにはめったに給料が支払われず、特典もなかった。
登録簿には「訴訟費用(手数料)が支払われるまで審議しない(Non deliberetur donec solvantur species)」と刻まれていたが、訴訟人からの支払いは見込めず、無意味だった。[721]
司法長官ジャン・ジュヴネル・デ・ウルサンは、イル・ド・フランス、ブリー、シャンパーニュ地方に豊かな土地と邸宅を所有していたが、彼の家族——善良で高潔な妻、子供11人、義理の息子(娘婿)3人——でさえ、みすぼらしい服装で靴も履かずに町の通りを歩いているのを見て、人々は同情の念に駆られた。[722]
⚠️ジャン・ジュヴネル・デ・ウルサン(Jean Juvénal des Ursins):現時点では主従ともに不遇だが、後にピエール・コーションの後任としてボーヴェ司教に任命され、ランス大司教に上り詰める。ジャンヌの復権裁判で裁判長を務め、ルイ十一世を戴冠させる。
国王と運命を共にすると決めた学者や教授たちは(パリ大学から離脱し)、本来ならば知性と学識の源泉であったが、教える大学がなかったため、弁舌や博識さを使って生計を立てることができなかった。
ポワティエの町は、シャルル七世が統治するフランス王国の首都だったが、高等法院はあれど大学はなく、まるで「高貴な生まれだが片目しかない貴婦人」のようだった。なぜなら、高等法院と大学は、偉大な都市の両目だからである。
このような惨状の中で、彼らは悲しみに暮れながら「もし神の意志があるならば、国王の運命と自分たちの運命を回復させたい」と切望していた。
その間、彼らは寒さに震え、飢えで衰弱しながら、うめき声をあげ、嘆き悲しんでいた。
エジプトの荒野をさすらうイスラエルの民のように、神が彼らの祈りに耳を傾け、こう言ってくれる日を待ち望んでいた。
「あなたがたは夕には肉を食べ、朝にはパンに飽き足りるであろう。
そうしてわたしがあなたがたの神、主であることを知るであろう」
(旧約聖書『出エジプト記』第16章12節)
⚠️補足:わかりやすく意訳するなら「主は夕暮れにはあなたたちに肉を与え、朝にはパンを与えて満ち足りるであろう。主はあなたたちが主に向かってつぶやく願いを聞かれたからである」
ジャンヌ・ラ・ピュセルの審理を担当する博士や書記官(聖職者)の大部分は、貧困に苦しみながらもシャルル七世に忠実に仕えている人たちの中から選ばれた。彼らは、以下のとおりである。
ポワティエ司教[723]
マグローヌ司教[724]
ジャン・ロンバール師(神学博士、かつてパリ大学の神学教授)[725]
ギヨーム・ル・メール師(神学学士、ポワティエの律修司祭)[726]
ジェラール・マシェ師(国王の告解聴聞司祭)[727]
ジョーデイン・モラン師[728]
ジャン・エロー師(神学教授)[729]
マチュー・メナージュ師(神学学士)[730]
ジャック・メレドン師[731]
ジャン・マソン師(民法と教会法の非常に著名な博士)[732]
ピエール・ド・ヴェルサイユ修道士(フランスのサン=ドニ修道院のベネディクト会修道士、神学教授、サン=ピエール・ド・ショーモンの修道院長、ラオン司教区のタルモン修道院長、フランス国王陛下の特命大使)[733]
ピエール・テュレル修道士(聖ドミニコ修道会、トゥールーズの異端審問官)[734]
シモン・ボネ師[735]
ギヨーム・エメリー修道士(聖ドミニコ修道会、神学博士、神学教授)[736]
セガン・ド・セガン修道士(聖ドミニコ修道会、神学博士、神学教授)[737]
ピエール・セガン修道士(カルメル会修道士)[738]
その他、国王の顧問官から民法および教会法の免許取得者を数名ほど。
7.2 最初にジャンヌを審理した人(2)奇跡か異端か
羊飼いの少女ひとりを尋問するために、大勢の博士が集められた。
しかし、当時の神学は、厳格で柔軟性がなく、あらゆる人々の知識をコントロールし、世俗の権力に神学的解釈を実行させていたことを忘れてはならない。
世間で「無知な少女が神、聖母、聖人、天使を見た」と信じられるようになると、その少女は、
(1)あらゆる言動を「奇跡」として粉飾された末に、啓蒙的な死を経て、殉教者として列福されるか、
あるいは、
(2)あらゆる言動を「異端」として断罪された末に、教会の牢獄を経て、魔女として火刑に処されるか、
そのどちらかであった。
また、聖なる審問官たちは「悪魔は女に乗り移りやすい」と頑なに信じていたため、不幸な少女は神聖な香りに包まれて死ぬよりも、生きたまま焼かれる可能性のほうが高かった。
しかし、ポワティエの博士たちの前に立ったジャンヌは例外で、信仰上の問題で疑われる危険性はなかった。
トゥールーズで執拗に異端者を追い詰めていたピエール・テュレル修道士でさえ、ジャンヌの中に異端を見つけるつもりはなかった。
著名な学者たちは、ジャンヌに対して「神学的な爪」を引っ込めていた。
彼らは聖職者ではあったが、(シャルル七世を支持する)アルマニャック派であり、ほとんどが実業家や外交官、王太子時代からの老臣(古参の顧問・評議員)だった。
聖職者として教義と道徳を重んじ、信仰上の問題を判断する規範を持っていた。だが今、優先すべき問題は、異端の病を治すことではなくイングランド人をフランスから追い出すことだ。
ジャンヌは、アランソン公とオルレアンの私生児に気に入られ、オルレアンの人々は乙女(ラ・ピュセル)に救いを求めていた。
ジャンヌは国王をランスに連れて行くと約束した。
そして、フランスで最も賢く、最も権力のある人物で、王国の宰相であるルニョー・ド・シャルトル卿が、ランス大司教兼伯爵だったことが、大きな影響力を持っていた。[740]
もしジャンヌの言う通り、神が本当にフランス王家を救うために彼女を遣わしたのなら、理性(分別)と学識のある人にとってそれは驚くべきことではあるが、信じられない話ではなかった。
神が王国の問題に直接介入することを否定する者はいなかった。
なぜなら、神自身が「私を通して王が統治する(Per me reges regnant)」と言われたからである。
神聖で分離不可能なはずの教会において、ポワティエの学者たちは「神はシャルル王の陣営についている」と宣言したが、パリ大学では「イングランドとブルゴーニュ派陣営についている」と宣言していた。
神の使者は必ずしも天使である必要はない。
神は、預言者エリヤを養ったカラス(レイブン)のように、人間であろうとなかろうと被造物(生物)を使うかもしれない。
⚠️エリヤを養ったカラス:旧約聖書『列王記』に登場する。イスラエルが大飢饉のとき、カラスが朝晩2回、預言者エリヤに食事を運んできた。
また、「戦う女性」の是非については、女傑カミラやアマゾネスの女王ペンテシレアなどの前例が書物に書き残されており、イスラエル救済のために神に引き上げられた女丈夫のデボラ、ヤヘル、ベツリアのユディトなどの「強い女性」についても聖書に書かれていることと一致する。
「かの力ある者が倒れたのは
壮者によるのではない。
タイタンが彼を打ったのでも、
巨人族が襲ったのでもない。
メラリの娘ユディトが
その容姿の美しさによって彼の力を奪ったのだ」[741]
(旧約聖書『ユディト記』第16章6節)
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